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2012-07-31(Tue)
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(写真:2012年7月31日付聖教新聞 ミラノ郊外)

7月の19日から22日まで、「 第10回欧州教学研修会 」 が行われました。

日蓮大聖人の御書 「 可延常業書 」 、 「 日如御前御返事 」 、 「 撰時抄 」 の3篇を研鑽。

・ 「 病気は一生成仏の道を確立する転機となる 」
・ 「 御本尊の偉大な仏力・法力は、地涌の菩薩の信力・行力によってあらわれる 」
・ 「 全ては信心の一念の変革から起こる、広宣流布の大潮流も、一人の人間革命が根本である 」

などを中心に、信心の要諦を学んでいました。 この夏には、この研修会をスタートとして、様々な研修会が開催され、欧州各国のメンバー1万人が参加する予定となっています。 そのほかにも、欧州各地では、創価の草創期に行われていた、「 一般講義 」 が行われていることも聖教新聞には紹介されておりました。 ” いよいよ、新時代到来だな ” との感がいたします。

欧州は池田SGI会長の初訪問から50年が経ち、10万人の平和の陣列を擁するまでになりました。 かつて戸田先生は、国に10万の青年が立ち上がれば、苦悩の民衆を救うことが出来る、と断言されていました。 時あたかも、欧州危機が叫ばれている今この時期に、欧州10万という陣容は、たいへん意義のあることのように、わたしには思えてなりません。

信心していない人が 「 もっと早く信心していれば良かった 」 という時代に必ずなるでしょう。 御本仏である日蓮大聖人がそう仰っているのです。
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2012-07-29(Sun)
この曲は、アンドレ・リュウ氏のオリジナルの曲です。

「 Life Is Beautiful  」 なんと、いい言葉でしょう。
人生は美しく、素晴しいものなのです。

喜び、悲しみ、せつなさ、苦しみ、恐れ、希望が七色の虹となって、人生の豊かさを飾ります。 どこかに、浄土など、ありはしません。 天国も同じです。 ” どこかに ” と思っている間、人生は素晴しいものになりえないでしょう。 人生を素晴しいものとするのは、自分であります。 自分しかいない。 この地球が、社会(人々)が、いま居るところが、素晴しい人生の舞台であります。

地球をよく見てみてください。 なんと美しい星でしょう。
人々をよく見渡してください。 なんと麗しい連帯でしょう。

そのことに気づけば、 
人生は素晴しいものとなるに違いありません。

・ Life Is Beautiful
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2012-07-28(Sat)
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(写真:by mackentosh 翼を広げて)

人はなかなか、生命の永遠と因果倶時を信じることが出来ないようです。

このことを深く考え信じることができれば、人生において何が尊く、価値のあることなのか、自然と明らかになります。 人生における苦悩や、苦難は幸福の種だと解るようになります。

池田SGI会長は 「 苦難に遭うことが不幸なのではない、苦難に負けることが不幸なのだ 」 と仰っていますが、わたしも、そう思います。 また、幸・不幸は人間の境涯により決まるもので、現象だけで決まるものではないと、わたしは思っています。 いつまでも、毀誉褒貶にとらわれていれば迷いが深まるだけです。

前に進めば空気を感じます。 風は体を押し戻そうとします。 その逆らいが大空を飛ぶ秘訣であることを、人は知ります。 そして人は大空を飛ぶことができるようになりました。

仏は今世の迷いは ” 夢 ” であり、悟りは ” うつつ ” だと言っています。 迷いから覚めてみれば仏だとゆうのです。

人は大空を自由自在に飛ぶことができるのです。
大きく大きく、翼を広げて、風を抱えて、高く高く上がりましょう。
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2012-07-27(Fri)
ビートルズの最高傑作。(とわたしは思っています)

語りたいことはあるんですが、
今日は仕事が遅くまであり、またの機会にいたします。

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ All You Need is Love
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2012-07-25(Wed)
わたしは、30代後半になって、はじめて、鯛に鯛と同じ形をした骨があることを知りました。 居酒屋で会社の先輩が鯛のお頭からそれを出して見せてくれたのです。 はじめてそれを見たときは、感心するやら、驚くやら、不思議な思いを抱いたのを覚えています。 先輩達と別れ、ほろ酔い気分で帰る途中に、鯛の骨のこと思い返していて、 ” はて、かすかに、人にも人の形をした骨があることを聞いたような気がする ” と気がつきます。 帰宅してからいろいろな書物を探りました。 当時はインターネットも今とは雲泥で、いろいろと調べたのですが、結局その夜は判りませんでした。

そこで、しばらくしてから、座談会の終了後に、聡明そうな、ある壮年部の人をつかまえて尋ねてみました。 すると、 ” 不思議だけれど、人にもあるよ ” と教えてくれたのでした。 人が死んでから火葬にすると、それが出てくるとゆうのです。 そのときは、喉仏のところだと聞いたような気がしましたが、何年かたって、具体的にどんなものなのか、インターネットで調べてみると、この壮年部の人の話とは若干ちがうことが判りました。 なにが違うのか、それは喉仏そのものではなく、その奥にある首の骨でした。

