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2013-07-26(Fri)
今日は、アイルランドの音楽グループ、ケルティック・ウーマンのメンバーでもある、ヘイリー・ウェステンラさんの歌を紹介します。 彼女はアイルランド系ニュージーランド人で、日本でも活動しています。

この歌は、サイモン&ガーファンクルが歌い有名になりましたが、もともとはスコットランドの古い歌を原曲としていて、ケルト特有の美しい音律を感じます。

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ Scarborough Fair
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2013-07-25(Thu)
 
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られております。


【 本文 】 法華初心成仏抄 (557P) 
『 凡そ妙法蓮華経とは我等衆生の仏性と梵王・帝釈等の仏性と舎利弗・目連等の仏性と文殊・弥勒等の仏性と三世の諸仏の解の妙法と一体不二なる理を妙法蓮華経と名けたるなり、 』

【 通解 】 
『 そもそも妙法蓮華経とは、われら衆生の仏性と、梵天や帝釈などの仏性と、舎利弗や目連などの仏性と、文殊や弥勒菩薩などの仏性と、三世の諸仏が悟ったところの妙法とが一体不二である法理を、妙法蓮華経と名づけたのである。 』

【 指導 】
* 衆生の仏性も、仏・菩薩の仏性も、仏が悟った妙法も、まったく「 一体不二 」である。 それこそが「 妙法蓮華経 」なのであるとの仰せである。
いわば「 平等 」こそが、「 妙法蓮華経 」の魂なのである。 いわんやだれかの仏性は「 特別 」であるとか「 上 」であるとか、そんな差別はない。 すべてが徹底した平等観に貫かれている。

< 御書とその心 >より


御書には、随所にこのようなことが記されています。

ともすると、「 そんなはずはない 」と思いがちですが、そう信じるか信じないかで、大きく違ってきます。 信じないで唱える題目に境智冥合する力はありません。 生死一大事血脈抄には『 久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり、 』 とあります。 

所詮は、御本尊に心をよせて、唱題していくことに尽きるのですが、肝心なことは「 広宣流布のため 」にという想い・行動のなかで唱えてゆくことにあります。 名字即の凡夫ですから、泥まみれになりながら、もがきながら唱えていけばいいのです。 
小さな祈りでは小さな功徳しかありません。 最高の祈りだから、最高の功徳が湧いてくるのです。
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2013-07-24(Wed)
今日のニュースで、民主党の元代表であり、総理大臣経験者でもある、鳩山氏と管氏の処分が取りざたされていました。

鳩山氏は党籍がないのに、どんな処分となるのでしょう。 氏は処分されても、たぶんケセラセラの感じではないでしょうか。 処分はあまり意味のあることとは思えません。
一方、管氏は今日の党役員会で処分に不満を示した、と報道されていましたが、厚顔無恥な言動は氏の十八番(おはこ)ですから。 執行部の面々の苦りきった顔が目に浮かぶようです。 処分がどうなるか知りませんが、あいかわらずの民主党の混乱する姿に、ますます嫌気がさす人が増えるに違いありません。

創価を弾圧する人間・組織の行き着くところは自滅です。 誰がなすべくもなく、徐々に自分で自分を追いこんでいくことになるでしょう。
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2013-07-23(Tue)
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創価では、「 仏教 」という言葉をあまり使いません。 ほとんど「 仏法 」という言葉のほうを使います。 当初、このブログを始めたころ、「 仏教 」という言葉に違和感を感じながらも、世間一般で使われている言葉であったために、「 仏法 」と使いたいところでも、あえて使ってきました。 しかし、これからは気にせず、使っていこうと思います。

そこで、「 仏教 」と「 仏法 」について、少し触れておきたいと思います。

「 仏教 」というのは、紀元前550~750年前頃に、インドに出現した釈迦によって説かれた教えのことを言いますが、「 仏法 」というと、その教えにある、真理を捉えて言っています。 世間一般では、要するに同じことだという解釈が多いのですが、もう少し掘り下げて見ていくと、あることが見えてきます。 

