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2015-05-29(Fri)
今週も、フランシス・ゴヤさんのギターです。

よい週末を! (^^

・ Woman in love


関 連 → Coloured Parrots
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* by 夕焼け.
No.388さん、こんばんわ。

そうですね、わたしの年齢では、
紹介する曲は、だいたいが懐かしい曲になります。
これからも、そうなると思います。 (^^
歌は生きてきた時代とともにある、
ということでしょうか。

2015-05-28(Thu)
真言密教では、印と真言を専売特許かのように強調して、印と真言が法華経には無いから、理のうえでは同じだが、印と真言のある大日経が事相の上で勝れていると、釈迦の説いた法華経を侮っていますが、理のうえでも根拠となる明文はないうえに、法華経も含め大乗経典のインド原典には印と真言がある事を隠しています。 御書には『 所詮真言を密と云うは是の密は隠密の密なるか微密の密なるか、物を秘するに二種有り一には金銀等を蔵に篭むるは微密なり、二には疵・片輪等を隠すは隠密なり、 』とあるように、真言密教の密は、都合の悪いことを覆い隠す隠密のことであります。

真言というのは、真言密教では梵語で漫祖羅(マントラ)と言っていましたが、仏教では陀羅尼(ダラー二)と言って、十方諸仏の教えを暗唱する章句を指します。 そもそも、漫祖羅というのは古代インドのヴェーダにみられる讃歌、祭詞、呪文のことで、神呪ともいいます。 陀羅尼というのは総持と訳し、仏の教えを深く心に記憶して忘れず、悪を遮って生じさせないという意味を持っているのです。 釈迦はバラモンの祭式や呪術信仰を否定していますから、漫祖羅と陀羅尼は同じ梵語の章句で似てはいますが、本質は違うものなのです。 最近では、この辺の違いが忘れられていますが、真言密教が仏教に擬態した加持祈祷を主にする外道であることを隠すために、さらに仏教で包み込んで真言陀羅尼と言うようになったためであります。

法華経は、インドから中国に伝わるときに印や真言が省かれたといいます。 インド原典の法華経は膨大ななものだったといわれており、訳者の判断で多くが要約され略されてまとめられています。 その代表的なものが「 正法華経 」「 妙法蓮華経 」「 添品妙法蓮華経 」などであり、印や真言は重要なものではないとの判断からか省かれています。 なかには「 法華儀軌 」のように印や真言を付けているものもあります。
私見になりますが、釈迦が説いた教えは数百年という長い間、記憶によって伝承されてきましたが、それと真言は無関係ではなかったと思います。 記憶するため、また、覚えやすいように偈として切り分けられ、陀羅尼として多数の僧によって繰り返し唱えられていたのではないでしょうか。 経典として文章化されるときには、 ” 如是我聞 ”という精神から、その陀羅尼をそのまま書き遺し、さらに一貫した思想として解かるように順序立て、当時の様子を伝えながら編集されたのではないでしょうか。 印や真言の部分は、今でいう資料・参照・付録のようなものだったのかもしれません。

はたして、法華経の真言はどのようなものだったのか、興味深いものが御書にあります。

開目抄に『 妙法蓮華経と申すは漢語なり、月支には薩達磨分陀利伽蘇多攬と申す、善無畏三蔵の法華経の肝心真言に云く「 曩謨三曼陀没駄南帰命普仏陀三身如来阿阿暗悪開示悟入薩縛勃陀一切仏枳攘娑乞蒭毘耶〓〓曩三娑縛如虚空性羅乞叉〓離塵相也薩哩達磨正法浮陀哩迦白蓮華蘇駄覧歓喜縛曰羅堅固羅乞叉〓擁護空無相無願娑婆訶決定成就 」此の真言は南天竺の鉄塔の中の法華経の肝心の真言なり、此の真言の中に薩哩達磨と申すは正法なり薩と申すは正なり正は妙なり妙は正なり正法華・妙法華是なり、又妙法蓮華経の上に南無の二字ををけり南無妙法蓮華経これなり、 』とあります。 つまり、龍樹が南インドの鉄塔で発見した、多数の経典の中にあった法華経の肝心となる真言というのは、南無妙法蓮華経のことなのだと、大聖人は仰っています。


