--------(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Category : スポンサー広告 Comment : (-) |
2015-06-30(Tue)
創価の第二代会長である、戸田先生は、どのようにして広宣流布を成し遂げるのか、そのことについて語っていますが、少なくとも信心している人の中から、社会のあらゆる分野で活躍する人材が、輩出されてこなければ広宣流布はできないと仰っています。 その人材というのは、実力と実績を備え、人類社会に貢献する逸材を意味しているのですが、戸田先生の時代に、そのことを理解する人は少なく、その少ない中でも、実現するために実際に行動した人は池田先生しかいませんでした。

池田先生は第三代会長に就任してから、まず高等部(1964年6月)を、そして中等部(1965年1月)さらには少年部(1965年9月)と次々と結成されて、妙法を持(たも)った未来の多様な人材群を育成するために、全魂を込めて、信心の楔を打ち込んできました。 そして、今、世界広宣流布の新時代を迎え、その鳳雛は鳳凰となって羽ばたき始めています。
ある人は社長となり、ある人は医者となり、またある人は外交官となり、そして、ジャーナリスト、弁護士、経営コンサルタント、建築家、都市計画家、地球環境研究者、物理学者、科学者、教育者、芸術家、芸能人、音楽家、スポーツ選手、料理人、レストランオーナー、パテシェ、タンカーの船長、国際線機長などなど、あらゆる分野で、有為な人材が活躍しているのを目にするようになりました。 いずれは、世界中の地域に創価の連帯が拡がって、その中からノーベル賞を受賞するような人も出てくるにちがいありません。

広宣流布がすすむと、その中から人材が生まれ、人類の幸福と社会の平和に貢献するようになります。 「 立正安国 」というのはそうゆう原理にほかなりません。 広宣流布という運動が人材を生み出し、人類の宿命転換を成し遂げ、苦脳の娑婆世界を常楽我浄の寂光土へと変えていくのです。 広宣流布というのは、単に信心する人が増えるということではないといえます。 日常という戦場の中で仏道修行に挑みながら、宿業・境涯を変え功徳・福運を積み、妙法を持(たも)った智勇兼備の慈悲の人となって、陸続と社会に躍り出てゆき、人類の幸福を築いていくことであります。 人類の幸福と平和な社会がなければ、広宣流布の実はないのです。

今はあまり聞きませんが、わたしが学生部のころはこれを” 総体革命 ”と言っていました。 わたしも、理想に燃えて情熱を傾けた思い出があり、それは今でも懐かしく、思い出されるたびに胸が熱くなります。 いよいよ、その時が近づいてきているんだな、と、学生部結成記念日に思います。
スポンサーサイト
Category : 創 価 Comment : (0) |
2015-06-29(Mon)
blog_import_523d711e2f49a.jpg

SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 新池御書(P1439) 
『 法華の心に背きぬれば十方の仏の命を失ふ罪なり、此のをきてに背くを謗法の者とは申すなり、地獄おそるべし炎を以て家とす 』

【 通解 】 
『 法華経の心に背けば、十方の仏を殺す罪である。 この定めに背くのを謗法の者という。 地獄は恐れるべきである。 炎を住処としている。 』

【 指導 】
* 日蓮大聖人は、このように戒められておられた。 仏法においては「 法 」が根本であり、広布を妨げ「 法 」に背いた罪は、あまりにも重く、深い。

謙虚に、また地道に自己を磨き、境涯を高めていくのが” 一生成仏への道 ”である。 反対に最高の法を持ちながら、人をおしのけ、人をおとしいれるような、策を根本とした生き方は、” 永遠の苦悩の道 ”である。


< 御書とその心 >より


仏法では「 法に依って人に依らざれ 」というのが根本であります。 この「 法 」というのは、法華経に説かれていることであり、仏の金言のことです。 さらに、深く立ち入っていえば、その心である南無妙法蓮華経のことをいいます。

