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2014-12-30(Tue)
今年は、公私ともに、とても忙しい年でした。 (‐‐!

仕事と学会活動の合間をこじ開けながら、なんとか書こうとしましたが、やはり限界がありました。 この先どうなるかわかりませんが、まだまだ書きたい事がありますので、ブログは続けてまいります。

今年最後になりますが、わたしの好きな井上陽水さんの歌を紹介いたします。

どうか、よいお年をお迎えください。 (^^

・ 結 詞
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2014-12-26(Fri)
創価の会則が11月7日に改訂され、世間では色々と言われているようですが、わたしなりの考えを示しておこうと思います。

新しい会則では「 一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し 」というところを「 根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ 」と変えて、「 御本尊に自行化他の題目を唱え 」を加え、「 一閻浮提広宣流布」を「世界広宣流布 」と置き換えています。 

これを受けて、邪宗門の輩が三大秘法の否定だと喧伝するむきもあるようですが、そんなことは断じてありません。 この改訂された文言をよく考えてくだされば判ることであります。
わたしが思うに、この改訂の星は「 信受 」 という言葉を「 信じ 」としたところだと思います。 一閻浮提総与の御本尊を権威の象徴として利用し、信徒を屈服させようとする邪宗門に、はっきりと「 NO 」を突きつけたと言えるでしょう。 

一閻浮提総与の御本尊は、三大秘法総在の御本尊と言われておりますが、わたくしどもが戴く御本尊もそれは全く同じであります。 大法弘通慈折広宣流布の暁に、一閻浮提総与の御本尊に、世界中の人々が一堂に南無妙法蓮華経と唱えるとき、それがそのまま、事の三大秘法となり、そこに、そのまま御本尊が現出することになるのです。 御本尊の相貌に当てていえば、その時の一閻浮提総与の御本尊が多宝如来にあたり、南無妙法蓮華経と唱える世界中の人々とその三世間が釈迦如来並びに余の三千にあたり、日蓮大聖人の心を心として唱えられるところの題目が南無妙法蓮華経日蓮にあたります。当然、 「 大梵天王・帝釈等も来下して踏み給う 」ところとなるでしょう。 本門の事の本尊と題目と戒壇は、遺命である広宣流布の潮流の中にしか顕れないのであります。 

一閻浮提総与の御本尊は、日蓮大聖人がこのことを託し遺された御本尊でありますから、意味のある御本尊ではありますが、他の御本尊を否定するためにある御本尊ではないのです。 ましてや、密教のような開眼のための御本尊などでも決してありません。 番人ボケした宗門は、このことがわからないため、一閻浮提総与の御本尊にしがみついて、偉ぶっているうちに邪宗門に落ち、大石寺を魔殿にしてしまったのです。 現在の大石寺の奉安殿が、いかにも伏魔殿というようなデザインになっているのには” なるほどな ”と感じます。

※ 2015/01/05 改訂
Category : 創 価 Comment : (0) |
2014-12-25(Thu)
今日はクリスマス、キリストの降誕祭。
とはいっても、この日に誕生したわけではなく、聖夜の当時を偲びながら、神に感謝を捧げようという日であります。

そこで、今日は神について、少し考えてみたいと思います。

神という概念は、おおざっぱに分けて二つあるようです。
一つは、宇宙の働きに潜むものとしての神、そしてもう一つは、宇宙を主(つかさどる)ものとしての神であります。 前者は多様な神を生みだし、後者は唯一絶対の神を生んでおります。 同じ神と呼ばれていても、おおきな違いがあり、原始や文明の萌芽期には前者が主流となり、文明の黎明期や発展期には後者が主流となってきました。

キリスト教の神というと、それは天地創造の神のことであり、宇宙だけでなく、人間を始め、ありとあらゆる生きものを作った全知全能の神のことであります。 その神は目で見ることはできませんが、預言者によりその意思が伝えられ、意思を持つ人格神として捉えられております。 神は唯一絶対であるがゆえに、その預言者も絶対の存在となり、権威化されやすい性質を持っておりますが、兄弟の宗教といわれるイスラム教にもっとも顕著にあらわれています。 新約聖書にあるイエス(神の子)の言葉には、旧約聖書にはない、信仰者に寄り添う神の意思(福音)を感じますが、キリスト教の歴史ははたしてイエスが望んだようなものになったのでしょうか。

仏教では、神をどう捉えているかと言えば、先に挙げた前者の神になります。 ただ、宇宙の法に当てはめ位置づけた神々であり、神ではあっても、けっして信仰の対象とはいたしません。 色界の主であり宇宙の創造神である梵天は、仏法の守護者として語られています。 やはり、神は見えない存在でありますが、預言者を必要とはしていません。
最近では、日顕宗にみられるように御本仏を絶対神のように扱い、貫主を預言者や聖霊にあてはめて、信徒を従わせようとする動きもありますが、それは仏教をカトリック化するような企みであり、けっして許されることではありません。