関 連 → 善無畏三蔵の悔悟
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2015-05-26(Tue)
今日から、国会で安保関連法制の議論が始まりました。
大事なことなので、議論の内容をしっかりと掴み、法律の中身を見極めていきたいと思っています。

そこで、総論的な考えを少し述べておきたいと思います。

日本は日清戦争以来、50年余り戦争の当事者となっていました。 その戦争の発端は様々でありますが、一貫して、日本の脅威への防衛が、潜在的にあったことを忘れてはいけないと思います。 まだまだ、武力が国の支配力を決めていた時代に 「 攻撃は最大の防御なり 」 という兵法が政治を突き動かしていったのです。 つまり、” やられる前にやってまえ ”という論理です。

今回の安保法制は、集団的自衛権に基ずく自衛隊の活動法の整備にあるわけでありますが、やはり、過去の日本の戦争を思うと、また歴史を繰り返すのではないか、という疑念が浮かび上がってきます。 野党の主張もそのことを踏まえて言っていると思います。 しかし、そもそも集団的自衛権が、過去の戦争の機会を生んでいったものと同じなのでしょうか。 どうも野党の主張も眉唾のように聞こえてきます。 それは、過去の戦争のように紛争相手国に軍を進め、攻撃されては反撃を繰り返し、相手国内で戦線を拡大していったものを、集団的自衛権の行使とは言わないからです。 専守防衛は個別的自衛権だけでなく、集団的自衛権にも義務づけられています。 野党もコケおろすだけではなく、政権党のつもりで真剣に考えて議論してほしいものです。
前にも書きましたが、集団的自衛権というのは緊急避難行動に限られるのです。 攻撃を受けて防衛し、その後、体制を整えて反撃に転じ、攻撃してきた軍や、さらにその領土に攻撃を加えることは、集団的攻撃権というものに入ります。 国連の議決を経て国連軍が反撃のために、侵略軍や侵略国を攻撃するのも、この集団的攻撃権になりますから、自衛隊が参加することは許されません。 また、たとえ、公海上でも防衛や支援活動は紛争終了まで許されません。 たぶん、今回の法制では、この点に注目し、抜け道ができないように、監視しなければならない項目だと思っています。

それでも、義和団事件のようなことが起こったらどうするのかということになりますが、 義和団事件の時には、日本人居留民( 軍や公使館関係家族は除く )はいなかったのですが、今後、実際に邦人も含め多数が逃げられずに攻撃をされている場合には、やっかいなこととなります。 心情的には自衛隊に救出を許してもいいのでは、とも思いますが、義和団事件が日清戦争の結果から生まれ、日露戦争の遠因となったことを考えると、よほどの厳格さがないかぎり、自衛隊の派遣は戦争への道を開く危険があります。 このことから、安保法制の重要な部分には、攻撃してきた相手国には派遣できない、という一文が必要だと思います。 集団的攻撃権がない限り、攻撃してきた相手国での集団的自衛権は、制限されなければなりません。
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2015-05-25(Mon)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 上野殿御返事(P1561) 
『 願くは我が弟子等・大願ををこせ、去年去去年のやくびやうに死にし人人の・かずにも入らず、又当時・蒙古のせめに・まぬかるべしともみへず、とにかくに死は一定なり、其の時のなげきは・たうじのごとし、をなじくは・かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ 』

【 通解 】 
『 願わくは、わが弟子たちよ、大願を起こしなさい。 去年および一昨年と、流行した疫病で死んでいった人々の数には入りませんでした。 しかしまた、あのように蒙古の攻めがあれば、助かるとも思えません。 ともかくも、死は定まっているのである。 そのときの嘆きは、現在の苦しみと同じである。 同じことならば、かりにも法華経のために命を捨てなさい。 それは、あたかも露を大海に入れ、塵を大地に埋めるようなものであると思いなさい。 』

