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2012-05-25(Fri)
わたしは、山口百恵さんの歌に興味が持てませんでしたが、 「 いい日旅立ち 」 とこの歌だけは気に入っています。

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ おだやかな構図
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2012-05-23(Wed)
わたしは、長らくこの問題を考えてきて、結論を出せずにいました。 しかし最近、今で言う ” 僧 ” の存在を否定するにいたる確信が生まれ、記事にすることにしました。 正確には、否定というよりも、 ” 僧 ” とは ” 仏の道を歩む者達なのだ ” と、気づかされたのです。

” 僧 ” のことなど、宗門問題が起きるまでは深く考えたこともありませんでした。 儀典の決まりごとのような存在とでも言うのでしょうか、あたりまえの存在として認識していたのです。 ところが突然の破門で、 ” 僧ってなんだろう ” と考えるようになったのです。 さらに、創価は、宗門に御本尊下付をお願いしていましたから、 ” 御本尊とは ” ということにも向き合うようになりました。
宗門の必要性の可否を考えるとき、この2つのことが深く関わってきます。 出家者を否定できても御本尊書写をどうするか、このことを明確にしなければ、宗門を無くすことはできません。 それも、日蓮大聖人の意志に違わないようにすることが必要不可欠な要件となってきます。 創価は、破門を受けても、広宣流布の戦いをやめる訳にはいきません。 今は緊急避難的に、第二十六世日寛上人の書写による御形木御本尊を頂いていますが、将来は、どうすればよいのでしょうか。 日蓮大聖人の如き聖人による書写が必要なのでしょうか。 聖人の仮面を被った人間による書写が許されるのでしょうか。 この問題は、わたしの中ではまだ結論が出ていません。 でも、そう遠くない時期に結論が出るような気がしています。 そのときには、記事にしたいと思っています。
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2012-05-19(Sat)
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今日、池田文庫開設15周年記念の展示会を見に行きました。

この展示会は前にも何回か行われていましたが、機会を逸して見ることができずにいたもので、最近、聖教新聞に開催の記事が載り、早速、創価大学に出かけてきました。 四月の桜花も綺麗でしたが、新緑もみごとです。 初夏を感じさせるような日差しを受けながら、とても爽やかな一日を過ごさせていただきました。 帰りには、近くのスーパー銭湯にも寄り、久しぶりにのんびりしました。 (^ ^

池田文庫は、創価大学中央図書館(写真)の書蔵庫にあり、大学関係者以外の入庫は制限されています。 今回、池田文庫(約7万冊)の内のごく一部が、中央図書館1階で開設15週年を記念して公開されています。 この文庫は、池田SGI会長が若き日から学び、愛読してきた書籍を、自ら創立した創価大学に寄贈して作られたものです。 寄贈に先立つ、平成5年(1993年)7月の第22回創価大学滝山祭記念フェスティバルにおいて、池田SGI会長は、『 15歳のときから集めた本が約7万冊にのぼっている。全てを読めたわけではない、お金のないときも、本だけは我が子のように大切にしてきた。 それらの中には、戦時中、防空壕に入れて守ったため、かなり痛んでいるものもある。 その7万冊の本を創価大学に寄贈したい。 1冊1冊の本が、私にとって多くの思い出が込められている。 どうか、読書と研鑽に役立てていただければと思う。 』 と述べ、書籍の寄贈の意向を示し、その後4年間の整理期間を経て平成9年(1997年)5月8日に開設されました。

今回展示されていた書籍には、池田SGI会長が、若き日に、「 戸田大学 」ともいえる第二代戸田会長の私塾で、教科書として学んでいた本や、日本および海外の著名人から贈られた貴重な本がありました。 わたしが読んだ事のある本もありましたが、ほとんどが読んだことが無いものでした。
図書館には 「 読書は 黄金の輝き、読書は 勝利者の源泉、読書は 幸福の伴侶なり、読書は 偉人への道、良書を読め 悪書を叩け、それが正義の人なり 」 と、図書館の指針が掲げられていましたが、わたしのように、本を買っても、積読(つんどく)ではいけませんよね。 ブログを始めてから、ボキャブラリーの乏しさに苦労していますが、読書の乏しさが原因だと痛感しています。
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2012-05-18(Fri)
創価の歴史の中に、宗教法人としての職員が、信心組織の中枢を占めるようになってきました。 この傾向を、わたしは注意深く見つめています。 組織が大きくなればなるほど、この傾向が増してゆくのかもしれません。 

