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2013-08-30(Fri)
「 100万年の幸せ 」 いいタイトルですね。(^^

そんな幸せはあるのでしょうか?

あるとすれば ” どこかに ” ではなく、 ” ここに ” 、そう、そして自分自身の内にあると思います。
太陽のような自分であれば、どのような暗雲がたちこめようとも、それを打ち払い、100万年、いや、銀河の寿命ほども幸せがあるにちがいありません。

よい週末をお過ごしください。 (^^


(桑田 佳祐 公式チャンネル)

・ 100万年の幸せ(フルバージョン)
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2013-08-29(Thu)
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(写真:初代牧口会長 昭和17年冬 自宅)

聖教新聞には、毎日、感動の信仰体験が載っています。 病気、人間関係、性格、経済苦、仕事など様々な問題を克服した体験です。 世間では、宗教に限らず、同じ人の体験が何回も利用されることが多いのですが、創価の場合には違います。 毎日が新しい信仰体験しか載っていません。 

初代牧口会長の時代には、創価の座談会は 「 大善生活実験証明座談会 」 と銘打って行われていました。 それは、信仰体験による実証がなければ、正しい宗教とは言えない、との科学的態度から信仰体験が語り合われていたのです。 力のない宗教では、たまたまあったブラセボ効果を、何回も取り上げて、伝説化していくのがやっとですが、創価にはそんなことをする必要が、まったくないのです。 飯を食えば元気が出てくるように、創価の信仰をすれば、だれでも必ず幸せになるからです。

昔は、信仰したばかりの人が多く、顕益(奇跡的・即効的)の体験がよく紹介されていましたが、今は、時代の経過によって信仰実践が積み重ねられた結果、冥益(酵熟的・漸進的)の体験が紹介されることが多くなっています。 その中には、長年の信仰体験から培われてきた、真実の言葉が、読む者の心に響いてきます。

昨日の聖教新聞では、昭和38年(1963年)に入会し、東日本大地震の被災を乗り越え、ガンを克服したTさん(82歳)が 「 信心を根本にする生き方は、どんな所からでも絶対にはいあがるす。 その信念があれば、何があっても怖くない。 」 また 「 信心とは、願いがかなうとか、かなわないとか、そんな小さなことではないわけだ。 大変な時でも、題目をあげて立ち向かう覚悟があるかどうか、不撓不屈こそ、信心の醍醐味なのす。 」 と話していました。
そして、今日の聖教新聞では、昭和37年(1962年)に入会し、一家和楽の信心で、貧乏のどん底から抜け出したHさん(88歳)が 「 いまが、最高に幸せ。 どんな悩みに直面しても、必ず乗り越えられるのが信心。 題目を唱える人は、絶対にまけないですから! 」 と語っています。
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2013-08-26(Mon)
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(写真:SGIグラフ 家庭訪問 昭和54年8月 長野)

昨日の聖教新聞に、池田先生の次のような言葉が載っていました。


* 信心の世界は、どこまでも温かく、 思いやりのある、真剣で、まじめな世界である。
悩んでいる人を温かく励まし、希望を送る。 真面目な人を、決して裏切らない、純粋な心の世界である。  純真こそ、信心の基本である。 真剣こそ、力である。 大誠実こそ、信頼の絆となる。

* 人生の苦難と戦い、理想に生き抜く友のために、一生懸命に尽くしていく。 人の苦労の痛みがわかる。 温かで人情味のある世界が、創価学会である。 この一点を、リーダーは忘れてはならない。 人は、組織や立場についてくるのではない。 人柄、人格、人間性についてくるのである。

< 名誉会長と共に 今日も広布へ 33 > より


日蓮大聖人は 『 教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、 』 と仰っています。 法と言っても、その偉大さは、現実の人できまります。 創価の師弟の凄さは、この豊かな人間性の継承にあります。 これを失えば、創価の創価たるゆえんが無くなります。 この人間共和の拡大こそが、広宣流布そのものなのであります。
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2013-08-25(Sun)
今日の聖教新聞に次のような詩が載っていました。


< わが友に贈る >

* 仏法は 「 桜梅桃李 」 。
 〝 自分らしく 〟 進もう!
 人と比べるのではない。
 真っすぐな信心に
 最高の力と個性が輝く!