現在の邪宗教は、皆悉く、この「 法 」に背く過ちを犯しています。 「 法 」つまり仏の金言に依らず、「 人 」つまり人師の妄言に依ってしまい、法華経に背き、師である釈迦に敵対してしまっていることであります。 涅槃経には「 若し仏の所説に順わざる者有らば当に知るべし是の人は是れ魔の眷属なり 」 とあり、天台大師の法華玄義にも「 文証無き者は悉く是れ邪偽・彼の外道に同じ 」とあります。 仏の説いた経典に無いものを、有ると偽り、仏の心を殺しているのが、邪宗教の本質であります。 

池田先生の指導で「 地道に自己を磨き、境涯を高めていくのが” 一生成仏への道 ”である。 」とありますが、なにを持って磨くのか、「 一人の友に妙法を唱え伝えようと、真剣に祈り、語りゆく 」 ことによって磨くのであり、「 御本仏の大生命は厳然と、また脈々と流れ通う 」ことで、境涯を仏に染めていく以外に” 一生成仏の道 ”はありません。
Category : 御 書 Comment : (3) |

* by 気分屋
ご無沙汰してます。折伏の事で気になる事があります。実は紹介者の私に連絡すること無く、話が進み、婦人部が本流を決めました。日取りまで勝手に決めてしまい、なんか納得いかない状況です。御安置できることは大変喜ばしい事ですが。以前に夕焼けさんに折伏の成果など気にするなと指導頂きました。誰の成果でもいいのですが、もう少し筋を通せないかと思ってしまいます。

* by 夕焼け.
気分屋さん、こんばんわ。

いただいたコメントからでは実態が判りませんが、わたしの経験をお話ししたいと思います。

学生時代の事ですが、同じ学科の友人で、なかなかの好青年でした。 機会があったら信心の話をしてみたいと思って、学園祭のセミナーに誘ってみました。 約束どおり来てくれて、セミナーの後にテーブルを囲んで先輩幹部と折伏をしました。 話はいたってスムーズに進み、大きな反発も無く彼は話を聞いてくれました。 しかし、やはり入会となると決めかねて、また、次回の対話を約束して帰りました。 後日、喫茶店に誘い何回か対話を重ね、そして、5回目に「 やってみないと、解からないよ 」と説得して入会の約束をしてくれたのです。 ところが、日曜を挟んで翌々日に教室で再開したときに、ニコニコしながら、入会して御本尊を戴いたと話し始めたのです。 よく聞くと、彼の彼女が女子部員で学会の話を前から聞いていたが、わたしとの対話で決心がつき、わたしと約束した後に彼女に入会したいと伝えたそうです。 彼女は喜び、翌日には御受戒を受けにいったのでした。 それをきいて、わたしは一応は喜んだのですが、内心は「 え~、聞いてないよ~ 」でした。 (^^

もう一つは、やはりクラスの友人で、今度は入会の手続きを済ませ、住んでいる組織に紹介し、拠点で何回か勤行をさせてもらっていて、御受戒を受ける日になって、そこのブロック組織の人が別の紹介者の名前で御本尊下付願いを用意していてびっくりしたことがありました。 学生部の場合は、ブロックの組織と学内の組織があり、折伏となると学内がメインで、ブロック組織にも所属させなければならないことから、うっかりするとこのようなことが起きていました。 この時には学内幹部が申し入れわたしが紹介者となっています。

さらに、折伏していたクラスの友人をセミナーに誘っていて、そのときには複数来ていたために、もう一人と対話している間に、その友人が学内の部員に呼び止められて、何人かで折伏され入会を決意していました。 その部員は同じクラスで顔見知りだったために、友人は素直に別の対話のテーブルにつき、わたしが知らない間に決まっていたのでした。 この時は、その部員を紹介者としました。

ハッキリとはわかりませんが、良きにつけ悪しきにつけ、同志を怨むようなことがあってはいけません。 人には宿業により、生命の傾向性があります。 心を試されていると思って、題目をあげ、境涯を高めていく機会にしてください。 また、言わなければいけないことは、同志と言えども言わなければいけません。