釈迦の説いた教えは八万法蔵ともいわれ、膨大なものになります。 しかし釈迦自身が言うように、それらは、衆生の求めに応じ、機に従い、方便を巧みに使いわけ、ある一面の真理を説いたものがほとんどであります。 そのため、なかには、背反する様な内容のものも少なくありません。
釈迦は無量義経で「 四十余年 未顕真実 」と宣言し、法華経で初めて重大な真実を語り始めるのですが、法華経方便品第二では、さらに次のように述べています。

  十方仏土中 唯有一乗法
  無二亦無三 除仏方便説
  但以仮名字 引導於衆生 
  説仏智慧故 諸仏出於世
  唯此一事実 余二則非真
  終不以小乗 済度於衆生 

  十方仏土の中には 唯一乗の法のみ有り
  二無くまた三無し 仏の方便の説を除く
  但仮の名字を以て 衆生を引導したもう
  仏の智慧を説かんが故なり 諸仏世にいでたもうには
  唯此の一事のみ実なり 余の二は則ち真に非ず
  終に小乗を以て 衆生を済度したまわず

続いて同じように、過去・現在・未来の三世の仏についても、一乗の法を説かんがために、世に出現して方便力により種々説いてきた、と述べています。 つまり、あらゆる仏の覚知したものは等しく一つであり、二無く三も無いと説いているのです。 また、仏の出現の目的は衆生を仏にすることにのみ有り、様々に引導してきたものは真実ではないと断言しています。 
ここで少し説明しますと、法華経以前には、二乗(声聞・縁覚)やその他の不成仏が説かれていました。二乗はもっぱら阿羅漢果を得るために小乗教の修行に没頭し、もうこの世に生まれてこなくてよい無余涅槃を究極の悟りと思い込んでいたのです。 そこで釈迦は、涅槃の修行を説く小乗教や二乗を弾劾する諸経、つまり法華経以前の教えを”仮の名字 ”と言ったのです。 

このことから、「 仏教 」とは釈迦一代において玉石混在して様々に説かれた教えと、その教理・経釈を含めたものを言うのですが、「 仏法 」と言うときには、その教えにある種々の真理ということで終わらずに、釈迦だけでなく、十方の諸仏と、過去・現在・未来の仏が等しく覚った、普遍的で変わらない” 一乗の法 ”を指して言うのだということが解かります。 

釈迦は法華経でこの” 一乗の法 ”を説いているのですが、明示的に説かなかったために、宿縁深い弟子は覚ることができましたが、釈迦滅後、多くの修行者が迷いの海に沈んで、法華経を信じることができませんでした。 すべての仏の源流となる智慧がそこにあったのですが、それが明らかとなるのは、日蓮大聖人の出現を待たなければならなかったのです。 日蓮大聖人の弟子であるわたしたちが、そのことを語るとき「 仏教 」というよりは「 仏法 」という言葉を使うほうが、とてもしっくりとくるのです。
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2013-07-22(Mon)
2013参議院選挙は終わった。 (^^

勝敗に各陣営は悲喜こもごもだが、本当の勝負はこの先にあること忘れないでほしい。 国民の幸せと社会の繁栄、そして国の平和を如何にして築いてゆくのか、という勝負が待っている。

公明党も、一人一人の民衆に寄り添い、声にならない声おも拾い上げ、社会の不条理や矛盾と闘っていってほしい。 政治ですべては解決できないが、政治のプロ集団として、知識を深め、知恵を絞って、解決の道を開拓してゆかなければならない。
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No title * by 河越武蔵守頼重
大勝利、真におめでとうございます!
暫し、一休みしましょうか。

No title * by yuyakeci
頼重 さま、ご苦労様でした。

喜びで、疲れも心地よく感じられますが、英気を養って、また、前進してまいりましょう。 (^^

本当におめでとうございます。

2013-07-20(Sat)
今日は、公明党を応援する各界の方々のビデオメッセージを紹介いたします。 

* 夜回り先生(水谷 修)応援コメント
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*  『日本再建』マスコミが報道しない有識者のコメント
  村井宮城県知事
  森田  実 氏( 政治評論家 )
  大石 久和 氏( 京都大学特命教授 )
  石川  好 氏( 作家 )