創価のことを、ファシズムや全体主義になぞらえ、金太郎飴のような人間を育成していると、思っている人は少なくありません。 欲に言う知識人に、このような人が多いのには、がっかりします。

仏法は、ファシズムや全体主義と相克にあるものであり、個の確立を目指し、何物にも侵されることのない、真の自由を心に打ち立てることを目指しています。 金太郎飴のような仏や菩薩はおりません。 経典を覗けば、実に個性に溢れ、それぞれの特質や特徴を持つ仏や菩薩で溢れています。

創価の信仰は、パーソナリテイーを最大に発揮させてくれるものなのです。
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2013-08-23(Fri)
イチロー選手がニューヨークで行われたブルージェイズ戦で日米通算4000安打を記録した。 試合後の記者会見で彼は、

「 誇れることがあるとすると、4000のヒットを打つには、僕の数字で言うと、8000回以上は悔しい思いをしてきているんですよね。それと常に、自分なりに向き合ってきたことの事実はあるので、誇れるとしたらそこじゃないかと思いますね 」 と言っていた。

今日は、まえに紹介した、「 何度でも 」 のオリジナルを聴いてください。

よい週末を。 (^^

・ 何度でも
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2013-08-22(Thu)
体あるいは心の病を抱え、とっさに死を選ぶ人もいれば、必死に生きていこうとする人がいます。 今日の出来事を知り、考えさせられました。 

それは、歌手だった藤圭子さんの訃報です。 警察では自殺したとの見方をしているそうですが、真相はまだハッキリとしていません。 報道によると、長年、原因不明の病を抱えていたということで、それが原因かもしれません。 藤桂子さんの死の真相はわかりませんが、病を抱えて、死を選ぶ人は世の中にたくさんいます。 しかし、その反対に、病を抱え必死に生きていく人もいます。
昨日のTVでは、オートバイ事故で頸椎を損傷し、下半身不随となった青年が、懸命の努力を重ね、口を使ってコンピューターを操り、イラストレーターとしての才能を開花させていることが紹介されていました。 この違いはどこからくるのでしょう。 

人生においては、絶望の淵に立つような思いになることは、誰にでもあります。 これは、絶対的な状況によってというよりも、個人の相対的な感受性によってもたらされるものです。 感受性というのは、その人の生命の感受性です。 他から見れば ” ? ” と思うようなことでも、人によっては追い込まれていくことがあります。 仏法から捉えれば、 ” 縁 ” は同じでも、 ” 因 ” である生命の状態により、 ” 果 ” が違うということでしょうか。

今日の聖教新聞には、進行性筋ジストロフィーと闘い、その内面の響きを、五行詩にして綴った「 点滴ポール 生き抜くという旗印 」(ナナクロ社刊)を、ベットに横たわるなかから出版した青年の記事がありました。 彼も地の底を這いずりまわるように苦悶し、命を絶つ葛藤に苛まれていました。 しかし、創価の信仰で、逃げても逃げても追いかけてくる宿命と闘うことを選び、ついには生命の輝きを放つまでになっていったのです。

彼の詩には次のようにあります。

・ 嗚呼 僕も
  生きているんだ
  青空の
  真っただ中に
  溶け込んでいる

・ 自分の力で
  見いだした
  ことのみが
  本当の暗闇の
  灯火となる

・ 生きようと
  向かえる気持ちは
  芽吹きのように
  炎に焼かれた
  幹の心は生きている

死は、その有無も重大ですが、どのように死んでいくのか、死ぬ生き様とでもいいましょうか、そのことのほうが、とても重大なことのように思えます。 わたしは、それが次の生をかたちづけるものだと信じています。

夕焼けのように沈み、旭日のごとく出でたいものです。
Category : 人 生 Comment : (0) |
2013-08-21(Wed)
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夏休みも終わり、いつもの日常に戻ってきました。
夏休み前は、早く休みにならないかとワクワクしていましたが、それが終わった今、なんだか日常に戻って、ホッとしている自分が不思議です。

