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2015-08-21(Fri)
まだまだ暑いですね。

残暑の時期に体調を崩すことが多いですから、気を付けてお過ごしください。

ところで、仕事と活動と唱題と勉強とブログが重なるとほんとうに時間が足りません。 しかも、老齢の身では、疲れはて、夜になると眠くてたまらなくなってしまいます。 そこで、どうしても、ブログにしわ寄せが及んで、定期的に記事を更新できないことを、お許しください。
眠いときは、なつかしい音楽を聴いてカンフルにしようと思うのですが、いつのまにか、その時代にタイムスリップして、目を閉じ、気付くと朝になっています。 (^^;

前置きが長くなりましたが、今日は、わたしが20代後半のときに聞いていた、浜田省吾さんの曲を紹介いたします。

よい週末を。 (^^

・ 君に会うまでは
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Category : 音 楽 Comment : (2) |

* by ちよ
私は 「片思い」が好きでした
お互い マイペースで いきましょうね

* by 夕焼け.
ちよさん、こんばんわ。

はい、マイペースでいきます。 (^^

「 片思い 」わたしも好きですが、
切ないときに聞くと、その切なさが、さらに深くなって、
悲しさが、こみあげてきます。
泣きたいときに聞く曲なのかもしれませんね。

2015-08-15(Sat)
今日は70年前に、日本が降伏した日であります。

この戦争で、多くの犠牲者が出ました。 それは、日本人だけではなく、アジアの諸国をはじめとして、欧米の軍人・民間人・大人も子供も悲惨な思いを味わい犠牲となりました。 この犠牲は無くてもよかったはずのものではなかったか、今もって残念でなりません。
よく” この人たちの尊い犠牲があったからこそ、今の平和がある  ”という声を聞きますが、確かに日本人以外の人達が言うのはもっともなことでしょうが、日本人が言うのは、どこか、わたしは違和感を覚えます。 日本人の犠牲を無にしたくない気持ちは、とてもよく分かるのですが、この言葉は、日本の起こした戦争を美化してしまうもので” それは違うだろう ”と言いたくなります。 戦争中に大本営がガダルカナルの玉砕を「 転進 」と言って国民をごまかしていましたが、それと同じようなものです。

日本人の犠牲者は、誤った国の指導者に犠牲を強いられたといえます。 
Category : 社 会 Comment : (0) |
2015-08-11(Tue)
今回の安保関連法案の中で、唯一の新法が国際平和支援法であります。 他の法案は既にある法を改正したもので、しかも、個別的自衛権を補完し、限定的な集団的自衛権を規定したものでありますから、巷に言う、憲法に違反するようなものではありませんが、この法案は自衛権を越えた活動を許しており、少なからず問題のある法案です。 憲法9条に違反する可能性を秘めており、運用を間違うと、戦争行為を仕掛ける側の当事者となってしまう危険があります。 

この法案の名目が国際平和支援となっておりますが、PKOが戦後処理の活動であるのに対して、この法案が許している活動は実力行使あるいは武力を行使しているときの支援であります。 一応は国連の決議による強制行動なのですが、憲法の精神に反するために参加できないとして、消極的な形をとって支援をしていこうというものであります。 かつて、日本は湾岸戦争(第一次イラク戦争)に2兆円を超える資金を提供しましたが、しないほうが良かったと思うほどに国際社会の評価は惨めなものでした。 それがトラウマとなって作られたのが、この法案ではないでしょうか。 その危険性を思うと、空理空論のような議論ではなく、この法案の中身をもっと審議していくべきであります。 

公明党が、この法案の活動には国会の承認が必要だとしたことは、一応の評価はできますが、条文の一々についてもっと言葉を添える必要があったように思えます。 この法律の第2条3項には「 現に戦闘行為が行われている現場では実施しない 」とありますが、わたしは、それに紛争地域・国を加え、「 現に戦闘行為が行われている現場、あるいは紛争地域・国では実施しない 」とすべきであったと思います。 PKOは戦後処理、治安維持、復興が目的でありますから、いたしかたないとしても、強制行動の支援では、もっと離れたところで行うべきであります。
また、武力行使と一体とみなされる行為の定義がされていないところも心配で、自衛権の範囲から離れた活動でありますから、もっと厳格に扱うべきであり、細則で具体的に定義しておく必要があると思います。 少なくとも、この法律において、弾薬の提供は含まないとするべきであり、安保関連法案の中で問題を残している部分だと思います。
Category : 社 会 Comment : (2) |

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* by 夕焼け.
No.411さん、こんばんわ。

そうですか、責任重大ですね。 (^^
しっかり探求して、これからも書いていきます。

2015-08-10(Mon)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 三三蔵祈雨事(1468P) 
『 道理証文よりも現証にはすぎず 』

