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2011-11-15(Tue)

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(サンケイ新聞 平成23年11月15日付)



今日、一般紙に、松本サリン事件(1994/06/27)の被害者である河野義行さんの取材記事が載っていました。

皆さんもご存知かと思いますが、河野さんは事件当初に犯人として疑われ、地下鉄サリン事件(1995/03/20)が起きるまでの間、 ” 犯人視 ” するマスコミ報道が相次いで、世間からひどいことをさんざんと言われました。 被害者の遺族からは 「 殺してやりたい 」 「 お前がサリンで死ね 」 という手紙が何通も届いたそうです。 河野さんは被害者でありながら、被疑者にされた経験をとおして、加害者に対して 「 恨んで、恨んで、・・・・・・。 死刑が執行されて晴れ晴れするかと言えば、そんなことは絶対無い。 恨みを持ち続けながら生きていくことは不幸だ 」 と思うようになったそうです。 サリンの被害者となった奥さんは14年間の介護のあと、3年前に亡くなられて、今、河野さんは鹿児島に移り住み、静かに暮らしています。 その心境を 「 私にとってのオウム事件は、3年前に妻が亡くなったとき、すべてが終わったのです。 いま少し離れたところで人生をリセットしたい。  最後に笑って終われるように。 」 と語っています。

わたしはこの記事を読んで、 ” すごいなぁこの人は、苦しみ抜いた後に正しい道を掴んだんだなぁ。 ” と感心しました。 と同時に、このような姿勢がとても大事だと思ったのです。

こう思ったとき、だいぶ前に、 「 ガンジー 」 という映画で観たある場面を思い出しました。 インドは独立に向けて、ガンジーを指導者として国民的な運動を起こしていましたが、その中で、イスラームとヒンズー教徒の確執が始まり、互いに虐殺を繰り返すようになっていく事件が起こります。 宗教的な反目が底流にあるのでしょうが、独立への思惑の違いが引き金となっていたのです。 イスラーム地域のヒンズー教徒が殺され、仕返しでヒンズー地域のイスラーム教徒も殺され、地域を逃げていく者も、行交う途中で殺しあうという悲惨な事件です。 恨みに囚われて、やられてはやり返すという連鎖が続きます。 女も子供もありません。 そこでガンジーはやめさせるために断食に入ります。 なかなか収束せず死にそうになったとき、その姿と思いを受けて、殺し合いが少しずつ収まり始めます。 そのとき、ある男たちが刀を手にしながらガンジーに近づき、会話する場面があります。 その内の一人の男は自分の息子を殺され、その恨みにまかせて、異教徒を殺しますが、怒りは収まらず、さらに見知らぬ異教徒を殺していました。  断食をするガンジーに、怒りを押し殺しながら 「 俺は地獄ゆきだが、あんたは死なせたくない 」 と言ってパンを差し出します。 するとガンジーはそれを受け取らずに、 「 地獄に行かないで済む方法がある。 孤児となった子供を見つけだしなさい。 そして、自分の子供として、殺された息子のように育てなさい。 ただし、異教徒の子供、異教徒として育てなければいけない。 」 と言って見つめます。 しばらく男は目を見開いて、苦るしそうな困惑の色を浮かべますが、われにかえったように、寝ているガンジーの足元にひざまづき泣き出します。

9・11、イラク、アフガン、人の苦しみ、不幸な出来事が、恨みにつながることは必然ですが、恨みや仇がもたらす結果は、あらたな恨みと苦しみ、不幸を生んでいるのも確かです。 人類はこのようなことを、もう終わらさなければいけません。
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