神は宇宙の法の守護者であり、宇宙の森羅万象の匠であります。
Category : 歴 史 Comment : (0) |
2014-12-19(Fri)
もうそろそろクリスマス。 
たぶん、創価の大部分の方はクリスマスの過ごし方に惑いを覚えておられると思います。
中にはキリスト教の祝い事なのだから知らぬ存ぜんという態度の人もおられるでしょうし、嫌悪感を抱く人も少なくないと思います。 それはそれで構わないのですが、もっと度量の深い態度で大きく包みこみ、この日を友情や愛情を深める機会としても良いのではないでしょうか。
仏法に縁しない西方世界に、仏が慈悲の心を垂れて遣わされた方なのですから、意味があるのです。 人類に偉大な足跡を残した方の誕生を、わたしはわたしなりに評価して過ごそうと思います。 

キリスト教は愛の宗教といわれますが、現実のキリスト教を取り巻く世界では陰惨な歴史が刻まれてきました。 いまも紛争の呪縛から逃れられずにいます。 どうか此の日くらいは世界で何事も起きないことを、ただただ祈るばかりです。

・ Happy Xmas (War Is Over)


(John Lennon 公式チャンネル)

Category : 音 楽 Comment : (2) |

* by みかん。
こちらでも、こんにちは。
連続でコメントすみません。

タイトルに釣られました(笑)
私はビートルズから洋楽に入りました(^o^)♪
ビートルズの中ではジョン・レノンが大好きで、ジョンのこの曲もよく聴いてました♪♪

私はクリスマス大好きっす~。
ツリーも飾るし、毎年クリスマスイラストを描いて、イラストを添付したCM(クリスマスメール)も沢山送るし、ケーキも食べます(^o^)

もともと建造物として海外の教会が大好き過ぎる自分ですが、
ニュージーランドで生活していた頃は、イブの日に教会をはしごしてミサにも参加。&大好きなステンドグラスを堪能してました☆

しかしキリスト教には興味なし。
創価学会の勤行と唱題、大聖人の哲学が好きですし、池田先生も大好きです(^o^)
人間革命の仏法、世界中で最高峰だと思ってます。

ついでに…
日本を戦争できる国にしようとしている安倍政権、大嫌いです!!!
自民党に加担する事は謗法&与同罪だとすら思っているので、自分は自民党には一切投票しませんでした。

war is over, if you want it.

このyouが、世界中の人達みんな、である事をずーっと願っています。


* by 夕焼け.
みかんさん、こんばんわ。

教会オタクだったんですか? すごい(^^!)

去年はビートルズの曲を紹介していましたが、わたしも、J.レノンが大好きなので、今年は彼の曲を紹介するつもりでいます。

「 この世から” 悲惨 ”の二字をなくしたい 」というのが創価の想いですから、この歌の精神は同じです。
わたしは、このYouを、Weに変えて歌いたいですね。

2014-12-17(Wed)
六壺
( 写真: ja 1973 may vol.48 )


かつて、大学生の頃、わたしは大石寺の大客殿の隣にある六壺に入る機会がありました。 そして、そこに御安置されていた御本尊に一人きりで唱題させていただくことができました。 当時はその御本尊のことをよく知らなかったのですが、題目を唱えていて、実にすばらしい御本尊だと体感することになります。 この体験から、わたしは後に、” 御本尊には違いがあるのだろうか ”と考えるようになり、いまでも御本尊はどれも同じだと思い切れないでいます。 もちろん、総じて御本尊に違いはないのですが、やはり、日蓮大聖人直筆の御本尊と日興上人直筆や代々猊下の御本尊では違いがあるように思えます。
どうゆう違いか? と問われると説明が困難ではありますが、御書に「 日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ 」 とあるように、書写する人の信心の血脈が、そこに顕れてくるのではないでしょうか。

御本尊の違いにより、信仰するうえで問題になるのかといえば、それはなりません。 信心の血脈がある方の御本尊であればなりません。 それは、わたしたちの信心の厚薄、浅深、強弱のほうが、御本仏と感応するための重要なファクターとなるからであります。 境智不二の法理であります。
唱題をしていればよいというわけではなく、唱題を根本とし、広宣流布のために行動し、仏の道を歩んでいくことが、罪障消滅・無量授徳の直道であり、事の観心となるからであります。 わたしたちが” 大法弘通慈折広宣流布の大願 ”のために、地涌の菩薩として日蓮大聖人に連なる風景こそ御本尊の姿なのです。 事の三大秘法はそこにしかありません。 

本来は日蓮大聖人直筆の御本尊の御形木を、分身の御本尊とするがよいのでしょうが、そうしないのは深い配慮があるからです。 
Category : 御本尊 Comment : (2) |

* by 摩訶衍
こんにちは。


>本来は日蓮大聖人直筆の御本尊を御形木として、分身の御本尊とするがよいのでしょうが、そうしないのは深い配慮があるからです。 


そうしないのは、創価学会に日蓮直筆の御本尊は存在していないし所有していないからですよ。

四十数年前に創価学会が日蓮正宗創価学会と名乗っていた頃、日蓮直筆の御本尊を所有している某寺院、二ヶ寺に対して売買交渉した事があったようですが一つは途中で立ち消えになり、もう一つは寺院の貫首にきっぱり断られたそうです。