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第二頚椎(喉仏の奥)

どうです。人が足を組んで、手を合わせて座っているように見えませんか? ” 鯛の鯛 ” ならぬ ” 人の人 ” ですよね。 よりにもよって、座って手を合わせているなんて。 人が声を出す後ろのところが、祈る人の形になっているとは、不思議です。 地について礼拝する不軽菩薩の姿がわたしたちの体にあるとゆうのは、偶然ではないような気がいたします 。
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2012-07-24(Tue)
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* 順風満帆に生きて、苦労もせずに、成功を収めた人などいません。 失敗も、挫折もなく、人生の勝利者になった人もいません。 泣く思いで苦労に耐え、何度も絶望の淵に立ちながら、粘り強く、前へ、前へと進んでいった人が、人生の勝利者になっているんです。
 たとえ、失敗や敗北はあっても、絶対に腐ってはならない。 いじけて、自らを卑しめることこそが敗北なんです。 忍耐強い人が、最後に勝つ人なんです。 その粘り強さを身につけていくための唱題であり、仏道修行であることを忘れないでください。
 人生の勝利の栄冠は、信心を根本に、執念に執念を尽くし、粘って粘って粘り抜き、自分の決めた道を歩んでいった人の頭上に輝くことを宣言しておきます。

< 新・人間革命 厚田32 >より


この言葉は、創価の信心をしている中学生・高校生の男女に対して話された、池田SGI会長の言葉であります。 成長する途上の子供達に話している内容なので、唱題については、さらっと触れているだけですが、信心の肝要がしっかりと示されています。
創価は、信心だけしていれば、それで幸せになれるとは、言っていません。 信心があれば、病気にもならないとも言っていません。 馬鹿げた話ですが、台風や災害にも事故にも遭わないなどとも言っていないのです。 しかし、信心していない人は、創価がそのように言っていると思っています。 そのために、信心してる人が病気になったり、苦境にみまわれたりすると、それみたことかというように嘲笑し、創価を非難します。 信心してるひとでさえ、気が弱くなったり、卑下したり、信心を疑うことさえあります。
このような反応は、根本的に創価の信心を勘違いしているところからおこります。 池田SGI会長の言葉はそれを如実に知らしめていると思います。 信心はどのような苦難、苦境にも負けない、自分自身を作り上げる力なのです。 努力し行動する原動力となるものなのです。 探究心や智慧が湧いてくる源泉となるものです。  ” 鬼に金棒 ” ということわざがありますが、信心はこの金棒のようなものなのです。
Category : 信 心 Comment : (5) |

No title * by SHIn
私も信心11年目になりおすがり信仰、魔法信仰のような捉え方ではなく道理にもとずいた祈りがわずかばかりではありますができてきてるように感じます。まさに信心は仏界は苦境に負けない自分を作り上げていくものなんだ!と愚直なまでに学会員宣言をし対話のチャンスがあれば学会の正義を語り公明党の実績を語っていく中で感じております。私は心の病を持っているので精神障がいを開示しながらの学会員宣言は私なりの人権闘争でもあります。佐渡御書の一節を握りしめ師匠が日々指導し実践し抜いている“勇気ある対話”に挑んで参ります!

No title * by 気分屋
いつもアドバイス有り難うございます。 僕は勘違い信心に悩んだままです。 頭では解ってますが、やはり家族が反対の中、ただ一人信心を貫いてこられた方が人生の最終章で重い病になったり、広布に尽くしてきた方が、経済的にどん底になると、やりきれない気持ちになってしまいます。 他宗教も言っている事は、似てて、真実の宗教の証明は、実際に幸せになれたか否かと思います。心で感じる幸せも確かにありますが、やはり信心されてない人は、目の前の姿で判断します。 夕焼け様、長々すいません。信心頑張ってる人が最期まで苦戦し、 信心している人を馬鹿にしている人が、健康で経済的に恵まれているのが、やりきれないだけなんです。

No title * by 夕焼け
気分屋さん、こんばんわ。

創価を馬鹿にし、信心を蔑む人がどのように思おうが、いいではないですか。

創価を馬鹿にし、信心を蔑む人の生き方が良いと思うなら、その人についていくことです。 創価を馬鹿にし、信心を蔑む人が、親身になり、幸せを願い、心配してくれるというなら、その人の言うとおりの生き方をしてみてもいいでしょう。 人のことはとやかくいっても、 ” 自分の言うとおりにしてついてくれば、必ず幸せになれる ” と、言い切る人がその中にいるでしょうか。 言うだけでなく、共に歩んでくれるでしょうか。 

日蓮大聖人は、世間からも権力者からも、日本中から馬鹿にされ、憎まれました。 その弟子である創価が、わたしたちが、馬鹿にされるのは当たり前です。 釈迦もさんざん馬鹿にされました。 プラトンも、キリストも、ガリレオも、シューリマンも、・・・・・。 馬鹿にしたり、蔑む人が、すばらしい人間だったでしょうか。 いいえ、違います。 馬鹿にされ、蔑まされた人のほうが立派な生き方をしています。 立派な人や、成功した人は、多かれ少なかれ、世間から馬鹿にされ、軽んじられたことがあるのです。 

