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2014-02-28(Fri)
この曲は、Eva Peronを題材としたミュージカル” Evita ”でもっとも有名な曲です。

ミュージカルはもちろん、多くの歌手が歌っておりますが、映画「 Evita 」でMadonnaが歌っているものが、わたしは気に入っています。

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ Don't Cry For Me Argentina
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2014-02-27(Thu)
世界広宣流布の時代とは何か、わたしは、それを地球市民としての自覚と連帯を、民衆レベルで世界中に築いていく時代、と考えたい。 それは、第二代戸田会長の” 地球民族主義 ”という信念を、人々の心に灯していくことにほかなりません。

先ほど、国連本部で行われた「 世界市民と国連の未来 」というシンポジウムで紹介された、SGI池田会長のメッセージには次のようにあります。


* 明年、国連は創設70年の佳節を迎えます。 その創設の歴史的な意義に思いをはせる時、胸に浮かんでくるのが、私の師である創価学会の戸田城聖第2代会長が述べていた「 国連は、20世紀の人類の英知の結晶である。 この世界の希望の砦を、次の世紀へ断じて守り、断じて育てていかねばならない 」との言葉であります。
第2次世界大戦中、日本の軍部権力と対峙したために投獄された戸田会長が、出獄を果たしたのは、サンフランシスコで国連憲章が採択された1週間後のことでした。 その憲章の前文には“ 一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救う ”との崇高な目的が謳われていますが、戸田会長は、戦争をはじめ人類が直面する問題を根本的に解決するには、一人一人の民衆の内なる力を引き出し、国境を越えた連帯を強めて行動することが基盤になると考え、「 地球民族主義 」を提唱し、民衆の連帯の中心軸は国連以外にないと訴えたのであります。

< 国連本部でのシンポジウムへのメッセージ > より


国の為政者たちが、いまだに、「 他の人々の犠牲の上に自分たちの幸福や繁栄を追い求めて 」反目しあっている間に、わたしたちは、世界広宣流布という大潮流のなかで、世界の市民同士の内なる連帯を築き上げ、国と国を分かつ国境線を、地域と地域を多様な文化で彩っていくパッチワークのようなものにしてしまいたい。
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2014-02-26(Wed)
対話を通じて、何かが生まれる。
人というのは、そうゆう相対的な中で、人格を育んで成長していけるのではないでしょうか。 そのとき、相互の差異や違いが、より成長を薫発しゆく触媒となります。
わたしたちが、毎日、御本尊と対話している行為は、その究極の原理と言えます。


・ 第3話 対話の喜び
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2014-02-25(Tue)
どんなに、会話を繰り返そうとも、こころが無ければ通じあえない。 相手と向き合い、相手のこころを受け止め、理解しようとするこころだ。 相手に誠実な、嘘のない、真剣なこころだ。


・ 第2話 対話のこころ
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2014-02-24(Mon)
今週から、SOKAnetの動画サイトから、
SGI池田会長の、対話の旅をテーマとした動画を紹介したいと思います。

池田SGI会長は、何もかも脱ぎ捨てた、一個の人間としての対話によって、人と人の心を紡いでゆくことに力を注いできました。 そして、その誠実な姿勢と行動は、多くの人々の胸襟を開き、互いの友情を育んできました。


・ 第1話 先入観を超えて
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2014-02-21(Fri)
今日は、久しぶりにサックスの音色を紹介いたします。

静かな部屋で聞いてみてください。

よい週末を。 (^^

・ Adagio sax
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2014-02-18(Tue)
釈迦は、法華経で五百千万億那由陀阿僧祇劫(五百塵点劫)の過去に菩薩の道を行じて成道した、と説いていますが、どのような菩薩の道を行じたのでしょうか。 釈迦は、成仏した立派な姿を示し、偉大な仏の智慧を説き、その徳を讃歎しましたが、肝心の成仏の因となった内容を具体的に示してくれることはありませんでした。 そのために、釈迦のことを本果妙の仏と言っております。

