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2011-12-30(Fri)
今年最後となりますが、映画 「 シュリ 」 の中から、エンドクレジットで流れた曲 「 When I Dream 」 を紹介いたします。 キャロルキッドが歌っています。
この映画は2000年に日本で公開され、韓国はもちろん、日本でも注目を浴び、韓国映画の実力を内外に知らしめた作品です。 韓流ブームの先駆けともいえます。

よい年末をお過ごしください。 (^^


・ When I Dream
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2011-12-27(Tue)
みなさん、今日から、正月の3日まで1週間休みをとらせていただきます。

来年もよい年であることをお祈りいたします。 m(__)m
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2011-12-26(Mon)
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(日蓮正宗問題研究HP 昭和61年東京赤坂)


わたしの宗門の問題に対する見解を、すこし語っておきたいのですが、今の公式な創価の態度とはちょっと違うかもしれません。
というか、ほとんど同じだと思うのですが、わたしの心情の部分をそのまま語るので、違うように見えるかもしれません。

今から20年前に起きた事柄なので、ごくごく簡単に説明しますと、平成3年11月7日に、創価学会解散勧告書が日蓮正宗より出されました。 独立した宗教法人である創価学会はそれに従わなかったために、同じ年の11月28日には日蓮正宗より破門の通告が出されたのであります。
この背景には、宗門僧侶の僧にあるまじき姿や遊興に業を煮やしていた創価学会と、広宣流布の実質的な主導権を創価学会に奪われて、供養だけを貰い、影の存在でしかないことに、自尊心が傷ついていた宗門があります。 創価学会が発展し、信者数も過去に無いほどの規模になっていましたが、広宣流布の主役は創価学会にあり、宗門は御受戒(入信の儀式)と御本尊授与と御開扉(戒壇の御本尊にお目通り)と葬儀以外には創価学会員に直接に関与する機会もなく、わずかな寺信徒である法華講を預かるだけでした。 創価学会の寄進で全国に寺も増え、総本山の整備も進み将来は本門の戒壇となる正本堂も完成するなど、広宣流布の歴史の中で宗門はひとりポツンと取り残されたような状況でした。

やがて創価学会と宗門の間には軋轢が表面化して、昭和52年の第一次宗門問題が起きます。 このときには、信徒という立場もあり、会員を苦しめたくないとの配慮から、創価学会が宗門に折れて従い、池田会長は辞任したうえ創価学会の会合への出席禁止や、聖教新聞での池田会長の報道を禁止するなどの宗門の幽閉処置を飲むことになりました。 しかしその後に、依然として池田会長の存在は大きく、学会員の信望と尊敬が集まり、実質的な幽閉がついには出来きませんでした。 そこでこんどは ” C(CUT)作戦 ” なるものを謀議して、創価学会の解体を画策しはじめ、創価学会の会員を自分達の支配下におこうと目論んでいたのです。 一方で創価学会は、一段と高圧的な信徒差別の態度を見せる宗門に、厳しい目を向け、権威的で横柄な人間性に辟易し、日蓮大聖人の心を失っていく宗門に、危惧を抱くようになっていました。  
そして大石寺開創700年記念法要が終わった後に宗門は動き出します。 平成2年12月16日の「お尋ね」文書をかわきりに 創価学会の教義逸脱、僧侶批判、宗門支配の画策、社会的逸脱等々の理由を挙げ、突然と刃を向けてきたのでした。 根本的には昭和52年のときと同じように一部会員の逸脱をとりあげ、池田名誉会長の言葉尻を捕まえ、幹部の発言をことさら問題化して、ヤクザのいいがかりのような論理で池田名誉会長を責め始めました。 創価学会は直接の話し合いを何度も求めましたが、宗門はそれを拒否し、最初から破門ありきという行動に出て、総講頭罷免や登山停止などを矢継ぎ早に行い、ついには、解散勧告、破門へと突き進んでいったのでした。 この間の双方のやりとり、対応のなかで修復しがたい対立が生まれ、宗門は一方的に創価学会を破門しました。 

この問題を譬えてみると、
『 外面は亭主気取りでいながら、働かずにブラブラと遊びふけ、ヒモのような存在となっていた男が、かいがいしく家計を支え、男に尽くし、子供の面倒をみている女を、近所や周囲での評判を耳にして、それがかえって恨めしく思えるようになり、女に小言を言われたのをきっかけにして、逆切れし、妻にあるまじき態度だと、ささいな振舞いや言動をあげつらい、浮気してるとか、亭主を馬鹿にしていると責め、女がよく話しましょうと言っても聞き入れず、最後には悪態をつきながら、女に建ててもらった家から、子供と一緒に女を追い出してしまいます。 さらに、追い出した後も、いずれ子供に養ってもらおうとする下心から、女の悪口を盛んに子供や世間に吹聴して、子供をなんとか奪おうとしている。 』 
と、いった感じでしょうか。 (笑) 