題目があがっていないから、生命力が弱いから、まわりの目や言葉を気にするのです。 わたしが、そうでした。 いつまでも、びくびくしながら信心していては、損です。 何十年たっても、信心の確信を掴むことはできません。 信心していても、疑い、愚痴ばかりでは、功徳もありません。 わたしは、多くの人を見てきました。 残念ながら、仏法は厳しいものです。 信力・行力がなければ仏力・法力はありません。

つづく

No title * by 夕焼け
SHinさん、おひさしぶりです。
頑張っている様子。 とてもうれしいです。

わたしにも、いろいろと悩みがありました。 唱題していて、もうこれ以上は駄目だという状況や思いも体験しました。 しかし、そんなときでも、辛いから泣きながら、問題に向かっていきました。 すると、そのぎりぎりのようなところで、パッと開けるのです。 状況も境涯も不思議と変わります。 題目の力は物凄いんです。 引き下がったら、負けです。

ところで、最近NHKで、うつ病が心の病である場合と脳の病である場合の2つがあることを取り上げていました。 治療法が違うそうです。 うつ病と言われ薬を飲み続けても、一進一退で効果がない人は、一度検査を受けてみると良いと番組で紹介されていました。 最近発見された、脳波の検査のようです。 まだ、この検査は一部の病院でしか、行われていないそうです。

プチ情報です。

No title * by 夕焼け
気分屋さん、おはようございます。

つづき

人の業は様々であります。 一律ではありません。 そのため、人にはいろいろな人生があります。 
いろいろあっても、信心によって、いい方向に向かうことは確かなのです。 病気したから、死んだから悪い方向にいっているとは限りません。 信心があれば、全部意味のある病気であり、死となっていくのです。  何かに直面しても、そういう信心をしていくことがとても大事です。 病気に負けて死んでいく生き方もできます。 勝って死んでいく生き方もできます。 永遠の生命からみたら、後者の生き方がすばらしいことなのだと判ります。 
7月26日の聖教新聞の体験談や大百蓮華の 「 本門の陣列は立つ 」 に出てくる婦人部の方の死に関する記事や7月・8月の 「 あしおと 」 の体験談を読んでみてください。 うわべだけの見方しかしない浅薄な批判など、わたしには取るに足らないものです。 廻りのことで紛動するより、自身の信心を見つめ、このままでいいのか、信心してるといえるのか、よく考えてみてください。 信を立てて、勤行・唱題し、難と戦い、仏法対話を、どこまでもまじめに実行していて、勝利しないわけがありません。
そうしないで、 ” 信心しても幸せになれなかった ” と悔やんでも、それは日蓮大聖人もどうすることもできないでしょう。

2012-07-23(Mon)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られております。


【 本文 】 四条金吾殿御返事 (1121P) 
『 法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり、然れば日蓮賎身なれども教主釈尊の勅宣を頂戴して此の国に来れり、 』

【 通解 】 
法華経を一字一句でも唱え、また人にも語っていく人は、教主釈尊のお使いである。 そうだとすれば、日蓮は賎しい身ではあるが、法王の教主釈尊から勅命をいただいて、この国に生まれてきたのである。

【 指導 】
皆さまは、久遠からの誓いをもって、みずから望んで、それぞれの国に生まれてこられた尊い仏の使いであられる。 どうか、それぞれの国を、楽しい平和な国土へ変えゆく、尊き使命に生きぬいていただきたい。
なかには 「 自分の国は、まだまだ、これからだ 」 と悩む人もいるかもしれない。 しかし、決してあせる必要はない。 あせってはならない。 広宣流布は万年の建設である。 「 万年 」 は 「 永遠の未来 」 の象徴ともいえる。 皆さまは、この間、繰り返し生まれてきては、広布のために戦うであろう使命の人である。 今はその壮大な未来のための土台をつくっているのである。 ゆえに大切なのは、お一人お一人が成長し、幸福になり、信頼を勝ちとることである。

< 御書とその心 >より


この日蓮大聖人のお言葉は、御自身のことを仰っていますが、それはそのまま、わたしたちであります。 御本仏の使いとして 「 繰り返し生まれてきては、広布のために戦う 」 のが、わたしたちの使命なのです。 広宣流布は弟子の戦いです。
病気であろうが、貧乏であろうが、悩みがあろうが、一歩一歩成長してゆくため、境涯を開いてゆくための病気であり、貧乏であり、悩みなのです。 広宣流布のために唱題し、語ってゆくならば、必ず久遠本来の姿を顕してゆくことができるのです。
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2012-07-22(Sun)
わたしは、井上 陽水さんの曲がすきです。 どうしてでしょうか? 
正直わたしにもわかりません。 (^ ^  とにかく好きです。

わたしは、音楽を聴くとき、詩の意味より、言葉と曲の旋律やリズム、音色のほうを感じてしまいます。 この歌は題名にあるように別れの歌ですが、曲自体はとてもそのようには感じません。 夏の高原にいるようなイメージがひろがります。