この記事を書いているときに、雷が鳴りはじめ、暗くなって、ザーという音とともに雨が降ってきました。 窓から覗くと、外は雨で煙っています。 雨靄の間から、かすかに若い男女が手をつないで走り去る姿が目に映りました。 サラリーマン風の男が濡れそぼり、鞄を頭にかざして走っていきます。 高みの穏やかな書斎から見ていると、映画のワンシーンを見ているような感じです。

夏の風景ですね。

さあ、明日からは仕事です。
頑張りますよ。 (^^
Category : 日 記 Comment : (0) |
2013-08-20(Tue)
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(写真:2013年7月31日付聖教新聞 九州研修道場)

昭和55年(1983)7月。 霧島の九州研修道場で行われた、未来部の研修会で、池田先生は「 今日は信心の真髄の話をしておきます。 」と前置きし、「 戸田先生は私に『 仏法のために喜んで身を捧げていけ 』と、よく言われた。 私は病弱だった。 しかし、全てに全力投球だった。 ” 今日もよく生きられた ”という毎日だったんだよ。 難を受けた。 その中を私は戦い抜いた。」と話をされました。

仏法の修行というものは、理論や難しい理屈にあるのではなく、行動を孕む、ごく単純で、明確な生き方にあるのではないでしょうか。 信心とは、この生き方のなかに息づいてくるものだと思います。
どんなことがあろうとも、一途に、広宣流布のために生き抜いて、仏の智慧と勇気と慈悲が、わが身から染み出てくるようになるまで戦うことが、創価の生き方であります。
Category : 信 心 Comment : (0) |
2013-08-19(Mon)
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この時期は、戦争のことを考えさせられる時期ですが、最近は、日本の被害の悲惨さだけが取り上げられているような気がしてなりません。 軍国主義の犠牲になったのは確かに、国民であったかもしれませんが、日本が引き起こした戦争で、苦しみと絶望の淵に立たされていった、中国や韓国、そして東南アジア諸国の人々の事を忘れてならないと思います。 沖縄・長崎・広島・大空襲の事を語り継いでいくことも大事ですが、日本が先の大戦で、他国に何をしてきたのか、もっと証言を掘り起し、語り継いでいくことがさらに大事なことではないかと思います。

わたしが、小学生のころに発刊された、その当時の少年マガジンや少年サンデーには、戦艦や戦闘機の絵や写真がよく掲載されていて、そのカッコよさに目が奪われていました。 戦記物では、国のために散って行った若者の姿が描かれ、愛国の高揚感をかきたてられていました。 ちばてつや さんの「 紫電改のタカ 」を夢中で読み、ヒロインの悲劇的な最後に涙して、戦争に負けた悔しさを感じていました。

戦争の犠牲者が美化されていくことは、とても危険なことです。 その意味で、軍人の犠牲者を、ことさらに政治家が尊崇の念を払っていくことには違和感を覚えます。 本来なら、兵士への謝罪であり、鎮魂であり、不戦の誓いでなければならないはずです。 また、靖国でなければならないという意図には、軍国主義の系譜を感じます。 神道で鎮護国家を祈れば、かならず災いを招き、亡国の歴史を生み出してゆくことになるでしょう。
Category : 社 会 Comment : (0) |
2013-08-09(Fri)
年代なのでしょうか、最近の日本の歌や若い歌手になじめないでいますが、しっかりと歌い上げるパワフルな若い歌手がいました。 今日は中澤信栄さんが歌う「 何度でも 」と彼のオリジナル曲を紹介いたします。

Youtubeで偶然に出会った、ライダー達のプライベートビデオと合わせてお楽しみください。

よい週末を。 (^^

・ 何度でも



・ パノラマ feat. 畠山美由紀

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2013-08-08(Thu)
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(関西地方の断層)

三災七難が起これば、信心している人もしていない人も関係なく被害が及びます。 信心している人には関係ない、ということはありえません。 なぜならば、この地球が広宣流布の主戦場であるからです。 荒れ果てた地球にしてしまうのか、弱肉強食の動物のような社会にしてしまうのか、一に仏の軍勢である地湧の菩薩の拡大にかかっています。 

