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2012-03-31(Sat)
急ぎの海外PJを手伝うことになりました。 リタイアしたはずなのに縁がなかなか切れません。 忙しくなりますので、2ヶ月ほど記事を不定期にUPさせていただきたいと思います。 よろしくお願いいたします。 m(_ _)m
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2012-03-30(Fri)
今週は Ask me why(1963年) を紹介いたします。

この歌は、今は亡き親友が、彼の家で聞かせてくれたシングルレコードの1枚にあったB面の歌で、わたしがこっちのほうが好きだと言ったら、笑いながら否定されました。 ちなみに、A面はあの Please Please Me です。 いずれにせよ、ジョン・レノンとの最初の出会いとなりました。

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ Ask me why
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2012-03-30(Fri)
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SGI池田会長は折々の会合で御書をひもとき、次のように語られております。

【 本文 】 四条金吾殿御消息 (P1113) 
『 日蓮過去に妻子・所領・眷属等の故に身命を捨てし所いくそばくか・ありけむ、或は山にすて海にすて或は河或はいそ等・路のほとりか、然れども法華経のゆへ題目の難にあらざれば捨てし身も蒙る難等も成仏のためならず、成仏のためならざれば捨てし海・河も仏土にもあらざるか。 』

【 通解 】 
『 日蓮は過去において、妻子・所領・眷属などのために身命を捨てたところは、どれほど多くあったことであろう。 あるいは山に捨て、海に捨て、あるいは河、あるいは磯等、また道ばたで命を捨てたのであろうか。 しかしながら、法華経のゆえ、題目のゆえの難ではないので、捨てた身命も、受けた難等も、成仏のためのものではなかった。 成仏のためではないから、身命を捨てた海や河も仏土ではなかったであろう。 』

【 指導 】
* 日蓮大聖人も過去世において、妻や子ども、また所領や一族・郎党などのために、命を捨てたであろうと述べられている。 御本仏の示同凡夫(仏が凡夫と同じ姿を示すこと)のお姿であろうか、成仏の道を貫くことはむずかしく、しばしば踏みはずしてしまうことをお示しくださっていると拝される。 もとより、何の苦難もない人生などない。 ただ同じ苦労でも、仏法上の苦労、難は、すべて自分の永遠の大福徳に変わる。 ゆえに勇んで正法広布のため、正しき信心を守るために戦う人が、成仏へと歩む人である。

< 御書とその心 >より


人は必ず死にます。 あっという間の人生です。
はかない一生ではありますが、会い難き仏法に巡り会えた、これほど大事な一生もありません。 一日でも長生きして、信心のため、広宣流布のために、一歩前に進んでいかなければなりません。 この一歩は苦労してこそ意味があり、価値のある一歩となります。 勇気をもって前進をしていきましょう。
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2012-03-29(Thu)
今日は昨日UPする予定だった、渓流釣りの動画を紹介いたします。

わたしは、30代から渓流釣りを始め、やがて、源流を登り歩く沢登りをするようになりました。 しかし、それも50代で体力低下や危険防止(滑落、熊)を考えてやらなくなりました。 60代に入り時間ができたので、沢登りは無理でも渓流釣りはやりたくてしかたがありません。 しかし、いまだ夢は叶っていません。 
わたしがやっていた釣りは、餌釣りという、ごくスタンダードな釣りです。 フライフィシングもやりましたが、源流の渓流遡行には不向きで、沢で虫を取り、短い竿で岩魚や山女(アマゴ)を釣上げていました。 こんど再開するにあたって、昔から日本の伝統的な漁法としてあるテンカラをやりたいと思い、いま研究しているところです。 やる日が楽しみです。 (^^)

・ tenkara 1・2
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2012-03-27(Tue)
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(写真:Hubblesite PD NASA Galaxy Triplet Arp 274


久しぶりに御本尊について、語ってみたいと思います。

「 少なくとも仏教の肝心は法華経にあり、法華経の肝心は寿量品にあり、寿量品の肝心は妙法蓮華経にあるのです。 さらに言えば、その文の底に秘し沈められている宝珠を、日蓮大聖人が取りいだして顕された南無妙法蓮華経の御本尊にあるのです 」 また 「 御本尊は五字が首題で、南無が境地の冥合を表わし、日蓮唱うるところの七字となっています。 しかし、それでいいのかというとそうではなくて、十界を互具と開き、五字相対して仏界即九界、南無相対して九界即仏界としています 」 と以前の記事で述べました。

このように、御本尊は仏が説きたかった核心となる内容を、諸法実相にあてて表現しております。 妙法蓮華経とともに南無を挟んで釈迦・多宝としていることに、わたしは、とても重要なメッセージが秘められていると思ったのです。 色々な意味があるのですが、成仏の鍵となるメーセージだと理解できたのです。 以前は、 ” なぜこのような文字が書かれた紙幅に、南無妙法蓮華経と唱えて仏の生命が湧現するのだろう ” 、 ” なぜ願いが叶うのだろう ” とだけしか思い至らなかったのですが、御書を学び思索するうちに、少しづつ核心に近づいて理解できるようになりました。
日蓮大聖人の御生命は、今も其処に慈愛と厳愛の眼差しで、仏の道を説いてくださっていると思えるようになったのです。 其処には、深遠な法理とありのままの実相( 宇宙の生命 )が欠けることなく収まっております。 御本尊は、仏の一切の教えを収めた宝塔とも言えるのです。 信じて南無妙法蓮華経と唱えれば、仏の生命が其処に顕れ、生死一大事の血脈相承の儀式にも似て、生命と生命の触発に、我が仏の生命が呼び興され仏と等しい当体となっていくのです。 私たちもまた、仏の一切の教えが収められた宝塔だからです。

文字で書かれたもので、そんなことはおこらないと思うのが大多数です。 南無妙法蓮華経と唱え仏の生命が湧現し、願いも叶う、など信じられない、と、誰もが思います。 でも、これは、信じる信じないという問題ではなく、そうなるのです。 生命は深いところで繋がっていて、交流する周波数、チャンネルがある、と、仏法では捉えています。 悲しい人の傍にいれば、自分も悲しくなり、慈しみの心が満ちてくるではないですか。 元気な人に会えば、少しは元気になり、前向きになれます。 家の明かりを見れば、癒されます。 山の頂で見る風景に、感動の涙が零れます。 十如実相は御本尊とわたしたちの間にも相対的にあるのです。