別れといっても、いろいろとあるのでしょうか。

・ 5月の別れ
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2012-07-21(Sat)
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実は、わたしは、仕事を続けています。 本格的に広宣流布に身を尽くしたいと、動き始めたら、仕事に駆り出されてしまいました。 これは ” 魔 ” でしょうか?  仕事の内容も気に入っていますし、待遇も文句のつけようがありません。 ” 魔 ” はいろいろな形で忍び寄るものだと感じます。 これも、かつて仕事を中心に過ごして、広宣流布の活動を二の次にしてしまったことの、乗越えなければいけなかった課題を、今また、突きつけられているのかもしれません。

仕事に戻り、廻りを眺めたとき、仕事に誇りと名誉をかけて頑張る姿には、まぶしさを感じました。 みんな偉いな、とも思いました。 しかし、何に誇りと名誉をかけて頑張るのか、わたしには、その価値の絶対値が、以前より遥かに明確に見て取れるようになっていたのです。 それは、社会(人々)のなかで、社会(人々)と共に、広宣流布に生きてゆくという価値の絶対値です。 日蓮大聖人の御書にもあるように、人はいろいろなことに身を賭して死んでゆきます。 同じ死なら、仏法を持って、社会(人々)のために生きて、死んでゆくことを選びたいとゆうことです。

今回、わたしは仕事をしながらも、広宣流布の活動もして、このブログも更新して、やるべきことをやろうと決意しました。 完璧にこなすことは難しいでしょうが、努力は総てに注いでいこうと思います。 そう決意し、動き始めたら、わたしの脳と体がフル回転し始めました。 力が湧いてきました。 ” 魔 ”と云うのは、宿命転換のキューピットなのかもしれません。
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2012-07-19(Thu)
今日の女子部結成20周年を祝し、池田SGI会長からメッセージが贈られました。 その中に、戸田第2代会長の次の指導が紹介されています。


* 学会精神とは、一人一人を大切にする心だ。

< 聖教新聞 > より


この ” 一人一人を大切にする心 ” これはとても大事です。  これがなければ、創価は創価とはいえません。 日蓮大聖人の御遺命である広宣流布も出来ないでしょう。 戸田先生が言われた ” 一人一人 ” とは、信心してる人も、してない人も含めた ” 一人一人 ” のことです。  この ” 一人一人を大切にする心 ” というのは仏の心とまったく同じです。 仏と同じ心ならば、その身も仏と同じになるでしょう。  仏と同じ心、振舞いに起つとき、人は仏に成ることが出来るのです。 

仏だからできる。 仏に成ったからそうするのではありません。 そうするから仏に成るのです。 南無妙法蓮華経とはそうゆう意味であり、仏法はあくまでも因果倶時であります。
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2012-07-18(Wed)
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(写真:2012年7月18日付聖教新聞  ミラノ市内)

今日の聖教新聞に 「 世界広布のフロンティア 」 と題して、イタリアのメンバーの近況が伝えられています。

写真は、ミラノにある、ベンティクアットロ・マッジョ支部の同志達です。 表情が明るく輝いていますね。
イタリアでも座談会を軸に、仏法対話が活発に行われている様子です。 特に青年層の友人の参加が多く見受けられ、メンバーの体験談に感動して信仰にチャレンジする人が増えているようです。 創価の書籍も翻訳したものが充実してきており、日蓮大聖人の御書や小説・人間革命を学び、信心を深めていくメンバーの姿は、日本の創価と変わりがありません。 社会に実証を示しながら、創価の精神を吸収して、広宣流布の最前線で活躍する様子が伝わってまいります。

海外の人たちは、 「 自分の人生を開く鍵は、自分自身の生命の内にある 」  という創価の仏法哲理に新鮮な感動を覚えるようです。 そして、自身の内から変わる心の変化や行動に、実証が目に見えて現れ、信仰の確信を掴んでいます。 このような、メンバーの様子は、創価の草創期とよく似ています。 日本の創価が発展したように、座談会を中心にして弘教発展してゆくことは間違いないでしょう。
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2012-07-17(Tue)
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日蓮大聖人の信仰と他の宗教の根源的な違いはなんでしょう?

それは、信じる人を幸せにしてゆく確かな力があるか、無いかの違いです。

正しく実践してゆくならば、 「 苦しいことや辛いこともあったけど、信心してきて本当に良かった 」 と心の底から実感できるのです。 

心だけでなく、廻りの環境や自身の生活がガラッと良くなってゆく現実があるから、世界中の人が、今、信心してゆくのです。 難解な仏教哲学を理解していなくても、やれば判るからです。 このことは、どんな宗教も敵わない。

これがわたしの偽らざる心情であり、確信であります。
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No title * by ア イ ス コ ー ヒ ー
夕 焼 け さ ん 、 お 久 し 振 り で す 。 お 仕 事 で 、 暫 く ブ ロ グ の 更 新 が お や す み と か で し た が 、 今 日、 ひ ら い て み た ら 新 し く 更 新 さ れ て い た の で 何 度 も 、 何 度 も 読 み 返 し ま し た 。 と こ ろ で 私 は 最 近 の 公 明 党 が 進 め て い る 方 向 に 疑 問 を 感 じ て し ま う の で す が、 夕 焼 け さ ん の ア ド バ イ ス が あ れ ば 嬉 し い で す ね 。 私 の 今 現 在 の 情 報 元 は ネ ッ ト か ら の ニ ュ ー ス 、 や 様 々 な ブ ロ グか ら で す 。

