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2012-01-31(Tue)
わたしの仏壇には今までの広布部員証・財務記念品・財務領収書が保管されています。 信心されていない方はこの領収書があることを知らない方が多いと思います。 領収書は封印されて届きますから、周りの信徒同士で額を知ることはできません。 また、公的機関(銀行・郵便局)への振込みなので第三者機関に記録も残ります。 普通の宗教団体がここまで、財務を厳格に扱っているところはないでしょう。 キリスト教などでは、毎週の礼拝時に寄付を募りますが、みんなの見てる前で、どの人が、どれくらい、と判ってしまうような状態で、その場で行いますから、信徒であれば、しないことや、額についてはプレッシャーが少なからずあると思います。 また、多くの宗教団体は現金収入ですから、不正や不実の行為の温床となる可能性も否定できないのですが、アンチはこんなことは、百も承知で、より厳格に行う創価の財務を執拗に賤しめます。 創価の場合は宗教法人としての財務状況は国に報告してあり、第三者機関を調査すれば不正・不実はすぐ判るのを知っていながら、悪意の喧伝に走っているのです。 他宗教の寄付には寛容で、善意にとるのがアンチのアンチらしいところです。

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(SGIグラフ アメリカ創価大学)

もともと創価の会員は、御受戒(御本尊下付)・各種法要・葬儀・大石寺登山(御開扉)・寺院建立のために、寺院・宗門に対して ” ご供養 ” として寄付をしてきました。 会員個人が直接にご供養する形態ですが、寺院建設は創価が財務の中から割当て、建立した寺院を宗門に寄付するというのがほとんどでした。 正本堂は特別にご供養を募り建立されていますが、この場合は、寺族(僧侶の縁戚)や法華講のご供養もありますので、正本堂建設委員会が設立されて、宗門・法華講・創価学会の三者で統括して建立されています。 このような寄付は強制とか自由とかの問題ではなく、信仰行為に付随するので、必要の対価、あるいは必然の寄付というべき性格になっています。 ほとんどの宗教は、この種のご供養・寄付をもって、教団の維持や活動を推進しています。
宗門から破門させられた創価はこの ” ご供養 ” は必要なくなったわけで、会員が必然でご供養することは無くなり、より自由な環境の下に、寄付としての財務を確立する努力を払って、今日に至っているわけです。 世間で吹聴されている、池田会長の個人資産になってるとか、金を搾り取っているとか、それらは、悪意に塗り固められたまったくのでたらめです。 もう一度いいますが、悪意に塗り固められたまったくのでたらめです。 創価の場合はSGI池田会長も含め全員が寄付の権利をもった有資格者であり、会長だからしなくてよい、してはいけないというものではないのです。 事実、SGI池田会長も家族を含め広布部員なのです。 またSGI池田会長個人の著作の印税も、創価大学・平和研究財団・仏教研究財団・文化芸術財団等の設立・運営資金や各種の慈善団体・国連機関・NPO・研究機関・災害支援機関へとほとんど寄付しているのです。
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No title * by 河越武蔵守頼重
ですねぇ。

特に、自称ネット右翼が喚いてます。
信濃町で街宣車に乗って、「創価に課税を」
と言うし、通る学会員にあーだこーだと言う始末。
自称右翼の祖母の日顕本尊を持ち出して
「偽本尊」ま、本当に偽物ですから、日顕の本尊は。
良い笑いものです。
しかも、内部抗争までして訴えられる始末。
創価の陰謀だとか言うから呆れるばかり。
皆、怪文書や嘘を信じたいんですよ。

No title * by 夕焼け
河越武蔵守頼重さん、こんばんわ。

変なのがいますよね。
あまり、近づかないほうがいいみたいです。
質問しただけで、「脅迫された!」と言いかねない雰囲気です。(笑)

財務部員(広布部員)第1号は戸田先生です。
戦後の創価の再建で、必要な資金を戸田先生お一人で工面しています。 その後、教戦の拡大にともない、戸田先生の資金だけでは足らなくなり、本部に財務部員の組織が出来てきました。 限られた有志によるものです。

