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2015-07-31(Fri)
加山雄三さんの曲を聴いていると、なぜか、心が暖かく、安らいできます。 夏に似合う曲が多く、波の音を聞いているような効果があるのでしょうか。

よい週末を。 (^^

・ ある日渚で
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2015-07-30(Thu)
憲法9条にはたしかに、自衛権について規定がありません。 しかし、規定がされていないから自衛権を憲法が認めていないとなると、憲法を基にしている刑法や民法の正当防衛も正当性を失うばかりか、憲法違反となってしまいます。 ではなぜ、自衛権に言及しなかったのか。 それは、前文にあるように、憲法が侵略あるいは武力攻撃してくる国は国際社会に無いという前提に立っているからであります。
軍隊を持たないということ、持たなくてよい国際社会を築くことは理想であり、目指すべき目標ではありますが、今の現実の世界秩序において、国の自衛権は相対的に存在しており、そのための模索が、日米安全保障政策であり、自衛隊であり、安保法制であったりしてきたのです。 日本が無防備の時代に韓国による竹島の占拠や漁師の拿捕慮因から始まり、朝鮮戦争、東西冷戦、北朝鮮の核兵器開発、中国の海軍増強と領海侵犯などが誘因となって、憲法の精神からは遠ざかってしまうことになりましたが、まだまだ現実は厳しいといえるのかもしれません。 

自衛権というのは、本来、個別的自衛権のことをいっていたのですが、国連憲章によって、集団的自衛権の概念が示され、加盟国には加盟国の自衛権を担保する権利が付与されるようになりました。  日本も国連に加盟しているため、国際社会の認識としては、集団的自衛権の要件に沿って行使することが認められています。 しかし、日本は、憲法の精神と9条があり、他国のために武力を行使する集団的自衛権は、必要最小限度の自衛の範囲を超えるとされて、その権利はあっても行使することはできないとの政府見解が出されてきました。 集団的自衛権の行使は、憲法をなし崩し的に意味のないものにしかねない、との危惧があったからです。 たしかに、戦争放棄を誓う憲法にあって、能動的な武力行使はそぐわないと感じるのが普通であります。
一般的な生活においても、自己の防御は論ずるまでもなく本能的なものですが、他の人が危険に遭遇していたり、危害が加えられたりして居る場合には、どうすればよいか迷い、躊躇するはずです。 それは、助けるためには、自己犠牲や場合によっては実力行使が必要となってくるからであります。 このようなときには、状況が許されるならば、消防や警察に通報すれば対処できますが、緊急性があるときには、自分が対処することを迫られてきます。 
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2015-07-28(Tue)
安保関連法案について語るまえに、その批判の主たるものが「 憲法違反 」であるということについて考えてみたいと思います。

日本国憲法の前文には「 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。 」と書かれ、第二章戦争の放棄のところでは、第9条1項に「 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 」また2項では「 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 」とあります。

いつもこの条文で争われるのは、自衛のための戦争あるいは武力行使が許されるのか、ということであります。 現在では、侵略による自国防衛のためならば認められるという解釈で自衛隊の合憲性を担保していますが、かつては、自衛の為でも許されないと解釈し、米軍の駐留や自衛隊の存在自体を違憲だとする勢力が、政府の安全保障政策を激しく攻撃し争っていました。
特に9条2項は” 交戦権の放棄 ”を掲げており、そのまま読み取れば、他国と戦争をすることの放棄であり、戦うための軍隊を持たないということになります。 つまり、自衛であろうと攻撃のためであろうと、戦争をしないために軍隊を持たないと解釈することもできます。 この憲法の原案を作ったアメリカは、なにしろ日本の再軍備は許さない、という思想でありましたから、このような条文になったのだと思います。 
わたしは、前文の「 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。 」ということから、諸国家の性善説を信じ軍隊を持たない、というのが当時の日本に求められた態度であり、その理想を達成することが憲法の精神であり、日本国民の希求するところであると思っています。