No title * by 夕焼け
アイスコーヒーさん、おはようございます。

公明党がおかしいと思うことがあれば、どんどん公明党の議員に話したらどうでしょう。 わたしは知ってる議員に話します。 政治は民衆の声を聞いて反映させるのが仕事ですから、わたし達は、声を出さなければいけないと思います。 

今は、時間がありませんので、またコメントいたします。 

No title * by 夕焼け
アイスコーヒーさん、おはようございます。

昨日の続きです。

公明党の方向性がおかしいかどうかは、具体的に解りませんが、わたしは、政治は見ているだけでなく、参加するものだと思っています。 参加する方法には選挙がありますが、日本の選挙の実情ははAKB48の総選挙に似て、品評会のようなものではないでしょうか。 好きか嫌いか、自分の損得で選ぶ傾向が強いと思っています。 さらに、マスコミの論調や風聞に強く影響されています。 前回の民主党の一人勝ちはマスコミの論調と甘味のあるマニフェストに、うまく誘導され踊らされた結果といってもよいでしょう。 当時の公明党の選挙用パンフレットに、民主党のマニフェストの一つ一つについて、その矛盾と誤りとウソを指摘したものがありますが、いま、その指摘のとうりになっています。 情報は鵜呑みにしないで、自分の目と足で確かめた事実の収集を基に、いろいろな意見を探して考える必要があります。

政治への参加は、直接政治に携われない制度の中では、議員や政策をを選ぶことが第一行動となりますが、選ぶだけでなく、議員と対話し、政策に携わることが大切だと思っています。 対話から問題の実情や課題を知り、進むべき方向性、政策の中身を考え、自身の考えを、政策に反映させていく行動も必要です。 昔のような封建社会ではなく、今は民主主義社会ですから、わたしたちが提案し議員と議論しながら実行してもらう、声を出して政党を動かしていくのが、本来の議会制民主主義なのではないでしょうか。

つづく

No title * by 夕焼け
つづき

政治は理想を軸に、現実の改革、対策を図るものですが、ベストではなくベターな選択を強いられます。 一つの選択が、一方には不利益となり、かといって、他の選択をとれば、他方の不利益が生まれます。 この判断はむずかいしいものです。 最後は議員や政党の見識・智慧・勇気に委ねられますが、そこにウソと党利党略、利権と保身を介在させて、一方の利権のみを主張していたのが、かつての政治です。 戸田先生は 「 青年は心して政治を監視せよ! 」 と叫ばれた。 公明党を含め、よく見て、声をあげ、政治を正してくことがわたし達の責務だと思います。

わたしは、公明党に厳しく意見もいいますが、公明党を応援する気持ちは変わりません。 公明党が腐敗すれば、わたしたちの手で、新たな公明党を作ることができます。 主体はわたしたちにあります。

こんな考えを、わたしは持っています。

No title * by ア イ ス コ ー ヒ
夕 焼 け さ ん ご 返 事 有 難 う ご ざ い ま す 。 私 は こ れ ま で 公 明 党 を 支 援 し て い ま し た が 、 ど ち ら か と い う と 義 務 的 な 支 援 で し た 。 / 政 治 は 民 の 声 を 聞 い て 反 映 さ せ る の が 仕 事 で す か ら 、 私 達 は 声 を だ さ な け れ ば い け な い と 思 い ま す 。 / 確 か に そ の と う り で し た 。 私 は 今 迄 支 援 す る 議 員 と 議 論 し た こ と は あ り ま せ ん 。 こ れ か ら は 受 け 身 の 支 援 で な く 、 対 話 し 提 言 す る 支 援 を す る よ う に し ま す 。 御 蔭 で き も ち が ス ッ キ リ し ま し た 。

2012-07-14(Sat)
映画 「 タイタニック 」 の主題歌となったセリーヌ・ディオンの歌です。 映画にふさわしく変わらぬ愛の絆を謳いあげています。 とてもいい曲です。

齢はとっても、わたしの心の中には、愛してくれた人、愛する人の心が今もあります。 「 近くにいても 遠く離れていようとも どこにいようとも 」 です。

このような気持ちは、愛だけではありません。

よい休日をお過ごしください。 (^^

・ My Heart Will Go On

・ Titanic
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2012-07-13(Fri)
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罪の償いや業のバランスシートの書き換えは、死んでから次の生で行わなければならない場合があります。 というより、罪が重いほどに次の生で償う事のほうが多いのです。 人が生まれながらに試練や不遇に会い、人間関係に苦しむのは、過去の生に原因があり、今世に解決を迫られているといえるでしょう。 地獄の苦しみを受けるだけでは終わらず、自身を変革するときに伴う困難に直面しながら、乗越えていくことが大事だと知らされているのです。 今、自身に迫られている問題を避けていては、いつまでも悪業の転換はできないのです。 他のせいにしたり、何故なんだと煩悶することより、  ”  今なのだ  ”  と定めて、勇気と忍耐の行動を取ることが必要となるのです。 求められているのです。