ここで視点を変えてみましょう。 人間社会から、文字や言葉を無くした世界を考えてみてください。 さてどうなるでしょうか。 まず人と意志の疎通が極端に狭まります、それは受ける感性も狭まることを意味しております。 読書して感銘したり、泣いたり、恐がったり、決意したり、癒されたり・・・・・が無くなります。 紙に文字が書かれた書物でさえ、目にして読めば、人を変え、社会を変えることがあります。 人の言葉にはさらに力があり、直接の影響力が出てきます。 文字や言葉を無くしたら、今の文明と社会は崩壊することはまちがいありません。 文字や言葉には、他者の心に働きかける、人を変える力があることを、わたしたちは知っているはずです。 そう思っているはずです。 そう思わない人はとても少数ではないでしょうか。
Category : 御本尊 Comment : (2) |

No title * by SHIn
大聖人の文字曼荼羅は思索をする上で又自分の今現在の生命を確認する上で非常に画期的であり日寛上人がそれを簡潔に書き顕して下さいました。御本尊への唱題それ自体が方便品、寿量品の通りでありまた望めばいつでも仏は我が生命に出現するのですね。御本尊に唱題する事で“蔵の財より身の財、身の財より心の財第1なり”の御文を噛み締めています。御本尊は究極の“心の財”です!

No title * by 夕焼け
SHinさん、おはようございます。

きのうは、急用で返事ができず、もうしわけありませんでした。
” 究極の心の財 ” いい表現ですね。 そう思えたらすばらしいことです。 そのこと自体が心の財だと思います。

毎日の勤行・唱題が二仏並座だと解ると、自分と自分を取りまく現実世界が御本尊の相貌と重なります。 御本尊は無量のことを語っているように思います。 日蓮大聖人の御書も、釈迦の法華経や生涯の教説も、御本尊を語っていると感じます。 諸々のこの世界が、宇宙が、御本尊そのものなのだと気づきます。 わたしたちが拝する御本尊はその中にある御本尊と言えるでしょう。

2012-03-26(Mon)
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(写真:聖教新聞2012年3月26日付 50周年記念シンポジウム)


今日の聖教新聞に、今月24・25日に東洋哲学研究所の創立50周年記念するシンポジウム(第27回学術大会)の開催が報道されています。 テーマを 「 地球文明と仏教の使命 」 と題して、国内外の学識者20人あまりが登壇して論を展開した模様と創立者の池田SGI会長のメッセージが紹介されています。 詳しくはいずれ東洋哲学研究所の学術誌やHPでご覧になれるようになると思います。 ちょうどその日の創価大学では、以前紹介した「 法華経――平和と共生のメッセージ 」展の開催も始まり、24日には開幕式典が行われ、25日から一般公開となっています。

このシンポジウムで、インド文化国際アカデミーのロケッシュ・チャンドラ博士が、法華経の現代的展開の必要性を訴え、人間主義に基づく池田SGI会長の思想と行動に限りない期待を寄せていました。 「 成仏 」 を 「 人間革命 」 という言葉に展開したことに論及し、創価の人間主義を 「 いかなるドグマをも超越し、いかなる教条主義からも離れた台座の上に人間の価値を置く 」 と評価していることに、わたしは重要なメーセージを頂いた思いで、改めて 「 仏教の使命 」に思いをはせました。
Category : 仏 教 Comment : (0) |
2012-03-24(Sat)
今週、聖教新聞に掲載された新・人間革命(薫風 44・45)にとても大事なことが書かれていたので、このブログで取り上げておきたいと思います。 内容は、昭和31年(1956年)に行われた山口開拓指導での座談会の様子で、目の不自由な婦人が池田先生(当時:青年部参謀室長)に質問したところの描写であります。


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(聖教新聞2012年3月21日付 新・人間革命 薫風 45)

* 目の不自由な一人の婦人が手をあげて質問した。
子どもの時に失明し、入会して信心に励むようになって1カ月ぐらいしたころ、少し視力が回復した。 しかし、このごろになって、また、元に戻ってしまった。 果たして、目は治るのかという質問である。
” 室長は、なんと答えるのか …… ”
酒田は、固唾をのんで見ていた。
伸一は、その婦人の近くに歩み寄って、婦人の顔をじっと見つめた。 そして、彼女の苦悩が自分の苦悩であるかのように、愁いを含んだ声で言った。

「 辛いでしょう。 本当に苦しいでしょう。 」

彼は、婦人の手を取って、部屋に安置してあった御本尊の前に進んだ。

「 一緒に、お題目を三唱しましょう 」

伸一の唱題の声が響いた。 全生命力を絞り出すような、力強い、気迫のこもった、朗々たる声であった。婦人も唱和した。
それから、伸一は、諄々と語っていった。

「 どこまでも御本尊を信じ抜いて、祈りきっていくことです。 心が揺れ、不信をいだきながらの信心では、願いも叶わないし、宿命の転換もできません。 御本尊の力は絶対です。 万人が幸福になるための仏法なんです! 」

山本伸一は、さらに力を込めて、目の不自由な婦人に訴えていった。

「 あなたは、自分も幸せになり、人びとも幸せにしていく使命をもって生まれた地涌の菩薩なんです。 仏なんです。 一切の苦悩は、それを乗り越えて、仏法の真実を証明していくために、あえて背負ってきたものなんです。 仏が、地涌の菩薩が、不幸のまま、人生が終わるわけがないではありませんか! 何があっても、負けてはいけません。 勝つんですよ。 勝って、幸せになるんですよ。 」

誰もが、伸一のほとばしる慈愛を感じた。 婦人の目には、涙があふれ、悲愴だった顔が明るく輝いていた。
酒田英吉は、指導、激励の ” 魂 ” を見た思いがした。 ” 指導というのは、慈悲なんだ。 同苦する心なんだ。 確信なんだ。 その生命が相手の心を揺り動かし、勇気を呼び覚ましていくんだ! ”

< 新・人間革命 薫風 44・45 >より


どんなことでも、それを成就させるのは、人の、希望を抱いて諦めることのない心と祈るような真剣な行動にあります。 信心においても、やはり同じです。 大事なのは 「 どこまでも御本尊を信じ抜いて、祈りきっていくこと 」 ではないでしょうか。 御本尊を信じ抜くというのは、自分を信じ抜いていくことと同じなのです。 
このご婦人の目が、その後どうなったかは判りませんが、池田先生の激励に応え、信じ抜いて祈りきっていったのではないでしょうか。 目が見えるようになったに違いありません。 たとえ、生理的に目が見えないままだったとしても、信心で心の目を開き、苦悩に押し潰されていた境涯から、人の苦悩を思いやり、同苦し、励ましていくほどの境涯に、きっとなっているはずです。 依正不二ですから、まちがいなく、幸せに満ちた中で微笑みながら、家族や友人に信心のすばらしさを語っていることでしょう。
Category : 信 心 Comment : (8) |

