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2011-12-26(Mon)
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(日蓮正宗問題研究HP 昭和61年東京赤坂)


わたしの宗門の問題に対する見解を、すこし語っておきたいのですが、今の公式な創価の態度とはちょっと違うかもしれません。
というか、ほとんど同じだと思うのですが、わたしの心情の部分をそのまま語るので、違うように見えるかもしれません。

今から20年前に起きた事柄なので、ごくごく簡単に説明しますと、平成3年11月7日に、創価学会解散勧告書が日蓮正宗より出されました。 独立した宗教法人である創価学会はそれに従わなかったために、同じ年の11月28日には日蓮正宗より破門の通告が出されたのであります。
この背景には、宗門僧侶の僧にあるまじき姿や遊興に業を煮やしていた創価学会と、広宣流布の実質的な主導権を創価学会に奪われて、供養だけを貰い、影の存在でしかないことに、自尊心が傷ついていた宗門があります。 創価学会が発展し、信者数も過去に無いほどの規模になっていましたが、広宣流布の主役は創価学会にあり、宗門は御受戒(入信の儀式)と御本尊授与と御開扉(戒壇の御本尊にお目通り)と葬儀以外には創価学会員に直接に関与する機会もなく、わずかな寺信徒である法華講を預かるだけでした。 創価学会の寄進で全国に寺も増え、総本山の整備も進み将来は本門の戒壇となる正本堂も完成するなど、広宣流布の歴史の中で宗門はひとりポツンと取り残されたような状況でした。

やがて創価学会と宗門の間には軋轢が表面化して、昭和52年の第一次宗門問題が起きます。 このときには、信徒という立場もあり、会員を苦しめたくないとの配慮から、創価学会が宗門に折れて従い、池田会長は辞任したうえ創価学会の会合への出席禁止や、聖教新聞での池田会長の報道を禁止するなどの宗門の幽閉処置を飲むことになりました。 しかしその後に、依然として池田会長の存在は大きく、学会員の信望と尊敬が集まり、実質的な幽閉がついには出来きませんでした。 そこでこんどは ” C(CUT)作戦 ” なるものを謀議して、創価学会の解体を画策しはじめ、創価学会の会員を自分達の支配下におこうと目論んでいたのです。 一方で創価学会は、一段と高圧的な信徒差別の態度を見せる宗門に、厳しい目を向け、権威的で横柄な人間性に辟易し、日蓮大聖人の心を失っていく宗門に、危惧を抱くようになっていました。  
そして大石寺開創700年記念法要が終わった後に宗門は動き出します。 平成2年12月16日の「お尋ね」文書をかわきりに 創価学会の教義逸脱、僧侶批判、宗門支配の画策、社会的逸脱等々の理由を挙げ、突然と刃を向けてきたのでした。 根本的には昭和52年のときと同じように一部会員の逸脱をとりあげ、池田名誉会長の言葉尻を捕まえ、幹部の発言をことさら問題化して、ヤクザのいいがかりのような論理で池田名誉会長を責め始めました。 創価学会は直接の話し合いを何度も求めましたが、宗門はそれを拒否し、最初から破門ありきという行動に出て、総講頭罷免や登山停止などを矢継ぎ早に行い、ついには、解散勧告、破門へと突き進んでいったのでした。 この間の双方のやりとり、対応のなかで修復しがたい対立が生まれ、宗門は一方的に創価学会を破門しました。 

この問題を譬えてみると、
『 外面は亭主気取りでいながら、働かずにブラブラと遊びふけ、ヒモのような存在となっていた男が、かいがいしく家計を支え、男に尽くし、子供の面倒をみている女を、近所や周囲での評判を耳にして、それがかえって恨めしく思えるようになり、女に小言を言われたのをきっかけにして、逆切れし、妻にあるまじき態度だと、ささいな振舞いや言動をあげつらい、浮気してるとか、亭主を馬鹿にしていると責め、女がよく話しましょうと言っても聞き入れず、最後には悪態をつきながら、女に建ててもらった家から、子供と一緒に女を追い出してしまいます。 さらに、追い出した後も、いずれ子供に養ってもらおうとする下心から、女の悪口を盛んに子供や世間に吹聴して、子供をなんとか奪おうとしている。 』 
と、いった感じでしょうか。 (笑) 

わたしが見るこの問題の根本原因は、宗門が日蓮大聖人の大事な遺命を忘れ、僧としての少欲知足を失い、自行化他の信心を無くし、権威と富に溺れ修羅の命に染まってゆき、魔に心を食い破られたことにあると思っています。 なぜ、食い破られたのでしょうか。 それは、宗門自らが日蓮大聖人の信心の血脈を絶っていたからです。  昭和18年に起きた、治安維持法による創価学会(当時は創価教育学会)幹部と日蓮正宗の僧侶であった藤本蓮城師の、不敬罪での逮捕を知って、宗門はただちに登山停止・信徒除名・僧籍剥奪を行いました。 さらにそれ以前には、神本仏迹の軍部の圧力に屈服し、神札の授受、御書の重要な御文の削除、御観念文を神道風に変えるなど、日蓮大聖人の血脈を否定する行為に出ていたのであります。 これでは、日蓮大聖人の信心の血脈は、弾圧を受けながらも、信心を貫き通して獄死した初代牧口会長、そして生き残った戸田第二代会長に流れていくしかなかったのです。 宗門にも獄死した藤本蓮城師のような方も居られたのですが、僧籍剥奪という死刑にも等しい行為で報いるとは、蓮祖上人のお怒りはいかほどであったか、計り知れないものがあります。 宗門はこのとき、自ら信心の血脈を捨て去ってしまっていたのです。 それから、48年後。 今度は僣聖増上慢となって、魔性の牙を剥いたのでした。 日蓮大聖人は、信心の血脈が無ければ功徳は無いと仰り、また、その身に魔が寄り添うと警告しておられますが、まさに御書のとおりであります。

信心とゆうものは、広宣流布を忘れ、自行化他をしなくなれば、腐っていくということであります。 ” 日蓮大聖人の如く ” が、信心するものの規範であり、原点であることを、心に刻まなければなりません。
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Category : 歴 史Comment : (2) |

No title * by 菊川広幸
力作ですね。感動しました。
言論というのは、かくあるべきですね。

No title * by 夕焼け
菊川さん おはようございます。

恐縮です。(ーー;
宗門の問題は複雑で、色々と触れておきたいことがあります。
山崎・原島の暗躍、創価の発迹顕本、宗門の未来など、
いずれ記事にしたいと思います。

コメント





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