* by 夕焼け.
摩訶衍さん、こんばんわ。

確かに、創価は大聖人真筆の御本尊を所有していませんが、所有しているかどうかにたいした意味はないし、必要もないでしょう。 また、所有しているからといって、日蓮大聖人の真筆御本尊の御形木をやたらと信徒に授与するような宗派があるでしょうか。 日寛上人の御形木の御本尊でも、もったいないくらいです。
ちなみに、創価が戴いている御本尊は、栃木県小山市の本如山浄圓寺にある日寛上人真筆の御本尊を、寺院の許諾を得て御形木とした御本尊ですが、その寺院には日蓮大聖人の板御本尊があります。

2014-12-17(Wed)
新・人間革命 広宣譜25
(聖教新聞2014年12月16日付 新・人間革命 広宣譜 25)


2014年12月16日付の聖教新聞に、次のような池田SGI会長の話しが載っておりました。


* 「 信心をしていても、皆さんご自身、さまざまな悩み、苦しみがおありだと思います。 そのうえに、組織の責任を担うことは、全支部員の苦悩を分かちもつということです。 自分の体の何十倍もあるような悩みの重荷を背負って、急勾配の坂道を上るようなものかもしれません。
 しかし、多くの友の苦悩を、わが苦とすることによって、自身の境涯を大きく開いていくことができる。 最も大変ななかで、広宣流布に邁進するからこそ、大福運を積み、大功徳を受けていくことができる。 その仏法の因果の理法を忘れないでいただきたい。」
 自らも宿命と闘い、苦悩しながら、友の幸せを願って、悩み、励ます。 それが、末法出現の地涌の菩薩である。 そこには、人間として最も尊貴な輝きがあり、その生き方のなかにこそ、仏法の人間主義の光彩がある。

< 小説「新・人間革命」 広宣譜25 >より


創価の草創の同志は皆そうでした。 自身も大変なのに組織を牽引してきたのです。 むろん、池田SGI会長も同様であります。 地涌の菩薩は、問題を抱えながら、悩み、それでも、友のために尽くし、励ましを送り続ける存在なのです。 
Category : 信 心 Comment : (0) |
2014-12-11(Thu)
車窓から夜の街を眺めていたら、ふと、車内から流れてきた歌声。  その歌声に、懐かしさとともに、ああ、冬が到来したんだなという想いが湧き上がってきました。
その歌声は、ちょうどサックスのような響きがあり、なんともいえない気持ちになります。

そこで、今日はアルトサックスで演奏した「 雪の華 」を、ご紹介したいと思います。

よい週末をお過ごしください! (^^

・ 雪の華

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2014-12-10(Wed)
新・人間革命 広宣譜15
(聖教新聞2014年12月4日付 新・人間革命 広宣譜 15)


2014年12月4日付の聖教新聞に、次のような池田SGI会長の話しが載っておりました。


* 諸君のなかには、さまざまな苦悩を抱えて悶々としている人もいると思う。 そして、いつか、苦悩など何もない、今とは全く異なる、きらびやかな人生が開けることを、欲している人もいるかもしれない。
 しかし、人生は、永遠に苦悩との戦いなんです。 悩みは常にあります。 要は、それに勝つか、負けるかなんです。 何があっても負けない自分自身になる以外に、幸福はない。
 どんなに激しい苦難が襲い続けたとしても、唱題しながら突き進み、乗り越えていく――そこに、真実の人生の充実と醍醐味があり、幸福もあるんです。 それが、本当の信仰の力なんです。
 その試練に立ち向かう、堅固な生命の骨格をつくり上げるのが、青年時代の今です。 学会の世界にあって、進んで訓練を受け、自らの生命を磨き鍛えていく以外にないんです。
 二十一世紀の大指導者となる使命を担った諸君は、苦悩する友人一人ひとりと相対し、徹して励まし、仏法対話し、友を触発する指導力、人間力を、仏法への大確信を培っていってください。

< 小説「新・人間革命」 広宣譜15 >より


創価の信仰というものが、端的に示されております。 
創価に乾杯ブログでも、このことについて視点を変えながら何回も取り上げておりますが、 創価の信心をされていない方々には、ぜひ、今までの宗教観を捨てて、創価の信仰というものを捉え、知っていただきたいと思います。  そして、信心している方々には、組織の中に飛び込み、自身を鍛え上げていくことが、福運を付け、人格を磨きあげていく直道であることを知っていただきたいのであります。 所詮は、逃避ではなく” 挑戦する人間 ”であることが大事であり、創価の信心とは、そうゆうものなのです。 創価のなかで泥まみれになって生き抜き、人生において蓮華のように咲き誇ってまいりましょう。
Category : 信 心 Comment : (0) |
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