宗教に限らず、大きくなればなるほど組織は官僚化します。 これは、組織において、人の内面におこる傾向と一致します。 人を ” なになにさん ” でなく数や十把一からげで扱うようになります。 肩書きで人を見るようになります。 これでは一人一人の人間性、本質が見えなくなってしまいます。 組織は官僚化し、形骸化し、権力化していく危険を孕んでいるのです。 創価大学出というだけで目の色が変わるようではダメです。 創価の組織は、日蓮大聖人の意志、三代会長の心が、みずみずしく躍動していなければなりません。 人間性や本質が重視されなければなりません。 組織として常に新陳代謝をしてゆく必要があります。 青年が主体となって時代を作ってゆかなければならないのです。

釈迦滅後に起きたことが、また起きることはじゅうぶん考えられることなのです。 未来において、創価において、けっして階級化した存在を許してはなりません。 師弟不二が創価の永遠の姿なのです。 戸田先生が詠んだ、 「 妙法の広布の旅は遠けれど、ともに励ましともどもにゆかなむ 」 は創価のサンガの精神であります。
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2012-05-17(Thu)
現代の出家者と言われる人たちは、在家と変わりない生活をしています。 たぶん、出家の姿は一部の修行者とホームレスにしか見られないかもしれません。

今の日本では出家者は ” 僧侶 ” という職業でしかありません。 大半が葬儀や祈祷やお守り製造で金銭を稼ぐ生業といってよいでしょう。 そのために、檀家におもねるように、都合の良い教義の解釈に夢中です。 今では、宗派の経典に関係なく、あれこれ経典を引張り出して使うようになっています。 袈裟を脱いで在家となり、袈裟を着て出家となっているコスプレでしかないように思えます。 家族も子供もいて、酒ものみ、趣味に興じ、贅沢なものを食べ、中には女遊びする者までいます。 在家でも出来ないような、恵まれた環境で優雅な生活に耽る姿もあります。 良し悪しは別として、これで出家と言うのにはあまりにも在家であります。

出家も在家も実質的に違いがなくなった現代において、このような出家者は必要なのでしょうか。 わたしの結論は、 ” いらない ” であります。 ようやく、このような結論を出すことが出来ました。 階級や特権としての出家者など、まったく必要ありません。 特に権威化された今の日顕宗など広宣流布の邪魔でしかありません。 仮に、心を入れ替えて、創価に頭を下げ、日蓮大聖人の心を取り戻し、破門を解いたとしても、宗門と創価はかつての様な関係に戻ることはまずないでしょう。 新しい時代を、新しい ” とき ” を、すでに迎えたのです。 将来の宗門は、最低限の人員で、しかも僧侶を廃止して、日蓮仏法の研究・学術・博物の専門機関となるべきです。 僧侶はその職員となり、普通の社会人として、信心のうえでいえば、わたしたちと同じように、仏法対話をし広宣流布に生きてゆくことが必要であります。

それでもあえて、日蓮門下において出家者(比丘・比丘尼)を許容するならば、出家者は日蓮大聖人のようでなければなりません。 さらに、自分の家を持たず、定住せず、質素に生活して、在家に負けないほど唱題に励み、御書の探求に勤しみ、世界のあらゆる場所で先頭に立って布教し、人道の安全保障が脅かされていると知れば、ただちに、危険で劣悪な環境に飛び込んでゆける者でなければなりません。 できるでしょうか? そのような人がいてほしい、いればいいのにと思います。 しかし、わたしは、元初の仏法が広まる時代と社会において、出家者の存在、必然や必要性は、やはり無いのだと感じます。 創価の中から、個別に、それぞれにあてはまるような生き方をする人が現れるでしょう。 それでいいのだと思います。 創価はサンガなのですから。
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2012-05-16(Wed)
今、日本の仏教教団では三宝(仏法僧)を示して、在家は僧を援助し、尊仰して、その教えに従わなければいけないと言いいます。 大乗仏教が主流の日本の宗派でも、民衆は僧の庇護者でしかありません。 また大衆もそのように甘んじています。

