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2013-12-28(Sat)
今年は、ブログの引っ越しを2度もおこない、観ていてくださった方には大変ご迷惑をおかけしました。
改めてお詫びいたします。  m(_ _)m

最初の引っ越しは、ブログの改竄があって、その原因を探っているうちに、ブログサイトの関係者の関与が疑われたためでした。 ブログサイトでは、ログイン情報が記録され、1か月分閲覧できるようになっています。 また、メールで記事の更新記録も送信されてきますが、更新記録のメールがあるにも関わらず、改竄があった日とそれ以前のログイン情報が欠落していました。 サイト担当者の説明では、ログインしっぱなしの時はそういうこともあるということでした。 そこで、どのIPでログインしてそのままだったのかを知るために、一か月前以前のログイン情報を求めると、サイトでも判らないという返事で、何回か記録を調べてほしいと依頼しましたが、応じてもらえませんでした。 
セキュリティーには気を使っていましたから、ログインした時は、他からのログインを切断するサイトの機能も使っていましたし、ログアウトをし忘れることはあっても、1か月連続はあり得ないことです。 何回かのサイトとのやりとりと、セキュリティーソフトのサポートデスクの意見を聞きながら、最終的に引越しをすることに決めました。

しかし、引越しをしたのはいいのですが、それからが大変でした。 ブログの引っ越しというのは、想像以上に気力体力が必要です。 ブログサイトの機能はそれぞれで、他で使えるものが使えないこともあれば、新たに使えるものもあり、一長一短なところがあります。
2度目の引っ越しは、引越しをするときのトラブルが原因でしたが、それをそのブログサイトの機能の制限から修正できないために、結局は多機能なこのサイトを選びました。
引越してから修正が完了するまでには時間がかかりましたが、Htmlやcssなどの勉強もできましたし、前よりはブログも見栄えは良くなったと思いますし、” 塞翁が馬 ”ではないですが、結果オーライのような気がいたします。

来年も、頑張って記事を更新してまいります。

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Category : 日 記 Comment : (2) |

* by 河越武蔵守
そう言う時は、警察に告発してください。
改竄や他人のログイン情報使ってアクセスするのは
れっきとした、犯罪行為です。
例え、サイト運営会社が個人のブログにアクセスし
改竄したならば、其れは違法です。
運営会社にブログへのアクセス権限は有りません。
その様な事件が起きた時は警察に相談する事を御薦め致します。

* by 夕焼け.
武蔵守様、おはようございます。

仰る通りです。
しかし、確たる証拠はありませんし、告発したところで、証拠は消されていることでしょう。 それに、そのころ、サイトのサーバーへの侵入が行われ、個人のブログやHPがハッキングされていることが、Webニュースで流されていましたから、正直、わたしにもどちらなのか確信がありません。

まあ、被害は軽微でしたし、今後のセキュリティーの万全を期す意味からも、かえって良かったと思います。 幸いセキュリティーソフト会社の調査では、PCへの侵入はなかったと言っていました。 その後、ブログの整理と共に、きっちりとソフト面、ハード面でのセキュリティーを施しました。

ご提案ありがとうございます。

2013-12-27(Fri)
今年最後の紹介となりました。
先週に続き、ララ・ファビアンさんの歌を紹介させていただきます。

ララさんは、ベルギーで育ったおかげで多くの言語に通じており、イタリア語・スペイン語・ポルトガル語・フランス語・ドイツ語・ギリシャ語・ヘブライ語・英語・ロシア語などで歌っております。 日本ではあまり有名ではありませんが、ヨーロッパでの人気は高く、多くの人に愛されています。

わたしは、ララさんのこの歌が一番気に入っています。

よい年末をお過ごしください。 (^^

・ Caruso
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* by 河越武蔵守
来年もよろしくお願いします。

* by 夕焼け.

武蔵守 さま。

こちらこそ、よろしくお願い致します。

2013-12-26(Thu)
おお 仏法即社会の英雄たちよ!
心ない悪口罵詈など
朗らかに はね返して
宿命を使命に転じてきた
偉大な幸福博士の母たちよ!
猶多怨嫉の難があるほど
負けじ魂を燃え上がらせて
激戦に挑み勝ちゆく
尊き勇敢な青年たちよ!