― 2012年衆議院選挙のときの応援 ―
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( 夕焼け yuyakeci@excite.co.jp )
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2013-07-19(Fri)
今日は久しぶりに、来生たかお さんの歌です。
この歌を聞いていると、忙しい一日のなかで高まった心のリズムが、またゆったりと元に戻ってゆきます。

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ 浅い夢

関連曲 → Goodbye Day
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2013-07-18(Thu)
今日は、政策ビデオを紹介しますが、短い時間にどれだけ伝えられるのか、チャレンジしています。 今後のネット選挙では、とても有効なアイテムとなるでしょう。
もっと詳しい内容は 「 参議院選挙2013 重点政策 」 にありますので、そちらもご覧ください。


< 防災・減災対策 >
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< 消費税 >
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< 憲法改正 >
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( 夕焼け yuyakeci@excite.co.jp )
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2013-07-17(Wed)
今回の国政選挙では、ネットの利用が解禁となりました。

だいたいの政党がYoutubeに専用チャンネルを持っていますが、公明党の専用チャンネル「 公明党 ウェブTV 」は他党の一歩先を行く内容となっています。 党の精神を表現したものや政策を3分前後にまとめたものなど、おもしろい取り組みです。 そのほかにも選挙遊説や候補のアピールなど他党と同じような内容もありますので、ぜひ投票の前に見ていただいて、公明党を知っていただきたい。

今日は 党の精神を表現している3つのタイトルを紹介いたします。


< 公明党がいる安心 >
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< 小さな声を、聴く力 >
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< 生活者を、もっと国会へ >
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( 夕焼け yuyakeci@excite.co.jp )
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2013-07-16(Tue)
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(写真:Youtube afpbbnews)

今月の12日に、マララさんが国連本部を訪れて演説をしました。 翌日、その様子をYuotubeで見させてもらいましたが、元気そうで、安心しました。

ほんとうに助かってよかった。

暴力に屈せずに、女性や子供たちの教育の必要性を訴えてきた彼女を讃え、国連がマララさんが生まれた7月12日を選んで、 「 マララデー 」 と定めました。
演説のなかで、彼女は事件にふれて次のように話しております。


「 2012年10月9日、タリバンは私の額の左側を銃で撃ちました。私の友人も撃たれました。彼らは銃弾で私たちを黙らせようと考えたのです。 でも失敗しました。 私たちが沈黙したそのとき、数えきれないほどの声が上がったのです。 テロリストたちは私たちの目的を変更させ、志を阻止しようと考えたのでしょう。 しかし、私の人生で変わったものは何一つありません。 次のものを除いて、です。 私の中で弱さ、恐怖、絶望が死にました。 強さ、力、そして勇気が生まれたのです。
私はこれまでと変わらず 「 マララ 」 のままです。 そして、私の志もまったく変わりません。私の希望も、夢もまったく変わっていないのです。 」

(出典:The Huffington Post japan)


彼女は、撃たれたときに恐怖を味わったかもしれませんが、ずっと恐怖を抱えていたのはタリバンのほうだったにちがいありません。 彼女の声に怯え、黙らせようとしたのでしょう。 日蓮大聖人の言葉に 「 身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず 」 とありますが、人の身体は束縛できたとしても、心を従わせることはできません。 また、一人を黙らせても、それを見た一人が声を上げ、さらに一人が、次々とこだまの様に広がってゆきます。 暴力への信仰の行きつく先は、かならず破滅です。

命を狙われたにもかかわらず、彼女はタリバンを憎んでいないと言っています。 すごい人ですね。 すばらしい女性です。 これから、多くの少年少女の心に、勇気と希望を注いでいく存在となるでしょう。 今回の演説内容を知って、そのように強く感じました。 人は年齢、性別、人種、宗教に関係なく、魂の芯ともいえる境涯によって、その偉大さが決まるのだと改めて思います。
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2013-07-15(Mon)
この御書は、文永10年(1273年)に佐渡・一谷において、弟子の日昭及び日昭縁故の辧殿尼御前に宛てて書かれた、日蓮大聖人52歳の時の御手紙です。