2012-01-30(Mon)
わたしが創価で寄付を初めておこなったのが、正本堂建立のときでした。
梅酒を造る大きなガラス瓶に、小遣いを使ったときに生じた一円を少しずつ貯めていたのを寄付したのです。 それから30年経った1995年に、わたしは広布部員となり、定期的に年に1回、創価学会に寄付をする ” 財務 ” を行うようになりました。 入信してから35年目です。 ちゃんと信心し始めてから31年も経っています。 ずいぶんと長いことかかってするようになったものです。 それほどに、 ” 財務 ” は会員として必要不可欠な事ではないのです。 それから16年間広布部員として真心からの寄付をしてきました。 それは広宣流布の活動に必要となる、組織の拠点や運営に必要な経費は、会員として負担したいとの思いからであり、自由な意思と貢献の心から行っています。 額はその度にわたしが決めており、要求されたことは、一度もたりともありません。

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(聖教グラフ 大石寺正本堂)

財務の時期になると、寄付の功徳の話は出てきますが 「 金額が多いほど功徳が大きい 」 、 「 寄付をしなければ信心の功徳は無い 」 などという話は微塵もありません。 そんな馬鹿げたことを言う幹部がいたら、お目にかかりたいものです。 稀に、そんなバカたれが居るかも知れませんが、そんな考えは日蓮仏法・創価の精神とは真逆の考え方です。 もしも、そのような指導をしたり、強要するような幹部がいれば、創価の獅子身中の虫であり、わたしはそのような人を徹底して弾劾するでしょう。 不穏当で不用意な言動は、創価の組織を破壊する行為であり、厳正に公明に行われるよう、細心の配慮を施している池田先生に対して、泥を塗るものです。 
寄付をお願いし、寄付した人を賛嘆するのは他の宗教組織とて同じです。 お願いを非難する信仰者はいません。 尊いことだと思うし、役にたってほしいと思うからでしょう。 心が大事だとするのが仏教であり、極貧で何も無いなか、砂の飯を釈迦にご供養して、その功徳で偉大な王に生まれ変わったという逸話は有名であり、創価でも、その度に語られる話であります。 創価でも心>身>財という不等式が重んじられ、財の供養は下位に置かれているのです。 また信仰と関係ない世界においても、寄付をお願いすることがあります。 それに応えて、災害にあった人や、恵まれない人に心からの寄付をする人がいます。 難病克服のための研究に寄付をする人もいます。 海外ではこの 「 寄付の文化 」 が定着していて、いろいろと当たり前のように行われてもいます。 普通は、寄付をするその人に感謝と尊敬の思いが湧き出てきて、立派な人だと賛嘆いたします。 そのような人には、きっと良いことがあるだろう、とも思うでしょう。 創価で語られる功徳の話は、このことと基本的に同じなのです。
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No title * by 河越武蔵守頼重
ま、新聞何かも偶に聞いたりします。
ご供養もそうですが、一部の勘違い幹部が居る事は事実です。
そんな奴には破折してやります。

ご供養は、自分の気持ちから出なきゃ意味が無いとね。

No title * by 夕焼け
河越武蔵守頼重さん、おはようございます。

組織に、自分勝手な価値観と見栄を持込み、創価の名を貶める。
恐いことですよね。
わたしも、気をつけるようにしています。

河越武蔵守頼重さんに破折されると、きっと迫力あるでしょうね。(^^
どんどん破折してください。 (^^

2012-01-23(Mon)
今日から1週間、記事を休ませていただきます。

度々すいません。 (^^
来週の日曜に帰りますので、月曜から再開します。
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No title * by 河越武蔵守頼重
明日、池田先生が「平和提言」を出されるそうです。
謹んで、拝聴致したいですね。

2012-01-20(Fri)
今週も加山雄三さんの歌を紹介します。

加山雄三さんは 「 南の島は優しい 」 と表現していますが、南の島へは日本が冬の時に行くのが、わたしは好きです。
飛行機から降りたとき、ファーと暖かい空気と香りが体全体を包み込み、たまらなくリラックスさせてくれます。

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ フィジーにおいで
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2012-01-19(Thu)
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SGI池田会長は折々の会合で御書をひもとき、次のように語られております。