この同志こそ 私の無二の宝である。
この後継こそ 私の最上の誇りである。

おお わが愛する同志よ!
いかなる卑劣な陰謀にも
庶民の勇者たちは
微動だにしなかった。
我らは勝った!
勝ち抜いてきた!
憤激(ふんげき)に身を震わせ
破邪顕正の宝剣を掲げ
苦難を共にしてくれた
真の同志に感謝したい。


< 輝き光れ! 我らの五月三日 >より


” この同志こそ ”とは、
御書に『 日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか 』とあるとおりであります。
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2013-12-25(Wed)
苦労知らずの甘ったれなど
私は眼中にない。
陰の陰で
祈りに祈り
動きに動き
誰が誉めなくとも
ただ冥の照覧を信じて

道なき道を開拓していく
わが真実の同志のために
わが誠実な同志のために
私は生き抜くのだ。

あの遠く離れた佐渡の
千日尼への御返事には
「 御面(おんかお)を見てはなにかせん
心こそ大切に候へ 」と
仰せになられている。

たとえ会えずとも
我ら創価家族の心と心は
いつもいつも
一緒であり一体である。
来る日も来る日も
広宣流布の最前線に立つ
誰よりも健気な
強く明るい友の顔(かんばせ)が
私と妻の心から
離れることはない。

「 此の法門を申すには
必ず魔 出来(しゅったい)すべし
魔競はずは
正法と知るべからず 」
我らは
競い起こる三障四魔にも
怯まず勝ち切ってきた。


< 輝き光れ! 我らの五月三日 >より


” 陰の陰で 祈りに祈り 動きに動き ”と、
信心の真髄は、ここにあり、誰が見ていなくとも、日蓮大聖人は、御本尊は御存じであります。
功徳は厳然であります。

” 私は生き抜くのだ。 ”とは、
まさに、小説「 走れメロス 」のごとくであり、
「 永遠の都 」のようであります。
人は、信じる者のため、信じる道を生き抜いて、死んでゆければ、これほどの満足はありません。

” たとえ会えずとも ”
このことを、どうか確信していただきたい。
感応妙で、いつも一緒であります。
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2013-12-24(Tue)
今日から、12月22日付聖教新聞に載った、
世界桂冠詩人であるSGI池田会長の詩を3回に分けて紹介いたします。

世界に平和を!
民衆に幸福を!
人間に勝利を!
この根本の誓願と原理を
「 立正安国 」といい
「 広宣流布 」という。
仏意仏勅の創価学会は
そのために生まれたのだ。

『 地上から
「 悲惨 」の二字を無くしたい 』
この師の悲願のままに
苦悩にあえぐ民衆がいる限り
創価学会は断じて戦い続ける。
母子の悲嘆の涙が消えるまで
創価の師弟は前進を止めない。
そして絶対勝利するのだ。

艱難は一切 覚悟の上である。
「 いまに一日片時も
こころやすき事なし
此の法華経の題目を弘めんと
思うばかりなり 」
この御心を受け継ぐのが
三代の師弟であるからだ。

ゆえに私は
誰よりも悩む!
誰よりも苦しむ!
そして誰よりも
無冠の庶民の味方として
一番苦労している友を
渾身の力で励ますのだ!

厳寒の冬には
寒風に一人立つ友を思い
熱暑の夏には
額に汗する友の健闘を祈った。
脚光を浴びる舞台を見れば
人知れぬ裏方の尊き苦闘に
南無し感謝を捧げた。


< 輝き光れ! 我らの5月3日 >より


” 創価の師弟は前進を止めない。 ”というのは、
いちおうは三代の師弟ではありますが、一重深く探れば、わたしたちと池田先生の師弟であり、そこには、師弟の契りと報恩の真髄が詠われています。

” 誰よりも悩む! 誰よりも苦しむ! ”とは、
なんと、偉大な煩悩でしょう。 薄っぺらな聖人を気取った坊主など、思いもよらないことであります。
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2013-12-23(Mon)
昨日の聖教新聞に、次のようなSGI池田会長の言葉が載っていました。


* 人知れぬ「 信心 」と「 誠実 」と「 責任 」の行動は、厳然たる福徳となって、わが生命を、そしてわが眷属を荘厳する。 これが仏法の因果律であり、「 妙の照覧 」である。


< 2013年12月22日付聖教新聞 >より


わたしは、この” 人知れぬ ”という言葉に、黄金のきらめきを感じました。

誰が見ていようといまいと、誰かに何と言われようとも、日蓮大聖人の心を、創価三代の会長の心を胸に、信心を誠実に一人立つ想いで行動する人が、仏の道を歩む人であり、偉大な人なのだと思います。 
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2013-12-20(Fri)
今日は、ララ・ファビアンさんの歌を紹介させていただきます。