日蓮大聖人が佐渡に流されて2年目にあたります。 前年には「開目抄」そしてこの年に「観心本尊抄」と、重要な御書が著わされております。
日昭は六老僧の内の一人ですが、日蓮大聖人が流罪となった後の鎌倉に留まり、留守を守っていました。 辧殿尼御前のことは、妙一尼あるいは日昭の母との諸説があり、詳しくは判っておりませんが、迫害の中にも退転せずに、自らの身の回りの世話をする従者を、日蓮大聖人のもとに遣わしています。


【 要 文 】

『 第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし、しかりと・いえども弟子等・檀那等の中に臆病のもの大体或はをち或は退転の心あり、 』
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2013-07-14(Sun)
昨日、いつものように新聞(一般紙)に目を通していると、ある投稿された詩に目が止まりました。 読んでみると。
” ん? 創価の人生に対する態度と似ている、” とすぐさま思いました。

↓ いい詩ですよ。 (^^


* そのままに
              作者:東京都板橋区
                 T.U(51)

    悲しいことは 悲しいままに
    苦しいことは 苦しいままに

    いつかそれらが 心のなかで
    星々のように 輝くことを信じて

    いつかそれらが 人生のなかで
    星座のように 意味あるものに
    なることを願って


一般的にいえば、なかなかそうゆうふうに思えないし、うまくいかないのが人生であります。
しかし、御本尊に唱題し、この仏法を語り抜いてゆくならば、この詩の願いのように、どのようなことあったとしても、すべて意味のあるものになることを、わたしは知っています。

創価の信心をすれば、何もかもバラ色になるとうゆうわけではありません。 その人が成長し、境涯を高め、福運をつけながら、成仏に向かって歩んでゆく道には、意味のある試練が必ず待っています。 それを、信心によって乗越えてゆけば、それまでのすべての出来事が、太陽のように輝いて、心も身も温かく照らしてくれるはずです。
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2013-07-12(Fri)
一日の終わりに聞く音楽、いいですね。
” さぁ、明日もがんばろう ” という気持ちになります。 

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ Concerto Pour Une Voix
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2013-07-11(Thu)
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リタイアするつもりだったのが、請われて、ふたたび始めた仕事ですが、なんだかんだと、もう、1年以上になってしまいました。 まだまだ、仕事があるようですが、そろそろ潮時だと思っています。

夜遅くまでのオフィスワークは、実に疲れます。 
疲れているのに、あれから6Kgも太ってしまうなんて、健康にいいはずがありません。 許しをもらって、少しでも時間を作り、広宣流布の為に汗を流したいと思います。

そう決めました。

地域の人たちとふれあい、一人でも多くの人とお会いして、創価の精神というものを伝えてゆきます。 それが、残された人生の、わたしの最後の仕事だと思います。
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2013-07-10(Wed)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られております。


【 本文 】 松野殿御返事 (1388P) 
『 但在家の御身は余念もなく日夜朝夕・南無妙法蓮華経と唱え候て最後臨終の時を見させ給へ、妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ、法界は寂光土にして瑠璃を以て地とし・金繩を以て八の道をさかひ、天より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏・菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば・我れ等も必ず其の数に列ならん、 』

【 通解 】 
『 在家の身としてあなた(松野殿)は、ただ余念なく、昼に夜に、朝に夕に、南無妙法蓮華経と唱えて、最後の臨終の時を見てごらんなさい。 妙覚の山に走り登り、四方をご覧なさい。 法界(全宇宙)は寂光土であり、大地は瑠璃でできていて、黄金の縄で八つの道をしきり、天からは四種類の花がふり、空中に美しい音楽が聞こえ、諸仏・菩薩は皆、常楽我浄の四徳の風にそよめかれている。  われらも、必ずその仏・菩薩の列に連なるであろう。 』