【 本文 】 日女御前御返事 (P1244) 
『 この御本尊も只信心の二字にをさまれり 』

【 通解 】 
『 この御本尊は、ただ信心の二字に収まっている 』

【 指導 】
* 信心があれば、そこに御本尊が顕現される。 信心なくば、どんなに御本尊を持っていても、功徳はない。 その 「 因果 」 が御書には厳しく説かれている。 唱題を重ねていくと、内なる仏性が、どんどん輝きわたっていく。 わが生命に南無妙法蓮華経がしみわたっていく。 自分自身が妙法の当体であることを確信し、覚知していける。 そうした境涯を開けば、生きていること自体が楽しい。 常楽である。 力も出る。  ” よし、広宣流布に進もう! ” 、 ” よし、人を救っていこう ” 、 ” 仕事でもっと実証を示そう ” と、ぐんぐん生命力がわく。 「 無限の希望 」 「 無限の力 」 「 無限の福徳 」 「 無限の知恵 」 が輝く人生を、永遠に歩んでいける。

< 御書とその心 >より


「 南無妙法蓮華経 」 を日蓮大聖人は 「 深く信じて妙法蓮華経と唱へば一生成仏更に疑あるべからず 」と、 ” 南無 ” を ” 深く信じて ” に読みなおされておられます。 わたしは、 ” 色心ともに深く信じて ” と受け止めて、唱題しながら、仏法対話しながら、広宣流布に生ききることが大事であると、深く心に刻んでゆきたいと思っております。
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2012-01-18(Wed)
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さくら咲く、といっても去年撮った桜です。

桜は日本の国花ではありませんが、日本人にとても愛されている花です。
普通の山桜は葉が出てから花が咲きますが、ソメイヨシノは花が咲いて散りはじめると葉が出てきます。 そのため、樹木全体が花で覆われて、艶やかな姿を見せてくれます。 桜は冬の間、枯れていますが、寒さの中で蕾みを作り、成長させていきます。  そして、春の訪れを感じながら、暖かさの前に急に気温が下がった後に、より鮮やかに爛漫と花を咲かせるそうです。

御書に 「 法華経を信ずる人は冬のごとし冬は 必ず春となる 」 とありますが、桜は、この御文の春を象徴するかのように爛漫と咲き誇ります。 ソメイヨシノの花は5枚だそうで、花言葉に 「 法華経を信じる人 」 と加えたいものです。 創価のシンボルマークは八葉蓮華ですが、どこか桜の花にも似ているようにわたしは感じます。
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2012-01-17(Tue)
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(写真:SGIグラフ)


今、創価は192カ国の同志と共に新たな年を迎え、青年を中心として仏法対話の風を起こしています。
その各国のSGI(創価学会インターナショナル)で公式HPを持っている国のリンクを集めてみました。 すべて英語か母国語で作られていますので、語学の苦手な方は、写真あるいはビデオレターなどで雰囲気だけでも味わってみてください。

アフリカ

    南アフリカ

アジア

    
香 港
    インド
    韓 国
    マレーシア
    ネ パ ー ル
    フイリピン
    シンガポール
    スリランカ
    台 湾
    タ イ

ヨーロッパ

    オーストリア
    デンマーク
    フィンランド
    フ ラ ン ス
    ド イ ツ
    アイスランド
    アイルランド
    イタリア
    ルクセンブルグ
    ノルウェー
    スペイン
    スウェーデン
    イギリス

南アメリカ

    ブラジル
    チ リ
    ドミニカ
    パラグアイ
    ペルー
    ウルグアイ
    ベネズエラ

北アメリカ

    カナダ
    アメリカ
    メキシコ
    コスタリカ
    パナマ

オセアニア

    オーストラリア
    ニユージーランド
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2012-01-16(Mon)
【 要 文 】

『 然る間・仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり、之に依つて浄名経の中には諸仏の解脱を衆生の心行に求めば衆生即菩提なり生死即涅槃なりと明せり 』