それならば、安保関連法案など論ずるまでもなく「 憲法違反 」ではないか、と思われるでしようが、それが、そうでもないのです。 2項は1項の目的を達成させるための手段として規定されているもので、1項以外の目的に軍隊を持つことを禁じてはいないのです。 しかし、やはり解釈に争いがあったのが、「 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する 」とい条文の” 国際紛争 ”の部分であり、今では、自国の自決権や生存権を否定するような侵略行為を受けた場合は、争うことのない違法な事態であることから、この国際紛争にはあたらないとして、領土・領海に不法に侵入し武力攻撃を仕掛けられた場合には、国民の生命や財産を守るために必要最小限度の軍を持って抵抗することは、憲法9条に違反しないとみなすようになりました。

社会党が自民党と組んで村山内閣を発足させたときに、自衛隊は違憲ではないとしたことから、長きにわたった政治的な自衛隊の違憲争いは終焉しました。 あれだけ争った挙句、自分たちが憲法だと言わんばかりに、解釈変更した人間が、こんどは安保関連法案を違憲だと騒いでいるのですから、推して知るべしではないでしょうか。
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2015-07-27(Mon)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 兄弟抄(1088P) 
『 設ひこれより後に信ずる男女ありとも各各にはかへ思ふべからず 』

【 通解 】 
『 たとえ、これより後に信心をする男女があっても、あなた方に替えて思うことはできません 』

【 指導 】
* 「 先駆者 」の存在はかけがえのないものである、との御本仏のお言葉である。 先駆者には先駆者ゆえの苦労があることも当然である。 しかし” 開拓した ”という事実と、その戦いをとおして開かれた境涯は厳然としている。

時とともに、また生まれてくるたびに、無量無辺の福徳が、皆さまの生命に満ち、あふれてくることは間違いない。 物心ともに豊かな、すばらしい境涯となって、ある人は大指導者に、またある人は大学者、大芸術家となって、正法広宣流布をいちだんと進めていく。 これを末法万年にわたり、自在に繰り返していくのである。 この福徳を確信していただきたい。 その確信がさらに境涯を開いていくのである。

< 御書とその心 >より


世界広宣流布新時代とはいっても、まだまだこれからであり、今はまだ草創のときであります。 今こそ、歴史を刻む信心の実証を打ち立て、時代を切り開いて未来の礎となってまいりましょう。 その福徳で、必ず自在無碍の境涯を得、生まれてくるたびに世界広宣流布の舞台で、様々に衆生所遊楽の人生を味わっていくことができます。 日蓮大聖人の信心というものは” 自受用身 ”つまり、自らが受け用いる身となって、ほしいままに、真の自立した自由な人生を、三世に亘り楽しんでいくことができるのであります。   
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2015-07-24(Fri)
夕立。 夏ですね。

高校生の夏、麦わら帽子を被り、只見の川沿いに山道を歩いていると、日が照っているというのに、山間(やまあい)の向こうから雨のシャワーが近づいてくるのが見え、きれいだなぁ、と思ってるうちにどしゃぶりの真っただ中。 森に降りかかる雨音が、ステレオを聞いているように近づいては遠ざかってゆき、あとには静寂だけが残りました。

しばらくすると、蝉しぐれが鳴きはじめ、ふぅ、と息をついで、わたしも歩き始めました。

今日は、そのとき、大自然のなか、頭のなかで静かに流れていた曲を紹介いたします。

よい週末を。 (^^

・ Air on a G string
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2015-07-21(Tue)
安保法制が衆議院を通過し、参議院で審議されることになりました。 いままでは、法案の中身がなかなか見えてきていませんでしたが、やっと新聞でその中身が報道されましたが、遅きに失したという感があります。