釈迦が” 虚空会の儀式 ”を行う前に、多宝塔が開かれないのを見て、三変土田を行って、そこに十方の諸仏が集まってきますが、その諸仏とは、仏法対話によって、信心に目覚めた人たちのことを指しています。 わたしたちの生命は、もともと全宇宙に遍満していて、地球に集まってきているのです。 この三変土田の戦いこそ創価の大事な使命であり、” 獅子の座 ”に座る諸仏は人類の姿でなければなりません。 
御書には『 天下万民・諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ 』とあります。 三災七難の終焉には広宣流布が不可欠であり、創価の責任はとても重大であります。
Category : 仏 教 Comment : (0) |
2013-08-07(Wed)
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(写真:安保闘争)

戸田先生は、日蓮大聖人の時代には、他国侵逼難が後に来たのに対して、広宣流布の時を迎えた現代では、他国侵逼難が先に起こっていると仰いました。 たしかに、日蓮大聖人の時代は、正法が隠没し邪宗がはびこって、三災七難のうち5つが先に起こり、日蓮大聖人による法体の広宣流布の中で、残りの自界叛逆難・他国侵逼難が起こっています。 ところが、創価の出現によって切り開かれた化儀の広宣流布の幕開けは、それとは逆に他国侵逼難(第二次世界大戦)によってもたらされています。

戦後の日本は独立を果たして、復興の道を歩み始めるのですが、事あるごとに、左右のイデオロギーがぶつかり合い、争乱に見舞われてきました。 今の世代の方には実感はないでしょうが、1950年から70年代までの日本は、不毛な対立のために政治は疲弊していました。 まさに自界叛逆難が国を覆っていったといえます。 そんな中で公明党が結成され、政治を庶民のもとに引き寄せ、腐敗と利権の力を切り、イデオロギーの相克を一掃する戦いが始まってゆきました。

戸田先生の指摘が正しければ、あとの5つの難は、広宣流布の進展と共に顕れてくるに違いありません。 事実、わたしは、昨今の様相を見れば見るほどにそうゆう思いを強くしています。
Category : 仏 教 Comment : (4) |

No title * by 河越武蔵守頼重
色々有りますよ。
これからも。

広布を阻む輩は必ず現れます。
疫病も、天変地異も。

広宣流布のあかつきには、必ずや
創価学会仏(名称はどうなるか解らない)が御本尊に
認められる日が来るだろうと、戸田先生は仰ってたと聞きます。

No title * by yuyakeci
頼重 さま、こんばんわ。

そうですね。 
遙かな時空の流れの先に、どこかの星で、
創価のことを仏が語る時がくるでしょう。 (^^

語るだけの物語をわたしたちが作らなければいけませんね。

* by つかちゃん
はじめまして。
神奈川県の一介の壮年部です。
夕焼け様の「三災七難」について、私も同様の思いでおります。
この十年二十年の天候・自然現象、そして、原子力事故も当たりますよね。
気になるのが、関東の直下型大地震です。
広宣流布を進め、日本中でお題目が上げられれば、防ぐことは出来るのでしょうが!
池田先生も毎日、「大地震」が起こらないように、祈って下さっていると聞いております。
私も祈っております。
まさに、本当に「立正安国論」に始まり「立正安国論」に終わるということですね!?

URLは、私のブログ「月月・日日につより給へ」です。

では、失礼します。

* by 夕焼け.
つかちゃん さん ようこそ。

池田先生が第三代会長に就任した当時は、東京が壊滅したら創価も壊滅するのが必然でしたから、池田先生は、広宣流布を前進させるために、東京に大きな台風が来てはならない、また大地震が起きてはならいと祈りながら、死身弘法の指揮を執られてきました。 そして今、広宣流布も進み、世界129か国に妙法の種が蒔かれ、それが芽吹きはじめております。 これからは、日本の「 三災七難 」というより世界の「 三災七難 」が起こってくる時代に入ってきているのだと思います。

共々に、題目をあげきり、福運をつけて、どのようなことが起ころうとも、「  大悪起これば大善来る 」で、創価の力を示しきってまいりましょう。

2013-08-06(Tue)
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(写真:PD U.S.A)