しかし、よく調べてみると、もともと出家・在家の差別はなかったのです。 仏の説法を聞き、仏と成る為の修行をする和合の衆で構成された集団のことをサンガ・僧伽・僧と言っていたのです。 本来階級を区分するためのものではないのです。 「 如我等無為 」 と説いているのですから、あるはずがありません。 また釈迦は三宝について涅槃経ではっきりと説いています。 階級としての三宝の捉え方・考え方は誤りであり、ことさら在家を下に置くような三宝観は正しい捉え方ではありません。 さらに日蓮大聖人の教えにおいては、なおさら階級などありません。 法を守り、法に従い修行する者の集まりが三宝のうちの僧なのです。 出家・在家で切り離す考えは破和合僧の考えに陥る危険があります。 出家は在家を敬い在家は出家を尊んでゆかなければなりません。 いずれにせよ、仏の道を行く者として平等なのであります。 それを忘れ、在家を差別し出家を僧として権威化し、貫首を仏の代理者・遂行者としてカトリック化してしまったのが日顕宗であります。 出家には特別な法があり特別な修行をして成仏するのだとしてきたのは既成の仏教であります。 日蓮仏法では、御本尊に南無妙法蓮華経と唱えながら、苦悩する自身と他の人を救う以外に仏となる法と修行はありません。 成仏するのに出家も在家も修行に差別はありません。

日蓮仏法において、三宝(仏法僧)とは三大秘宝(本尊題目戒壇)のことであります。 広宣流布に生き抜くところにしか三大秘宝の実質はありません。 仏の道を歩む民衆の連帯と運動の中にしか三大秘宝は現出しないのです。 広宣流布に生きる和合の僧であるSGI(創価)を守り、共に広宣流布に生きてゆくことこそが三宝を尊仰する真の姿といえるのです。 僧とは出家・在家を分け隔てることなく、総体としての修行者。 仏の道を歩んでいく者同志の連帯の姿をいうのが正しい捉え方だということを、わたしは、はっきりと理解することができました。
その上で、わたしは三宝が二仏並座の宝塔の儀式を意味し、また、成仏の根幹である師弟不二を意味していると考えています。
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No title * by アイスコーヒー
<僧侶とはなんやねん?>なんとなく気にはなるものの、普段の日常生活の中では、冠婚葬祭という儀式の場でしか目にしない故に、また、その正体は深い霧におおわれ、えたいが知れない故に、<触らぬ神にたたりなし>的に、出来れば無視しといたほうが無難そう・・・・・・・。                 私、を含めて多くの人たちの普通の感覚だと思います。                     だから現実に袈裟、衣を着た僧侶を目の前にしたとき、多くの人のとる対応は一応はかしこまった対応をしてしまう習慣がついてしまっていると思います。
私も子供のころから多くの大人たちの、影響で、そんな習慣が身についてしまっていました。 
なんとなく普段目にする世間一般の人々よりも袈裟、衣を着ているものたちは、なにか特別な能力がありそうな、根拠のない錯覚の故、私は創価から法華講に行って、貴重な、二度とかえらぬ15年の歳月を失った。本当に悔しい、無念である。夕焼けさんの、僧に関する記事は、記事にとりあげにくいけれども、簡潔でよくわかります。若い人には、特によく読んでいただいて、<僧とは何か?>を見抜いてほしいですね。

No title * by 夕焼け
アイスコーヒーさん、おはようございます。

たしかに、悔しい、無念といえばそうです。
わたしも、信心しないで、仕事に夢中になった時期がありました。
同じ想いです。

しかし、意味があったのだと思います。 使命があるのだと思います。 本因の立場に立つならば、使命としていかなければなりません。 齢のせいもありますが、わたしは、広宣流布に生き、信心に励むことに、ただただ想いが募るこの頃です。

2012-05-15(Tue)
なぜ、比丘・比丘尼と呼ばず、出家した修行者を僧と呼び、聖職者として権威や地位のある階級とみなすようになってしまったのでしょうか。 それは、釈迦の実像が虚像へと変質していった過程とも関連し、当時の王権社会や階級制度など、社会的背景や構造が少なからず影響を及ぼしています。