No title * by SHIn
私もうつで治療中であり中度難聴ですが池田先生に毎月御報告する中、であればこそ同じ病気で悩んでいる方の良き理解者に!と強く想うようになりました。現在闘病中の為無職ですが今回の支援の戦いで経済革命を!と決意しております!地元の壮年部から仏法は道理だから祈り動いて真面目に仕事して初めて経済革命は為せるんだよとの指導は受けておりますが私は支援の戦いは必ず経済革命を起こせると信じ祈り活動します!

No title * by 夕焼け
SHinさん、おはようございます。

わたしは、小学6年から中学1年のときに、今で言うパニック症候群を経験しています。 初信の功徳で治りましたが、その後ときどき現れ、しばらくは引きずっていました。 この病も意識ではコントロールできません。 そして心の緊張と体の生理的な症状に苦しめられます。 自由のきかない自分に追いやられていきます。 しかし、信心で治しました。 経済革命は時間がかかりますが、信心と努力で必ず打開できます。 福運を付けてください。
支援の戦いについては、記事にしようと思っていましたので簡単に話しますが、50、100、1000でも支援そのものにたいした功徳はありません。 支援の戦いで大きな功徳を積む人と積まない人がいます。 大きな功徳を積む戦いにしてください。

同じような病の人のためにも、うつの克服を御本尊に祈りましょう。
わたしも祈ります。

No title * by SHIn
夕焼けさん、ありがとうございます。了解です(^O^)

No title * by 気分屋
はじめまして。 支援そのものには大きな功徳がない。大きな功徳を積む戦いを、とありましたが、もう少し詳しく指導して頂けないでしょうか。 わたしは壮年部です。家庭訪問は好きなのですが、法戦は昔から苦手です。人に会うのは得意なのに、あの支援を頼むときの空気と、買いたくないもの買ってまで、店の人に頼むのはもう苦痛の域に入ってしまいました。組織にいてもこの時期は非常に辛いです。 支援に燃えている方との温度差がありすぎなんです。なんとかしなくてはとの気持ちはあるのですが。 ご指導宜しくお願い致します。

No title * by 夕焼け
気分屋さん、ようこそ。

わたしは、宿命転換・一生成仏の功徳があるのは、御本尊に唱題することと、御本尊のすばらしさを語ることしか無いと思っています。 このことをちゃんと踏まえていれば、仕事の闘いでも大きな功徳を積むことができます。 病気との闘いもそうですし貧乏との闘いもそうです。 創価の体験談はみんなそのことを雄弁に物語っていると思いませんか。 法華経の兵法をもって闘うところに大きな功徳の花が咲く、というのが日蓮仏法の第一原理ではないでしょうか。 
仏法は勝負だ、とよくいわれますが、これは、なんでもかんでも勝たなければダメだという意味ではありません。 勝つことを目標に闘わなければいけませんが、最後に勝てばいいのです。 また、アインシュタインの言葉に 「 人間としての真の偉大さに到る道はひとつしかない、何度も酷い目にあうという試練の道だ 」 とあるように、人間として勝てばいいのです。 わたしは常々、折伏の成果など気にするなと言っています。 悩んで、唱題して、仏法対話して、人間革命するのが何よりの成果なのだと。 この根本を忘れた学会活動など学会活動ではないと思います。 支援も啓蒙もそう思っています。 
支援はしたくないと思うならばしなくていいのではないでしょうか。 いつも通り仏法対話して、創価の理解と信心する人を一人でも多く増やす戦いをしていきましょう。

No title * by 気分屋
ありがとうございました。
今後とも宜しくお願いします。

No title * by ちよ
自在会のメンバーのところ、コピーさせていただいていいですか?

No title * by 夕焼け
ちよさん、こんにちは。
返事が遅れて申しわけありません。

当ブログの ” 著作権について ” に書いてあるように、画像を除いて引用の範囲で使うのであれば、承諾なく記事のコピーOKです。

2012-03-23(Fri)
今週は、わたしが好きな歌で The Longest And Winding Road を紹介いたします。

この歌はとても切なく、やりばのない心を表現した内容なのですが、なぜか曲は、遠くを望むような、懐かしむような雰囲気があり、いい曲です。
人生もこの歌の題名のように、曲がりくねった道を行くようなものですが、いつか、幸せを掴むことができるのでしょうか。 人の心は、なにかに置き去りにされたような不安と苛立ちに、寂しさと悲しさを覚えますが、曲がりくねっていようとも ” 確かなこの道 ” を見つけ、歩んでいきたいものです。

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ The Longest And Winding Road
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2012-03-22(Thu)
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SGI池田会長は折々の会合で御書をひもとき、次のように語られております。


【 本文 】 崇峻天皇御書 (P1173) 
『 人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ 』

【 通解 】 
『 人間として生まれてくることはむずかしい。 あたかも爪の上の土のように、わずかなことである。 また、たとえ人間として生まれてきても、その身をたもつことはむずかしい。 太陽が昇れば消えてしまう草の上の露のように、はかない。 百二十歳まで長生きし、汚名を残して死ぬよりは、生きて一日でも名をあげる事こそが大切である 』

【 指導 】
* 長生きしたから、いい人生とはいえない。 何を残したか、どんな価値を生んだか、どれだけの人を幸せにしたかである。
その意味で、結論的にいえば、広宣流布に生きることが、即、最高の人生となる。 広宣流布に生きぬくことは、そのまま、社会への最大の貢献になっている。 自他ともに幸福になる。 仏法は即社会、そして信心は即生活であり、一体である。 ゆえに大聖人は、法華経のため、広宣流布のために働き、名を上げなさい、限りある一生に、自分はこれだけやりきったという悔いのない歴史をつくりなさい、残しなさい、と教えられているのである。