【 指導 】
* 人生を山に例えれば、 「 臨終 」 は山頂といえよう。 山頂からは、広々とした下界が見渡せる。 「 死 」 の頂から見てはじめて、生涯の幸、不幸の光景も、勝利と敗北の実相も見えてくる。 また死後、すなわち来世という新しい出発を望むこともできる。 荘厳な大光につつまれた山頂もあろう。 噴火口のような地獄への山頂もあろう。 さまざまであるが、必ずそこにいたることだけは、間違いない。
人生は、この頂への登攀である。ゆえに山頂(死)を見つめずに歩む人は、目的地から目をそらして山登りするようなものであり、道に迷うのはむしろ当然かもしれない。 ここに 「 死 」 の解決を教えゆく正しき信仰が必要となる一つの理由がある。 日蓮大聖人は、私ども門下の臨終は 「 妙覚(仏の最高の悟り)の山 」 に登ることであると仰せである。 なんとすばらしい、燦爛たる光の世界であろうか。 宇宙の広がりをつつみ、永遠の時を自在に遊戯される御本仏の偉大なご境界が仰がれる。 そして、門下をどこまでも慈しみ、包容されるあたたかさ。
妙覚の高みから望む全宇宙は、煌々と輝く寂光土であり、妙法につつまれた生命は、瞬時にその遊楽の都に入っていくとのこ断言である。 御本仏のお約束は絶対である。 微塵の狂いもない。

< 御書とその心 >より


「 最後の臨終の時を見てごらんなさい。 」
あたたかくも、確信に満ちた、お言葉ではないでしょうか。
わたしは、この御書を読むたびに、涙が零れてきてしまいます。

臨終のときに、いままで歩んできた出来事に感謝して、常楽我浄の風に抱かれながら、次の人生を迎える自分でありたいと、しみじみ思います。
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2013-07-09(Tue)
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(写真:3013年7月7日付聖教新聞 恩師記念会館 7月6日)

池田先生のお姿です。

週刊誌のいい加減な推測と、悪意が生んだ幻想を信じてしまう愚かさを、切実に思います。
” 信 ” は人間の持つ特性ではあるけれど、盲目的であってはいけません。 信仰を馬鹿にする人ほど、都合の良い情報に飛びついてしまうのは、どうしてでしょう。 だれでも、何らかの信仰者である、ということを知ってほしいですね。

くれぐれも週刊誌を信仰の対象にするときは、ご用心ください。
m(_ _)m
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2013-07-08(Mon)
政教分離原則は、欧米からやってきたものです。 日本に元からあったものではありません。
そのせいか、多くの人がこのことを充分に理解していません。 

その思想の中核は、宗教組織による国や国民に対する権力の行使を排除することにあります。 当時は、民主主義の根幹となる、自由・平等・人権を担保するために、どうしても必要不可欠なことだったのです。 しかし、それは国や国民から宗教あるいは宗教組織を排除するとゆうことではありません。 当然、信仰を持つ人やその組織の社会的権利を狭めるものでもありません。
その点を誤り、誤解したのが共産主義や社会主義組織でした。 そのため、終局には民主主義を崩壊させてしまいます。 それはたんに、宗教的イデオロギーが社会的イデオロギーにすり替わっただけで、また、王の独裁が政党の独裁に移ったにすぎなかったのです。

民主主義の確立のためには、宗教組織に限らず、あらゆる分野の組織による政治の私物化・階級支配を排除し、分離していかなければいけないのです。 政教分離原則の真の意味するところは、国家権力(政治)によって、国民の基本的人権(信教・思想信条・結社の自由)が圧迫されたり、奪われないようにすることにあるのです。 
そのためには、あらゆる分野の人が、政治を監視し、声をだし、活動していくことが必要であります。 当然、信仰を持つ人、宗教組織も活動をしていくべきであります。 しかし、その組織が独占的に、政治行為である権力の行使を、行ってならないのは言うまでもありません。