釈迦という偉大な実在がいなくなってから、修行者は釈迦の教えを支えに修行していましたが、やはり、求心となる存在が必要でした。 最初は直弟子がその役割を果たしていましたが、皆死んでいなくなり、やがて教団を権威化していくことで、修行の維持・継続を図るようになってゆきました。 そのため、釈迦を神格化し、やがて出家者そのものを、権力者をも越えて階級制度の上位に持ってゆくようになったのだと思います。 ようするに、バラモン化していったということです。 釈迦の死後、教団を作ることを指導的に推進していったのは迦葉(大迦葉)でした。 迦葉はバラモンの出で、そのときに染み付いた社会的観念が、知らず知らずに教団の運営に影響を及ぼしたと考えられます。 出家した者を供養することが、在家にとっての修行であり善根を積むことが出来るという考えは、バラモンの時代からあり、階級や身分制度のなかで、相互扶助的な社会構造を支えていく思潮となっていました。 バラモンと同じように、迦葉の教団は教理の追及や個としての修行にやがて熱中してゆきます。 釈迦の死後、主だった弟子が小乗経を主体として自分達の修行に専念したため、在家の援助無しに教団を維持してゆくことは困難でありました。 結果として菩薩として生きることを忘れてゆき、知らず知らずのうちに声聞・縁覚に執着していったのであります。 この原型が現在の仏教のスタイルとして継承され、民衆は出家しなければ成仏できない存在に追いやられ、僧侶に祈ってもらうしか成仏できないと勘違いするようになったのであります。

仏教は、小乗経と大乗経で成仏の過程や方法が違っています。 小乗経の修行者は他との関係性を絶ち、厭離して修行する出家主義であり、厳格に戒律を守ることを目的化し、自己の完結のみを目指していきます。 修行者は出家し、修行できるように、在家に生活をひたすら支えてもらう構図となります。 大乗経の修行者は小乗経を包みこむように戒律を受け入れ、あるいは肝要を採りながら、他との関係性の中に自己実現を目指していきます。 大乗経の修行者は出家し、在家の生活に寄り添い関わりながら、祭祀として修行する構図となります。 
大乗経といっても、法華経と他の教えでは天地ほどに違っています。 法華経では二百五十戒は破棄され、男女を嫌わず、善罪人を問わず、出家・在家に関係なく、人と動物の差別さえなくなり、修行者は ” 利他 ” と ” 信 ” の体現者となり菩薩の生き方をすれば成仏することが明かされます。 このとき、成仏のために出家する必要性が実は無くなっていたのです。 これは革命的なことでした。 しかし、法華経が説かれた時もその後も、多くの弟子が、それを信じられずに立ち去ってゆきます。 時代は法華経を受け入れることが出来ずに、やがて隠没させてしまったのです。 釈迦の予言通りに仏教の歴史は綴られます。 そして、時を待つかのように、日蓮大聖人の出現を迎えて、法華経に説かれた五百塵点劫の元初の種が開花するのです。
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2012-05-14(Mon)
宗門問題が起きてから、わたしは僧について考えてきました。 
今の時代に僧など要らないと思うこともありました。 現代の僧の実態をみれば当然の帰結です。 しかし、本来の僧の役割もあるのではないかとも思っていました。

仏教においては、釈迦の生きていた時代に、釈迦の説法を聞いて修業する者や修行で悟りを得た者のグル-プが各地に生まれました。 そして、それらのグループや集団を ” サンガ ” と呼ぶようになります。 釈迦自身はあえて教団を束ねたり、組織化するようなことはありませんでした。 生涯説法の為に各地を訪れ行動してその生涯を終えています。 説法を聞いて弟子となった者には、ただちに布教と修行の旅に出るよう促していました。 そうした弟子達が各地に赴いてグループが生まれます。 また、釈迦が訪れた地で、バラモンの一派で指導的存在であった者が、説法を聞いて弟子となり、そのまま集団ごと帰依することが起こり、そのとき生まれたグループも各地に存在するようになります。 それらのグループの中のいくつかが、釈迦の死後、団結と規律を保つ必要から、集まって大きな教団を形成するようになりました。