彼女は、ベルギー生まれのカナダ人です。
ベルギー人の父とイタリア人の母を持ち、幼少の頃に母の故郷であるカタ-ニアで過ごし、8歳からはベルギーのブリュッセル王立音楽学院で本格的に音楽を学んでいます。 

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ Quédate
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2013-12-19(Thu)
カリナジェット
( 写真:HubbleSite Jet in Carina )


最近、世界の同志の活躍と、世界広宣流布の進展が顕著になっています。

それはきっと、創価の今は亡き草創の同志(とも)が、あの地にもこの地にも、地涌の菩薩のように躍り出ているのだと思います。 わたしだって、死んだら、必ず世界広宣流布の陣列に連なりたいと、まだ見ぬ開拓の地に生まれることを、渇望するでしょう。

第二代戸田会長は、池田先生に、「 この地での使命は終わっても、次の新たなる広宣流布の地が待っている。 この宇宙のどこかの星で、また一緒に戦おう 」(趣旨)と語りかけました。

広宣流布は間違いなくできます。

問題は、その中で如何に戦い、自身の宿業を打破しゆくのかということであります。 いずれは乗り越えなければならないものであり、宿業から逃げることはできません。 いつまでも後悔と悔悟に生きていては、何億年あっても足らないでしょう。 広宣流布の戦いは、そのために用意されたチャンスであり、舞台なのです。

妙法の信心で、宿命を使命に変えながら、
この地球に、妙法の種を植え続けてゆきましょう。
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2013-12-17(Tue)
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池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られております。


【 本文 】 乙御前御消息 ( 1221P ) 
『 いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれども・かさぬれば藍よりも色まさる、同じ法華経にては・をはすれども志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり、 』

【 通解 】 
『 いよいよ強盛な信心を起こしていきなさい。 氷は水からからできるが、水よりも冷たい。 青い色は、藍という草から生まれるが、重ねて染めれば、藍よりも色が鮮やかになる。 同じ法華経ではあっても、信心を重ねていくならば、他人よりも生命の輝きが増し、利益もあらわれてくるのである。 』

【 指導 】
* 「 強盛な信心 」があるかないか、功徳も幸福も、一切がそれで決まるのだ、との仰せである。 「 同じ法華経 」― 同じ御本尊であっても、問題はこちらの「 信心 」がどうかである。 「 妙法の信心 」に功徳が備わっているのである。 「 信心 」がなければ何の功徳もない。 

< 御書とその心 >より


” 何の功徳もない ”とは、まことに厳しき因果であります。 
しかし、それは、自分の努力で決めていくという、ごくあたりまえのことであり、道理です。 信心という努力は、あくまでも自分がしていかなければなりません。
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2013-12-16(Mon)
信心していない人に仏法を語ることだけが、折伏ではありません。 信心をしている人を励ましていくことも、立派な折伏になります。
創価の連帯は、一人の人を徹底して励まそうと行動するところから生まれています。 家庭訪問して悩みを聞き、信心の確信を語ることもそうですし、座談会に誘い、信心の息吹に触れてもらうのもそうです。 人と人の真心のふれあいの中で、互いに苦楽を共にし、絆を深め、難を乗り越えていくことは、折伏の精神に合致します。

入信しても、信心活動をしない人もいます。 退転してしまう人だっています。 苦難に負けそうになる人も、信心を忘れかけている人もいます。 心の中では助け求めている人たちです。 日々、その人たちの心に信心の灯火を灯そうと汗を流し、苦労していくことは立派な折伏であります。 創価の組織はそのためにある組織であり、その行動に、三世に亘る功徳が積まれないわけがありません。

革命の行動がそのまま革命後の姿であることは、人類史に残る革命の顛末を見れば明らかです。 武力による革命はその後も武力によって民衆を抑圧してゆきます。 創価の革命は、一人一人の人間の幸福を築きながら、その蘇生の力をもって革命の力としています。 折伏は、その革命の力であり、互いの幸せを願う民衆の連帯を築いてゆく運動であります。
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2013-12-13(Fri)
今日は、いつもの音楽でなく、SGIのイメージビデオを紹介いたします。