【 指導 】
* 日蓮大聖人は、この南条時光の勇敢な行動( 熱原の法難の際、迫害された同志を自分の屋敷にかくまうなど、わが身を危険にさらして尊い仏子を守ろうとした )を、最大に讃歎された。 時光が数えで21歳の時に与えられたお手紙で、このように激励されていた。

殉教者まで出した熱原の法難である。 時光の受けた圧迫も筆舌に尽くせぬものであったろう。 しかし、大聖人は、法難の苦しみも死ぬ時の嘆きも、苦しいことは同じであり、ならば、広布の道を貫いて大境涯を得なさい、と教えられている。
人間にとって、死がどれほどの苦痛であることか。 いかに金持ちでも、地位や権力があっても、死を前にしては夢のように空しい。 幻のように、はかない。 皆、これがわからない。 それを、広布のために苦労することによって、自身の宿業を転換し、最高に安楽な「 死 」即「 次の人生への出発 」 を迎えられるのが、この仏法である。
その実証を、私たちは先輩や同志の姿に多く見てきた。 この一点だけでも、正法の功徳は偉大である。 ゆえに、この正法を教えてくれた学会の恩に、どれだけ感謝してもしきれない。

< 御書とその心 >より


同じように、御書には『 誠に我が身貧にして布施すべき宝なくば我が身命を捨て仏法を得べき便あらば身命を捨てて仏法を学すべし。 とても此の身は徒に山野の土と成るべし・惜みても何かせん惜むとも惜みとぐべからず・人久しといえども百年には過ず・其の間の事は但一睡の夢ぞかし、 』とあります。 人は生死を重ね、須弥山のように骨を積んできて、世間一般のことで命を落とすことはあっても、仏法のために身命を賭すことは稀であります。 いま、この仏法に巡り合い、師弟をともにし、広宣流布に迎い遭えることは、千載一遇のことであります。 この時を逃しては、いつ宿命転換し、いつ成仏を成し遂げようというのでありましょうか。  『 勧持品に云く不軽品に云く、命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也云云 』との、大聖人のお言葉を、深く胸奥に刻んでまいりましょう。

池田先生のお言葉に「 広布のために苦労すること 」とありますが、このことを知らない人が多い。 信心では、このことが重要なのであります。 それを嫌がって、創価を批判し、愚痴を言い、退転していく人の、なんと愚かなことか。 求道心のない信心では、真の功徳を知ることはないでしょう。
折伏で苦労し、唱題で苦労し、御書で苦労し、励ましで苦労し、活動で苦労してゆくことが大事なのです。 そうすれば、宿業を転換するだけでなく、福運を積み、境涯を開いていくことができます。 やがて、苦労だったものが、喜び、楽しみへと変じ、衆生所遊楽の悠々たる境涯を感じられるようになるでしょう。
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* by 夕焼け
No.386さん、こんばんわ。

了解です。 (^^

2015-05-22(Fri)
久しぶりに、フランシス・ゴヤさんのギターです。

よい週末を。 (^^

・ Coloured Parrots


関 連 → Concerto Pour Une Voix
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2015-05-21(Thu)
善無畏三蔵といえば、真言密教の歴史には欠かせない人物であります。  インドから中国に渡って、真言宗の三部経といわれるうちの「 大日経 」と「 蘇悉地経 」を翻訳し、一行を恃んで注釈書まで作っております。 空海が中国での密教の修学を決意したのも、善無畏が日本に持ってきたと言われる「 大日経 」を手にしたからだと伝えられています。 
その善無畏は、真言宗では伝持の祖に数えられてはいますが、血脈付法の祖には入れられていません。 真言宗の付法の八祖といわれる系譜は、大日如来→金剛薩埵→竜猛菩薩(龍樹)→竜智菩薩→金剛智三蔵→不空三蔵→恵果阿闍梨→空海となります。 恵果阿闍梨は善無畏の弟子から胎蔵部を伝授され金胎両部の師となっていたのですから、どこかに入れても不思議ではないのですが、空海は金剛部に重きを置いていたのでしょうか、それとも、最澄が学んだ系譜であることを嫌ったのでしょうか、善無畏の名はありません。 