” サンガ ” という言葉は和合する衆をあらわし、元々はグループを形成する集まりという意味でした。 日本で ” グループサウンズ ” というエレキバンドを総称する言葉が生まれたましたが、それに近い感じでしょうか。 既成の側からみて、自分達とは違う何か新しい動きに対しては、括ろうとする心理が働き ” サンガ ” と呼ぶようになったのではないでしょうか。 釈迦の死後、中国に仏教が伝わると、それを音訳して ” 僧伽 ” と言い、やがて単に ” 僧 ” あるいは漢語の侶と合わせて ” 僧侶 ” と言うようになります。 今では、出家して仏門に入り修行する者を指していますが、元になった言葉は ” 修行する者達 ” を指していたのです。 やがて ” 僧伽 ” と言う言葉は使われなくなり、単に個々の出家者を ” 僧 ” あるいは ” 僧侶 ” と呼ぶようになりました。 釈迦の生きていた時代では、出家しないで修行する者も存在しており、出家した者だけを分けてそう呼んでいたわけではなく、釈迦に帰依したグループ、集団を指していたのです。 出家者は比丘(ビクシュ)・比丘尼(ビクシュニー)と呼ばれていました。
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2012-05-13(Sun)
サックスと言うのは略称であります。 ちゃんと言うとサクスフォーンであります。 ジャズにはなくてはならない楽器でありますが、クラッシックはもちろんポピュラーでもよく使われています。 ソロの演奏で多く使われているのがアルトサックスとテナーサックスです。 ソプラノサックスも使われますが、真直ぐ伸びた形なので、サックスという感じがしません。

今日は、アルトサックスで、 ” 我が心のジョージア ” という情感溢れる曲を紹介いたします。 ジョージアの州都アトランタは、映画 「 風と共に去りぬ 」 の舞台となったところです。

この曲を、母の日にちなんで、世界中のお母さんと、今はいない我が母に捧げたいと思います。
今が、どんなに恵まれて、幸せになったと言われても、なに不自由なく豊かな生活だと感じていても、わたしの心には、母と過ごした、貧しく、苦労の絶えなかった日々の一つ一つが、母の優しい微笑みと、真剣な眼差しとともに輝いています。 母を想うと、暖炉の前でくつろぎ、ソファで寝息をたてている様な、心地よい想いが心を満たします。 そして感謝の念が沸き起こります。

あなたがいればこそ、今のわたしがあります。 ありがとう。 
ほんとうに、ありがとうございます。

・ Georgia On My Mind

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2012-05-12(Sat)
わたしは、よく音楽を聴いています。 いいと思う歌や曲もあれば、意に介さない歌や曲もあります。 しかし、それは年齢とともに、季節により、気分によって変化してゆきます。 歌や曲は、生きてきた時代や思い出とともに、その人と一緒に歩いてくれているように感じます。

以前、映画「ブレードランナー」のテーマ曲を紹介いたしましたが、映画全体を包み込むように流れていたサックスの音色が、なんともいえない雰囲気を醸し出していて、サックスがとても好きになりました。 最近では聞くだけでなく ” 演奏したい ” と思うようになって、渓流の傍で、岩に腰掛けながら演奏してる姿を想像したら、鳥肌がたってしまいました。 キャンプをして、焚き火に照らされながら、星空の下で、清流の音、山の風、林の匂いを感じながら、料理に舌鼓をうち、杯を片手に憩う友人達に、この音色を聞かせてあげたいと思うのです。

でも、夢のまた夢でしょうかね。
曲を聴いているだけで我慢しましょうか。 (^ ^

今日は、マライヤ・キャリーが歌ったWithout Youを、
サックスの演奏で紹介いたします。

・ Without You
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2012-05-10(Thu)
今月の大白蓮華の特集記事の中に、昭和39年1月13日の学生部の常任幹事・部長の任命式の様子が描かれおり、そこに参加していた、ある学生の証言が心に響いてまいりました。 そのぺ―ジにあった写真とともに紹介したいと思います。 この写真には、池田先生の人間性が表れております。

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(写真:大白蓮華2012年5月号)