< 御書とその心 >より


人として生まれ来ることは、とても稀である。 そのように仏法では説いています。 やっと人として生まれてきたのです。 それでは、何のために? ” 仏に成るため ” と三仏は教えてくれています。 
しかし、この身は儚く、人生もあっというまであります。 この御文は ” 毀誉褒貶に流され、わずかの幸せに執着し、山野に朽ちるくらいなら、仏の道を歩ゆむために身命を惜しんで、なんとしようか ” との日蓮大聖人のお言葉と拝したい。 仏の道とは、広宣流布に生き抜く道であります。 今になって、つくづく、解るようになりました。 馬鹿の智慧は後から出てくると言われていますが、口惜しい限りではあります。 ですが、本因妙の仏法でありますから、今の今が久遠元初でありますから、容易ではないですが、その道を生き抜いていきたいと思っております。
Category : 御 書 Comment : (0) |
2012-03-21(Wed)
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ビルの外壁からニョキと出た猫の足。 しかも、ロボットを思わせるような足がずら~と並んでいました。 ん~、人間て、こんなもの作っちゃうんだ。
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2012-03-20(Tue)
昭和47年(1972年)7月、全国各地で大雨による水害の被害にみまわれ、その激励のために東北を訪問。 そのときの山形・岩手での記念撮影会と秋田での秋田大学会の結成式で、池田先生は次のように語っています。


7/10 山形記念撮影会

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(写真:大白蓮華2012年3月号 昭和47年山形記念撮影会)

* 私が一番に皆さんに望むことは、平凡でも、最も人間らしく、清らかな信心を悠々と全うしながら、幸せな家庭を築いてもらいたいということです。 これこそ一番、偉大であると思うが、どうでしょう。

7/12 秋田大学会

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(写真:大白蓮華2012年3月号 昭和47年秋田大学会)

* 広宣流布に真剣に戦えば、いやなことだってある。  私もそうだった。 傲慢な輩もいた。 それを戸田先生に言ったら、 「 君がいいと思う学会をつくればいいじゃないか 」 とおっしゃられたんだ。 その通りに、私はやってきました。 臭いものにふたをして、そのままにしてはならない。 傲慢な者から逃げてはいけない。 一番、理想的な創価学会を皆さんがつくりなさい。 自分が力をつけて築いていきなさい。

7/14 岩手記念撮影会

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(写真:大白蓮華2012年3月号 昭和47年岩手記念撮影会)

* 優しく朗らかに包容していくのです。 どこまでも一人一人を大切に。 この楽しい雰囲気が創価学会なのです。

* 何があってもカラッと笑いとばしていく。 皆が心から喜んで、愉快に、痛快に前進できるよう励ましていく。 これが本当の信心である。

< 世勇たれ大学会 6 >より


ほんらい、創価の活動に形式はいらないのです。 池田先生が一番そのようにしてきました。 ポイントをはずさず、臨機応変、当意即妙、桜梅桃李、であります。 師匠がそうなら、弟子もそうあるべきです。 心を尽し、知恵を働かせ、皆が喜んでいけるようにすることが、信心であるといえるでしょう。
活動は仏道修行であり、会合はそれをスムーズに円滑に推進するためのものであります。 毎日、拠点に集い語り合い、一緒に勤行・唱題しては、家庭訪問や仏法対話に出かけていた頃が楽しく思い出されます。 座談会で忌憚なく、あれこれ話したり聞いたりするのが、たまらなく好きでありました。 なんでも悩みを語りあえる同志、心に染みるような信心指導、感動の体験談、思わずはじける笑顔、元気が湧いてくる歌声、前進してる組織には躍動感があり、功徳も充満していきます。
Category : 創 価 Comment : (4) |

No title * by カイ
>>最も人間らしく、清らかな信心を悠々と全うしながら、幸せな家庭を…一番、偉大であると思う…

本当にその通りだと思います(゚-゚)

No title * by SHIn
我が地区では新任の地区部長が中心者となって協議会革命に挑戦中です。日曜の昼に開催(座談会のある日は中止)していたのを情報の伝達が遅れる!との懸念から毎週月曜の夜に変更。変更後忌憚のない意見を言ってもらい活動の構築を計っております。新任の支部長、地区部長は男子部時代の先輩なので壮男唱題会を通してシッカリ呼吸を合わせて行きたいと決意!

No title * by 夕焼け
カイさん、おはようございます。

そうですよね。 偉大なことです。

” 清らかな信心を悠々と全うしながら ” の ” 悠々 ” の言葉には含蓄があります。 池田先生はそう願って言われたのだと思います。 悠々とした信心。 いいですね。 悠々には自由自在という意味あいもあり、汲々とした信心のわたしには身に染みる言葉です。

No title * by 夕焼け
SHinさん、おはようございます。

創価の存在目的は、” 大法弘通慈折広宣流布大願成就 ” これしかありません。 このうえにたって、すべてを開いていくのが創価の精神であり、代々の会長の不惜身命の姿ではないでしょうか。 この一点を見失わずに、みんなが納得して、喜んで活動できるようにしてください。 わたしの組織では、協議会でも必ず御書の一節を読んでいます。 ” 行学たへなば仏法はあるべからず ” で創価の活動は勤行唱題で始まり、御書とともにあると知恵が働き力が出ます。

2012-03-19(Mon)
【 要 文 】

『 末法に生れて法華経を弘めん行者は、三類の敵人有つて流罪死罪に及ばん、然れどもたえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給うべきぞ、諸天は供養をいたすべきぞ・かたにかけせなかにをふべきぞ 』

『 いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや 』

『 末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし 』

『 既に多宝仏は半座を分けて釈迦如来に奉り給いし時、妙法蓮華経の旛をさし顕し、釈迦・多宝の二仏大将としてさだめ給いし事あに・いつはりなるべきや、併ら我等衆生を仏になさんとの御談合なり 』

『 一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ、あひかまへて・あひかまへて・信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし、行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし 』
Category : 御 書 Comment : (0) |
2012-03-19(Mon)
2012年2月23日の「 十四誹謗の根源 」という記事のコメントを削除いたしましたが、連絡事項008で触れましたように非公開コメントとして復活させていただきます。 このブログの機能上、一度削除するとコメントでの復活ができないために記事とさせていただくことにしました。


1. No.1 2012年03月07日 22:59
非公開コメント

2. 夕焼け 2012年03月08日 16:47
ようこそ、N0.1さん。
コメントありがとうございます。

> 功徳はないと断言されているのでしょうか?

