--------(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Category : スポンサー広告 Comment : (-) |
2011-12-20(Tue)
 blog_import_523d7ab5d7a26.jpg


わたしは、前に、 ” 社会変革と絶対的幸福を追求し、現実的幸福を掴みながら前進する創価の姿 ” と言いましたが、その点についてさらに ” 生も歓喜、死も歓喜。 生死を貫く境涯の確立こそが、創価の信心の目的なのであります ” とも言いました。 そこで今日は、さらにもう少し、信心されていない方が理解を進め、創価の真の精神というものを、知っていただくことが出来るように、池田SGI会長の言葉を紹介したいと思います。


* 『 信心の功徳を実感するうえでも、信仰の一つの実証としても、 「 蔵の財 」 「 身の財 」 は大事である。 しかし、財産は使えばなくなるし、 ” 災害 ” などで一夜にして失ってしまう場合もある。 また、優れた体力も、高齢になれば衰えていかざるを得ない。 本当の幸福は、時代の激変にも、時の流れにも左右されることのない、 「 心の財 」 を積んでいくなかにこそあるのだ。 』

* 『 日蓮大聖人は、 「 此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候 」 と明言なさっている。 真の所願満足は、金銭や財産などを追い求めるなかにあるのではない。 欲望に振り回されることのない、少欲知足の心豊かな境涯が確立されてこそ、至る境地といえる。 つまり、 「 心の財 」 のなかにこそあるのだ。 イタリア・ルネサンスの知性アルベルティは、 「 どれをとっても魂の財産よりも好ましいものはない 」 との警句を残している。 』

* 『 人生の総仕上げとは、それぞれが、幸福の実証を示していく時であるということです。 ” 私は最高に幸せだ。 こんなに楽しい、すばらしい人生はない ” と、胸を張って言える日々を送っていただきたいんです。 しかし、それは、大豪邸に住み、高級料理を食べ、贅沢な暮らしをするということではありません。 欲望を満たすことによって得られる 「 欲楽 」 の幸福というのは、束の間にすぎない。 相対的幸福だからです。 』

* 『 「 蔵の財 」 「 身の財 」 は、所詮は、この世限りです。「 心の財 」は、未来世にまでもわたる財であり、しかも無限です。 「 心の財 」 は、「 欲楽 」 に対して 「 法楽 」 と言い、仏の悟りの法を求めることによって得られる楽です。 つまり、信心によってのみ得られる幸せなんです。 「 法楽 」 は、生命のなかから、泉のごとく湧きいずる幸福であり、環境の変化などによって崩れることのない幸福です。 戸田先生は、それを「 絶対的幸福 」と言われたんです。 戸田城聖は、一九五六年(昭和三十一年)五月三日の春季総会で次のように述べている。
「 絶対的幸福というのは、どこにいても、 ” 生きがい ” を感ずる境涯、どこにいても、生きている自体が楽しい、そういう境涯があるんです。 腹のたつことがあっても、愉快に腹がたつ 」 』

* 『 日蓮大聖人は、極寒に身を責められ、食べる物も、着る物も乏しく、命をも狙われていた流罪の地・佐渡にあって、門下に宛てた御手紙に、こう記されている。 「 流人なれども喜悦はかりなし 」 それが、仏の大境涯であり、 「 絶対的幸福 」 の発露であろう。
初代会長・牧口常三郎もまた、軍部政府の弾圧によって獄に繋がれながら、看守を折伏し、取り調べの場で価値論を説き、家族らに励ましと指導の葉書を送り続けている。 その葉書には、 「 何の不安もない 」 とある。 また、検閲によって削除されているが、 「 心一つで地獄にも楽しみがあります 」 とも記されている。 幸福は、最終的には、環境条件によって決定づけられるのではない。 幸福は、どこにあるのか。 自身の胸中にあるのだ。 心の宮殿のなかにあるのだ。 その宮殿の扉を開けるカギこそが、信心なのである。

* 『 人生の総仕上げにあたっては、生老病死など、無常の現象をありのままに見つめ、その奥底を貫く常住不変の妙法に則り、一途に絶対的幸福境涯の確立をめざしてください。 豊かな 「 心の財 」 を得た幸福境涯というのは、内面的なものですが、それは、表情にも、言動にも、人格にも表れます。 その言動には、感謝と歓喜と確信があふれるものです。 そして、思いやりに富み、自分の我を貫くのではなく、皆のために尽くそうという慈愛と気遣いがあります。 さらに、人びとの心を包み込むような、柔和で、朗らかな笑顔があるものです。 』

<新・人間革命(共戦30~32)> より


このように、創価は現世の利益を絶対としているのではありません。 必然として の ” 現実的幸福 ” の享受であり、生命変革の実践によって様々な試練を乗越えて、なにものに崩れない、 ” 絶対的幸福 ” という境涯の確立を目指しているのであります。 それは、まさに仏の境涯と言えるものなのです。
関連記事
Category : 創 価Comment : (2) |

No title * by かどやよしたか
いつも元気の出る記事をよませていただきありがとうございます。

No title * by 夕焼け
かどやよしたか さん 新年おめでとうございます。

本年も ご活躍をお祈りいたします。

コメント





 非公開:管理者にだけ表示を許可


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。