法文なので、見慣れない人には読みにくいかもしれませんが、ぜひ読んでみてください。

・ 内閣官房 平和安全法制等の整備について

この法案は、十の法律の改正案と一つの新しい法律案を、まとめて安全保障関連法案と総括的に言っているもので、一つの法律ではありません。 それは閣議決定で限定した集団的自衛権の発動を容認したことから、それにともなう関連法の改正と国際貢献に資する法律の新設が目的です。

< 改正案 >

・ 自衛隊法
・ 国連平和維持活動(PKO)協力法
・ 重要影響事態法(周辺事態法改正)
・ 船舶検査活動法
・ 武力攻撃事態法
・ 米軍行動円滑化法
・ 特定公共施設利用法
・ 外国軍海上輸送規制法
・ 捕虜取扱法
・ 国家安全保障会議設置法

< 新設法案 >

・ 国際平和支援法

わたしは、これらを一読して、一部分の問題点はあるものの、公明党のはたした役割がとても重要であったことが分かり、公明党を評価しています。 今後、改正の部分は改正前と比較して、新規法案は、その一々について、わたしなりの考えを示しておきたいと思います。 しかし、その前に、総括的にこの法案を巡る報道といわゆる知識人と言われる方たちの発言について述べておかなけらばならないと感じました。

なぜ、そう感じたのかというと、この問題において、あまりにも情緒的な発言と、法案そのものの吟味が為されていないことに、危険性を覚えたからで、立場は反対のようでも、戦中戦前に事実を隠しながら盲目的なナショナリズムに走った報道と知識人の時代に迎合した従順さと同じ根を持っていると思ったからです。 報道は意見を出してもかまわないのですが、事実を覆って恣意的な情報操作をしてはならいのが鉄則です。 ところが、今の報道機関はそうではないようです。 法案の中身を国民に知らせる義務があるはずなのに、一紙も一局もいままで報道していません。 マニフェストの検証もせず、民主党政権の誕生を仕組んだときの報道と全く同じであります。 自分たちの考えが優先して、知る権利を阻害しているのが今の報道機関であり、民衆を扇動する魔力に魅入られているとしかおもえないような姿勢です。 これはとても危惧すべきことです。 

民衆は賢くなければいけない、そうでなければ、一部の権力者に利用されるだけであり、一握りの報道機関の人間の思うつぼであります。 ” 認識せずして、評価することなかれ ” という先哲の言葉があるように、誤認識で評価することはとても危険であります。
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2015-07-20(Mon)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 日興遺誡置文(1618P) 
『 未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事。 』

【 通解 】 
『 いまだ広宣流布しない間は、身命を捨て自身の力の限り妙法を弘めるべきである。 』

【 指導 】
* 日亨上人は、この御文を「 重要永遠的の第一法則 」の一つであり、「 万代法則ともいうべき 」であるとされている。 つまり、このご遺誡は、二十六箇条のうちで最重要であり、中心となる鉄則である。 大聖人門下にとって永遠に貫きとおすべき根本の指針と仰せなのである。
「 広宣流布 」の実現こそ、根本の大事である。 ゆえに「 随力弘通の人 」こそ、もっとも御本仏が喜ばれ、たたえられる人である。 この根本をないがしろにするものは、日興上人の門下とはいえないとの戒めと拝される。 わが学会の歴史は、まさしく、この遺誡どおりの軌跡であった。 これが、私どもの最大の誇りである。

日興上人は、二十六箇条の「 遺誡 」について「 此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有る可からず 」と厳格に断言されている。

< 御書とその心 >より


日亨上人は、若きころに九州で折伏を一生懸命されていた。 そのときの経験から” きっと折伏の役に立つ ”と思われて、生涯をかけた富士宗学全集に取組まれたそうであります。 当時の宗門にあって、僧侶は折伏などしなくてもよい、という風潮の中「 大事なのは、人々を折伏して、信者に育てることである。 失敗してもいいから、どうしたら新しい信者ができるか、折伏の辛さ、厳しさを自分で学んでおくことだ。 折伏しない僧侶には、御書の解釈は出来ても、大聖人の本当の心は分からないよ。 」と語っておられたそうであります。 その上人にして、この一箇条の重みを痛感せられていたのでしょう。