この善無畏には、おもしろい逸話があります。 
あるとき、突然意識を失って死の淵を彷徨っていたら、獄卒が現れて鉄の縄で七筋に縛られ、鉄の杖でさんざんに痛めつけられながら地獄の閻魔宮まで連れてこられたときに、今まで学んだ八万聖教ことごとく忘れて思い出せないのに、ただ法華経の題名だけが思い出され、題名を思ったその瞬間に鉄の縄が少し緩んで、そこを逃さずに声も惜しまずに「 此三界皆是我有・其中衆生悉是吾子・而今此処多諸患難・唯我一人能為救護等云云 」と法華経譬喩品の偈を唱えたところ、今度は鉄の縄が砕けちり、閻魔王に未だ命尽きていないと返されて、死から逃れた、という話しです。
日蓮大聖人の時代に、この様子を描いた絵像が京都伏見の醍醐寺と鎌倉の円応寺の閻魔堂にかかげてあったといわれています。

竜智菩薩から真言密教の奥儀を伝授されたほどの人が、堕地獄というのもおかしな話ですが、獄卒に責められたときに密教の印や真言ではなく、法華経の偈を唱えて地獄から脱することができたというのも皮肉なことです。 善無畏は心のどこかで大日経より法華経を信じ、悔悟の念を抱いたのかもしれません。

善無畏が地獄に堕ちて責められたのは、法華経誹謗によるものであることは明らかです。 念仏にせよ、禅にせよ、法華経を誹謗するから謗法というのであります。 釈迦一大聖教の言説にその役割はあるにせよ、人師等の、釈迦を下し法華経を誹謗する、師敵対の行為は、邪宗教の共通するところであります。 まさに魔の化身した姿です。


関 連 → 仏教に似せた魔教なり
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2015-05-19(Tue)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 曾谷殿御返事(P1056) 
『 何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し、 』

【 通解 】 
『 どのように法華経を信じていても、謗法があれば必ず地獄に堕ちる。 それは、千杯の漆にカニの足を一つ入れて、漆をだめにしてしまうようなものである。 』

【 指導 】
* 必ずや所願満足の人生、永遠なる幸福境涯を、自然のうちに会得していけるのが、妙法の功徳なのである。 しかし、その功徳も、信心いかんにかかっている。
日蓮大聖人も、どんなに真剣に、まじめに信心しているようであっても、謗法があれば、すべての功徳を消してしまう。 それは、わずかの青酸カリでたちまち死んでしまうようなものである。
御書には、悪の因をつくるものとして、十四の誹謗が挙げられているが、そのなかに「 軽善 」「 憎善 」「 嫉善 」「 恨善 」がある。 信心している人を「 軽んじ 」「 憎み 」「 妬み 」「 恨む 」ことがそれにあたる。
懸命に、これほど信心しているのに、功徳が感じられないという場合が、あるかもしれない。 そのときは、この四つの誹謗がないかどうかを、自分に問うていただきたい。 軽善、憎善、嫉善、恨善の人は、自分で自分の功徳を消してしまうからである。
もちろん、同志に対しても、言うべきことをきちんと言っていくことは自由であるし、当然、必要なことである。 しかし、相手を思って厳しく言うことと、憎しみの心や恨みの言葉は同じではない。 その点はよくよく見極めていかねばならない。 御本尊のもとに集い、広宣流布に進んでいる私どもは、すべてが仏子であり、” 妙法の家族 ”である。