” 此の経 ” とは、法華経です。  ” 此の経の心 ” とは、ここでは、法華経の中でも譬喩品第三と宝塔品第十のことを指しています。 つまり、その後に出てくる 『 此の経の四の巻には 「 若しは在家にてもあれ出家にてもあれ、法華経を持ち説く者を一言にても毀る事あらば其の罪多き事、釈迦仏を一劫の間直ちに毀り奉る罪には勝れたり 」 と見へたり、或は 「 若実若不実 」 とも説かれたり、之れを以つて之れを思ふに忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか 』 のことです。
松野殿御返事(十四誹謗抄)では ” 背いて唱えば其の差別有る ” と日蓮大聖人は記されていますが、今回の記事の御書では ” 功徳なしかへりて罰をかほるなり ” と明確に仰っています。 このことから思うに、” 差別 ” とは功徳と罰を指していると思います。 簡単に言えば、 1-1=0 あるいは 1/3-1=-2/3 あるいは 2/3-1=-1/3 ということでしょうか。 功徳は無いといってよいでしょう。

その他のお尋ねは、 ” 此の経の心に背く ” ことが無く、信行学に励み自行化他の唱題をするならば  ” 釈尊の御功徳と等しかるべし ” でよろしいのではないでしょうか。 なかなか出来なくて悩みながら唱題をするのは、求道心から来るところの煩悩ですから、おおいに悩んで唱題してください。

3. No.1 2012年03月08日 19:59
非公開コメント

4. 夕焼け 2012年03月08日 21:00
No.1さん、こんばんわ。

信ずる心と自行の勤行・唱題と化他の仏法対話がないと、功徳はとても少ないです。 宿命転換するためには、この3つがどうしても必要です。 随力演説とは、今月の座談会御書の諸法実相抄にあるように、 ” 力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし ” でいいのです。 今日の新・人間革命にあるように、体験からくる信心の確信(決意)と相手を思う唱題があれば、あとは、自分らしく、素直な気持ちで語っていけばいいのです。 悩みながら唱題し、仏法対話していくところに功徳が増していくのです。 喜びが大きいのです。 勇気を出して一歩を踏み出せば出来ます。

5. No.1 2012年03月08日 23:10
非公開コメント

6. 夕焼け 2012年03月09日 06:44
No.1さん、おはようございます。

非公開No.1さんが一闡提ですか? 唱えがたき題目を唱えている非公開No.1さんが一闡提なんてありえません。 仏法対話するのは、とても勇気が要ります。 なぜならば、仏法や御本尊のことをすばらしいと人に話すと、とても功徳があるからです。 魔はそれをとても嫌います。 御本尊に唱題するときに、少しでも広宣流布のお役にたちたい、たたせてくださいと祈っていくといいですよ。 この信心をしていて、御本尊に唱題していて、変わらないはずはありません。 前にも言いましたが、求道の心があるのですから、” 法華経の心 ” に背く形になっていることなどありえません。

信ずる心と自行の勤行・唱題と化他の仏法対話、この3つをちゃんと揃えて信心するのは誰でも簡単ではありません。 一時はそうでも続けていくのが大変です。 しかし、悩みながらも信心をしていくと、自然と、話したい、唱題したい、ありがとうございます、と思えるようになります。

< N0.1さんとのQ&A >より


わたしも以前活動しなかった時期があります。 申し訳ないという気持ちや罪の意識にとらわれたこともあります。 このようなことは、信心以外でもあります。 学生時代には ” 勉強しないと ” 社会人のときには ” 仕事に真剣に取組まないと ” と思うけれど、出来ない自分が情けなく、不甲斐ないと責めていましたが、これは向上心があるからこそです。 向上心がなければそんな思いは生まれません。 信心も求道心がなければなにも感じないし思うこともないでしょう。 求道心はとても大切なものなのです。 しかし、求道心はあっても出来ないというのが現実です。 だけれども、悩みながら御本尊に唱題していくならば必ず出来るようになります。 人間の身体だって生まれてから1日や2日で大人には成長しません。 また大人に成長するまでいろいろとあります。 創価から離れずに唱題を重ねていくならば、自分でそうなることもあれば、そうならざるおえない状況に不思議となっていきます。 それが御本尊、創価の信心の力なのです。
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2012-03-17(Sat)
※ 公開コメントを、その後に削除を希望されても、申し訳ありませんが基本的に削除はいたしません。 ただし、コメントの内容は非表示にして非公開コメントと表示させていただき、わたしのコメントは残させていただきます。 理由は、同じような思いや疑問を抱く人もいますので、貴重な問いかけであり、わたしの返事の内容はその時点でその方々への返事ともなるからです。 なにとぞご了承ください。 

※ コメントの誤字・脱字等あるいは てにおは のような訂正や公開を非公開にしたい場合には、申し出ていただければ差し替えや変更をいたします。
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2012-03-16(Fri)
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(写真:SGIグラフ 昭和33年3月大石寺)


今日は 「 広宣流布記念の日 」 です。 今から54年前の昭和33年(1958年)3月16日に、男女青年部の精鋭6000人が集って 「 広宣流布の模擬試験 」 と呼ばれる式典が大石寺で行われました。 第二代戸田会長はこの年の4月2日にご逝去されています。 このときには身体も弱っており、式典は広宣流布の実質的な後継を青年に託す広布継承の式典となったのでした。 「 広宣流布記念の日 」 は 「 師弟後継の日 」 でもあるのです。 戸田先生はこのときに 「 われわれには広宣流布を断じてなさねばならぬ使命がある。 それを今日、私は君たち青年に託しておきたい。 未来は君たちに任せる。 頼むぞ広宣流布を! 」 と呼びかけられました。 ” 地球の広宣流布は創価学会が断じてやり遂げる ” ” 日蓮大聖人のご遺命を断じて虚妄にはしない ” との青年の決意と行動が、創価の命であることは今も変わりありません。

再掲ですが、SGI―USAの愛唱歌 I Have A Dream をお聞きください。
そう、わたしたちには、地上から悲惨という文字をなくし、絶対的幸福へと転換しゆく ” 広宣流布 ” という偉大な夢があります。

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2012-03-15(Thu)
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SGI池田会長は折々の会合で御書をひもとき、次のように語られております。

【 本文 】 経王殿御返事 (P1123) 
『 又如何に唱うとも日蓮に怨をなせし人人は先ず必ず無間地獄に堕ちて無量劫の後に日蓮の弟子と成って成仏す可し 』

【 通解 】 
『 どんなに題目を唱えようとも、一度、日蓮に敵対した人々は、まず、必ず無間地獄に堕ちる。 そこで無量劫という長い長い間、苦しみ続け、その後に、また日蓮の弟子となって仏道修行し、仏に成るであろう 』