『 任命式の時も、その後も、池田先生の、目の前の一人に対する心は変わることはありませんでした。 後に私は聖教新聞社に入社。 1974年には、海外指導に初めて同行させていただきました。 ペルーでの記念撮影会でのこと。 あるおばあさんが、スペイン語で先生に向かって必死に叫び、何かを伝えようとしていました。 現地の幹部が制したのですが、先生は、 「 何を言っているか、そのまま通訳しなさい 」 と。 そのおばあさんは、こう言っていたのです。 「 私は目が見えません。 しかし、今日は、池田先生の声が聞けて幸せです。 ですが、先生の姿が見えません。 ですので、握手をしてください。 顔を触らせてください 」 それを聞かれた先生は、 「 そういうことをするために、私がいるんだ 」 と、おばあさんの方へ歩ていかれ、抱きしめました。 おばあさんの見えない両の目から、涙がスーッと流れました。 』

<本門の陣列は立つ 1 恩師の七回忌へ!>より


創価の幹部は、このような心がなければ、幹部とはいえません。 御書講義がうまくなくても、指導が下手で口べたでも、この心さえあれば幹部の資格があります。 この心で唱題に励んで、喜んで汗を流してゆくならば。 創価の会員を守ってゆくことが出来ます。 御書を読んでいると、日蓮大聖人の慈悲溢れるお気持ちが伝わってくるような時があります。 心に迫ってきて、おもわず涙が溢れてしまうときさえあります。 創価と言っても、代々の会長の、それを支える幹部一人一人の信心であり、人間性なのです。 これが大事なのです。 このことを忘れてはいけないし、忘れなければ、創価はこれからも磐石であります。
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2012-05-07(Mon)
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(写真:SGIグラフ 1973年ロンドン)


SGI池田会長は、その後、トインビー博士の期待に応えるように、あらゆる分野の世界的有識者・宗教家・政治家・物理学者・医学者等との対話を精力的に行い、世界各地の大学で講演をして、人類の諸問題の解決への努力を続けてきました。 そして、そこから学び得た智慧を、こんどは未来を担う子供達に語り始めています。 「 君が世界を変えていく 」 とゆうエッセイ集の中で、トインビー博士との出会いを振り返り、トインビー博士のトルコでの出来事を紹介しながら、人間として生きてゆくことの大切さを語り、国や民族の差異を超えて平和を築いていって欲しいと訴えかけています。 


* だれもが 「 地球の民 」

わたしは思う。 
人は、生まれたとき、トルコ人として生まれたのではない。 アメリカ人としで生まれたのではない。 パレスチナ人として生まれたのでも、ユダヤ人として生まれたのでもない。 それらの名は 「 符丁 」 にすぎない。 
生まれたときは、だれもが、ひとつの <いのち> として生まれた。 ひとりの <人間> として生まれた。
お母さんは、 「 日本人を産もう 」 とか 「 アラブ人を産もう 」 と思って、産んだのではなかった。 ただ 「 すごやかな、いのちたれ 」 と願っただけのはずだ。
ちがう国で、ちがう名前で呼ばれようとも、薔薇は薔薇、菫は菫、人は人。
青きボスボラス海峡の上を、高く遠く飛んでいく曇は、風は、地上の人類を見おろしながら、こんな、ささやきをかわしているかもしれない。

――― 
気づいてください。 この高い空から見れば、世界はひとつ。 だれもが 「 地球の民 」。 「 アメリカ人 」 なんていないことを。 「 イラク人 」 なんていないことを。
いるのは、たまたまアメリカに住んでいるボブという少年の <いのち>。 たまたまイラクに住んでいるムハンマドという少年の <いのち>。
同じ <地球の子>。
それが、国の名前で分けられて、憎み合えと教えられる!
気づいてください。 その愚かさを。 その傲慢を。 この憎しみを次の世代に引き継ぐことの 「 むごさ 」 を 
―――

と。
今、必要な 「 地球人意識 」。 それは、遠いどこかにあるのではない。 コンピューターの画面の中にあるのでもない。
人間として人間のために " 胸を痛める心 " の中にあるのだ。
「 あなたが苦しんでいるかぎり、私も苦しむ。あなたがだれであろうと! あなたの悩みが何であろうと! 」 と。