業というのは、生命そのものを示すものであり、一念三千に彩られる生命の遺伝子のようなものです。 因果応報の報いを受けても、この遺伝子を正常にすることが出来ないのでは意味がありません。 出来ないと輪廻の道を歩んでゆきます。 この遺伝子を正常にし、活性させる力が南無妙法蓮華経の力なのです。

たとえば、異国の民を、卑下し馬鹿にして差別した人は、死んでから、差別した国の人として生まれかわります。 そして、その人は、今度は前世に自分がしてきたように馬鹿にされ、差別されることになります。 すると、自らの劣等感にさいなまれながら、馬鹿にする国を恨み、その国の民を傷つけようとするかもしれません。 しかし、そのような生き方ではなく、人間としての価値に気づき、前世で苦しめた民を勇気づけ、励ましながら、前世で囚われた自らのエゴイズムを克服してゆく生き方も出来るのです。 さらに、差別する国の民をも啓蒙し、誤りに気づかせることが出来れば、差別された国だけでなく、差別した国も救うことが出来ます。  前者は愚かさと罪を背負う相変わらずの生き方です。 試練が、さらなる憎しみと苦しみを生んでゆきます。 後者は、自己変革の苦しみを伴いながらも、業のバランスシートを書き換えながら、悪から善の業へと転換してゆきます。 二度と罪を犯さない自分自身に成ること、試練を乗越え、ゆるぎない生命の宝を得てこそ、真に償いを完了することが出来るのです。 南無妙法蓮華経を唱えながら、試練と向かいあい、生命を高めてゆく生き方が、人としての最高の生き方なのだという所以が、ここにあります。

日蓮仏法は、因果応報・運命論の宗教ではありません。 試練のなかで、不幸と悲惨の原因となった、生命に潜む根本の悪を善に、六道輪廻から成仏へと転換していく因果倶時の宗教なのです。
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2012-07-12(Thu)
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ガンジーは罪の償いを2つ挙げました。 一つは、 「 殺した人の子供を見つけ自分の子供として育てること 」 もう一つは、 「 子供を異教徒として育てること 」 です。  この二つを実現するのはとても大変なことだと思います。 言われた男もそう思ったに違いありません。 男は目を見開いて黙ってしまいました。

一つ目の条件は、自分の子供を殺した異教徒の子供を、親に代わって自分の息子のように愛するとゆうことです。 恨んだ異教徒の子供です。 仕返しにその子供を殺したくなっても、けっして不思議ではありません。 心から愛するためには、親を殺してしまった懺悔の心が無ければできないでしょう。 中途半端な心ではダメです。 悔悟と言ってもそれが本物であることが求められるのです。 二つ目は、同じ人間として、その生命の価値と尊厳を心から認められなければなりません。 異教徒への恨み、偏見、差別が生んでしまった行為ですから、その命を洗い流すことが求められているのです。
男にとっては、二つとも地獄に行くほうがましだと思えるような、逃げ出したくなるような内容です。 それに耐えしのび、自己変革してゆくことができるでしょうか。 しかし、それを乗越えなければ、罪の償いにはならないとガンジーは言っているのです。 このことは、殺した罪の償いとして、同じように殺されて苦しむだけでは、罪を贖うことができないとゆうことを示唆しているのです。 男の犯した罪の償いは、真に悔悟し、人間性を取り戻すために、試練を受けることから始めなければならないのです。 

それは、大事な、とても意味のある試練なのです。
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2012-07-11(Wed)
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仏法には、生命の過去・現在・未来にわたる因果の法則が説かれています。 ” 人は何処から来たり、何処へ行かんとするのか ” ” 今の試練がどのような原因により、どうすればそれを乗越えることが出来るのか ” 仏法の一貫したテーマとなっています。 当然のように現世における原因から、苦悩や試練は生まれます。 しかし、それだけでは理解を超えるものもあるのです。

以前、ガンジーの映画の話をしましたが、その中でガンジーが、恨みに任せて異教徒を殺してしまった男に、地獄に行かないで済む方法を教えていたことを紹介いたしました。 その男は、自分の子供がヒンズー教徒だという理由だけでイスラム教徒に殺され、その復讐で、殺した人と同じイスラム教徒を殺していたのです。 ガンジーはその男に 「 地獄に行かないで済む方法がある。 異教徒の孤児となった子供を見つけだしなさい。 そして、自分の子供として、殺された息子のように育てなさい。 ただし、異教徒の子供、異教徒として育てなければいけない。 」 と語りかけたシーンです。
わたしは、この言葉を聞いてガンジーの人間としての奥深さ、境涯の高さを感じました。 と同時に、このような考えは仏法の生命観と規を一にするものだと思ったのです。 ガンジーはヒンズー教徒です。 ヒンズー教にこのような発想があるかは知りませんが、仏法と同じ捉え方です。 ガンジーは晩年に仏法を学んでいました。 一日の祈りのなかで南無妙法蓮華経を3回唱えていた話は有名ですし、法華経を何度も読んでいたそうです。 たぶん、そういうなかから仏法の因果観を学んだのかもしれません。