【 指導 】
* どんなに信心しても、御本尊を拝んでも、日蓮大聖人に反逆した人間は、必ず地獄に堕ちると仰せである。 日顕宗は大聖人の教えをまっこうから否定し、大聖人の仏法を私利私欲で汚した。 大聖人のご遺命である広宣流布を進める和合僧団・創価学会を破壊しようとした。 最大の 「 日蓮に敵対した人々 」 である。 ゆえに日顕宗の唱題には絶対に功徳はない。 大聖人は ” 日蓮に師敵対すれば地獄 ” と言われたのであって、 ” 悪い法主を批判してはならない ” などとは、まったく言われていない。 御書のどこにもない。 そのうえで、大聖人は、彼らは因果の理法によって無量劫の間、苦しむが、その後、また私が救ってあげようと言われている。 大慈大悲のお言葉である。 今世で謗法を反省し、正しき信心に立ち戻れば罪が軽くなることは言うまでもない。 日顕宗破折の運動は、無量劫、地獄に随とさないための、慈悲の行動なのである。

< 御書とその心 >より


非常に厳しきお言葉であります。 因果の理法は如何ともしがたい。 仏法が仏法を破ることは出来ないのです。 自分自身が犯した罪は、自分自身が償っていく以外に道は無い、世間のことではそれが道理であり、当たり前のようでも、仏法のことになると信じたくないのが人の常であります。 敵対した人も、いずれ、この信心をするようになって、人に仏法を語るときに馬鹿にされ、悔しい思いをして仏道修行しなければならず、呻吟するような苦境に見舞われながらも、信心して勝利していく以外に道はないのであります。 苦しみながら信心で宿命転換するならば、因果倶時の原理で、罪が消えるだけでなく、おおいなる福徳と境涯を同時に受けていくことができる、との日蓮大聖人のお約束であります。
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2012-03-14(Wed)
池田SGI会長の言葉には、心に染み入るような、魂を揺さぶる力があります。 創価の会員は日々その言葉に接し、感動し、勇気づけられております。 この1年の東北大震災に被災された同志に対する激励の一つ一つもそうであります。 そのために多くの会員が池田先生を慕い、師と尊敬しているのです。 この日々の言葉や出来事は、信心していない方には伝わっていません。 知ることができないが故に簡単にアンチの宣伝に迎合してしまうことにもなります。 これは、池田先生を知る会員が語らなければ、誰も知ることができないのです。 語ることがいかに大事であるか、今後もわたしは、少しでも創価の理解を深めていただくために、このブログで語っていきたいと思っています。 信心をしている方にとっても、創価の心、精神を知っていただき、創価万代の繁栄を継なぐ小さな力になれたらと願いながら。

創価では、何千人単位で、池田先生と会員の記念撮影会が全国津々浦々で行われてきました。 そのときに池田先生はマイクを握り、対話をしながら、近況を聞いたり、ピアノを弾いたり、ユーモアたっぷりに問いかけては、笑顔のはじける時間を過ごし参加者との絆を深めていました。 ときには深刻な状況報告や質問が飛び出すこともありますが、信心と仏法の真髄を明確に示し、激励しながら、周囲の参加者一人一人に感動と勇気を与えております。 わたし自身も、若き日にその撮影会に参加して、池田先生と身近に接した思い出があります。 それが今の信心の骨格の一部となっています。 池田先生の等身大の姿を知っているので、誰がなんと言おうとも、それに動ずることは微塵もありません。

今日は、大白蓮華に連載中の記事から、東北の冷害があった昭和46年に、記念撮影会で青森を訪問したときの池田先生の語らいを紹介いたします。 撮影会での池田先生の言葉は、一期一会の出会いの呼吸の中から出てきたものであり、普遍性を持つものではないかも知れませんが、奥に秘められた心を感じ取っていただければと思います。

6/13 青森記念撮影会

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(写真:大白蓮華2012年3月号 昭和46年青森記念撮影会)

* 福運を積んでいけば、10年先は想像もできない生活ができることを私は確信したい。 ならなくちゃおかしい。 所願満足が仏法の実証ですから。 御本仏の御金言ですから。 ならなければ、おかしんです。 そうでなければ仏法は嘘だ。 そんな馬鹿なことはありません。

* 呼吸を合わせて仲良く ― この方程式を壊したら何をやってもダメです。 人間関係は大変な場合もありますが、創価学会の世界に入ったら、もう、楽しくて、楽しくてしょうがない! そうゆう学会にして、そこで皆を癒してください。

< 世勇たれ大学会 6 >より


創価の会合は、本当に楽しくなります。 ふがいない自分に心わびしいときでも、悩み多くしょんぼりしているときでも、呻吟するような苦しみのときでも、頬が紅潮してくるような、体が温かくなるような元気が湧いてきます。 それが創価の会合なのです。 内容は時代や地域により違っても、その伝統を永遠に守って、伝えていかなければなりません。 そのような会合としていく力は、唱題と信心の確信から滲み出てくるものだと、わたしは思います。
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No title * by SHIn
私は池田先生にお会いした事はありませんが先生への毎月の御報告を通して夕焼けさんが仰ってくれた法華経化城喩品の“常与師倶生”を身読して参ります!入会した2002年に牧口で地元の記念総会がありましてもしかしたら先生が来られるかも!なんてあったんですが会えずじまいでした(>_<)近くまで来ていたらしいのですが。お会いできた事のある夕焼けさんが羨ましいです。御健在のうちに師に直接会って決意を申し上げたいです!