【 通解 】 
『 道理や証文よりも現証が第一である 』

【 指導 】
* 仏法では道理(理証)と証文(文証)が大切である。 そのうえで、仏法も人生も、大切なのは「 事実 」である。 現実の「 証拠 」である。

どんなに立派なことを言っても。 またすばらしい話を聞いたとしても、自分自身が現実に「 満足 」と「 勝利 」の実証を示さねば、意味がない。 観念論、抽象論になってしまう。 それでは、仏法ではない。 実像の人生でもない。
ご家庭でも、ご主人が「 明日は一緒に勤行するよ 」と口先ばかりで約束しても、空手形では、文証があって現証がないようなものである。 だから奥さんに叱られる。 やはり、「 結果 」が大事である。 所詮、人生も、生活も、どういう結果であったかが、現実の幸・不幸を決めていくからだ。 身近な日々の暮らしから、一生、また三世の幸福にいたるまで、すばらしい「 結果 」を残せる自分自身でありたい。 そのための根本の「 原因 」を作るのが信心であり、仏道修行なのである。
ゆえに、だれ人が、どんなに「 自分は偉い 」と威張ってみても、現実に一人の人に信心を教え、面倒をみ、幸福にしていった「 実証 」にはかなわない。 ” 高位の人 ”よりも” 弘教の人 ”が偉いのである。 仏法の眼から見れば、実社会のなかに、わが地域のなかに、正法流布を進めている皆さま方ほど尊い存在はない。 高貴なる” 仏の使い ”であり、何より御本仏のご賞賛は絶対と確信する。 また必ずや、三世十方の諸仏の讃嘆にもつつまれていくにちがいない。

< 御書とその心 >より


いくら、現証を実証を、といっても、力の無い誤った宗教・信仰では、それは叶わない。 また、あるのは不幸という現実であります。 過去の人類の歴史の悲惨さは、目を覆うばかりであり、不条理と憤りと悲嘆さに満ちています。 真実の宗教に向き合うとき、人の努力と思いは、幸福へ幸福へと実を結んでいくことはまちがいありません。 
Category : 御 書 Comment : (0) |
2015-08-04(Tue)
集団的自衛権を誤解している人や、自分勝手に解釈しているひとがとても多いように思います。 とくに、集団的自衛権と集団的攻撃権(強制行動)をないまぜにして、集団的自衛権は反対だと言っている場合がほとんどのような気がします。

集団的自衛権を行使するためには、いくつかの大事な条件があります。 まず、相手国の攻撃が差し迫ったものであり他に選択の余地や時間がないという、いわゆる「 必要性 」と、そして、選択された措置が自衛措置としての限度内のものでなければならないという「 均衡性 」 があります。 この二つは、個別的自衛権を行使する場合にも必要であり、集団的自衛権では、さらに、攻撃された旨の表明があり、援助の要請がなければなりません。 この四つが揃わなければ、集団的自衛権は正当性を失います。 所謂、誤想防衛や過剰防衛となったり、頼まれもしていないのに集団的自衛権を使えば、国際司法裁判所で犯罪として扱われることになるでしょう。 ただ、四つが揃っていても、必ずしも集団的自衛権を行使しなければならいというわけではなく、第三国の裁量となります。 

ここで、国際情勢において、日本の状況について触れておかなければなりません。 いまや、地球はグローバル化して、世界中で日本人が生活しております。 また、日本の資源はほとんどが輸入に頼っています。 そのような中、紛争地域は拡大してきており、遠い国で起こっていること、と看過出来ないことも現実には起こっております。 11年前にも、ペルシャ湾で日本のタンカーが自爆テロに遭遇し、寸でのところでそれを防いだのが多国籍軍であり、そのために3人の兵士が犠牲となっています。 日本は他の国の若者の命の犠牲によって守られている、という事実をあまり知りません。 日本がやらなければいけないことを、日本だけがソッポを向き続ければ、やがて、手痛いしっぺ返しを被ることになるでしょう。 少なくとも、個別的自衛権の範囲と行動を今回の法案で、他国に犠牲を強いるようにならないよう、考えていかなければならないと思います。

集団的自衛権の行使で、アフガン戦争や第一次イラク戦争に自衛隊が行くことはできません。 そもそも、国連の強制行動による戦争ですから、集団的自衛権を行使するには遅すぎます。 また、強制行動を行ってる軍隊を守ることは集団的自衛権とは違います。 ましてや、第二次イラク戦争は強制行動にも当らないため、まさに、憲法9条にある「 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 」という条項に当てはまります。 しかし今、安保関連法案に反対して憲法違反だと叫んでいる人たちは、これらの戦争に自衛隊が行けるようになると言っているように聞こえます。 はなはだ、いい加減というしかありません。 それは、戦中戦前のプロパガンダと同じ根を持っています。
今回の安保関連法案は集団的自衛権の行使と騒いでいますが、法案の内容は、ごく限定的な限られた範囲であり、他国に行って武力行使するようなことは許されていません。 前にも言いましたが、正しく認識して評価を加えることが大切であり、集団的自衛権が憲法に違反すると決めつけて、肝心の安保関連法案や集団的自衛権の議論を深めないでいることにわたしは不安を感じます。 

わたしの個人的な見解は、集団的自衛権は憲法に違反しないと思っています。 集団的自衛権はあくまで緊急避難の行為であり、個別的自衛権と同じ自然権です。 平和に過ごしている他の国の艦船や航空機や国民を助けることは、傍にいて、他に方法が無い場合には人道上も許されることであり、要請が必要とはなりますが、それが軍隊であろうと差別はありません。 もともと戦争反対の側が、集団的自衛権を拡大解釈しているなど、おかしな話であります。 そのことをみても、今の大多数の反対論には賛成できません。
Category : 社 会 Comment : (1) |

* by ちよ
分かりやすくて 助かります

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