『 只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり。 』

『 抑妙とは何と云う心ぞや只我が一念の心・不思議なる処を妙とは云うなり不思議とは心も及ばず語も及ばずと云う事なり、然れば・すなはち起るところの一念の心を尋ね見れば有りと云はんとすれば色も質もなし又無しと云はんとすれば様様に心起る有と思ふべきに非ず無と思ふべきにも非ず、有無の二の語も及ばず有無の二の心も及ばず有無に非ずして而も有無にへんして中道一実の妙体にして不思議なるを妙とは名くるなり、此の妙なる心を名けて法とも云うなり、此の法門の不思議をあらはすに譬を事法にかたどりて蓮華と名く、一心を妙と知りぬれば亦転じて余心をも妙法と知る処を妙経とは云うなり、然ればすなはち善悪に付いて起り起る処の念心の当体を指して是れ妙法の体と説き宣べたる経王なれば成仏の直道とは云うなり、此の旨を深く信じて妙法蓮華経と唱へば一生成仏更に疑あるべからず 』
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2012-01-15(Sun)
今日の聖教新聞に 「 法華経―平和と共生のメッセージ 」 展を日本で開催することが発表されていました。 東洋哲学研究所とロシア科学アカデミー東洋古文書研究所と共催で開催されるようです。 この展示会は1998年に開催された 「 法華経とシルクロード 」 展に続くもので、2006年から香港を初めとして、インド・スペイン・ネパール・ブラジル・スリランカ・イギリスで開催されてきました。 今回は東洋哲学研究所の創立50周年を記念して、初めて日本で開催されることになります。 仏教に興味のある方は見に行ってみてはいかがでしょう。 わたしは、見に行きたいと思っています。

会  場 : 創価大学記念講堂ロビー
       ( 交通案内 )

会  期 : 平成24年3月25日~31日
       ( 4月1~4日は休展 )
       平成24年4月5日~5月6日

開館時間 : 午前11:00~午後5:00 
       ( 入館出来るのは午後4:30まで )

入 場 料 : 無料

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(聖教新聞2012年1月15日付)


・ 過去の「 法華経とシルクロード 」 展

・ 過去の「 法華経―平和と共生のメッセージ 」 展
Category : 仏 教 Comment : (4) |

No title * by 菊川広幸
交通案内まであるとは!(笑)
同じ記事になりましたが、クオリティはまるで違いますね。
この記事こそ、本当の情報発信です。(^◇^)

No title * by 夕焼け
これから、日曜は不定期で、出来事や行事、催事などを紹介していこうと思います。

No title * by 河越武蔵守頼重
私も、四月に成ったら行きたいと思ってます。

No title * by 夕焼け
河越武蔵守頼重さん こんばんわ。

4月いいですね。 周桜も満開でしょう。

2012-01-13(Fri)
今週も、加山雄三さんの歌を紹介いたします。

この歌は、わたしが15歳のときの昭和41年(1966年)に発表された歌です。
ちょうど、信心を始めたころで、広宣流布への熱き思いを抱いて、正しき道を確かめるように学んでいたときでした。 風のように流れゆく旋律と、遥かな夢に向かう想いの詩に、心が惹きつけられました。

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ 旅人よ
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2012-01-12(Thu)
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SGI池田会長は折々の会合で御書をひもとき、次のように語られております。


【 本文 】 顕立正意抄 ( P537 ) 
『 但だ名のみ之を仮りて心中に染まざる信心薄き者は設い千劫をば経ずとも或は一無間或は二無間乃至十百無間疑無からん者か是を免れんと欲せば各薬王楽法の如く臂を焼き皮を剥ぎ雪山国王等の如く身を投げ心を仕えよ、若し爾らずんば五体を地に投げ・身に汗を流せ、若し爾らずんば珍宝を以て仏前に積め若し爾らずんば奴婢と為つて持者に奉えよ若し爾らずんば等云云、 四悉檀を以て時に適うのみ、我弟子等の中にも信心薄淡き者は臨終の時阿鼻獄の相を現ず可し其の時我を恨む可からず等云云。 』

【 通解 】 
『 ただ名ばかりで、心中に染まることのないような信心の薄い者は、たとえ千劫までは経なくとも、一生、二生、あるいは、十生、百生の間、無間地獄に堕ちることは、疑いないでしょう。 それをまぬかれようと思えば、薬王菩薩や楽法梵志のように、ひじを焼き皮をはいで法を求めなさい。雪山童子や阿私仙人に仕えた国王のように、法のために我が身を投げ捨てなさい。 もしそれが出来なければ、五体を地に投げて全身に汗を流しなさい。 もしそれが出来なければ、珍しい宝を仏前に積みなさい。 もしそれができなければ、従者となって、法華経を持つ者に仕えなさい。 もしそれが出来なければ・・・・・ 時に適うようにしなさい。 わが弟子等のなかにあっても信心の薄い者は、臨終の時に阿鼻地獄の相を現じるであろう。その時に日蓮を恨んではならない 』