作成したのはメキシコのメンバーのようですが、なかなか優れた映像であります。 スペイン語なので、内容は定かではありませんが、世界広宣流布の姿を感じ取れると思います。

よい週末を。 (^^



* JURAMENTO
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2013-12-12(Thu)
法華経は、無問自説で説かれた教えであり、釈迦は衆生が理解しがたくても、真実をそのまま説いています。 それに比べ、その他の経、特に「 未顕真実 」とされた経は、衆生の求めに応じ、機根に合わせ、時に従い、方便を織り交ぜながら、受け入れやすいように説かれています。 法華経は一乗法をストレートに、その他の経は三乗法を段階的に示しております。 このことから考えてみると、折伏は法華経のように説くことであり、その他の経の言説は摂受と配することができます。

日蓮大聖人が、法華経の奥底を余すところなく顕わし、仏の道を具体的に示している点で、いわゆる釈迦仏法は摂受門となり、唯一、日蓮大聖人の仏法のみが折伏門となってまいります。
” 折伏 ”というのは、真実を語りぬく勇者の剣であります。

今、日蓮大聖人の精神は創価にあり、奇しくも「 大法弘通慈折広宣流布大願成就 」の御本尊を戴き、日本中に恨まれ、誹謗中傷を集めながら、仏の道を歩んでいる創価こそ折伏の王者といえるでしょう。 事実、創価の歴史は折伏の歴史であり、捨てがたきを捨て、信じ難きを信じ、御本尊を持ちて南無妙法蓮華経と唱えながら、広宣流布のために折伏に生き抜いていくのが、創価の精神であります。
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2013-12-10(Tue)
かつて、第2代戸田会長は「 広宣流布は戸田がやる 」と言われました。 広宣流布というのはいろいろと意味があるのですが、当然、信心をする人が増えなければ広宣流布はできません。 その広宣流布を" 会長である自分がやるから、皆さんは折伏をして宿業を転換し、福運を積んで幸せになりなさい "と仰っておられるのです。
折伏は成果主義ではありません。 成果を目当てでするのも、それを嫌ってしないのも、実にもったないことです。 折伏して信心するしないは、相手の自由ですし、相手が信心しなくても、ちゃんと功徳はあるのです。 不軽菩薩のようにどんな相手にも、この信心を語っていくことが、とても重要なことなのです。

わたしの経験から言えば、折伏を一人の人だけにこだわるのではなく、多くの人に語ってゆけば、信心する人が必ず現れます。 折伏された人が身近な人に話を聞いていても、なかなか決断ができなかったところに、わたしとの対話で決断をしたということもあります。 また、この逆もあります。 違った人と違った視点で話すことで、それぞれが補完され、信心を始める一歩を踏み出せたのです。 いずれにせよ、唱題しながら、如来の事(じ)を行ずる思いで折伏してゆけば、必ずその願いは叶います。 

折伏をして、話は聞いてくれるのに、なかなか信心しない人がいます。 また、折伏をして悔しい思いや、腹立たしい気持ちになることもあります。 折伏をしていやな思いをすることも、いじめられることもあります。 ひどいときには、罵声を浴びせられ、物をぶつけられ、塩をまかれることもあります。 これらは全部「 これも修行ぞ 」であります。 苦しみながら、悩みながら唱題し、信心を続けてゆけば、自身の生命の垢を落として、やがて人間革命することができます。 あるいは、悪い宿業を清算し福運がついてきます。

折伏は、人を救済する行為ではありますが、自身を救済する行為ともなっているのです。 それは、仏の道を歩む尊い行為であり、歩みながら仏と成っていく姿は、ちょうど、須弥山に近づく鳥が、金色に輝いていく姿に似ています。
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2013-12-09(Mon)
折伏していて、相手に「 信心しないと不幸になる 」と言う人がたまにいますが、そんなことはありません。 そんなことを言えば” 脅迫だ! ”と言われてもしかたがないでしょう。 三世の生命観からみれば、信心していなくても、幸せに一生を終える人もいます。 また、人類に多大な貢献をする人もいます。 信心していないからといって断定することはできません。 「 信心しないと不幸になる 」と言うのではなく「 まじめに信心してゆけば、必ず幸せになります 」というのがよいでしょう。