一般的には、人を殺せば地獄に堕ちて苦しむ。 あるいは、自分が殺されたり、大事な人を殺される目に遭う。 来世に殺した人に苦しめられるだろう。 と思いがちです。 ようするに因果応報の考え方です。 しかし、そのように単純なことで償うことは出来ないのです。 それだけで、生命に刻まれてしまった悪業は消えないし、真の解決にはならないのです。 報いを受けるだけでは、輪廻して気の遠くなるような長い、遥かな苦しみを重ねる償いの旅路をしなければなりません。 そのような業を積む根本の原因となった生命の転換・心の変革を、報いの中で確立していかなければいけないのです。
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2012-07-10(Tue)
わたしは幼いころ病弱でした。 母には心配の掛けどうしだったと思います。 脱腸・自家中毒・急性胃腸炎・肺炎と、なんらかの病を発症していました。 それでも、中学の頃には体は落ち着き、元気になりましたが、こんどは心から来る体の変調に苦しんでいました。 そんな中、今の信仰と出会い、実践をしてゆくうちに、いつの間にか治ってしまいました。 それからだいぶ経って、50歳を過ぎたころから、いわゆる成人病といわれる病を抱えるようになったのです。 いまでは、肥満・高脂血症・胆のう結石・高血圧・前立腺肥大・不整脈・脂肪肝・腎臓嚢胞と、病のオンパレードです。 幸いにして、いずれもまだ軽く、たいした症状は出ていませんが、死ぬためのメニューが出揃ってきた感じがいたします。 釈迦が出家するきっかけとなる説話に 「 四門遊観 」 がありますが、人は生老病死からはけっして逃れることは出来ないようです。

人は生きていると、なんらかの病に苦しみます。 いわんや老いる前に死につながる病に襲われれば、心の葛藤に苛まれ、奈落の淵に立つ思いに駆られます。 創価の第二代会長である戸田先生や、その弟子である池田先生も、若き日にそのような苦境に遭っています。 また、創価の幹部の中には、不治の病を携えながらも、人々を励まし、希望を贈り、勇気を与えながら生き抜いた人が多くいます。
戸田先生は、若き日に結核にかかり、血を吐きながら、御本尊を揺さぶるようにして、唱題をし抜いて完治させています。 当時では不治の病だったのです。 池田先生も、若き日に結核を抱え、戸田先生の事業の苦境と広宣流布開拓の最前線に起ちながら、病と闘いながら生き抜いてきました。 池田先生の若き日の日記には次のようなところがあります。


* 不思議に、死を予感してならぬ。 これ死魔というべきか。 信心茲に七年。 最大、最高の試練に向かう。 今夜は、とくに苦しく、淋しい。 今、一人の友も無く応援なく、力は刻々と衰えていくようだ。 涙がるいるいと流れる。 ここで死ぬのはいやだ。 若干二十六星霜。 生命の奥底も極めず、人類社会に大利益も与えず、師の恩も返さず、これで死んでいくのはあまりにも残念だ

< 若き日の日記 昭和29年6月8日 > より


文京支部時代の奮闘の陰で、このように病と苦闘していたのです。
人は病と共に生きていくことで成長し、境涯を高めていくことが出来るのです。 日蓮大聖人は 『 浄名経・涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり 』 と仰っています。
  
今、病気や生活で先の見えない状況を抱え、御本尊を信じ、唱題し、仏法対話や活動に頑張っている人で、不安と悲しみに襲われ、くじけそうになっても、どうか御本尊を信じ、歩みを止めずに乗越えてください。 池田先生を初め、多くの同志が乗越えてきた道です。
池田先生は、かつて九州の青年たちに 「  わたしは、戸田先生が苦境にあったとき、公私にわたり支えました。 そのときには、それこそ1日中、歩きながらでも、少しの合間にも題目をあげて、あげぬきました。 あんなにあげぬいたことはありません。 今のわたしがあるのは、あのときに戸田先生のため、広宣流布のために懸命にあげた題目の力なのです。 」 とこぶしを握り締め、大きく両腕を広げて唱題の重要さを訴えていました。
Category : 信 心 Comment : (2) |

No title * by 気分屋
いつも勇気の頂ける内容有り難うございます。

家族や同志の方々が大きな病や事故にあったと聞くと、 とても悔しい想いになります。

この仏法の正しさを何で証明できるのか

自分自身、大きな難にあった時、今の信心の姿勢で闘いきれるのか

最近色々考えすぎて、不安感一杯です。

いつも変な内容で申し訳ないです。

No title * by 夕焼け
気分屋さん。ご無沙汰していました。

だれにでも、不安はあります。
心配しないでも大丈夫ですよ。

地道に一歩を歩んでゆきましょう。
わたしたちの一歩は、確かな道を登る一歩なのです。
山の風景は、登った人にしか見ることが出来ない風景です。
登ってきた道筋を見下ろしたときに、つらい思い出も、
至福の想いとなって胸に湧き上がってくるはずです。