【 指導 】
* 信心しているからといって、安閑としていては、一生成仏の大道を進むことはできない。 名ばかりの信心では、真の功徳はない。 そればかりか、もっとも大切な 「 死 」 を大苦悩のなかに迎えてしまう場合もある。 それでは信心したかいがない。 ひとたび正法に巡りあえた以上、悔いなき求道の人生に徹していく、そして信心の喜びにあふれ、勇んで法を弘めゆくことこそ、正法を受持しえた私どもの使命であり、権利である。

< 御書とその心 >より


とても厳しき現実である。 仏法は峻厳な生命の法なるが故なのです。
ここで誤解してはならないのは、信心するうえで仏法のために 「 ひじを焼き皮をはぐ 」  、 「 我が身を投げ捨てる 」  、 「五体を地に投げて全身に汗を流す 」 、 「 宝を仏前に積む 」 、 「 法華経を持つ者に仕える 」 等々をしなければいけない、あるいは、すればよいということではないのです。 「 四悉檀を以て時に適うのみ 」 とあるように、末法においては折伏そして学会活動を行うことですが、同じであります。 日蓮大聖人は、形だけの姿であってはならない、深き ” 信 ” をとって 「 信心の喜びにあふれ、勇んで法を弘めゆく 」 広宣流布に生きゆく心、姿が大事だと仰っているのです。
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2012-01-11(Wed)
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民家の壁にへばり付いて、
きれいな紅葉を見せてくれていました。
いけ花のような美しさです。

街歩きをしていると、いろいろな場面に出会います。
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2012-01-10(Tue)
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天台大師は一念三千論として、色心不二、依正不二の視点から生命を解析しています。 一念三千論については、別の機会に譲るとして、基本となる ” 十界論 ” について触れてみたいと思います。 

人の生命には十の生命の階層があるというのが十界論です。 それは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏の十の生命です。 地獄界から天界までは、よく観察すれば他人の姿に見てとれますし、日常の中で自分にも現れていることが理解できます。 これらは六道と呼んでいます。 次に声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界を四聖と言い、そのうちの声聞・縁覚を二乗あるいは菩薩界を入れて三乗と呼んでいます。 開三顕一の三はこの三乗です。 これらは、なかなか現れることはなく、他人に見ることも少ない生命です。 さらに、それぞれの生命には十界があり、これを ” 十界互具 ” と言います。 つまり、地獄界にも地獄界から仏界まで、人界にも地獄界から仏界まで、仏界にも地獄界から仏界まで具わっているのです。 普段温厚な人が怒りを現すのは人界の修羅界であり、物事を知ろうと学問に取組む姿勢は人界の声聞界といえます。 ここでは、このように単純化して説明していますが、人の生命の状態は十如是・三世間を含めて、複合的に捉えて理解しないと誤解します。 いずれにせよ、この生命は、絶えず現れては去り、去っては現れます。 自分で、この生命でいようと思っても、なかなか自由にはなりません。 意識でこの生命を自在にコントロールできればいいのですが、構造的にそうなっていません。 生命は外界からのいろいろな働きかけ(縁)に触れて、主体の生命状態(因)により様々に現れるのです。 

では、この生命と心や体、意識との関係性はどうなってるのでしょう。 それが、 ” 十如是 ” や ” 三世間 ” というそれぞれの生命に具わる働きや特質と深く関わってきます。
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2012-01-09(Mon)
この御書は年次不明ですが、建長7年(1255年)に富木常忍に与えられた御抄だと伝えられています。 そうであれば、日蓮大聖人34歳のときの御書です。


【要 文】

『 夫れ無始の生死を留めて此の度決定して無上菩提を証せんと思はばすべからく衆生本有の妙理を観ずべし、衆生本有の妙理とは・妙法蓮華経是なり故に妙法蓮華経と唱へたてまつれば衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり、文理真正の経王なれば文字即実相なり実相即妙法なり唯所詮一心法界の旨を説き顕すを妙法と名く故に此の経を諸仏の智慧とは云うなり 』

『 妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらずそ法なり、そ法は今経にあらず今経にあらざれば方便なり権門なり、方便権門の教ならば成仏の直道にあらず成仏の直道にあらざれば多生曠劫の修行を経て成仏すべきにあらざる故に一生成仏叶いがたし、故に妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり。 』