釈迦は五百塵点劫(久遠)に成道したとはいえ、まだまだ、期限のある仏であります。 五百塵点劫の当初(そのかみ)、つまり久遠元初の仏ではありません。 久遠元初の仏とは、自受用身如来といい、直ちに、求めずして悟った当体のことをいい、無始無終に存在し、繕わず、働かさず、元のままの仏のことであり、釈迦の一番成道の本因となった仏であるところから、本因妙の仏と言われております。 そして、この久遠元初の、本因妙の仏のことを、南無妙法蓮華経如来と言うのであります。
御本尊には、釈迦と多宝の二仏並座の間に” 南無 ”とあり、続いて” 妙法蓮華経日蓮 ”とありますが、日蓮大聖人こそ、その南無妙法蓮華経如来であり、釈迦は、御本尊に南無妙法蓮華経と唱え、菩薩の道を行じたことによって成仏したことが示されております。 日蓮大聖人は、この娑婆世界に本因の姿で現れ、仏に成る本因を行じ、本因を示された、本因妙の仏なのであります。

菩薩の道というのは、仏に成る道のことであり、畢竟、日蓮大聖人のような凡夫の姿で、難に負けず、命も惜しまず、御本尊を信じて、南無妙法蓮華経と唱え、世界広宣流布に生き抜いていくことに尽きるのであります。 釈迦も同じように、久遠の昔に、この仏に成る道を歩んだのであります。 
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2014-02-14(Fri)
Hubble Frontier Field Abell 2744
( 写真:HubbleSite Frontier Field Abell 2744 )


法華経には、驚くような宇宙観が示されています。

それは、釈迦が仏に成ったのは五百千万億那由陀阿僧祇劫という長遠な昔だと説かれていることです。 五百千万億那由陀阿僧祇という数字がどんなものかといいますと、

華厳経に示されたものを根拠とすれば、
5×10の70988433612780846483815379501104乗
という値になりますし、倶舎論に従ったとしても、
5×10の104乗となります。

単位がはっきりしませんが、劫とついていますから、少なくとも億年の単位だと思われます。 ビックバンによって生まれたとされる、この宇宙でさえ、まだ138億年(推定)しか経っていませんから、想像を絶する昔であります。

経典には、五百千万億那由陀阿僧祇の三千大千世界を微塵として、その三千大千世界を過ぎるごとに一塵を落として、そのすべての微塵が無くなるまでの時間だと記されております。 三千大千世界とは、だいたい一つの銀河系ほどでありますから、単に時間だけではなく、広大な国土や空間も示されており、当時の人々には、それは、おとぎ話や架空の世界だとしか感じられなかったにちがいありません。
しかし、今になってやっと、わたしたちには、それが現実に存在する世界であることを、うっすらと感じとれるようになってきました。 なぜなら、現在、宇宙の姿を、ビジュアルに捉えることができるようになり、そこには、息をのむような広大な空間と無数の銀河の輝きを見ることが可能になってきたからであります。

現代の宇宙物理学では、138億年の宇宙しか捉えることができていませんが、仏法では、この宇宙は無始無終であると説き、広がりを見れば無限であり、極小を探っても無限になる、と捉えております。 また、地球のような星が、宇宙にも無数に存在し、仏が、苦しむ衆生のために仏法を説いている、と断言しています。 はたして、仏法の説く宇宙観が、科学によって証明される時代がやってくるのでしょうか。

おもしろいことに、この釈迦の成道をどのように説いているかで、その経が真実であるか、あるいは方便であるのか、その高低浅深がはっきりとわかってくるのです。 釈迦は仏でありますが、仏とは生命のことであり、それは森羅万象の宇宙のことを指していますから、宇宙そして三世の生命の姿を、どれだけ真実に近づいて語たっているのか、ということに通じてくるからであります。
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2014-02-07(Fri)
明日は10年ぶりの大雪になりそうです。

幸い休日なので、出歩かないでゆっくりと、家でお休みください。

とはいっても、わたしは雪降る街を歩くのが、大好きであります。 わたしの子供の頃は、東京でも毎年雪が降っていて、新雪に足跡を遺したり、寝転んで自分の体の跡を作って遊んでいました。 しんしんと降る雪は、何もかも真っ白に染めてゆき、街はしんとして静まり返ってゆきます。 そんな光景の中に、犬と戯れ、友だちと騒いでいた、幼き日が思い出されるからかもしれません。