< 御書とその心 >より


まことに峻厳な、御文であります。

わたしたちは、不軽の跡を継いで、麗しい創価家族の黄金城を築いてまいりましょう。 家族には色々なことがあったとしても、愛でつながっているように、わたしたちは御本尊を信じる心でつながっています。 そうであるならば、様々なことが煩悩即菩提で強い連帯を生んでゆくはずです。
御書に『 善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし 』とあるように、信心を失うことが最大の謗法であり、地獄の因となるのであります。
Category : 御 書 Comment : (0) |
2015-05-18(Mon)
災害や事故で亡くなる人は毎日のようにおります。 それは、本人も不幸ですが、その周りにいる人も、悲しみや絶望にうちひしがれ、不幸の極みを感じているにちがいありません。

東北の震災のときには、日本全国だけでなく、世界中から支援の手が差しのべられ、励ましの言葉が届けられました。 つらいときに人に励まされることほど、ありがたいものはありません。 心に灯火が点り、温かいものが体を包み込んでくれます。

そのときに多く使われていた励ましの言葉に” 頑張ろう ”というのがあります。 励ましたいと思っても、なんと言って声をかければよいのか、言葉が見つからないというのが本当のところなのですが、それでも励まさなければと” 頑張ろう ”” 頑張れ ”という言葉をかけたのです。 しかし、その言葉に被災者側からの反発がありました。 ” 頑張ろう ”と言われても頑張れないというのです。 ” どう頑張るの ”と、涙で濡れた目を見ると何も言えなくなります。 それほどに、震災の状況は悲惨だったのです。 家族全員を亡くし、住む家も何もかも無くした父親。 子どもと一緒に逃げて一人助かった母親。 一人遺された子供。 それぞれに事情や状況があって、生き残った者に重くのしかかる喪失感と後悔。 そして、明日どうやって生きていけばよいか、生きることの意味を失っていました。

SGI池田会長は、いままで、絶望の淵に立たされた人々を、一人一人励まし続けてきました。 わたしは、励まされた一人でもありますが、また、多くの人々が励まされた様子を知っています。 その中でダントツに使われている言葉が、” 負けるな ”であります。 普通の言葉ですが、苦境に立つ人を励ます力づよい言葉ではないでしょうか。 励ますことに全魂を傾け、智慧を巡らせて辿り着いたのが、この言葉だったのでしょう。 この言葉を聞くと、はっとして、” そうだ、このままではいけない ”と我に返る力があります。 これは、” 頑張れ ” という言葉より、人に寄り添い同苦する気持ちを伴う言葉だと思います。 

この負けじ魂は、創価の信心の骨髄でもあります。
Category : 信 心 Comment : (0) |
2015-05-15(Fri)
先週に引き続いて、カーペンターズです。

よい週末を。 (^^

・ Yesterday Once More


関 連 → Close to You
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2015-05-14(Thu)
ラビリンス


以前、朝早くに雨上がりのホームに一人立っていると、不思議な気持ちにさせられる光景に出会いました。

レトロな感じで、向こう側で何かが手招きしている様な感覚がありました。

おもわず、携帯で ” パシャリ ”。 (^^

電車が来ても、ナルニア国のような迷宮の世界に飛び込んでいきたくなるような気持に、苦笑い。 今日も仕事だ! と我に返って、いつもの一日が始まりました。
Category : 日 記 Comment : (0) |
2015-05-12(Tue)
真言宗というのはインドにはもともと無く、中国においても宗をなしていません。

インドにおいては、古代インドの漫祖羅というヴェーダの神々への韻文讃歌から生まれた魔力的な唱句に、悪魔祓いや呪咀などの秘密神呪が加わった雑密と呼ばれているものが、仏教と混じり合って密教となり、それが様々に形成発展していたのであります。
それを善無畏、金剛智、不空の三三蔵が大乗密教として中国に持ち込みます。 そのときすでに法華経が経王として流布していたために、天台教学を学んだ一行という禅師を抱き込んで、密教を天台教学を取り入れた論・釈で飾り、皇帝の庇護を受けて興隆を見せます。 ところが、その国が動乱で亡んでしまうと、時代という荒波のなかで、道教やチベット密教と混ざり合いながら、やがて衰退してゆきます。
9世紀初頭、まだ唐代密教が歴史の表舞台にあったころ、日本の最澄や空海が学んできて、空海が伝来七宗をさらに密教に摂入し真言宗として初めて日本で開宗しています。