折伏をするうえで「 随力弘通 」していくことが重要であります。 折伏には定型がなく、こうしなければ折伏とはいえないということはないということです。 心から染みでる信心の確信、喜びを携えて、相手を思って語っていくことが、相手の心に響いていくことは、昔も今も変わりがありません。 その信心の確信、喜びというのは、日々の唱題、折伏をする中から生まれてくるものです。 つまり因果俱時で、悩みながら、嫌な思いをしながらでも、ちょっとの勇気と一歩を踏み出す思い切りが、折伏には必要となってまいります。 こちらの力不足や宿業で、そのときには、相手の心に響びかなくても、生命の奥底では仏の種が芽吹いていることだけはたしかであります。

『 末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり 』 とあるように、この一箇条のために、地涌の菩薩は生れてくるわけであります。 広宣流布のために生き抜いていくことは、本来の自分を見いだすことであり、何のために生まれてきたのか、その目的を自覚し、御本仏との約束を果たしてまいりましょう。
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2015-07-17(Fri)
この曲は、味の素のCM(1987年)に使うために、小椋佳さんに作詞作曲を依頼して、それを美空ひばりさんが歌いました。
CMの曲から生まれたいい曲は、ほんとにたくさんあります。

そして、この曲はたくさんの歌い手がCoverしています。
今日は、変わった人のCaverを含め紹介いたします。

よい週末を。 (^^

・ 愛燦燦(美空ひばり)

・ 愛燦燦(小椋佳)

・ 愛燦燦(EXILE ATSUSHI)
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2015-07-14(Tue)
わたしたちが御本尊に題目を唱えて礼拝するとき、御本尊もわたしたちを礼拝して題目を唱えているのを御存じでしょうか。 御本尊の中では、日蓮大聖人を導師として釈迦・多宝を含め悉くが、そのままの姿で南無妙法蓮華経と唱えているのです。 如来秘密といって御本尊は法を説きませんから、わたし達には聞こえませんが、唱えているのです。 そして、そのことが、わたしたちの仏性を呼び起してくれるのです。

御書には『 夫れ妙法蓮華経とは一切衆生の仏性なり仏性とは法性なり法性とは菩提なり、所謂釈迦・多宝・十方の諸仏・上行・無辺行等・普賢・文殊・舎利弗・目連等、大梵天王・釈提桓因・日月・明星・北斗・七星・二十八宿・無量の諸星・天衆・地類・竜神・八部・人天・大会・閻魔法王・上は非想の雲の上・下は那落の炎の底まで所有一切衆生の備うる所の仏性を妙法蓮華経とは名くるなり、されば一遍此の首題を唱へ奉れば一切衆生の仏性が皆よばれて爰に集まる時我が身の法性の法報応の三身ともに・ひかれて顕れ出ずる是を成仏とは申すなり、例せば篭の内にある鳥の鳴く時・空を飛ぶ衆鳥の同時に集まる是を見て篭の内の鳥も出でんとするが如し 』とあります。 また、『 仍て法界が法界を礼拝するなり自他不二の礼拝なり、其の故は不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向つて礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり云云 』とあります。

信じなくても、南無妙法蓮華経と御本尊に唱えると、生命の次元で境智冥合してゆきます。 そして、御本尊の最高の力を生み出していくのは、やはり” 信じる ”ことです。  この” 信じる ”というのは御本尊と思いがちですが、そうではなく、自分自身が妙法の当体であることを” 信じる ”ことなのです。 御本尊の力で幸せになるように見えて、ほんとうは、わたしたちの、この祈りと行動によって、御本尊はわたしたちを幸せにできるのです。 二仏並座はこのことを示すもので、わたしたちと御本尊は而二不二、境智不二の関係にあります。