よく” 罰が当たる ”とゆう言葉も聞きますが、罰は当たるものではなく出るものです。 罰の反対となる功徳も同じで、やはり出てくるものです。 その人自身の自己責任で罰や功徳は出てきます。 少し難しい言い方になりますが、罰や功徳は生命のエンタルピーによって、その人自身に出てきたものなのです。 御本尊を馬鹿にし、粗末にすれば罰が出てきます。 日蓮大聖人を誹謗し、その弟子を迫害するならば罰は出ます。 そして、その反対は功徳を積んでゆくことになるのです。 「 信心しないと不幸になる 」のではなく、「 法華経を否定し、法華経の行者を誹謗する、誤った宗教を信仰すれば不幸になる 」のです。

信心しても、長い間の信心していないときに培われた価値観が、何をやるにしても出てきます。 そのために、信心したての頃は、勇み足の折伏をしがちですが、ようは、相手の幸せを願って誠実に、真心こめて、信心を語っていくことが大切なのです。 まちがっても、相手を負かしてやろうという気持ちや、馬鹿にしたような、見捨てるような態度は厳に慎しみ、戒めていかなければなりません。 
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2013-12-06(Fri)
今日は、プレスリーのヒット曲を加山雄三さんの歌で紹介いたします。

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ 好きにならずにいられない
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2013-12-05(Thu)
日蓮大聖人は折伏を本門、摂受を迹門と配されておられます。

その意味は、「 法華折伏破権門理 」とあるように、「 唯仏与仏の真実の一乗法は南無妙法蓮華経にあり、御本尊は、仏が説くところの総てであり、そのものである。 」と語っていくことが折伏門なのだということです。
” 折伏 ”は表層的な布教の様態を言っているのではありません。 また、議論して争うことが目的でもありません。 不軽菩薩が24文字で折伏したように、御本尊の素晴らしさ、日蓮仏法の偉大さを、語りきっていくのが、創価の折伏であります。

御本尊の両肩には「 有供養者福過十号 」「 若悩乱者頭破作七分 」とあります。

これは法華経に説かれた罰と功徳のことであり、折伏ではこの罰と功徳を明確にしてゆかなければなりません。
罰を語れば、脅迫だととり、功徳を語れば、強欲だと嫌う人もいますが、人生は不幸か幸せのどちらかであります。 不幸であるために苦しむ人には功徳が必要であり、幸せを壊そうとする人には罰が必要です。 世間法ですら、困った人を救済しようとしていますし、犯罪を犯す人は罰するようになっています。 仏法においても同じであります。
罰と功徳は秘妙方便といいまして、人を成仏させていくための仏の慈悲の顕れであり、力用なのです。
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2013-12-03(Tue)
“ 折伏 ”という文字づらに囚われていては、その内実が見えてきません。 そのため、創価の人間でも、一部に勘違いする人がでてきたのも事実であります。 そこで、長くなりますが、創価の代々の会長の折伏に関する指導を紹介しておきます。


< 初代牧口会長 >

* 宗教の場合、根本とする本尊、教えの違いは、金、銀、銅、鉛のような違いではない。 金、銀、銅、鉛のような違いなら、それぞれに使い道はあるが、誤った宗教は百害あって一利もない。 薬と毒の違いである。

* 折伏は慈悲である。 『 彼が為に悪を除くは即ち彼が親なり 』との御金言のように、抜苦与楽の真心で折伏するのである。

* 折伏弘教の仏法対話は、仏法に対する求道心を喚起させることに目的がある。 議論や雑談のためではない。 相手の悩み、疑問、知りたいと思っていることを的確につかみ、焦点を絞って話を進め、鋭く理解、納得させることが大事である。

< 第二代戸田会長 > 

* われらが折伏を行ずるのは、慈悲の行である。 慈悲の行は仏の仕事であり、真に尊いことである。 (中略) しかるに、この尊い仕事にたずさわりながら、折伏に応じないからといって、憎んだりおどしたりしては、あいならん。

* 折伏に熱心のあまり、青年が夜の十時、十一時に、他家を訪問するということは、世法を無視するゆえに、世間の笑いをかい、法を下げ、折伏に害をなすこと多大である。 このことは、絶対に価値的ではない。 相手の世法的な都合など全く無視して、無理押しに攻め立てることが、真の折伏であるかのごとく勘違いしてはならないのである。

* たとえ折伏のためとはいえ、議論のための議論や、感情にまかせてケンカなどすることは、大聖人をけがすものである。

* やるやらないは向こうの自由です。 なにも、創価学会へ引っぱりこんでしまわなければ折伏にならないなどと考えてはだめです。 (中略) 功徳があるのです。 どうしても創価学会員にしなければだめだとか、御本尊を持たせなければだめだとかがんばるから、おかしな事件が起きてしまうのです。 御本尊様はお見通しです。

