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2011-11-07(Mon)

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(写真:SGIグラフ)



世界の創価の同志は、 ” 先生と共に ” ” 先生の心で ” を合言葉に目覚しい発展を見せてくれました。 多くの友が、既成の宗教に見られない、躍動感に満ちたSGIの同志の姿に、希望を見出し、蘇生を誓って、起ち上がってきております。 なぜか? それは日蓮大聖人の哲理に目を見開くような感動を覚える人も居ますが、多くは、確かな自己の変革と、廻りの状況の転換に、疑いようも無い確信を抱くからです。 単なる道徳や修養の域を超え、いちるの奇跡や偶然を許さない、事実と普遍性をそこに見出し、それを肌で感じているからです。 それは、日本の創価の歴史に刻まれた何百万という人のあらゆる信仰体験とまったく変わらないものなのです。 
わたしは、信心をされてない方に、今までの宗教観で創価を捉えるのは、大いなる過ちであることを知っていただきたいのです。  創価の信心の本質は ” 棚からぼた餅 ”や ” おすがり ” あるいは、 ” 盲目 ” や ” 服従 ” とはまったく違うものなのです。 また夢想的な現実逃避の心理でも、自己に閉じこもる厭世の態度とも違うのです。 それどころか、そのことを厳しく戒め、全人間的な成長の鍛えと、正しい眼を開く知性の学びと、励ましの人間性の発揚と、勇んで努力していく実践を、身をもって示してくれているのが、創価三代にわたる会長なのです。

わたしは小さいころから、既成仏教の陰々鬱々とした雰囲気が嫌いでたまりませんでした。 生命力が奪われていくような何かを感じていました。 ところが、創価は違っていました。 清々しく、明るく、暖かな雰囲気が満ちていて生命力がありました。 同志はまじめで心のやさしい人達でした。 誠実な生き方に価値を置き、宿業(苦難)と戦う勇気を与えてくれる励ましがありました。 南無妙法蓮華経には現実の状況を切り開く確かな力があり、心と体の障害は消え去り、自身の生命が浄化され、力を得ていく驚きがありました。 日蓮仏法には人間と生命を捉える透徹した哲学があり、深遠な仏法との出会いに感動がありました。 創価には自己を律しゆく厳しき精神と心熱き思いやりがあり、人間を磨く決意が生まれ、社会変革の意識と行動を薫発する思想があり、不条理な現実に声をあげました。 他の人の幸せのために心をつくすこと、苦労することが、自分の幸せになると教えられ、無認識や悪意の言葉に耐えながら、友の幸せを願いました。 厳しく指摘しなければならいときも友を思い、くじけそうになる心を奮い立たせて、前に進みました。 そして、多くの友の中から、一人また一人と創価の陣列に並ぶ姿を目にして、わたしは、信心する前と信心した後では、人がどれほど変わるのか、格段の違いがあることを知りました。 信心で困難を克服した友の姿は、わたしの確信を深めるのに充分すぎるほどでした。

このようなことは、人により様々でしょうが、信心してみないと判らないことがたくさんあります。 ” 幸せを探している人が、いちばん幸せだって ” という言葉がありますが、努力しても、うまくいかない現実の世界にあって、創価には、この言葉の理想の姿があるような気がします。
 
池田SGI会長は、小説 「 新・人間革命 」 のなかで次のように語っております。


* 『 法華経には、「 現世安穏、後生善処 」とあります。 しかし、広宣流布の道には、さまざまな難が競い起こってきます。 また、人生は、宿命との戦いともいえます。 現世安穏というのは、なんの波風もない、順風満帆の人生を生きるということではありません。 怒濤のように諸難や試練があっても、勇敢に、一歩も引かずに戦い、悠々とそれを乗り越えていける境涯をいいます。 何があろうが、堂々と、人生に勝利していける姿が、現世安穏ということなんです。 途中は、いかに波瀾万丈でも、それを勝ち越え、晩年に、しみじみと、わが人生は現世安穏なりと、実感していくことが大事です。 そのためには、どんなことがあっても、一生涯、学会から、御本尊から離れず、題目を唱え抜いて、勇んで、広宣流布に生き抜いていくことです。 大聖人は、「 南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり 」 と仰せです。 たとえ、どんなに苦しい時も、御本尊への信を奮い起こし、 " 絶対に負けてなるものか! " と、唱題し抜いていくんです。 そうすれば、苦難に立ち向かう勇気がわきます。 生命が躍動し、歓喜が込み上げてきます。 そこから、すべての状況が開かれていくんです。 』


創価の先輩は、この指導のように生き抜いて、みごとにその境涯を掴んでいます。 この信心は仏の生命の泉を掘り起し、汲み上げながら、崩れざる人間を確立することにあります。 したがって、宿業を消し、福運をつけ、人間を高めている過程そのものが、幸せを実感できる種であり、仏の振舞いと同じ修行なのですから、信心する人が、もうすでに、いちばん幸せな人なのです。
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