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2012-01-09(Mon)
この御書は年次不明ですが、建長7年(1255年)に富木常忍に与えられた御抄だと伝えられています。 そうであれば、日蓮大聖人34歳のときの御書です。


【要 文】

『 夫れ無始の生死を留めて此の度決定して無上菩提を証せんと思はばすべからく衆生本有の妙理を観ずべし、衆生本有の妙理とは・妙法蓮華経是なり故に妙法蓮華経と唱へたてまつれば衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり、文理真正の経王なれば文字即実相なり実相即妙法なり唯所詮一心法界の旨を説き顕すを妙法と名く故に此の経を諸仏の智慧とは云うなり 』

『 妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらずそ法なり、そ法は今経にあらず今経にあらざれば方便なり権門なり、方便権門の教ならば成仏の直道にあらず成仏の直道にあらざれば多生曠劫の修行を経て成仏すべきにあらざる故に一生成仏叶いがたし、故に妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり。 』

『 都て一代八万の聖教・三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとは・ゆめゆめ思ふべからず、然れば仏教を習ふといへども心性を観ぜざれば全く生死を離るる事なきなり、若し心外に道を求めて万行万善を修せんは譬えば貧窮の人日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し、然れば天台の釈の中には若し心を観ぜざれば重罪滅せずとて若し心を観ぜざれば無量の苦行となると判ぜり、故にかくの如きの人をば仏法を学して外道となると恥しめられたり 』
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