信心は1歩1歩でいいのです。
山は駆け足で登ってもつまらないものです。

2012-07-09(Mon)
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世間では、創価を新興宗教のように思っている人がとても多い。 そう思わされています。 しかし、それはおおいに違います。 日蓮大聖人の信仰を純粋に正しく実践しているのが創価です。

法華経の方便品と寿量品の一部を朝晩に御本尊に読誦し、法華経の真髄である南無妙法蓮華経の唱題を毎日行います。 毎日です。 日蓮大聖人の書かれた御書を読み、仏法の哲理も学んでいます。 そして、不軽菩薩の如く、心無い憎まれ口に耐え忍び、布教に汗を流します。 このように、仏の歩いた道を辿るように修行に勤しむ日常は、今のどの仏教宗派の信徒にも負けないほどであります。 もしかすると、僧侶よりも真面目な修行ぶりといえるかもしれません。 朝晩、自己を見つめ、反省し、変革と転換の願望を抱きながら、現実の試練と対峙し努力する姿には、懸命に生きる人間の凛とした輝きを見出すことができます。 

創価の信仰は、このような実践が基本であり、また、総てと言っても過言ではありません。 聖教新聞を何部も購読していた、タダで配っている、選挙の支援を頼みに来た、ということで、 ” 強信者 ” と思い込まないでください。 形式だけで、名のみあり実質の伴わないことは社会にもありますが、創価とて同じです。 信仰の基本を、地道に真面目に実践する人が創価の正しい会員だと思ってください。 とはいえ、かかさず実践できない人は創価の会員では無いとは言えません。 道を究めようと集まる組織では、集まる人に、初段から上段までの状態があるように、創価においても ” 信 ” と ” 行 ” と ” 学 ”のそれぞれの状態があることは当然です。 人は一人では生きてゆけないように、信仰においても、励ましあい、助け合って行く必要があります。 それが、創価家族の連帯となっているのです。

今日は、座談会がありました。
いいですね人と人の、前向きな言葉と希望に満ちた会話は。 
元気と勇気が湧いてきます。
Category : 創 価 Comment : (0) |
2012-07-07(Sat)
今日は七夕ですね。
東京は残念ながら、雲が広がり天の川は見えません。

人間は太古の昔から銀河の星ぼしを眺めて、いろいろな想いを馳せていたに違いありません。 夢は希望であり、願いは意志の表れでもあります。 人間だけが持つ心の原点を大切にしたいと思います。 

今夜は、ウォルト・デイズニーのアニメーション映画 「 ピノキオ 」 の主題歌となった 「 星に願いを 」 を聞きながら、見えない星ぼしに、誰にも言えない秘密の願いを語りかけることにしましょう。

・ 星に願いを



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2012-07-06(Fri)
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(写真:YouTube 石狩市@緑広がる墓地公園


久しぶりなので、井戸端的な感じで書かせていただきます。

最近の新・人間革命に厚田墓園(戸田記念墓地公園)の初代所長となった伊藤(仮名)さんのことが紹介されておりましたが、わたしは、若き日に開設まもない厚田墓園を訪れた際、この方にお会いしています。 この章を読んで、この方に園内を案内していただきながら、芝生に座って何人かで懇談したときのことを思い出しました。
当時、わたしから見ればだいぶ年配でしたが、物腰がやわらかく、丁寧に応対をしてくださって、微笑むような眼差しが、とても印象的であったことを覚えています。 園内を見てから、休憩のために広場の芝生の上に座って皆で懇談していたとき、信心の話をしていたわけではないのですが、わたしの斜め前に座っていた所長が、優しく見つめながら、わたしの膝の上に手を置いて、何度か軽く叩いて、 ” よく来たね ” ” 大丈夫、池田先生のもとで、この信心を貫いてゆけば間違いないよ ” と言って微笑んでくれたことが思い出されます。 当時のわたしは、仕事に追われて痩せて白い顔をしていましたから、思わず励ましたくなったのでしょうか。 それとも、若き青年を見てどうしても伝えておきたかったのでしょうか。 信心の年輪を重ねて、風雪を乗り越えてきた奥深かさと、春を迎えたような福徳に満ちた境涯を感じさせる方でした。

ほんとうに一期一会の出会いでありました。 もう亡くなられているでしょうが、わたしは、同じような年齢になったときに、はたしてあのような境涯と人格を持ちえることができるでしょうか。 信心は地道な積み重ねと、試練を乗り越える歴史を刻んでいくことが、とても大事なのだと、今更ながらに思います。
Category : 日 記 Comment : (0) |
2012-07-03(Tue)
童謡 「 月の沙漠 」 は、なんともロマンチックな歌です。
聞いていると、いろいろな想いが浮かんできます。
中国の二胡の演奏で聞くと、さらに異国の情緒が感じられてなりません。

ひさしぶりですので、記事はまたにして、
今日はこの曲をお楽しみください。 (^ ^

・ 月の沙漠
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