空海が開いた真言宗の特徴は、善無畏が大日経は理のうえでは法華経と同じだが、印と真言が説かれているので事相のうえでは大日経が勝れているとしていたのを、釈迦を「 無明の辺域にして明の分位にあらず 」と蔑視して、法華経を「 戯論 」だとまで誹謗しているところにあります。 普賢経に明らかなように、魔が仏に化身した本性がはっきりとここに見てとれます。

涅槃経に「 魔等も尚能く変じて仏身と作る。 況や当に羅漢等の四種の身と作ること能わざるべきや。 」とあるように、真言宗は仏に変じた魔の教えであり、仏教というよりは魔教であると断じてよいでしょう。


関 連 → 擬態して生きてきた宗教


※ 2015/06/05改訂
Category : 仏 教 Comment : (3) |

真言亡家亡国 * by 王者の剣
夕焼け様

度々コメントしてすいません。

真言破折の記事は噛み砕いて書いてくださっていて、わかりやすく読ませていただきました。

実はわが地区も真言の寺域で、「真言にあらずば人にあらず」といった因習深いところです。我が家もその真言の寺と親戚にあたり、その一家とも接する機会が時々あります。

母が学会に入りました時に寺を訪ね「親戚付き合いはするけど、宗教のお付き合いは今後一切しません」と宣言しました。「あんたの家はこれからみじめになってやで」と住職夫妻に揶揄されましたが、その後、私も結婚して子供にも恵まれ、母も91歳と健在で、真言亡家の報いを転換することができました。(笑)

それゆえ、真言宗にはひときわ強い憤りを感じています。(笑)今後の折伏にも参考にさせていただきます。ありがとうございました。

* by 夕焼け.
王者の剣さん、こんばんわ。

いままで、念仏、禅を記事にしてきて、今度は真言を記事にしていきたいと思っています。 それでも、すぐにというのではなく、テーマを絞りながら何回かに分けて行っていくつもりです。

ぜひ、読んでみてください。 (^^

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2015-05-11(Mon)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 種種御振舞御書(P919) 
『 日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし 』

【 通解 】 
『 日蓮をたとえ用いたとしても、敬い方が間違っていれば国は滅ぶであろう 』

【 指導 】
* 日蓮大聖人を尊敬する恰好を見せていても、大聖人のお心に背いていれば、国は滅ぶ。 これは、日顕宗の破折の御文でもある。 御本尊を拝んでいても、学会の幹部であっても、恰好だけであるか、本物であるか ― これで分かれる。 恰好だけなら功徳はない。 これまでの反逆者らがそうである。

< 御書とその心 >より


見せかけの信心ほど怖いものはありません。 かえって地獄に堕ちなければならなくなってしまいます。 信心は、どこまでも純真であり、まじめでなければなりません。

日蓮大聖人の心は、慈悲の利剣を手に折伏をしていかなければわかりません。 御書を読んでいても、やはりそうであります。 真剣に、宿業打開のために折伏に取り組んでいるときは、どんどん伝わってくるものがあります。 自分のために言ってくれているような、絶妙のタイミングですべての指導が胸に響いてくるはずです。

また、この御文は、釈迦の心に背いて法華経をないがしろにし、誹謗する浄土宗・禅宗・真言宗・天台宗など謗法の宗が歩んでいる姿を指摘しているものでもあります。 釈迦を尊んでいるようで、敵対する、みせかけの仏教であります。
Category : 御 書 Comment : (0) |
2015-05-08(Fri)
ほんとうに、悩みというものは尽きないものです。

自分自身の悩みもそうですが、家族や、友人や、会社のことで、不自由な思いや悔しい思い、そして悲しい思いをするのは信心していてもあります。

人がどんな悩みで苦しんでいるのか、それは様々でしょうが、わたしは最近になって、信心の確信が深まってきたことを感じ、それにつけて、悩みがあっても、深刻な恐怖や脅迫観念がなくなってきていることに気づきはじめました。 かつて、パニック症候群を抱えていた神経質なわたしが、今は良い意味での楽観主義を心に持てるようになっているのです。 不思議ですが、悩みと取り組むことに、少なからず楽しみを覚えるようなときもあります。