No title * by 夕焼け
SHinさん、おはようございます。

先生にお会いしたい気持ち、とても大切です。 それをバネに広宣流布に汗を流し、福運をつけながら成長してください。 唱題と仏法対話と御書の信心を一歩づつ深めながら、水が流れるように、背のびせず、地道に、堂々と、朗らかに前に進んでいくのです。

先生はじっと御覧になっています。 
” 九識心王真如の都 ” で全部通じていくのです。

2012-03-13(Tue)
今月の10・11日と戸田記念国際平和研究所が主催して 「 核兵器の無い世界 」 をテーマに会議が開かれました。
これは、創立者の池田SGI会長の第37回「 SGIの日 」記念提言を受けて「 非核兵器地帯の拡大 」 研究プロジェクトの実質的なスタートとなる会議で、世界6カ国から関係者が集い活発に議論を重ねました。 会議では、平和・軍縮・核問題の専門家が参加して、核兵器の軍縮と廃棄、非核兵器地帯の拡大、専門家と市民社会との連携などが話し合われ、12日には、NGOも参加して懇話会が開催されて議論や質疑応答が行われました。

<参加した研究機関>

インド防衛問題研究所
オーストラリア国立大学
オタゴ大学国立国際問題研究所
ノルウェー国際問題研究所
ハーバード大学国際安全保障プログラム
メルボルン大学ノッサル世界保健研究所
戸田記念国際平和研究所

核兵器の問題は、かつて、世界の終わりとまで言われたキューバ危機から、核兵器の恫喝による米ソ対峙の時代を経て、今、現実味を帯びて、テロを含め紛争で使われる危機が忍び寄ってきています。 戸田第二代会長の 「 核兵器は悪魔の兵器 」 「 奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい 」 との宣言から55年が経ち、創価の核兵器廃絶の署名運動や、原爆の体験・証言を記録した出版事業など地道な運動から始まって、核兵器廃絶の展示会を世界各地で開催するなど、国連機関や、研究機関、各国政府とも連携して、積極的に核兵器廃絶運動を世界的な規模にまで広げてきました。 アメリカ創価大学の国際教育機関からも有為な人材が輩出され、世界の専門機関で活躍する人が増えてきています。 しかし、現実は核兵器の脅威が深刻さを増して来ており、 「 突然の困窮 」 がいつ人類を襲ってきてもおかしくないほどです。 「 核兵器禁止条約 」 に向けて専門家達の研究や提言とともに、今こそ、市民レベルの世界的連帯を作る必要があるのではないか。 

3.11に、地域で、世界で行われた東日本大震災追善法要勤行会(福光勤行会)において、何故かわたしは無性にそう思ったのでした。

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(写真:聖教新聞2012年3月12日付 宮城県石巻文化会館 3.11福光勤行会)
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2012-03-12(Mon)
【 要 文 】

『 さてこそ諸法と十界を挙げて実相とは説かれて候へ、実相と云うは妙法蓮華経の異名なり・諸法は妙法蓮華経と云う事なり、地獄は地獄のすがたを見せたるが実の相なり、餓鬼と変ぜば地獄の実のすがたには非ず、仏は仏のすがた凡夫は凡夫のすがた、万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり、天台云く 「 実相の深理本有の妙法蓮華経 」 と云云、此の釈の意は実相の名言は迹門に主づけ本有の妙法蓮華経と云うは本門の上の法門なり 』

『 日蓮・末法に生れて上行菩薩の弘め給うべき所の妙法を先立て粗ひろめ、つくりあらはし給うべき本門寿量品の古仏たる釈迦仏・迹門宝塔品の時・涌出し給う多宝仏・涌出品の時・出現し給ふ地涌の菩薩等を先作り顕はし奉る事、予が分斉にはいみじき事なり、日蓮をこそ・にくむとも内証には・いかが及ばん、さればかかる日蓮を此の嶋まで遠流しける罪・無量劫にもきへぬべしとも覚へず、譬喩品に云く 「 若し其の罪を説かば劫を窮むるも尽きず 」 とは是なり、又日蓮を供養し又日蓮が弟子檀那となり給う事、其の功徳をば仏の智慧にても・はかり尽し給うべからず 』

『 地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり、地涌の菩薩の数にもや入りなまし、若し日蓮地涌の菩薩の数に入らば豈に日蓮が弟子檀那・地涌の流類に非ずや、経に云く 「 能く竊かに一人の為めに法華経の乃至一句を説かば当に知るべし是の人は則ち如来の使・如来の所遣として如来の事を行ずるなり 」 と 』
Category : 御 書 Comment : (0) |
2012-03-09(Fri)
今年は、ビートルズがデビュー(1962年)してから50年目にあたります。 中学生のときに、親友が家で聞かせてくれたのが彼らの曲でした。 ビートルズの曲を聴くと、彼のうれしそうにしていた顔を思い出します。 ビートルズといえば、うるさいエレキの楽曲をイメージするひともいるかもしれませんが、そんなことはありません。 1964年にリリースされた And I Love Her を紹介いたします。

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ And I Love Her
Category : 音 楽 Comment : (1) |
2012-03-08(Thu)
一昨日に紹介した曲の他に、南無妙法蓮華経を歌にした御仁がおられます。 いやー、時代と言えば時代なのでしょうが、第三文明ならぬ新たな文化の萌芽を感じます。 世界広宣流布の未来がどうなるのか、予想もつかないほどの展開が待ち受けているにちがいありません。


・ Power Of Nam Myoho Renge Kyo
Category : SGI Comment : (2) |

No title * by 菊川広幸
ブログ開設以来、ブログ村の仏教カテゴリに登録してきましたが、今回、50歳代カテゴリに転居することにいたしました。
私のブログの性質上、そこが相応しいかと考えた次第です。

No title * by 夕焼け
菊川さん、丁寧にお知らせ下さりありがとうございます。

了解です。 わたしもブログの主旨からいって、創価学会のカテゴリーにあえて入れていません。 (^^

2012-03-07(Wed)
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(写真:SGIグラフ)


今日、聖教新聞に連載中の小説、新・人間革命 ― 薫風33 ― に次の言葉がありました。


* 広宣流布とは、互いの幸せを願う民衆の連帯の広がりである。


創価は幸せを願う民衆の集まりです。 しかもその幸せは、他の人の幸せを願い、その苦難を共に受け止め、励ましあいながら築いていくところに、最大の特徴があります。 日蓮大聖人の御書に 「 人のために火をともせば・我がまえ明らかなるがごとし 」 とありますが、 ” 互いの幸せを願う民衆の連帯 ” に社会の真の平和と幸せを築いていく原点がある、というのが創価の精神であります。 
その反対に、戦争は、互いに憎しみ合い、害することばかり考えている人の連帯といえるでしょう。 あるいは、人の不幸の上に自分たちだけの幸せを追求する姿ともいえます。 これはなにも戦争だけではなく、 ” 互いの幸せを願う ” ことを忘れた社会にも言えることです。 人の幸せのために悩み、汗を流し、言葉を尽くして語ることが、自分の幸せにつながるという創価の精神が、地域の、社会の隅々まで浸透していってほしいと、願わずにはいられません。
Category : 創 価 Comment : (0) |
2012-03-06(Tue)
今日は、ブログのメンテナンスで疲れたので、記事をお休みして、すこし変わった音楽を紹介いたします。