それでも、御本尊流布までの労に汗を流した方たちに感謝してもおかしくありません。 誰が見ていなくとも、身に影が沿うように両肩に同名同生天が、気分屋さんの一生を残らず記録しているので、御本仏は御存じであります。 入信のきっかけを作った功徳はだれも奪うことはできません。

* by 気分屋
いつもありがとうございます。なんか楽になりました。しっかり題目をあげて境涯革命できるように頑張ります。

2015-06-26(Fri)
この曲は、前に山口百恵さんの歌として紹介しています。

どちらかというと、わたしは百恵さんの歌のほうが気に入っていますが、今日は、作曲した来生たかお さんの歌で聞いてください。

雨が続くようですから、おだやかな時間を楽しんでください。

よい週末を。 (^^

・ おだやかな構図
Category : 音 楽 Comment : (1) |

管理人のみ閲覧できます * by -

2015-06-25(Thu)
昨日、帰りの電車に乗って走り出したところで、Wi-Fi端末を会社に置き忘れたことに気付きました。

年を取ると忘れる事が多くなります。 しかも、その場では「 なにか忘れていないだろうか 」と考えても思い浮かばずに、その後しばらくしてから突然思い出す、というぐあいで、昨日もそのパターンでした。

もう少し帰りの時間が早ければ戻ったのですが、夜9時を過ぎると途端にビルの警備が厳しくなり、手続きも面倒なので、昨日はそのまま帰宅することにしました。  

前に記事にしていますが、我が家は固定電話を無くし、携帯と無線のインターネット環境にしているために、Wi-Fi端末がないと帰ってからインターネットが使えません。 そのため、記事の投稿もできず、記事を考えることも書くことも止め、静かに音楽を聴くだけの夜となりました。

インターネットの無い世界というのは、とてもゆっくりとした時間が過ぎてゆきます。 インターネットの世界には様々な情報が溢れ、あれもこれもと、忙(せわ)しなく追い立てられるような時間となりますから、昨日のような夜も良いものです。

それでも、今日になれば、元のように忙(せわ)しなくPCに向い、あれやこれやとキーを打っています。 (^^;
Category : 日 記 Comment : (2) |

* by ちよ
私も 物忘れが 凄いです(笑)
忘れた事すら 忘れます
忘れるって ある意味 大事な能力とか・・・???
でも いい音楽は 覚えているんですよ

たまには ネットから離れるのも いいですよね
今度は お互い いつになるのかなぁ?

* by 夕焼け.
ちよさん、こんばんわ。

いつでも、いいんですよ。
繕わず、働かせず、でいきましょう。 (^^

2015-06-22(Mon)
blog_import_523d711e2f49a.jpg

SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 御義口伝(P753) 
『 今日蓮等の類いの意は即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云うなり、成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり、此の無作の三身をば一字を以て得たり所謂信の一字なり、仍つて経に云く「我等当信受仏語」と信受の二字に意を留む可きなり。 』

【 通解 】 
『 今、日蓮およびその門下の元意でいえば、即身成仏と開き覚ることを「 如来の秘密・神通の力 」というのである。 成仏すること以外に「 神通 」も「 秘密 」もない。 この無作の三身をただ一字をもって得ることができたのである。 いわゆる「 信 」の一字である。 ゆえに経文に「 我ら等当に仏の語(みこと)を信受したてまつるべし 」とある。 この「 信受 」の二字に心を留めるべきである。 』

【 指導 】
* 「 秘密 」といい、「 神通 」といっても、「 即身成仏 」すなわち、この人生で、このありのままの自分が、絶対的幸福を得ること以外にないのである、とのご断言であられる。 仏法にはそれ以外に、何か特別な、神秘的なものは何もない。 いわんや、神秘めかした格好で民衆の幸福を破壊するような聖職者は、断じて、日蓮大聖人の仏法とは” 無関係 ”なのである。 大聖人ご自身も” 民衆をあざむく神秘主義 ”と敢然と戦われた。 絶対にだまされてはならない。
「 仏語を信受 」と経文にあるように、私どもは「 仏 」のお言葉、御本仏日蓮大聖人の御書を信じている。 どこまでも「 大聖人根本 」であって、途中の人師、論師が明らかに大聖人に背く言動を始めたら、絶対に従がうわけにはいかない。