信心とは凄いものです。

あきらめず、たゆまず信心を続けてゆくならば、自分が意識するしないにかかわらず、成りたい自分、征きたい人生を往けるのだとつくづく思います。 いずれ、今の苦しみは、未来の遊楽を得る種であり、悩みと歩む信心そのものが、この世の最高の楽しみなのだと、解かるときがくるでしょう。
Category : 信 心 Comment : (2) |

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* by 夕焼け.
No.380さん、こんばんわ。

やる気、元気、本気で、(^^

了解です。

2015-05-06(Wed)
第二代会長の戸田先生は「 学会精神というと、なにかめんどうなことのように思うだろうが、それは、ただ” 日蓮大聖人様の時代に還れ ”というだけです。 日蓮大聖人様のお心を心として、この御本尊様を、みんなに受け持たせたいというだけなのです。 」と仰っていました。 

戸田先生が仰るように、創価の精神は、この信心の血脈にあります。 逆に言えば、日蓮大聖人の心を心とする信心が無くなれば、創価の創価たる所以は無くなるということであります。 歴史を見ると、今の天台宗は、名前は天台宗でも心は真言宗になりさがり、日蓮正宗は、名前は日蓮正宗でも心は外道になりさがってしまっています。 創価は、歴代の会長の心を心として、広宣流布に生き抜いていかなければなりません。 創価家族の麗しい団結で、一人一人が幸せになりながら、宿業に苦しんでいる人々に、この信心を教えてまいりましょう。 戸田先生が詠まれた和歌「 妙法の広布の旅は遠けれど 共にはげまし 共々にゆかなむ 」とあるように。


※ 2015/05/11 改訂
Category : 創 価 Comment : (2) |

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* by 夕焼け.
Mo.379さん、こんばんわ。

そうですね、羨んでもどうしょうもないことですね。

わたしも若いころ、劣等感という針で、自分で自分の心を突いて、苦しい思いをしていましたが、劣等感がなければ人は向上してゆけません。 向上心と信心があれば、必ず道は開けます。

しかし、そう簡単にその人のようになれるでしょうか。 また、そうなる必要がほんとうにあるのでしょうか。 人には個性、持ち味というものがありますから、それを大事にし、魅力として磨いていくことのほうが良いのではないでしょうか。


2015-05-05(Tue)
今日は記事を書きたかったのですが、ゴールデンウイークは、皆さんも休養していることでしょうから、懐かしい曲を紹介するだけにいたします。

・  Close to You
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2015-05-04(Mon)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 最蓮房御返事(P1342) 
『 貴辺に去る二月の比より大事の法門を教へ奉りぬ、結句は卯月八日・夜半・寅の時に妙法の本円戒を以て受職潅頂せしめ奉る者なり、 』

【 通解 】 
『 あなたに、去る二月のころから大事な法門をお教えした。 そのうえ、四月八日の夜半、寅の時に妙法の本円戒をもって、受職灌頂してさしあげたのである。 』

【 指導 】
* 日蓮大聖人の御書には、「 授戒 」「 受戒 」― 戒を授ける、戒を受ける ―という言葉は用いられているが、すべて、仏教史上の過去の例をあげられたものである。 大聖人ご自身が「 授戒 」されたという記述はない。 ただ「 最蓮房御返事 」に、最蓮房に対して「 授戒 」されたことを述べられている。 「 妙法の本円戒 」とは、本門の円頓戒のことで、妙法(御本尊)を持つことをいう。 「 受職潅頂 」とは、菩薩が妙覚の仏になろうとする時に、仏がその菩薩の頂(頭)に智慧の水を注ぐことをいったが、ここでは大聖人が、最蓮房に妙法蓮華経の五字を授けたことをさしていると拝される。
 最蓮房は、天台宗の僧として比叡山で法華経迹門の戒を受けていたと考えられ、独一本門の戒を大聖人から受け直したものであろう。 つまり、これは出家に対する受戒であった。 最蓮房自身が強く望んだものではないか、とも思われる。
 つまり、大聖人の在世においては、出家の弟子に対してさえ、授戒されたという記録は、最蓮房以外には残っていないのである。 まして、在家の信徒が授戒を受けたという記録は、まったくない。 当時の慣習のうえからも、信徒への授戒はなかったと考えられている。