政教分離原則をうたうアメリカ合衆国憲法修正第1条には、信仰者や宗教組織の政治活動を制約するような、民主主義の根幹を否定する内容は書かれていません。 むしろ、だれが、どのような組織が国家の権力を握ろうとも、国家権力から信教の自由を守り、信仰する人の基本的人権や宗教組織を守ろうとする規定となっています。
連邦最高裁判所の示した政教分離の具体的な指針の趣旨からいえば、 ” 政教一致 ” というのは、日本で行われている、創価に対する政治的圧迫や、政治活動を規制しようとする政治(政府)の関与のほうが言われなければならないのです。
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2013-07-07(Sun)
今日は七夕。

いよいよ夏本番となります。
ビールがうまい季節となりますね。 (^^

熱中症には充分注意していただいて、
はつらつとお過ごしください。

・ 七夕さま
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2013-07-05(Fri)
政教分離原則の生まれた背景を概観してみると、それはヨーロッパ中世の封建社会におけるキリスト教皇体制の反省から生まれてきています。 日本においては、明治維新後の天皇体制の反省によります。 ヨーロッパの場合は、宗教組織の下に統治組織があり、立法・司法・行政行為を宗教組織自体が行うか関与しています。 日本の場合は、天皇を神として、統治組織が宗教的権威を利用していました。 これらに共通するのは、信教の自由が極端に狭められていたことです。 仏教を信仰するものから見れば、いずれも神を崇め、人間を神の下に置いている宗教ですから、必然であったといえます。 前にも記事にしましたが、神や神の代理人の意思が絶対的でありましたから、人間のエゴイズムが神の代理人という面をかぶって跋扈した時代であります。

政教分離原則を生んだ宗教と仏教には根本的な違いがあります。 仏教では、仏が人間を下に置き、支配するというような概念がありません。 人間は皆、仏に成ることができる、という前提で教えが説かれていますし、仏が人間を仏にするわけではありませんから、当然であります。 信仰の根本は自立的な心にあります。 自らが決意し、学び、考え、行動するしか、仏に成る道はないのです。 たとえ、強制的に信仰をさせられたところで、そのようにはなりません。 布教には、本人が気づくまで、対話による往復運動をするしか方法がないのです。 創価が、仏法対話を重要な修行の柱としているのはそのためです。

創価が公明党を作り支持しているのは、政治に宗教を持ち込もうとしているのではなく、純粋に、政治による社会の平和と繁栄を築くためなのです。 それは、信心している・していないに関係なく、敵対している・していないに関わらず、あらゆる人々のためです。 世界に日蓮大聖人の仏法を広めるのは創価だけの役目であり、公明党ではけっしてありません。
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2013-07-04(Thu)
” 憲法違反 ” と騒ぐ政治勢力は、 ” 憲法違反 ” のあとに ” 疑いがある ” と付けていうのが常であります。 そして、国会で取り上げることはあっても、裁判所には持ち込むことはありません。 これは印象操作の典型的なやりかたです。 さらに、公明党ではなく宗教団体である創価を攻撃している点で共通しています。 これは特定の宗教団体を政治が抑圧している状況であり、わたしからすれば、 ” 弾圧 ” であります。 また、攻撃する政治勢力が、他の宗教団体の支援を受けていることでも同じであります。 もし、公明党が特定の宗教団体のスキャンダルを国会で取り上げたり、攻撃するような質問をしたとしたら、どうでしょう。 これはもう大変な騒ぎになります。 しかし、政権党の幹部が同じようなことを創価にしても、拍手喝采はおきても、なにごともおきません。 これは、あきらかにおかしなことです。 どうかしています。

憲法は、国の行動を規定する意味合いの強いものであり、一面からみれば、国を性悪説、国民を性善説に置いて作られています。 そして、そのほかの法律はその逆になっています。 憲法では国が宗教に関与することを禁じていますが、宗教団体が特定の政治団体を支持することは禁じていません。 また、宗教団体が政治団体の発起人になることも禁じていません。 当然、宗教団体が政治活動することも禁じられていません。 政治行為と政治活動は違います。 この点をしっかりと理解してほしいと思います。