< 御書とその心 >より


ここでいう「 信 」とは、身口意の三業の「 信 」をいいます。 そう簡単なことではありません。

それでも、即身成仏するのに、頭の良い悪い、知識が有る無い、地位の上下、財産の有無、男か女かは関係がないということであり、そのままで、仏語つまり法華経、法華経つまり御本尊を、身で信じ行動し、口でも信じ対話し、心で信じ祈り切ってゆけば、如来の秘密である神通の力が湧き、生命の宝珠を求めずして得ることができるのだと思います。

この「 信受 」の「 受 」 とは、『 無作の三身をば一字を以て得たり 』の” 得たり ”に当る部分であり、即身成仏のことなのです。 邪宗門が言うような、大御本尊(大聖人)の化身である法主に従がうことを意味しているのではありません。  「 信 」の一字が大事だと、日蓮大聖人が仰っておられるのは、まことに故あることなのです。
創価の会則改訂も時の流れとはいえ「 信 」の一字になったというのは、偶然ではないように思います。


※ 2015/06/23改訂
Category : 御 書 Comment : (0) |
2015-06-19(Fri)
今日は、来生たかおさんの曲を紹介しておきたいと思います。 

来生さんの曲は、姉の来生えつこさんが作詞を担当していることもあって、女性の想いを表現した作品が多く、そのなかでも、わたしは「 はぐれそうな天使 」がとても気に入っています。

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ はぐれそうな天使


関連曲 → 浅い夢
Category : 音 楽 Comment : (4) |

* by ちよ
はじめて聞きました
いい歌ですね

* by 夕焼け.
ちよさん、こんばんわ。

女性の心理が、うまく表現されていますよね。
これからも、来生さんの曲を紹介していきます。

管理人のみ閲覧できます * by -

* by 夕焼け.
No.396さん、こんばんわ。

その件については、右カラムのところにある、
「 著作権について 」のコメントをお読みください。

2015-06-18(Thu)
法華経が漢訳されたのは3世紀ごろからで、部分訳のものまで入れると多数あったとされています。 そのなかでも鳩摩羅什の訳した「 妙法蓮華経 」が最も有名であり、日本では広く知られています。 この鳩摩羅什訳の法華経は69384文字で書かれているといわれています。

釈迦は、8年間にわたり法華経を説いたとされていますが、8年間というのは2920日でありますから、釈迦は1日に約24文字の法華経を説いたことになります。 しかしこの文字数では、説いたというよりは、つぶやいたと言ったほうがよいかもしれません。 実際にはありえないような言葉数です。 しかも、法華経では、釈迦の偈が同じことの繰り返しになっていることを考慮にいれれば、もっと少ないことになります。

このことから考えると、8年間の実際の釈迦の説法は、もっと詳しく、様々に語られ、漢訳にはない内容が含まれていたと捉えるのが自然であります。 長い間、陀羅尼の形で、記憶によって伝承されてきたことを考慮に入れても、法華経の内容は、もっとたくさんあったはずであります。 そのことについて、日蓮大聖人は『 法華経も天竺には十六里の宝蔵に有れば無量の事有れども流沙・葱嶺等の険難・五万八千里・十万里の路次容易ならざる間・枝葉をば之を略せり 』と仰っています。 

現在、法華経研究のために東洋哲学研究所と創価学会が協賛して、世界で保管されているサンスクリット法華経写本の写真版やローマ字表記坂の出版を進めていますが、それらの写本はインドで発見されたものではなく、また、漢訳された年代よりもさらに後の6世紀から12世紀に記されたとされる写本ですから、それを原典とするには問題が残ります。 インドにあったサンスクリット原典の法華経を発見するのはとても難しいことでしょうが、どこかに眠っているのかもしれません。 そうあってほしいものです。 そして、世界広宣流布の進展と共に、インドでの研究と調査が、インド人の手で本格的に行われていくことに期待したいと思います。