ジョン・レノンの奥さんであるオノ・ヨーコさんのアルバムに、南無妙法蓮華経だけを歌った曲があるのをご存知の方も多いいと思いますが、アラン・スモールウッドという方も、南無妙法蓮華経の音律をサウンズに曲を作っております。


・ Nichiren Buddhism Chanting Music
Category : SGI Comment : (3) |

No title * by む-みん
アラン・スモ-ルウッドさんの曲にびっくりしました。オノ・ヨ-コさんのも あるのですか。知りませんでした。
いい曲を 教えて頂きました。ありがとうございます。

No title * by SHIn
歌う題目良いですね。私も調子が上がらない時は好きな曲の歌詞を全て題目に変え歌っています笑。
学会歌の歌詞を題目に変えるととてつもなく力強い音律になります!私のお勧めは人間革命の歌の歌詞を題目に変え歌う事です!唱題中に行うと効果テキメン!と自負しております(^O^)

No title * by 夕焼け
SHinさん、おはようございます。

題目は南無妙法蓮華経の文字とそこに具わる音律・音声が大事です。 御本尊に唱えるときはほどほどに。(^^

2012-03-05(Mon)
この御書は、文永10年(1273年)5月に弟子の最蓮房に与えられた、日蓮大聖人52歳のときの御抄であります。
佐渡流罪中には、開目抄・如来滅後五五百歳始観心本尊抄を始めとして、生死一大事血脈抄・草木成仏口決・阿仏房御書・佐渡御書・如説修行抄・顕仏未来記・当体義抄など、法門上重要な内容の御書が書かれております。


【 要文 】

『 問うて云く法華経の第一方便品に云く 「 諸法実相乃至本末究竟等 」云云、此の経文の意如何、答えて云く下地獄より上仏界までの十界の依正の当体・悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりと云ふ経文なり依報あるならば必ず正報住すべし、釈に云く 「 依報正報・常に妙経を宣ぶ 」等云云、又云く 「 実相は必ず諸法・諸法は必ず十如十如は必ず十界十界は必ず身土 」 、又云く 「 阿鼻の依正は全く極聖の自心に処し、毘盧の身土は凡下の一念を逾えず 」云云 』

『 されば法界のすがた妙法蓮華経の五字にかはる事なし、釈迦多宝の二仏と云うも妙法等の五字より用の利益を施し給ふ時・事相に二仏と顕れて宝塔の中にして・うなづき合い給ふ、かくの如き等の法門・日蓮を除きては申し出す人一人もあるべからず、天台・妙楽・伝教等は心には知り給へども言に出し給ふまではなし・胸の中にしてくらし給へり 』

『 地涌の菩薩の中の上首唱導・上行・無辺行等の菩薩より外は、末法の始の五百年に出現して法体の妙法蓮華経の五字を弘め給うのみならず、宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕すべき人なし、是れ即本門寿量品の事の一念三千の法門なるが故なり、されば釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ、経に云く 「 如来秘密神通之力 」 是なり、如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし、凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり 』
Category : 御 書 Comment : (4) |

No title * by む-みん
先日は著作権の感想とは全く関係ない内容のコメントを 入れてしまいまして、失礼致しました。また丁寧に お返事を 有難う御座いました。
「諸法実相抄」 難解ですね。
しっかり 読ませて頂きます。
まだ、なかなか はっきりしないことが
ありまして・・・次回 書き込みます。
わからない者が、難解な事を 聞きたがりますが これからも宜しく お願い致します。

No title * by 夕焼け
む-みんさん、こばんわ。

こちらこそよろしくお願いいたします。
わたしにも、難しくて解らないことがまだまだあります。
知識を紡いでいくような作業と解いていく作業の繰り返しです。

No title * by む-みん
度々 申し訳ないのです。
十界論で 思うのですが、「一般の仏」とは違い 「闘う仏」ですね。
「内なる悪」に勝利するには、「外なる悪」に勝利しなければ ならない。
極悪と戦うから極善になる。とあります。
「外なる悪」を悪と思いきれないので、前に進めないのかも しれませんが。
仏、菩薩と言えば 救うはずなのに、戦って勝つということが、見捨てるような感じが してしまいます。
「極悪」に対して 「打倒」と掲げ 戦う。 どこまでが勝ったことで、最後に 誰が 救ってあげるんでしょうか。
釈尊も堤婆を師匠として いずれは仏になるとの 記別を与えました。
仏も十界互具なので 分かるような 分からないような気分です。

No title * by 夕焼け
むーみんさん、おはようございます。

>十界論で思うのですが、「一般の仏」とは違い「闘う仏」ですね。

申し訳ありません、何について、”「一般の仏」とは違い「闘う仏」”と仰ってるのか意味が掴めないでいます。

>「内なる悪」に勝利するには、「外なる悪」に勝利しなければならない。 極悪と戦うから極善になる。 とあります。

わたしは、順序が逆だと思っています。 「内なる悪」に勝利して、「外なる悪」に立ち向かうことが肝要ではないでしょうか。 一人の人間革命は・・・・で始まる小説・人間革命の主題はそのことを言っております。 その意味で、悪に立ち向かうことこそ善の証だということです。 ” 極悪と戦うから極善になる ” というのは牧口先生の価値論の意味から言われていることではないでしょうか。 牧口先生は善をなさないのは悪だと仰っています。 また極悪を ” 魔 ” 極善を ” 仏 ” と捉えることも出来ます。 日蓮大聖人はあらゆる魔と戦い、竜ノ口の難では仏の姿を顕されております。 

>仏、菩薩と言えば救うはずなのに、戦って勝つということが、見捨てるような感じがしてしまいます。 「極悪」に対して「打倒」と掲げ戦う。 どこまでが勝ったことで、最後に誰が救ってあげるんでしょうか。

打倒・戦うと言っても、人を殺したり、痛めつけることを意味するものではありません。 誤った考えを正していくということで、言論戦・慈悲の思いからくる戦いです。 要するに、敵を味方に、偏見を正見にしていく戦いです。 これを間違えると悪に引きずられて自らも悪に染まります。 そのことについては、このブログでも ” ソクラテスの言葉 ” の記事で触れていますので参考にしてみてください。

http://blog.livedoor.jp/yuyakeci/archives/6309654.html

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