※ 2015/07/17改訂
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* by 王者の剣
>「例せば篭の内にある鳥の鳴く時・空を飛ぶ衆鳥の同時に集まる是を見て篭の内の鳥も出でんとするが如し」

私もこの御文が大好きです。妙法を唱えれば我が身の仏性も、諸天も歓喜するのでしょう。まるで無数の幸福が、我が身から羽ばたいていくような光景が目に浮かびます。我が身の威光勢力も増長し、生活も充実、充足していくことでしょう。

仏の生命ゆえに、常楽我浄の大歓喜の生命となって、現実の娑婆世界で今世の使命を果たしていきたいと思います。

暑さが厳しくなってきましたね。お体を大切に。


* by 夕焼け.
王者の剣さん、こんばんわ。

ほんとうに、熱いですね。
お互い、熱中症に気をつけながら、
祈って、動いて、汗をかいていきましょう。

2015-07-13(Mon)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 寂日房御書(902P) 
『 夫れ人身をうくる事はまれなるなり、已にまれなる人身をうけたり又あひがたきは仏法・是も又あへり、同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる結句題目の行者となれり、まことにまことに過去十万億の諸仏を供養する者なり。 』

【 通解 】 
『 およそ人身を受けることはまれである。 すでに、そのまれな人身を受けている。 また、あいがたきは仏法であるが、これにもまたあうことができた。 しかも、同じ仏法のなかでも、法華経の題目にあいたてまつり、結局、南無妙法蓮華経の題目の行者となった。まことに、まことに、あなたは過去世で十万億の諸仏を供養した方であろう。 』

【 指導 】
* 皆さま方は、日蓮大聖人の正法を実践しておられる。 どれほどの福徳と深き使命の方々であるか。 また大聖人は、いかばかり讃歎あそばされることであろうか。
皆さま方が、これ以上はないという最高の幸福を勝ち得ることは絶対にまちがいない。 もはや、一人ももれなく、三世永遠に崩れざる幸福の軌道に入っておられることを確信していただきたい。

< 御書とその心 >より


この仏法を持つことができる幸せは、計りしれないことなのです。 それなのに、くだらない利己主義に振り回されて、退転していく人の、なんとみすぼらしく、哀れな姿でありましょうか。 閻魔王の鏡にはきっとそのように映ることでしょう。 退転してから、さんざん創価の悪口を言うことは、負け犬の遠吠えと同じであり、みっともない限りであります。 最初は何事もないようであっても、かならず地獄のような生活と精神に苛まれるようになるでしょう。 還著於本人となって返ってゆきます。

戸田先生は、退転した人が、そのまま姿を消せばよいものを、こうなりましたと、わざわざみすぼらしい姿を見せに出てくる、というような話をされていました。 しっかり信心をした人と、そうでない人の差は歴然であります。 信心して、そのときにはわかりませんが、長い間にその差が出てきてしまいます。 また、長い間、信心してきたとしても、最後になって退転してしまっては、舎利弗が乞眼の婆羅門の責に耐えられず、長遠に重ねてきた努力を水の泡にしたことと同じであります。 千載一遇と言ってよい、この身の福運を大事にしなければいけません。

大事なことは、感謝の心で、報恩の心で、広宣流布のために信心を起こしていくことです。 それは、人としての道にも適うことであり、仏の道でもあります。


※ 2015/07/13改訂
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2015-07-10(Fri)
雨がこう長く続くと、ちょっと嫌でしたが、今日は晴れて一息でしょうか。

台風が近づいてきているので、また続くのかもしれませんが、
この台風が本格的な” 夏 ”を連れてくるのかもしれません。

若いころは、サンダル履きに短パンとTシャツで、燦々と降り注ぐ太陽の日差しと海の潮風に吹かれるのが、とても好きでした。 今はというと、薄い長そでに身を包み日陰を選んで歩いています。 それでも、夏は海に憧れます。 白い砂浜と透き通る青い海、抜けるような青空に入道雲、波の音と遠くから聞こえる海鳥の鳴く声、樹の木陰に潜んでその総てに包まれていたいと思います。