しかし、法華経の真髄というものは、日蓮大聖人によって御本尊として示されております。 言葉は変遷していても、日蓮大聖人の法華経によって、その秘蔵の蔵がすでに開かれているのです。 御本尊の考察を進めてきて強く思うのは、御本尊が日蓮大聖人の法華経であるということです。 


※ 2015/06/19改訂
Category : 仏 教 Comment : (0) |
2015-06-16(Tue)
先週は13年ぶりに那須の叔母の墓を訪ねました。

今年がサリン事件から20年目に当たり、当時のことを思うにつけ、叔母のことが思い出されたからで、信心していなかった叔母を思うと、題目を届けてあげたくなったのです。
とはいえ、修道院でありますから、心の中で報恩感謝を込めて題目を送りました。

訪ねたのは、葬儀のときと三回忌のときですから、だいぶ時間が経っていました。 知っているシスターも数少なくなり、高齢化がそうとう進んでいる様子でした。

この後、那須塩原の元湯に、これも13年ぶりに泊まり、

もみじライン


翌日は金精峠を越えて、

中禅寺湖


伊香保の両親の墓に、近況と叔母の追善供養をしてきたことを報告してきました。


関 連 → 地下鉄サリン事件
Category : 日 記 Comment : (0) |
2015-06-15(Mon)
blog_import_523d711e2f49a.jpg

SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 日興遺誡置文(P1617) 
『 富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事。 』

【 通解 】 
『 富士の立義、すなわち日興門流の宗義は、いささかも、先師日蓮大聖人のご弘通に相違していないこと。 』

【 指導 】
* この条目が、冒頭に置かれているところに、深きお心が拝される。 「 日蓮大聖人のご弘通 」に「 いささかも違わない 」ことが、根本中の根本なのである。 これこそ「 日蓮大聖人直結 」の文証である。 ここに大聖人門下の根源がある。 今や、このご遺誡の実践者は創価学会しかない。 
日顕宗では、「 大聖人に相違しない 」ことではなく、「 日顕に相違しない 」ことを教えている。 根本が狂っている。 「 いささかも 」どころか、完全に違背している。 その具体例は、皆さまがよくご存じのとおりである。

< 御書とその心 >より


「 法に依って人に依らざれ 」が仏の遺訓であり、御書根本の信心こそ大聖人門下の骨髄であります。
Category : 御 書 Comment : (0) |
2015-06-12(Fri)
今日は、ジョン・レノンさんがカバーした曲で、映画「 Stand By Me 」のタイトル曲を紹介します。 この曲は、1961年にべン・E・キングが歌って大ヒットした曲で、映画に使われて再びヒットしました。

映画は、片田舎に暮らす4人の少年たちの、ある出来事を描いた作品で、1986年に公開されています。

原作はスティーヴン・キングの短編集「 恐怖の四季 」の中にある秋の物語「 THE BODY 」です。 スティーヴン・キングといえば、モダンホラー小説の鬼才ですが、その小説の多くが映画となっており、その中でもホラー感覚の薄い作品となっています。

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ Stand By Me(ジョン・レノン)

・ Stand By Me(べン・E・キング)
Category : 音 楽 Comment : (0) |
2015-06-11(Thu)
最近、真言宗の記事を何度か掲載してきましたが、まだまだ書きたいことがあります。 これからも継続してゆきたいと思っていますが、掲載は、しばらく間を置かせていただきます。
真言宗が終われば、その後の構想として、釈迦一代の聖教から釈迦の金言をそのまま拾い上げ、小乗経をはじめ大乗権経を依経とする謗法の宗の、師敵対を明確にしてゆきたいと思っています。

謗法というのは、法華経を誹謗する事をいっており、これが不幸の根本原因であり元凶であります。 そして、日本の仏教宗派のほとんどがこの元凶を宗旨に入れており、これほど恐ろしいことはありません。 これを厳しく責めなくして、霊山で、大聖人のお叱りを免れることは、できないにちがいありません。
このブログを始めた主旨の一つはここにあり、そのために御書を学んで、資料を調べてまいりましたが、釈迦の経々に明確に説かれている内容に驚きました。 仏教を学んでいて、この金言が見えないというのは、どうゆうことか、目が見えないのか、心が邪魔をしているのか、はたまた、魔の所為なのか、不思議というほかありません。