日蓮大聖人が亡くなられてから、日本は武家の支配が続き、血なまぐさい戦国時代へと突入していきます。 そして300年あまりを経て、徳川による幕藩体制が確立してから、やっと庶民は平穏を取り戻します。 しかし、やがて、アジアにおける諸外国(西洋)の植民地支配の脅威が増すにつれ、国内はまた騒然となりはじめ、260年ちかく続いた徳川幕府はあっけなく崩壊してしまいます。 その後、天皇を神輿に担いだ維新政府は、日本の近代化を急ピッチに進め、富国強兵に邁進し、西洋が帝国主義から脱する転換期にあった時代に、日本は帝国主義の覇権をアジアに拡大してゆきました。 そして、神道を天皇ファシズムに利用しながら、泥沼の戦争へと突入し、終には、建国以来まれにみる犠牲者を出しながら、原子爆弾の投下を受けて無条件降伏するに到ります。

江戸時代は、寺籍制度が布かれ、庶民の信教の自由は著しく阻害されていましたが、一応、幕府が各宗派の活動を極端に抑圧する様なことはなかったため、日蓮大聖人の仏法もこの時代に興隆しはじめます。 ところが、明治維新後は、政府は宗派の合同を強要し、神道思想の徹底を図り、廃仏毀釈の運動を興します。 いまでもお寺に社があるのは、生き残ろうとした名残りです。
仏法では神の存在を否定していません。 本来、仏法を蔑ろにする神はいませんので、神の名をかたり仏法を破壊するものは、魔王の手先でしかありません。 本来、神は法華経の行者の法味を受けて力を得ていますし、法華経の行者を守護すると誓っていますから、法華経の行者を誹謗し、蔑ろにすれば、神は所を嫌い去ってしまいます。 その代り、そこには鬼神や魔物が棲みつきます。 仏法の目で見れば、悲惨な結末は明らかでありました。 ここに到り、日本は占領され完璧な他国侵逼難を受けたのです。

大戦中に、創価は政府の弾圧にさらされ、初代会長の牧口先生は獄死し、第二代会長の戸田先生は過酷な取り調べと劣悪な環境に体を衰弱させ出獄しました。 戦後、日蓮大聖人の仏法を継承する人間は、世界でたった一人になってしまいました。
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2013-08-05(Mon)
この御書は、別名、雷門鼓御書ともいわれおり、弘安元年(1278年)10月に身延において、佐渡にいる千日尼御前に宛てて書かれた、日蓮大聖人57歳の時の御手紙です。

千日尼御前は阿仏房の妻で、極寒の佐渡に流されてきた日蓮大聖人の威徳に触れて、夫とともに念仏を捨て入信しています。 一間四面の粗末な塚原三昧堂に居られた日蓮大聖人に、食料や衣類・紙・筆等などを、夫婦で禁を犯して命がけで届け続けました。 佐渡流罪赦免後に身延に入られた後も、何度となく御供養をお届けしております。 この年の3月には、夫である阿仏房が90歳という高齢の身でありながら、遠い佐渡から日蓮大聖人の居られる身延に、3度目の訪問を果たしています。


【 要 文 】

『 青鳧一貫文・干飯一斗・種種の物給い候い了んぬ、仏に土の餅を供養せし徳勝童子は阿育大王と生れたり、仏に漿を・まひらせし老女は辟支仏と生れたり、 』

『 法華経は十方三世の諸仏の御師なり、 』

『 大小・権実・顕密の諸経に列り給へる一切の諸仏・尽十方世界の微塵数の菩薩等も・皆悉く法華経の妙の一字より出生し給へり、故に法華経の結経たる普賢経に云く「 仏三種の身は方等より生ず 」等云云、方等とは月氏の語・漢土には大乗と翻ず・大乗と申すは法華経の名なり、阿含経は外道の経に対すれば大乗経、華厳・般若・大日経等は阿含経に対すれば大乗経、法華経に対すれば小乗経なり、法華経に勝れたる経なき故に一大乗経なり、 』