” 夏 ”といえば、わたしたちの年代では、加山さんかサザンになってしまいます。

よい週末を。 (^^

・ その日海からラプソディー


関連曲 → 好きにならずにいられない
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2015-07-09(Thu)
宗教の要は本尊にありますが、大概の仏教宗派は本尊に迷っています。 この、本尊の迷い、つまり何を本尊とすれば良いのか知らないことが、人々を不幸に導いているのです。

釈迦が入滅してから、残された弟子たちは釈迦の教えだけを支えにして修行を続けていました。 しかし、やがて、寂しさからか、釈迦の遺骨を大事に思ってか、遺骨を納めた塔を建て始め、さらに寺院に釈迦の絵や像を作って納め、それを拠りどころとするようになりました。 そして、釈迦以外の如来像や菩薩像そして守護神まで造立して、それぞれに崇めるようになってしまいました。 今では、仏教の本尊といえば絵や像がほとんどであり、それが正しいと思っています。 

はたして、釈迦は、根本とすべきものについて、どのように言及しているのでしょうか。
釈迦は法華経の法師品で「 薬王在在処処に若しは説き若しは読み若しは誦し若しは書き若しは経巻所住の処には皆応に七宝の塔を起てて極めて高広厳飾なら令むべし復(また)舎利を安んずることを須(もち)いじ所以は何ん此の中には已に如来の全身有す 」と説き、涅槃経の如来性品では「 復(また)次に迦葉諸仏の師とする所は所謂法なり是の故に如来恭敬供養す法常なるを以ての故に諸仏も亦常なり 」と説き、普賢経には「 此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり十方三世の諸仏の眼目なり三世の諸の如来を出生する種なり 」と説いております。
そのことを受けて、天台大師は法華三昧懺儀で「 道場の中に於て好き高座を敷き法華経一部を安置し亦必ずしも形像舎利並びに余の経典を安くべからず唯法華経一部を置け 」と指南しております。 つまり、法華経の教えを根本とし、修行の場において舎利や絵像を置いてはならない、ただ法華経一部を置くように、と定めているのです。

本尊というのは宗教の命だというのに、現在の仏教宗派のほとんどが、この釈迦の教えを守っていません。 残念なことに、守っていないのはこのことだけではなく、釈迦の遺言である「 義に依りて語に依らざれ 」「 智に依りて識に依らざれ 」「 了義経に依りて不了義経に依らざれ 」「法に依りて人に依らざれ」 という法の四依においても、悉く師敵対している、というのが実情です。 ただ日蓮大聖人お一人は、『 法華経の題目を以て本尊とすべし 』と仰って。 法華経の肝心を本尊とされています。 涅槃経には「 若し仏の所説に順わざる者有らば当に知るべし是の人は是れ魔の眷属なり 」 とありますから、日蓮大聖人以外の宗派はすべて師敵対している邪宗教と言わざるおえないのです。

日蓮大聖人を敬っているようにして、日蓮大聖人を下している日蓮系の宗派や悪しく敬っている日顕宗も、この本尊というものに迷っていて知りません。 じつに情けないことです。 天台大師が「 唯法華経一部を置け 」と言った” 義 ”をよくよく心に想うべきであります。 日蓮大聖人は『 此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり然れども我等は肉眼なれば文字と見るなり、例せば餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随つて別別なり、此の経の文字は盲眼の者は之を見ず、肉眼の者は文字と見る二乗は虚空と見る菩薩は無量の法門と見る、仏は一一の文字を金色の釈尊と御覧あるべきなり即持仏身とは是なり 』と、また、『 釈迦仏と法華経の文字とはかはれども心は一つなり 』と仰って、法華経の文の底に秘し沈められた妙法を取り出だし、それを記し顕わされたのが御本尊であります。