今一度、このことを明確に示しておきたいと思います。

現代においては、法華経を行じる創価を誹謗し、貶す輩は、掃いて捨てるほどおります。 その姿は釈迦の予言どうりであり、その言辞は偏狭で、悪意に満ちており、能奪命者と呼ばれるにふさわしいものがあります。 それは、創価が地涌の菩薩の僧団であるが故であり、御本尊を信じられない、御本尊が解からないという難信難解の法だからであります。 わたしは、それを少しでも信じ、解かることができるように、このブログで明確に語っておきたいと思います。
Category : 仏 教 Comment : (0) |
2015-06-08(Mon)
blog_import_523d711e2f49a.jpg

SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 御義口伝(P780) 
『 此の法華経を閻浮提に行ずることは普賢菩薩の威神の力に依るなり、此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護なるべきなり 』

【 通解 】 
『 この法華経を全世界に行じていくことは、普賢菩薩の威光ある優れた力によるのである。 この経が世界に広宣流布することは、必ず普賢菩薩の守護によるのである。 』

【 指導 】
* ここには甚深のお心が拝されるが、普賢菩薩の「 普 」とは、” あまねし ”と読む。 普遍性のある” 不変の真理 ”(不変真如の理)を意味すると「 御義口伝 」には説かれている。 また、「 賢 」とは、” かしこし ”と読む。 「 御義口伝 」では” 智慧の義 ”( 随縁真如の智)とされる。
「 普 」が普遍にして変わらない仏法の真理を意味し、「 賢 」は、そのその真理にもとづいたうえで、たとえば、その国と社会、その時代、その状況によって、自在に発揮すべき智慧を意味すると拝される。 「 菩薩 」とは、民衆と社会の中に飛び込んで戦う” 慈悲の行動者 ”とも言えよう。
ともあれ、世界への広宣流布には、” 英知の力 ”が不可欠である。 普遍性のある哲理と、豊かな知恵の両方があって初めて、多種多様な民族、歴史、伝統をもつ世界の人々の心をとらえることができる。 また、あたたかい慈愛、人間性あふれる行動があってこそ「 菩薩 」の働きとなる。

< 御書とその心 >より


同じ「 御義口伝 」に『 所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は普賢菩薩の守護なり 』とあるように、わたしたちが御本尊に唱題し、法華経を行ずることで、世界広宣流布は成し遂げられる、という御文です。
この、法華経を行ずるというのは、法華経の行者である日蓮大聖人のように生きていく、ということであり、それは、日蓮大聖人の心を持って広宣流布に生き抜き、難に負けることなく、どこまでも慈悲と勇気の力で、折伏をしていくことであります。 
Category : 御 書 Comment : (0) |
2015-06-05(Fri)
今日は、Please Mr. Postmanという曲を紹介します。

この曲は、1961年にマーヴェレッツという女性グループが歌いヒットした曲で、恋人の手紙を待ちこがれる、女性の気持ちを歌ったものです。
この曲は1963年にビートルズ、1974年にカーペンターズがカバーしており、もともと女性の側から男性に対して歌われたものなので、ビートルズのバージョンでは歌詞を男性側からの想いとなるように変えています。 

ビートルズのバージョンもいいのですが、わたしはカーペンターズのほうが好きです。

よい週末を! (^^)

・ Please Mr. Postman (ビートルズ)

・ Please Mr. Postman (カーペンターズ)
Category : 音 楽 Comment : (3) |

* by ちよ
カレンの死によって 餓鬼界も大切なのよって 教わりました
十界互具ですもんね
養父は餓鬼界を極める為(笑)お題目に挑戦です
顕祈顕応というところでしょうか?