『 法華経を供養する人は十方の仏菩薩を供養する功徳と同じきなり、十方の諸仏は妙の一字より生じ給へる故なり、譬えば一の師子に百子あり・彼の百子・諸の禽獣に犯さるるに・一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる、法華経は師子王の如し一切の獣の頂きとす、 』

『 女人の一生の間の御罪は諸の乾草の如し法華経の妙の一字は小火の如し、小火を衆草につきぬれば衆草焼け亡ぶるのみならず大木大石皆焼け失せぬ、妙の一字の智火以て此くの如し諸罪消ゆるのみならず衆罪かへりて功徳となる毒薬変じて甘露となる是なり、 』

『 人は臨終の時地獄に堕つる者は黒色となる上其の身重き事千引の石の如し善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども臨終に色変じて白色となる又軽き事鵞毛の如し〓なる事兜羅緜の如し。 』

『  佐渡の国より此の国までは山海を隔てて千里に及び候に女人の御身として法華経を志しましますによりて年年に夫を御使として御訪いあり定めて法華経釈迦多宝十方の諸仏・其の御心をしろしめすらん、譬えば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ、御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり、仏に成る道も此くの如し、我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ、いつかいつか釈迦仏のをはします霊山会上にまひりあひ候はん、 』
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2013-08-03(Sat)
今日は、アンドレ・リュウ氏のコンサートから「 La Paloma 」をご紹介いたします。 この曲は、キューバで生まれ、メキシコでとても人気となり、やがて世界中で愛されるようになりました。 

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ La Paloma


(Andre Rieu 公式チャンネル)
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2013-08-02(Fri)
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(蒙古襲来絵詞)

「 三災 」は、倶舎論によると、大の三災と小の三災があり、大の三災は火災・風災・水災で、小の三災は穀貴(飢餓)・兵革(戦争)・疫病(伝染病)となっています。

「 七難 」は、大集経・金光明経・薬師経・仁王経・法華経にそれぞれ説かれており、正法を誹謗することによって七種の災難が起こるとされています。 それぞれに微妙な違いはありますが、次の内容に集約されます。

 他国侵逼難(外国から侵略され、脅かされる)
 自界叛逆難(内部分裂や同士討ち)
 星宿変怪難(天体の運行に異変が起こる)
 日月失度難(太陽・月の異常現象)
 非時風雨難(季節はずれの暴風や強雨)
 衆生飢餓難(日照りによる食料不足)
 人衆疾疫難(病によって、多くの人が死ぬ)

日蓮大聖人の時代には、天変地異や疾病・飢餓がすでに起きていて、その原因を指摘した日蓮大聖人は、命を狙われるほどの迫害を受け、やがて残り2難(自界叛逆難・他国侵逼難)が順次起きてまいります。 佐渡流罪中に起きた、二月騒動(北条時輔の乱)、流罪赦免後の蒙古襲来は、まさに「 立正安国論 」に予言されたとうりとなりました。
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2013-08-01(Thu)
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少しの間、記事の更新ができませんでした。
お盆の法要を兼ねて上牧温泉に2泊3日で出かけ、家を留守にしていたためです。 当初は、帰ってきてから、その記事を今日書くつもりでいましたが、なんとカメラを忘れてしまい、文章力のないわたしでは、臨場感を伝えることは困難だと思い、その記事はボツとしました。 そこで、最近の日本の様子を見ていて、すこし感じていることを語ってみようと思います。

皆さんも気づいているかもしれませんが、3.11を境に、日本の天候の異変や地震の多さが目立ってきています。 最近のゲリラ豪雨は、”どうしたんだろう?”と思わせるに充分なインパクトがあります。 いろいろな状況が積み重さなって、そうなったことを説明することはできるでしょうが、そうゆう状況がなぜ生まれたのか、あるいは、導かれてきたのか、根本のところを知りたいと思うのは、わたし一人ではないのではないでしょうか。

仏法では、人心が乱れると国土が乱れるとされています。
特に正法が誹謗され弾圧されるときには、三災七難が必ず起こるとされています。 第二代会長の戸田先生は、その三災七難が、今は逆次に出てきていると仰っていました。
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