※ 2015/07/11改訂
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2015-07-07(Tue)
真言密教では、大日如来が色究竟天法界宮において「 大日経 」を、金剛宮において「 金剛頂経 」をそれぞれ説いたとしていますが、色究竟天というのは、三界(欲界・色界・無色界)の中の色界の頂にあり、大自在天(摩醯首羅)の住処であります。 大日如来は法身だと言っていて、色界で説法するのもおかしなことですが、大日経疏には「 此宮は是れ古仏菩提を成ぜし処、所謂摩醯首羅天宮 」と書かれています。 報身と法身の混乱があるようであります。

この大自在天というのはヒンズー教の主神であるブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァのうち、シヴァ神のことだとされています。 このシヴァ神は破壊を司る神です。 ヒンズー教で、釈迦如来をヴィシュヌ神の化身として位置づけていることを思い合わせると、真言密教で言う大日如来というのは、大自在天のことで、シヴァ神を崇める六師外道(バラモン)の流れを汲む者が、仏教に擬態してきたことを暗示しています。 御書に『 大慢婆羅門が大自在天・那羅延天・婆籔天・教主釈尊の四人を高座の足につくりて其の上にのぼつて邪法を弘めしがごとし 』とありますが、真言宗はまさにそのとうりであります。
三界の主であり、師であり、親は、三身即一の釈迦如来ですから、普賢経に明らかな如く、本来の大日如来は釈迦の分身仏であり、長広舌を大梵天に乗せ、法華経は真実なりと証明した十方の諸仏の一人なのであります。 大慢婆羅門には、大日如来が爾前権経の他受用身であり、報身に二義二身あることすら弁えることもできず、ましてや、法華経の自受用身や法身など想像すら及ばないことであります。

真言密教がいうところの真言(漫祖羅)といっても仏の真言(陀羅尼)ではなく、また、たとえ仏の真言を用いていても爾前権経の真言であり、その本質は擬態した外道(バラモン)の神呪に過ぎず、外道(バラモン)の三密(身口意)から離れるものではありません。 シヴァ神が破壊の神といわれるように、真言密教は仏法を破壊しようとしているのが、その真の姿であります。 さらに欲界の主・他化自在天(第六天の魔王)が身に入って、法華経を誹謗する空海によって立てられたのが真言宗であります。 これに従がうならば、即身成仏どころか堕地獄は疑いようがなく、それは仏の金言(法華経)による定めであります。


※ 2015/07/11改訂
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2015-07-06(Mon)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 御義口伝(716P) 
『 我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり 』

【 通解 】 
『 われわれの頭は妙であり、喉は法であり、胸は蓮であり、腹は華であり、足は経である。 この身の全体が妙法蓮華経の五字なのである 』

【 指導 】
* 「 妙法蓮華経 」を体に配せば「 妙 」は「 頭 」。 「 法 」は「 喉 」― 喉は声を出す、すなわち法を説くことに通ずる。 「 蓮 」は「 胸 」― 心臓が二つの肺臓に包まれた姿が蓮に似ている。 「 華 」は「 腹 」。 そして、「 経 」は「 足 」にあたる。

「 足 」とは、「 行動 」に通ずるともいえよう。 「 行動 」があって初めて、真の妙法蓮華経となる。 「 行動 」とは、日々の学会活動である。 そこにこそ「 百福 」が積まれていく。 広宣流布への行動を最後まで貫くことである。 どんな道でも、歩みを途中で止めれば、目的地に到達できない。 それと同じく、せっかく仏法の「 無上道の軌道 」に入っても、途中でやめてしまえば、それまでの努力も無駄になってしまう。 成仏の境涯を得ることはできない。 ゆえに、みずからも「 行動 」し、人にも「 行動 」への励ましを贈る。 それが正しい慈悲の軌道である。