< 御書とその心 >より

本門の戒壇というのは受戒する場所ではありません。 このことが真に理解できれば、本門の戒壇の意味がおのずと判ってきます。 創価の広宣流布大誓堂というのは、この本門の戒壇の意義をもつ世界で唯一の根本道場と言ってさしつかえありません。 広宣流布の暁には、この誓堂に込められた想いを手本として本門の戒壇が建立されることはまちがいありません。

御書に『 我等一戒をも受けざるが持戒の者と云わるる文・経に云く「 是則ち勇猛なり是則ち精進なり是を戒を持ち頭陀を行ずる者と名く 」文。 』 とあるように、妙法の” 戒 ”は” 金剛宝器戒 ”といって、御本尊を抱きしめながら、題目をあげ抜いて、広宣流布という誓願に勇猛にして精進していくことしかありません。
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2015-05-01(Fri)
柿田川湧水
( 写真:柿田川湧水 )


釈迦の説いたとされる経典は膨大であります。

総てを読むだけで一生が終わってしまうかもしれません。 今、日本にある経典の多くは、インドから中国あるいは朝鮮を経て伝わってきたものです。
 
そのインドでは、釈迦が涅槃したその年に第1回の経典結集が行われておりますが、この時、文字によって記録されることはありませんでした。 持ち寄った記憶を暗唱しながら確かめ合いながら、結集が行われています。 文字によって記録されるようになるのは、阿育王の治世に行われた第3回結集からであるとされています。 それでも、現代に伝わるような経典は、紀元前後に部派仏教の経典、紀元1世紀から3世紀頃に大乗仏教の経典が整い始めたといわれています。 密教の経典はそれからさらに後で7世紀頃になります。 

よく、部派仏教の経典が釈迦の実際の教えで、大乗経典は見知らぬ人々によって創作されたものだ、釈迦の実際の教えではない、と断定するような意見を聞きますが、確かに文字として記録され始めたのは先かもしれませんが、現在のような経典として成立した年代はそれほど違わず、釈迦滅後だいぶたってからであります。 部派仏教の経典だけが釈迦の真正の教えだと断定することはできません。
いずれにせよ、人の記憶によって伝承されてきた期間がとても長いのには驚かされますが、師匠と弟子が暗唱しあいながら伝えていくのに比べ、文字による伝承は年代を経るに従い写筆による誤記が生じたり、紛失や焼失によって釈迦の教えが失われる危険が増すことを考えると、古代インド人が文字に頼り切らない選択をしたのは、あながち間違っていなかったのかもしれません。

釈迦のように悟りを開くには、どのようにしたらよいのか、多くの出家者が釈迦の教えを追い求め、それを経典としてまとめ、現在に伝えてきたのでしょうが、その一文一句が釈迦が実際に話したそのままの言葉ではないかもしれません。 しかし、その真意を理解できた人々によって、間違いなく釈迦の心を蘇えらせ、真意が込められた経典として伝えることができたのだと思います。 事実、日蓮大聖人によって、釈迦が説いた教えは、富士山(多宝富士大日蓮華山)の雪解け水が伏流水となって、時間を越え、遠く離れた場所に滾々と湧き出てきているように、現代に蘇ってきました。 日蓮大聖人の仏法は、釈迦の文言句々を大きく包み、その本質を鋭く射抜いて、真意を明らかにしています。 濁りのない、どこまでも清らかな、豊饒な味わいを持つ法水をわたしたちに注いでくれています。

※ 2015/05/03 改訂
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