管元首相が、創価の会館で選挙活動が行われていると騒ぎ、使用状況を監視するために会館に官警を立ち入らせる必要がある、と発言したことがありましたが、 わたしは 「 かつての軍部がしたことと同じだなぁ 」 と感心しました。 戦時中、創価は憲兵の立会いがないと会合は開けませんでした。 右も左も権力が考えることは同じであります。 
会館のなかで選挙活動をすることは、まったく問題ありません。 あきれた認識です。 あきらかに政府が宗教を監視していこうとする行為であり、実行していれば ” 憲法違反 ” はまちがいなかったでしょう。 いわゆる人権擁護の市民運動家と自称する政治家の、これが本性であります。
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2013-07-03(Wed)
わたしは、日蓮大聖人の信仰をしていますが、政治活動に関与してゆくことは、基本的な義務であり権利であると思っています。 同じ志しの人と連帯し、運動もしてゆきます。 
これは市民としてあたりまえのことなのですが、それが ” 政教一致 ” だと非難をする人がいます。 しかし、それは、あきらかにわたしの基本的人権を脅かすものであり、信仰する人の選挙権剥奪や立候補の禁止が民主主義政治の基本的条件だとすれば、それはもう民主主義とは言えないでしょう。 
” 政教一致 ” というのは、政府が、ある宗教団体を禁止したり、国民に特定の信仰を義務化する法律を作ることであります。 また、宗教活動の運営資金を国家予算に組み込んだり、宗教活動を政府が支え援助することなどがあたります。 ところが、公明党が掲げている政策のどこにも ” 政教一致 ” を目指す内容はありません。 それでも ” 政教一致 ” だというのは、信仰を持つ人やその組織は、とにかく政治に関わってはいけないということであり、その声の心理の奥には信仰者への不信や差別が見てとれます。 人種差別と基本的には変わらないものです。 ” おまえは、たしかに誠実で、頭もよい、そして正しい考えも持っているが、黒人だから、このバスには乗るな。 ” と言っているようなものです。 

生活改善・福祉の充実・医療改革・防災減災・再生エネルギー・基盤産業の育成・農林業の再生・憲法擁護・国連改革・核兵器廃絶・・・・・・などなど、信仰する人、しない人に、あるいは宗教に関係なく関わってくることです。 これらは、声を上げるだけでなく、政治の世界に切り込んでいかなければ実現は難しいことがらであり、最も効果的な手段は、同じ理念・政策を持ち、信頼できる人を議会に送り込むか、自分が乗り込むことです。
公明党は宗教活動を政治に持ち込もうとしているのではなく、純粋に政治活動をするためにあるのです。 イデオロギーの相克で苦しんできた庶民の中から、公明党は生まれてきました。 わたしは、そのような庶民の意思を封じ込めようとする働きには、断固反対してまいります。 

個人は良いが、組織はだめだという人もいますが、結社の自由を理解していない発言ではないでしょうか。 公明党は創価が支持母体ではありますが、創価だけが支持団体ではありません。 他の団体の支持を拒んでいるわけではありませんから、公明党の綱領に賛同するならば、多方面から支持していただくのがよいのではないでしょうか。 そして「 大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく 」真の国民政党になってもらいたいと願っています。
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2013-07-02(Tue)
公明党が政権を取ったら、まず、宗教法人法を改正して、他の宗教団体を締め上げる。 さらに、国民に創価の信仰を義務づけ、従わないときには、犯罪として罰する。

そんなことが、本当に可能なのでしょうか?

漠然とした不安を持っている人は大勢いると思います。 しかし、公明党が政権を取ることはあっても、そのようなことは起こりえません。 政党の綱領は党の憲法といえるものですが、公明党の綱領にはそんなことは一言も書いてありません。 そもそも、支持母体である創価が、公明党を利用してそのようなことをしょうとは、これっぽっちも思っていないのです。