『 都て一代八万の聖教・三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとは・ゆめゆめ思ふべからず、然れば仏教を習ふといへども心性を観ぜざれば全く生死を離るる事なきなり、若し心外に道を求めて万行万善を修せんは譬えば貧窮の人日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し、然れば天台の釈の中には若し心を観ぜざれば重罪滅せずとて若し心を観ぜざれば無量の苦行となると判ぜり、故にかくの如きの人をば仏法を学して外道となると恥しめられたり 』
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2012-01-06(Fri)
今日は、若大将こと加山雄三さんの歌の中から、とても好きな歌を紹介いたします。

わたしが茅ヶ崎に初めて行ったのは、27歳の夏でした。 当時(昭和53年)はまだ木造の駅舎で、駅から海岸に至る道も、のどかな雰囲気があり、一歩道を入っていくと、細い道に屋敷が並び、松の木が点在する風光明媚な風情がありました。 静寂の中にひぐらしの声と風鈴の音が心地よく、行きかう人も無く、のんびりと日差しを受け、ふくよかな風に誘われるようにして海岸へと歩いていくと、遠くから波の音が近づいてきて、家並みが切れる道の先に、広々とした土のグラウンドを眺めるように小高い丘があり、太平洋の海原を一望に見渡すように松が立並んでいました。 わたしは、その松の下に寄り添うようにして座って、暫らく海を眺めていました。 その頃でも、今の茅ヶ崎とはだいぶ違います。 この歌を聴くと、グラウンドで遊ぶ子供達の風景が目に浮かぶようです。 歌は時代の記憶と共にあるのだとつくづく思います。

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ 加山雄三通り
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2012-01-05(Thu)
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SGI池田会長は折々の会合で御書をひもとき、次のように語られております。

【 本文 】 阿仏房尼御前御返事 (P1308) 
『 弥信心をはげみ給うべし、仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべし、よしにくまばにくめ法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし、如説修行の人とは是れなり、法華経に云く 「 恐畏の世に於て能く須臾も説く 」 云云、悪世末法の時・三毒強盛の悪人等・集りて候時・正法を暫時も信じ持ちたらん者をば天人供養あるべしと云う経文なり 』

【 通解 】 
『 いよいよ信心を励んでいきなさい。 仏法の道理を人に語ろうとする者を、男女僧尼が必ず憎むであろう。 憎むなら憎むがよい。 法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身を任すべきである。 如説修行の人とはこういう人をいうのである。 法華経の見宝塔品には 「 濁悪恐怖の世において、よくわずかの間でも説く 」 等とある。 これは悪世末法の時、三毒強盛(貪り・瞋り・癡かの心が強く盛んなこと)の悪人たちが集まっている時に、正法をわずかの間でも信じ持つ者を、天人が供養するであろうという経文である 』

【 指導 】
* 正しき道を歩むには、「 強く 」 なければ歩めない。 日蓮大聖人は、老境にあった千日尼に対しても、何があろうとも、信心に停滞があってはならない、 「 いよいよ 」 信心に励んでいきなさい、と教えられている。 
信心に休みはない。「 一生成仏 」 の 「 真如の都 」 に到達するまで、不断に信心の歩みを貫いていく。 心なき批判を受けようと、宿命の嵐があろうと、決して負けない。 一歩、また一歩と進んでいくその勇気ある不退の前進を続けてこそ、三世十方の仏菩薩、諸天善神にも守られ、境涯を大きく開いていくことができる。 永遠なる ” 勝利 ” の栄冠を得ることができるのである。

< 御書とその心 >より


信心は、水のような信心が理想です。 弛まず、何があろうと仏の言葉に随い前進していかなければなりません。 「 よくわずかの間でも説く 」 とは、闘争のような現実社会の中で、自行においては御本尊に、化他においては人に、寸暇をさいて、ほんのわずかの時間でも、唱え、語っていくということであります。 そうであっても、その人こそ ” 如説修行の人 ” と日蓮大聖人は仰っております。
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2012-01-04(Wed)
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池田SGI会長は2012年1月2日で84歳の誕生日を迎えられた。
その日、我ら同志に ” 希望は人生の宝なり ” と詠われた詩を贈っていただいた。 その中に、去年亡くなられたマータイ博士の言葉があります。