「 仏法 」のため「 広宣流布 」のため、そして「 人間 」のために、真剣に祈り、走り、行動していく。 そこに大いなる福運がついてくる。 「 行動 」もなく、ただ拝んでいる ― それは日蓮仏法ではない。

< 御書とその心 >より


ここのところは大事な御文であります。
他の御書には、『 妙法蓮華経の体のいみじくおはしますは何様なる体にておはしますぞと尋ね出してみれば我が心性の八葉の白蓮華にてありける事なり、されば我が身の体性を妙法蓮華経とは申しける事なれば経の名にてはあらずして・はや我が身の体にてありけると知りぬれば我が身頓て法華経にて法華経は我が身の体をよび顕し給いける仏の御言にてこそありければやがて我が身三身即一の本覚の如来にてあるものなり 』 とあります。

わたしたちの行住坐臥が妙法蓮華経の当体であり、それを信じて、御本尊に南無妙法蓮華経と唱えながら、広宣流布のために生き抜いていけば、須弥山に近づく鳥と同じように、やがて妙法蓮華経如来の当体となって、金剛不壊の境涯を得ていくことができるのであります。 わたしたちが拝する御本尊には、そのことが明確に説かれています。
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2015-07-03(Fri)
いま、古代ハス(蓮華)が見ごろを迎えているようですね。

この植物は、仏法と取分け縁が深く、妙法の比喩としてふさわしいものを持っています。 そのことについて、日蓮大聖人は『 妙法蓮華経と申すは蓮に譬えられて候、天上には摩訶曼陀羅華・人間には桜の花・此等はめでたき花なれども・此れ等の花をば法華経の譬には仏取り給う事なし、一切の花の中に取分けて此の花を法華経に譬へさせ給う事は其の故候なり、 』と仰っております。 ( 詳しくは上野尼御前御返事(1580P)をお読みください。 )

雨も降り、ハスの艶やかな花模様は、きっと美しいに違いありません。 今日は、小椋桂さんの曲をお聞きください。

よい週末を。 (^^

・ うす紅色の花


関連曲 → 六月の雨
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* by 夕焼け.
No.406さん、こんばんわ。

そうですか、お出かけご苦労様でした。
(^^

2015-07-02(Thu)
真言宗の枉惑について、いくつか記事にしてきました。 また、浄土宗や禅宗も取り上げてきました。
そのなかで、とても強く感じるのは、3つの宗派が釈迦の説いた教えを、自分勝手に判じて、自分勝手な考えに創り上げていることです。 その証拠に、それぞれの主張の根拠となるような、釈迦の言葉がみあたらないことです。 各宗派を自認する人は、経典にある釈迦の言葉を捜して確かめるべきであります。 果たして宗祖が主張するような釈迦の言葉があるのでしょうか。 無いとなれば、各宗派は仏教だと主張しても、それでは、とても仏教とはいえません。 使う言葉は仏教用語でも、内実は仏教(内道)ではなく人教(外道)というべきです。 しかも、己義をかまえる論・釈というだけならまだしも、宗とかまえて、釈迦の肝心要の教えを否定するならば、人教(外道)ですらなく魔教(地獄道)の領域にあるといえるでしょう。

昔から、四個の格言(念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊)は知っていましたが、その破折の理由までは知りませんでした。 正直なところ、あまり興味を持たなかったので、詳細な内容まで踏み込んでいませんでした。 しかし、文部科学省が発行する宗教年鑑を調べる機会があり、3つの宗派の寺院数や信者数が、とても多いことに驚かされ、このままにしてはおけないと思ったのです。 信者数は登録宗派全体で日本の人口をゆうに越えますから、数字そのものは信頼できないかもしれませんが、創価学会など足元にもおよばないほどの寺院数と信者数です。 大聖人の時代と同じような状況では、ふたたび日本は、破国の道を歩んでゆくでしょう。
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