安心してください。 (^^

創価は戦時中に神道を強要され、従わないために多くの信徒が投獄されました。 当時の会長、牧口先生は獄死しています。 また鎌倉時代、日蓮大聖人に帰依した農民信徒が、念仏の坊主の讒言によって、ときの権力者に捕縛されました。 拷問をされながら念仏を強要され、それでも従わなかったために、首を刎ねられ殉教しています。 信仰は強要されても、できるものではありません。 そのことは創価がいちばんよく知っています。 強要して、信仰させることができる、と考える人がいるとすれば、その人は、あまりにも信仰というものを知らない人です。
公明党の支持母体である創価は、日蓮大聖人の仏法を広めるための宗教団体でありますが、その手段はあくまでも言論によるものであります。 人間対人間の草の根の運動です。 釈迦や日蓮大聖人と同じように、対話によって一人一人に信仰の種を植えているのです。 広める目的は、個人の幸せと社会の平和と繁栄にあります。 しかし、形だけの信仰・勢力の拡大ではなんの役にもたちません。 形だけの信仰で、人間革命・宿命転換はとてもできるものではありません。 ” 心こそ大切なれ ” があらゆる信仰の真髄ではないでしょうか。 それが創価の哲学であります。
Category : 反 証 Comment : (0) |
2013-07-01(Mon)
昨日の6月30日は学生部結成56周年でした。

わたしにとって、学生部は思い出深いところです。

高等部の時に、縦線の先輩(学生部)に連れられて、学生部総会に参加したのが第11回学生部総会でしたし、新学同の結成大会にはタオルの上にヘルメットをかぶって参加しました。 なぜ高等部が?とお思いでしょうが、その当時には活動する学生も少なく、学生部に来てほしいとの期待も込めて、準学生部員として連れていってくれたのかもしれません。 高等部も学生部も男子部の所属部隊がメインの組織でしたから、同じ部隊で一緒に活動しているため、まったく違和感なくついてゆきました。 じきに縦線組織は無くなり、わたしは高校卒業して就職してしまいましたから、申し訳ないことをしました。

しかし、縁とでもいうのでしょうか、やがて大学に進み、わたしが学生部を卒業する頃、この先輩とまた出会うことになります。 そして、あっという間に面接に呼ばれ就職が決まってしまいます。 オイルショックのときで、就職先が全くないときでした。 

そんなことを思い出しながら、「 原野に挑む 」 を久々に聞きました。 男子部の愛唱歌なのですが、学生部の頃によくこの歌を歌いました。 


・ 原野に挑む
                  作詞:外松 登
                  作曲:杉野泰彦

汗にまみれて進む身の
無名無冠に誇りあり
願い求めし
願い求めし栄光の
人の正義の求道みちなれば
あふる歓喜をだれが知る

今日もいばらの道拓く
明日も苦難の風ぞ吹け
心定めし
心定めし師子の子は
ひとり原野に挑み立つ
熱き生命をだれが知る

時代ときの流れに世は移り
友も半ばに倒るとも
誓い忘るか
誓い忘るか革命の
理想ゆめに生きるぞ我はゆく
民衆たみの涙をだれが知る

誓い忘るか
誓い忘るか革命の
理想ゆめに生きるぞ我はゆく
民衆たみの涙をだれが~だれが知る
Category : 記念日 Comment : (2) |

No title * by 前川ネギ之介
「新学同」で検索していたら、このブログにたどり着きました。
1969年(昭和44年)10月に、新学同の結成大会があったんですね・・・。
参加者7万5千人、すごい集いだったんですね。
その時僕は確か中学生で、何だかこのことで大人の仲間入りができたような感じがしたものでした。
そうそう、口元はタオルで覆い、ヘルメットを頭からかぶった姿でしたね・・・。
大きな歴史の一コマに参加できたこと・・・、誘ってくれた学生部の先輩に感謝です・・・。

ところで、この「原野に挑む」の作詞者・外松(とまつ)登さんは、練馬区にいた頃同じ組織で、お会いしたことがあったと思います。
いろいろ懐かしいことに、出会えるブログでした・・・。

No title * by yuyakeci
前川さん、返事が遅れごめんなさい。
あの場に一緒にいたんですね。
会っていたかもしれませんね。
外松さんは、学生部人材グループ ”飛翔会 ”の初代委員長で、その愛唱歌 「 先駆の誓い 」 の作詞もされています。 聖教新聞に入社されて記者となり、その人知れぬ功績を、池田先生は ” 広宣流布のために働いた執筆は、見事であった。 ” と讃えておられます。

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