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2011-11-21(Mon)
禅宗は、西暦520年頃にインドから中国に渡ってきた、迦葉から28代目(?)にあたるとされる、達磨を祖師としています。 その後、禅宗5祖のあと神秀の北宗禅と慧能の南宗禅に対立して別れ、南宗禅からは五家七派と呼ばれる流派が生まれています。 このうちの臨済宗と曹洞宗がよく栄え、日本には奈良時代から断片的に入ってきていましたが、本格的には栄西が臨済宗を、道元が曹洞宗を鎌倉時代に中国から伝えております。 一方、北宗禅は行表から最澄(伝教)に伝授されましたが、宗派として日本には定着していません。 日蓮大聖人の時代の鎌倉では、能忍と中国僧の蘭渓が北条氏の加護のもと臨済宗を広めていました。 日蓮大聖人は、教外別伝・不立文字を掲げて、釈迦の教説、法華経を否定する禅宗について、涅槃経の 「 願わくは諸の衆生、悉く皆出世の文字を受持せよ 」 、 「 若し仏の所説に順わざる者有らば当に知るべしこの人は是れ魔の眷属なり 」 を挙げて ” 禅宗は天魔の所為 ” と鋭く批判の矛先を向けられたのでした。

禅宗の起源は、大梵天王問仏決疑経にあるとされていますが、そこには、釈迦が大衆に黙念として華をひねって示し、それを見た迦葉のみがその意を悟り破顔微笑したところ、釈迦が 「 吾に正法眼蔵・涅槃妙心・実相無相・微妙の法門有り、文字を立てず、教外に別伝し、摩訶迦葉に付属す 」 と言ったと書かれてあります。 禅宗ではこの経は秘密の経で、インドから秘密に伝えられたと主張していますが、いつの時代、誰によって伝えられたのかも判らず、訳者も不明な、なんとも不思議な経で、西暦67年頃から800年頃までに、中国に伝来して訳された大小の経典を収録してある、貞元録・開元禄にも見当たらない為、偽経とまで言われています。 達磨はこの経を知っていたのでしょうか、怪しいものです。
このことを責められると禅宗では、すかさず取り繕うように涅槃経の二を挙げて、この決疑経の正統性を主張します。 が、日蓮大聖人は同じく涅槃経の三および十の文により、涅槃経の二の文の迦葉に付属されたのは小乗経だと論破しております。 そもそも、教外別伝・不立文字といい、経典を意味なしとしておきながら、根拠となる経典を作ったり、経典を持ち出して正当化するなど、一貫性が無く、矛盾を隠そうと、その場だけの繕いをするため、自語相違と言われてしまうのです。 そこには、釈迦の威光を笠に、自分を飾ろうとする卑しい心が見えてきます。
 
達磨は中国に渡り楞伽経(大乗経)の一字不説の文に依って布教したため、当初は楞伽宗と呼ばれていたといいます。 第二祖の慧可は楞伽経四巻を渡され達磨から相伝されているというのですから、禅宗が教外別伝・不立文字と言うには、はなはだ支離滅裂なところがあります。 さらに、付法蔵伝には、壇弥羅王に諸僧と共に獅子尊者が首を切られて皆殺しにされ、迦葉(初代)から獅子尊者(24代)で付属が途絶えたと記されているのに、禅宗では間に3代入れて達磨を28代目と主張していますが、日蓮大聖人は 『 二十八祖を立つる事・甚以て僻見なり禅の僻事是より興るなるべし、今慧能が壇経に二十八祖を立つる事は達磨を高祖と定むる時師子と達磨との年紀遥かなる間・三人の禅師を私に作り入れて天竺より来れる付法蔵・系乱れずと云うて人に重んぜさせん為の僻事なり 』 と喝破されています。 依経も付属も根幹となる部分に、矛盾といいかげんさと繕いが見られるのは、まさに  ” 天魔の所為 ” と言えます。 天魔に魅入られた禅宗の教えを速やかに打ち捨て、本因の教主日蓮大聖人の仏法に、なかんずく、創価の信心に帰依することを強く勧めます。
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