< 第三代池田会長 >

* 学会から折伏をとったらなにもない。 学会の魂は折伏の二字である。

* 仏法の極意は結局は実践だ。理論ではない。 民衆の中に飛び込んで現実にどれだけの苦悩の人々、迷える人々を救ったかどうかだ。 独り孤高に安住して、われ尊しとする生き方は仏法本来の精神からは、まったくかけ離れている。

* 折伏こそ、相手の不幸の因を根底より除く最高の慈悲の行為である。 逆に相手の不幸を知り、幸福になる方途を知りながら、それには触れず、偽りの妥協をしているならば、これほど人間として卑劣なことはない。

* 慈悲の念から出発したものでなければ、それは折伏に似て非なるものである。 自分の売名、勢力拡大、そうゆうものであっては絶対にならない。 折伏布教は、慈悲の心で柔和忍辱を旨として行じていくものである。

* 数のみにとらわれて、いいかげんな折伏をするようなことがあっては断じてならない。 かえってそれは折伏精神に反することになる。 真心こめて折伏し、真剣に面倒をみてあげてほしい。

* 折伏にあたっては、どんなに相手が怒り、あるいは悪口をいい、罵ろうが、ゆうゆうと笑みをたたえて、破折し、妙法を教えきっていくのでなければならない。 (中略)もし、相手の気色に引きずり込まれて、感情に走ったり、ケンカをしたならば、それは、自ら如来の使いとしての尊い資格と使命を放棄することになってしまうであろう。 あくまでも、折伏は、その自覚と誇りをもち、襟度ある行動でなくてはならない。

* 不軽とは、どこまでも相手の生命に仏性を確信し、尊重していくことであり、かつどんなに反対され迫害されようとも、それは自己の罪業を消滅していくためであると、喜んで受けきっていくことである。 それが、われわれの生命に約した場合の不軽の行である。


代々の会長に共通して言えることは、折伏が如来の使いとしての慈悲の行為であるということと、柔和忍辱の態度を心に刻んで折伏をしていってほしいという願いです。
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* by 河越武蔵守
先日、県総会で
なんと、池田先生から押印和紙を拝受致しました。
私如き人間には、一生涯縁の無い出来事だと思って
ましたが、県総会前に支部長から言われたので
何がなんだか、解らず動揺してしまいました。
大切にしたいと思います。

* by 夕焼け.
頼重 さま こんばんわ。

動揺ですか? 
その反応、いいですね。 (^^

信心は心こそ大切なれですから、
池田先生も御本尊様も、ぜんぶ御存じだと思います。

よかったですね。
宝として大切にしてください。

おめでとうございます。 (^^

2013-12-02(Mon)
慈悲といっても、自分のことですら、大変なのに、他人のことを思いやる気持ちなど、そう簡単には湧いてきません。 湧かそうと思っても出てこないのが普通です。
しかし、不思議なことに、折伏をするようになると、人を思いやる心が少しづつ生まれてきます。 それも自然と湧いてくるようになるんです。

頭の中でいくら考えても泳げるようにはなりませんし、手で行うミクロンの加工などとてもできません。 しかし、泳ぎを繰り返すうちに、うまく泳げるようになりますし、何度も失敗して、機械でも加工できないような、精密な加工ができるようになります。 人間は行為の中でしか身につけられないものがあるのです。

わたしたちは、最初は慈悲の心を持てなくても、折伏という慈悲の行為を行うことはできます。 
そのときに、まず必要となってくるのが“ 勇気 ”であり、“ 確信 ”であります。 なかでも“ 勇気 ”は最も必要なものであり、慈悲と勇気は表裏一体となっているといえます。 たとえば、老人に席を譲るのに最初は勇気が要るのも、そうですし、線路に倒れた人を救うのも勇気がなければできません。

折伏は仏の慈悲の行為ですから、勇気をもって折伏してゆけば、三身即一身で、仏の福徳と境涯がそこに自然と湧いてくるのです。 成仏の道は、唱題し折伏を弛まず行っていくところにあると言ってよいでしょう。 信心しても、折伏をしないと大きな功徳は出てこないのであります。 創価の歴史をみればそれは明らかであります。
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