* by 夕焼け.
ちよさん、こんばんわ。

カレンさんが、実にきれいな英語で歌っていることに、魅力を感じました。
声もありますが言葉の魅力というのが歌にはあるような気がします。
その意味で、サザンの桑田さんも違う魅力があります。

ところで、わたしは子供のころ、ずっと餓鬼界でした。
今に思えば、そのころはなんでも美味しく感じていました。
餓鬼界は大切ですね。 

この仏法は冥祈冥応が表なのですが・・・・、
裏の道を究めるということで、頑張ってほしいですね。
(^^

* by ちよ
裏街道は困りますが 裏の道も究めるように伝えておきます(笑)
いつも ありがとうございます

2015-06-04(Thu)
釈迦は法華経で、法華経を説く以前の経々では真実を説いていないと宣言し、久遠実成と二乗作仏を初めて説いています。 そして、法華経は今までの、そして、これから説くであろう教えのなかで最上の教えであると、出生の本懐を明かしています。 つまり、釈迦の説いた八万宝蔵総ての中で最高に優れた教えが法華経であるということであります。 その法華経とそれを説く者を蔑み誹謗すれば、無間地獄の業因をつくることになる、と釈迦は定めております。

真言密教では、釈迦は大日如来の応身仏であるとしていましたが、空海の真言宗になると、釈迦は大日如来の家来で、大日如来が皇帝とするならば、草履取りにも等しいと言うようになり、釈迦は大日如来の教えを受けて、顕教である法華経をはじめとして八万宝蔵を説いたのであり、密教である大日経は大日如来が直接説いた教えであるから、そのような教判にはあってはまらない、と禅宗のようなことを言い出しています。 しかし、法身仏である大日如来に、説くような口と身があるわけでもなく、ましてや手があって経を書くことなどできません。
このように、真言密教・真言宗は三身各別であり、そこには三身の混濁がみられ、三身即一身・一身即三身であることを知りません。 知らないでいて、諸法実相と一念三千が大日経には説かれているというのですから、あきれるばかりです。 そのようなことだから、一念三千を盗んだと言われるのです。

大日経は、唐の高僧たちによると方等部に分類されると判定されていました。 つまり、大日経は爾前権経であり、法華経と比べるとまったく劣った教えであります。 それに執着し、己義をはり、釈迦を蔑み、仏教に擬態してきたのが真言密教・真言宗であります。 その実態は加持祈祷のシャーマニズムを出るものではありません。 許しがたいことに、大日経第一、華厳経第二、そして法華経第三と誹謗し、天と地をひっくり返すような地獄の業因を宗旨に入れて、民衆を騙し即身成仏の薬だと言って飲ませているのです。 ” 護摩の灰 ”と称し、万病に効くと旅人に強引に売りつけていた者のことを” 胡麻の蝿 ”といいますが、あながち空海の錬金術であったのかもしれません。
このような無間地獄の業因を持った真言宗に、国の安泰を祈祷してもらっても、安穏どころか、国亡ぶのが道理であります。

大日経は梵語の経典から漢訳したものは「 大毘盧遮那成仏神変加持経 」 略して「 大毘盧遮那経 」といいます。  また、漢訳本をチベット語訳した経典では「 大毘盧遮那成仏神変加持方等経の帝釈天と名付くる法門 」とあるそうであります。 このように、もとの名前を見てみると、真言密教の本質が垣間見えてきます。 
ところで、この毘盧遮那というのは、毘盧遮那仏のことで華厳経に出てくる法身の仏であります。 ちなみに報身の仏を盧遮那仏といいます。 そして、法華経の結経といわれている観普賢経には、「 釈迦牟尼仏を毘盧遮那遍一切処と名けたてまつる 」と記されています。 つまり、大日法身如来とは釈迦の別名なのであります。 真言密教には最初から大日如来などいないのです。 いかに仏説を盗んで擬態してきたか明白ではあります。


関 連 → 法華経の真言
Category : 仏 教 Comment : (0) |
2015-06-02(Tue)
最近、東京では比較的おおきな地震が続いています。 しかも、あまり知られていないところで起こっている様な気がします。