< こんな見方があったのか! >より


トインビー博士はこんど生まれ変わるとしたら鳥になりたいと言っていたそうです。 エッセイにあるように、大空で、雲や風と一緒に大地を見おろして、同じようにささやいているかもしれません。 宗教や民族や言葉や国や性の違いで人を分断しようとするエゴイズムが、平気で闊歩する時代を終わらせなければいけません。 わたしは、そのような分断の光景を見るたびに、腹立たしくなります。 情けなさなくなります。 われら 「 地球の民 」 という精神が時代の精神となるよう。 SGIの連帯を築きあげていかなければと思います。
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2012-05-06(Sun)
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(SGIグラフ 1972年ロンドン)


昨日の5月5日は、こどもの日でしたが、ちょうど40年前、昭和47年(1972年)5月5日にイギリスの歴史家A.J.トインビー博士とSGI池田会長との対談が、ロンドンのトインビー博士の自宅で行われた日であります。 この対談は、翌年の昭和48年(1973年)5月にも行われ、延べ10日間40時間にわたって対話が繰り広げられました。 そして数回の往復書簡を交わしながら、その内容が昭和50年(1975年)に 「 21世紀への対話 」 と題して出版されました。 対談当時SGI池田会長は44歳。 トインビー博士は83歳でした。 

事の発端は、昭和44年(1969年)に届けられたトインビー博士の手紙からでした。 そこには、 「 私個人としてあなたをロンドンにご招待し、我々2人で、現在、人類が直面する基本的な諸問題について、対談をしたいと希望します 」 と書かれてありました。 この対談は、その後の人類の知性と言われる人達と、SGI池田会長の対話の出発点ともいえる、記念碑的な出来事でありました。 「 歴史の研究 」 でトインビー博士は人類史を見つめ。 SGI池田会長との対談で人類の歩むべき道を模索していたようであります。 対談で結論は出たのでしょうか。 博士が 「 驚くほどの合致点がみられる 」 また 「 私の学問の整理が可能となった 」 と言われたように、両者の合致点が自身のライフワークとしての結論となったようであります。

その中で特に注目したいのは、両者が、宗教が人類史に幾多の忌まわしい汚点を残したことを指摘しながらも 「 宗教こそが人間生活の源泉である 」 としていることであります。 そして、 「 自我を ” 究極的実在 ” に合一させるべきである 」 としながら 「 究極的実在が人間の姿をした人格神ではない 」 ということで一致し、きたるべき未来の宗教の要件を見出していることであります。 西洋の知性が、東洋の叡智に合致した瞬間であります。 そして博士は、自己変革こそ 「 社会を向上させる唯一の効果的手段であり、諸制度の改革も、個々の変革の兆候として、かつ結果として現れてきたときに、初めて有効たりうる 」 と結論づけています。 言い方は違いますが、まさに、小説・人間革命のテーマである 「 一人の人間における偉大なる人間革命はやがて一国の宿命転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする 」 と同じであります。
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No title * by ソドムとゴモラ
『歴史の研究』シリーズに関心が湧いてAmazonとか調べたんですが、ダイジェスト版(全3巻)しか現在は入手出来ないようなんですよね。残念。

『二十一世紀への対話』は最近再読しまして、2巻ラストの安楽死のくだりでしたっけ、ここら辺の対話は迫力がありましたね。

No title * by 夕焼け
ソドムとゴモラさん 始めまして。

” 安楽死 ” と ” 自殺 ” がテーマーとなったところですね。

トインビー博士は尊厳的自殺は人間の権利だと主張していました。 池田先生は、いかなる理由があろうと自殺は、生命の尊厳に反するものだと主張し、両者の違いを見せたテーマです。

このときに、池田先生は知性や感情は生命の一部であり、生命全体ではないとして、生命全体としての ” 自殺 ” は容認する発言をしています。 つまり、意識からくる ” 自殺 ” でなく、全体としての生命の働きとして死んでゆく ” 自殺 ” というべきものです。 「 全体的生命のみが、その生の終焉を決定する権利を持つ 」 と、説明していました。 これは、自他あるいは依正ともに、どのように力を尽くしても、体が死に向かっていくことを指しているのだと思います。 意識の上では、死にたいということもないのに、体はどんどんエネルギーが遮断されたように死に向かっていく。 あるいは、生きたいという気持ちの中で、抗し切れないほどに、体が衰退していく状況のことではないかと思います。 両者の違いは、意識からの死の容認と否定といえます。 