「 希望は花のようである。 どんな状況においても、誰が見ていようがいまいが、花は精一杯、咲き誇る。 人間もまた同じである。 」

同じ日、路傍に咲く一輪の花をわたしは撮った。
” わたしはちゃんと見ているよ ” と思いつつ、その美しさに感動して、元気を貰った。  願わくば、東北の友も希望を持って花を咲かせ、全国の人たちを感動させて共々に喜びたい。
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No title * by トッシー
毎日忙しく通っている道、花がどこに生えてるとかさえも気にした事もなかったです。。きれいな黄色い花ですね。癒されます☆

No title * by 夕焼け
トッシーさん おはようございます。

わたしは、写真を撮るのが好きです。
学会活動より、好きです。(笑)
でも、学会活動そのものである池田先生の撮った写真に、
わたしの撮った写真は敵いません。 (^^

2012-01-01(Sun)
新年明けまして おめでとうございます。

創価青年学会に乾杯!

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No title * by 赤鬼
賀正本年もよろしくお願いします。

No title * by 夕焼け
赤鬼さん 新年おめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

No title * by 河越武蔵守頼重
遅くなりましたが

謹賀新年

新年、明けましておめでとう御座います。
本年も、宜しく御願い致します。

No title * by 夕焼け
河越武蔵守頼重さん こちらこそ、よろしくお願い致します。

No title * by トッシー
夕焼け様遅ればせながら新年のご挨拶を申し上げます。明けましておめでとうございます☆本年もよろしくお願い申し上げます。>「善からんは不思議悪からんは一定と思え」との御文を胸に収め、真心込めて誠実に対話してください。 トッシーさんの姿が一番の雄弁となるでしょう。 妙法の種は確実に植えられていきます。 すばらしいことです。先日20数年ぶりに友人と会い、夕焼けさんの上記言葉でほっとしました。緊張もほぐれ、小学校時代の時と変わらずに世間話等盛り上がることが出来ました!学会については、今後も真心こめて誠実に対話して分かってくれるように、祈り行動して行きたいと思います。ブログの更新大変でしょうが、お体に無理ないよう頑張って下さい。応援してます☆

No title * by 夕焼け
トッシーさん 新年あけましておめでとうございます。

創価青年学会の年にふさわしく、
人間革命の鍛錬を受けきって、境涯を開いていってください。
それが、将来の礎となり、爛漫と咲き誇る福運となります。
現実は容赦のない世界ですが、
人間力がつけば、そこが常寂光土なのだと気づくはずです。

お互い、御本尊に信を立てて、
広宣流布に生き抜いてまいりましょう。

No title * by トッシー
人間力がつけば、そこが常寂光土だと気づくのですね☆

(常寂光土)検索して、初めてなんとなく意味が分かりました^^

新年最初に覚えた新しい言葉、座談会で発言する時早速使わせて頂きます!

No title * by 夕焼け
釈迦の低い教えでは、仏が住む寂光土は十方の遥か彼方にあるとしています。 そして、この世界は苦しみに満ち、悪人や業の深い人々が住む世界として、嫌われます。 ところが、文底秘沈の日蓮仏法では、寂光土は南無妙法蓮華経と唱えるわが身と、わが身が居るところの世界の外にはないとしています。 今月の座談会御書もそのことの根本が示されています。 参考に御書の御文をあげておきます。 思索の一助とし、ぜひ信心の実践によって実感してください。

当体義抄(P512)
『 所詮妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり、正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦・即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり 』

三世諸仏総勘文教相廃立(P563)
『 四土不二にして法身の一仏なり十界を身と為すは法身なり十界を心と為すは報身なり十界を形と為すは応身なり十界の外に仏無し仏の外に十界無くして依正不二なり身土不二なり一仏の身体なるを以て寂光土と云う是の故に無相の極理とは云うなり、生滅無常の相を離れたるが故に無相と云うなり法性の淵底・玄宗の極地なり故に極理と云う、此の無相の極理なる寂光の極楽は一切有情の心性の中に有つて清浄無漏なり之を名けて妙法の心蓮台とは云うなり是の故に心外無別法と云う此れを一切法は皆是仏法なりと通達解了すとは云うなり 』

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