・ 雪の降る街を
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2014-02-04(Tue)
最近、疲れていたので、ビタミン注射をしに銀座に行ったとき、映画もしばらく見ていなかったので、今、何をやっているのか気になって、劇場に寄ってみました。 しかし、興味のわくような作品は上映していませんでした。 そのときに、なにげなく、上映予告のディスプレイにも目をやると、「 生きている間に、生まれ変わろう! 」というキャッチコピーに目がとまり、” おお~ ”と心のなかで感心していました。

いい言葉です。

死んで生まれ変わるのはあたりまえです。 でも、それでは、意味がありません。 生きているうちに、自分を変え、人生を変える事のほうが、主体的であり、価値的であります。 死んで生まれ変わっても 自分は変えられません。 夜に寝て朝に目が覚めても、自分でしかないのと同じです。 どこかで変えるとしたら、

” 今でしょう! ” (^^)

「 生きている間 」しかないのです。 

ところで、その映画とは、3月公開の「 LIFE 」という作品でした。 観るかどうかは決めていませんが、なかなか惹きつけられるキャッチコピーでした。

LIFE.jpg 
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2014-02-02(Sun)
路 


この信心をすると、初信の功徳というものがあります。
その内容は、人様々であり、それぞれの人に、必ず驚きと喜びを実感させてくれます。

わたしの場合は、ちっちゃな箱にギュギュに詰め込まれ、にっちもさっちもいかない, 息もできないような苦しみに、苦しみ抜いていた心と体が、信心を始めてから、次第にエネルギーに満ち溢れてゆき、漆黒の闇に光がさし、やがて温かさと彩りが、心と、そして体全体を包んでゆきました。 そして、今までの生活を一変させていく、自分自身を見いだすことができるようになったのです。

それは、実に新鮮な体験で、いまだに忘れることはありません。
初信の功徳というのは、やがてやってくる宿業との戦いや、境涯を高めるため、魔と対峙したときに、この信心によって勝利することができる、というサインなのであります。

このような初信の功徳があるように、この信心をすると、こんどは必ず「 難 」がやってきます。
日蓮大聖人はこのことについて、法華経見宝塔品にある「 此経難持 」をとりあげられて、『 此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり 』と仰っておられます。 そして、『 「 則為疾得 無上仏道 」疑いなし 』とも約束しておられます。 「 難 」がなければ、本物の信仰を鍛え上げていくことはできない、ということであり、仏になるために、越えなければならな棘の峰が必ずあるのです。 このとき、御本尊を抱きしめながら、唱題し、現実に立ち向かっていくことが、とても大事になってきます。 「 もうだめだ 」と思うか「 いよいよこれからだ 」と立ち向かうのか、 「 負けじ魂 」こそ、創価の精神なのであります。

SGI池田会長は、次のように語っておられます。


* 「 信心を貫き通す 」「 持(たも)ち続ける 」には、不断の精神闘争が必要です。 ただ漫然と信仰するだけでは、押し寄せる大難の前に破れてしまいかねない。
「 三障四魔 」が競い起こった時に、それに立ち向かうか破れてしまうか、信仰への非難や迫害、そして、宿業など自身を取り巻く環境に敗北するのか、攻め返していけるのかは、一切、私たちの「 心 」で決まります。
障魔が問いかけるのは、実は、私たちの信仰の強さ、深さです。 常に自身の心を磨き、全部わが生命の変革から始まると決意して、勝利するまで戦う誓願を起こすのです。 それが「 信心 」にほかなりません。

< 大白蓮華2014年2月号 勝利の経典「 御書 」に学ぶ >より


愚痴をいい、批判がましく組織から離れていく人がいます。 そのような人には、苦労することを嫌がり、自身が抱える課題を避けて通ろうとしてしまう、生命の傾向が見られます。 どのような世界でも、自身の成長や実力を養うには、避けては通れない鍛えが、必ず待ち受けているものです。 仏という境涯を勝ち得る為には、なおさらそうであります。 挑戦するのか、逃げるのか、それで大きく違ってきます。 矛盾と葛藤を突き破り、こうと決めたことを、やり遂げていく「 信心 」が、苦難を前にしたときに、求められてくるのであります。
Category : 信 心 Comment : (0) |
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