つづく

No title * by 夕焼け
つづき

ただ、 ” 安楽死 ” については、捉え方の違いはあっても、限定して認めていましたね。 でも、どう限定するか、とても難しいことだと思います。

” 安楽死 ” と ” 自殺 ” の問題を考えるときのキーワードとなるのが、わたしは ” 苦 ” だと思っています。 それに関して、池田先生が、ベートーベンの生き方を示して語っていましたが、わたしには、とても説得のある内容で、トインビー博士の主張を心情的には理解できても、価値ある選択ではないことがわかります。 仏法の生命観からすれば、意識の上で死をもって ” 苦 ” から逃れても、本質的な開放にはならないのです。 業は自らが書き換えなければなりません。 とてもむずかしい内容になるので省きますが、生も死も連続した生命の一断面に過ぎないのです。 依正不二、色心不二、諸法実相ですから、生命全体からくる苦のエネルギーは死のあとも続いていきます。 死をもってするのではなく、生をもって ” 苦 ” を克服し、”楽 ”を獲得すべきものだとわたしは考えています。

2012-05-04(Fri)
あいにくの天候ですが、GWいかがお過ごしでしょうか。

今日は、とても有名で、誰もが一度は聞いたことがある My Way  を紹介いたします。

とてもいい歌です。 曲もいいのですが詩がさらにいい。 この齢になって、やっと、心から味わえる気がする歌です。 フランク・シナトラの歌として有名ですが、今日は、作詞・編曲をしたポール・アンカの歌でお聞きください。

後2日。 有意義な祝日でありますように。 (^^

・ My Way
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2012-05-02(Wed)
5月3日。 明日は創価の元旦ともいえる、 「 創価学会の日 」 であります。

終戦後、創価教育学会を創価学会と改め、実質的な広宣流布のスタートとなった、戸田第二代会長就任式の日です。 会長就任のとき、戸田先生は 「 私が生きている間に、75万世帯の折伏は、私の手でいたします。 もし、私の願いが、生きている間に達成できなかったならば、私の葬式は出してくださるな。 遺骸は、品川の沖に投げ捨てていただきたい。 」 とまで仰って、覚悟と確信の広宣流布の陣頭指揮を執られたのでした。 今から61年前の昭和26年5月3日のことです。
75万世帯は、池田先生の一騎当千の戦いにより、全学会員の情熱と確信によって、昭和32年暮れに成し遂げられました。 それを見届けるように、就任から7年後の昭和33年4月2日、桜が咲くなか、戸田先生は霊山へと旅立たれます。

それから2年後の昭和35年5月3日。 喜びに包まれて第三代会長就任式が執り行われました。 「 広宣流布を目指し、一歩前進の指揮を執らせていただきます 」 との池田先生の獅子吼とともに、全学会員は再び奮い立ち、怒涛の折伏が始まっていったのであります。 七つの鐘が鳴り終わる昭和54年(1979年)には75万世帯から750万を上回る世帯数となりました。 5月3日は ” 折伏闘争の日 ” と言ってもいいくらいです。 今では海外192カ国地域を合わせ1000万世帯となっています。 まさに世界広布の時代に入ったと言えるでしょう。 近い将来には、日本より海外の世帯数が上回る時代が必ず訪れると確信いたします。

どのような時代であろうとも、創価の魂は折伏(仏法対話)にあります。

世界の宗教事情からみれば、創価はまだ米粒みたいなものです。 日蓮大聖人の仏法が、一つの文明を形成するぐらいの広がりと展開を見るのはこれからです。 まだまだ今は草創期です。 かつて、末法を前にして、早く生まれてきた身の不運を嘆いた秀逸な仏教徒達がおりました。 また、法華経では、多くの菩薩が、末法での布教を願いましたが、釈迦に制止されました。 過去だけでなく、100年後いや500年・1000年後の人が羨むような時代に、わたし達は生きているのです。 この時代に生まれ合わせた福運を確信し、歴史を作ってゆける誉れを胸に、どのような立場、境遇、姿であろうとも、本来の、元初の自分を輝かせながら、生き抜いてゆきたいと思います。

これで三度目ですが、I Have Dream を。

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