30日に起こった小笠原諸島を震源とする地震では、多くのビルやマンションでエレベーターが止まりました。 わたしなども20階から階段で降りて帰宅しました。 日本は複数のプレートの上にあり、日本列島の形成も、そのプレートが動いて、押し合い圧し合いしている結果であります。 したがって、地震が起きるのが当然といえば当然なのでありますが、それでも、甚大な被害に結びつくような、大きな地震は起きてほしくありません。

だいぶ前に、「 日本沈没 」という映画を見ましたが、そのときにはそんなことは起きないし、SFの世界のことだと思っていました。 しかし、よく調べると、その可能性がまったくないとはいえないようなのであります。 その可能性とは、まず地球の地軸の移動があり、その影響で太平洋プレート・フイリピン海プレート・ユーラシアプレート・北米プレートの動きが変わることです。 とくに太平洋プレートが動きを止めると日本列島の半分は沈み込んでいきます。 映画のように短時間では起こらないでしょうが、やがて日本列島はほとんどが水没してしまうと推測されています。 そのときには、日本だけではなく世界中の景色が一変するでしょう。 地質学者の見解では、過去に地球の地軸の移動は複数回あったそうです。

少し怖い話になりましたが、日本沈没はともかく、海洋プレートの動きが活発化し、いつ大きな地震が起こっても不思議ではありません。 温暖化や太陽フレアの増大で地球マグマの膨張とも絡み合い、日本列島は活動期に入ったと思います。 とくに、火山活動や大地震と津波には充分の備えをしたいものであります。 諸天の守りも大事ですが、先々の用心があってのことですから、防災の意識と備えを、しっかり持っておきましょう。

・ 公明党 防災DVD

Category : 社 会 Comment : (0) |
2015-06-01(Mon)
blog_import_523d711e2f49a.jpg

SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 佐渡御勘気抄(P891) 
『 日蓮は日本国・東夷・東条・安房の国・海辺の旃陀羅が子なり、いたづらに・くちん身を法華経の御故に捨てまいらせん事あに石に金を・かふるにあらずや 』

【 通解 】 
『 日蓮は、日本国の片田舎である東国のうち、安房の国の東条というところの海辺の最下層の家の子である。 むなしく朽ちてしまうであろうこの身を、法華経の御ために捨てることは、「 石 」を「 黄金 」と交換することではないか 』

【 指導 】
* 自分は、もともと最低の身分の人間である。 何を、この身を惜しむことがあろうか。 法華経のために命を捨てれば、仏になれる。 これ以上のすばらしい死に方があろうか ― と仰せなのであります。

威張らない。 偉ぶらない。 地位や名声や財産で、自分を飾らない。 それでこそ、「 不惜身命の力 」がわいてくる。
少しでも自分を飾ろうとしたら、もう信仰は堕落する。 ” 自分は大学を出た ” ” 自分は家柄がいい ” ” 自分は有名人だ ” ” 自分には地位がある ” ― そういう幻にとらわれたら、保身になり、心は堕ちる。 いわんや、学会のおかげで幹部となり、名士となって、自分を偉いと思うなど最低である。
「 こんな自分が、大勢の人の面倒を見られる立場にならせていただいた。 なんと、ありがたいことか! 」と、感涙にむせぶのが本当ではないだろうか。 それが「 旃陀羅の子である 」と叫ばれた日蓮大聖人のお心にかなう道であると、わたしは信じる。

< 御書とその心 >より


創価は、あくまでも庶民の連帯を大切にしていかなければなりません。 庶民のなかにこそ本当の人生があり、広宣流布の姿があるのだと思います。 信心の世界に虚飾はいりません。 石でいいのです。 ありのままの自分を、そのままに、不惜身命、随力弘通していくことが大事なのです。 その人が「 石 」を「 黄金 」に変えていく人です。 

「 黄金 」に見せようとするから、威張り、偉ぶっていくのです。 増上慢の輩ほど、強がり、教訓し、批判するのが常であります。 退転の幹部はみんなそうでありました。 また、邪宗門の本質もそうであります。 
Category : 御 書 Comment : (0) |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。