わたしが見るこの問題の根本原因は、宗門が日蓮大聖人の大事な遺命を忘れ、僧としての少欲知足を失い、自行化他の信心を無くし、権威と富に溺れ修羅の命に染まってゆき、魔に心を食い破られたことにあると思っています。 なぜ、食い破られたのでしょうか。 それは、宗門自らが日蓮大聖人の信心の血脈を絶っていたからです。  昭和18年に起きた、治安維持法による創価学会(当時は創価教育学会)幹部と日蓮正宗の僧侶であった藤本蓮城師の、不敬罪での逮捕を知って、宗門はただちに登山停止・信徒除名・僧籍剥奪を行いました。 さらにそれ以前には、神本仏迹の軍部の圧力に屈服し、神札の授受、御書の重要な御文の削除、御観念文を神道風に変えるなど、日蓮大聖人の血脈を否定する行為に出ていたのであります。 これでは、日蓮大聖人の信心の血脈は、弾圧を受けながらも、信心を貫き通して獄死した初代牧口会長、そして生き残った戸田第二代会長に流れていくしかなかったのです。 宗門にも獄死した藤本蓮城師のような方も居られたのですが、僧籍剥奪という死刑にも等しい行為で報いるとは、蓮祖上人のお怒りはいかほどであったか、計り知れないものがあります。 宗門はこのとき、自ら信心の血脈を捨て去ってしまっていたのです。 それから、48年後。 今度は僣聖増上慢となって、魔性の牙を剥いたのでした。 日蓮大聖人は、信心の血脈が無ければ功徳は無いと仰り、また、その身に魔が寄り添うと警告しておられますが、まさに御書のとおりであります。

信心とゆうものは、広宣流布を忘れ、自行化他をしなくなれば、腐っていくということであります。 ” 日蓮大聖人の如く ” が、信心するものの規範であり、原点であることを、心に刻まなければなりません。
Category : 歴 史 Comment : (2) |

No title * by 菊川広幸
力作ですね。感動しました。
言論というのは、かくあるべきですね。

No title * by 夕焼け
菊川さん おはようございます。

恐縮です。(ーー;
宗門の問題は複雑で、色々と触れておきたいことがあります。
山崎・原島の暗躍、創価の発迹顕本、宗門の未来など、
いずれ記事にしたいと思います。

2011-12-23(Fri)
今週は映画 「 ダイハード 」 のエンディングの曲で 「 Let it snow 」を紹介いたします。
この映画は日本で1989年に公開され、ヒットした作品です。 2013年にはPart 5が上映されるそうですが、ブルース・ウィリス、頑張りますねぇ。 曲は往年のヴォーン・モンローが歌っています。 アメリカでは定番のクリスマスソングです。 

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ Let it snow
Category : 音 楽 Comment : (0) |
2011-12-22(Thu)
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SGI池田会長は折々の会合で御書をひもとき、次のように語られております。


【 本文 】 御義口伝 (P761) 
『 自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり 』

【 通解 】 
『 自他共に 「 智慧 」 と 「 慈悲 」 があるのを 「 喜 」 というのである 』

【 指導 】
* 「 知恵 」 もある。 「 慈悲 」 もある。 それが人間革命である。 知恵があっても無慈悲であれば、冷たい邪智になってしまう。 慈悲があっても知恵がなければ、人々を救うことはできない。 かえって誤った方向に進ませる場合すらあろう。 自分の幸福もつかめない。 知恵と慈悲を兼ね備える。 時とともに、いよいよ、この二つが深まっていく。 この 「 人間革命 」 という、無上の喜びと向上の道を、 「 自他共に 」 進んでいくのが、私どもの人生なのである。

< 御書とその心 >より


わたしは、 ” 広宣流布に生き抜く、勇気と智慧と慈悲を授けてください ” と、毎日祈っています。
『 この「 人間革命 」 という、無上の喜びと向上の道を、 「 自他共に 」 進んでいく 』 のが人間として最高の生き方であり、人間像であると思うからです。 この創価の精神を体現して、 ” 人間のための宗教 ” を守り、脈動させ、共々に歓喜に満ちた創価城を作りあげてまいりましょう。
Category : 御 書 Comment : (2) |

No title * by 河越武蔵守頼重
先生の御言葉
本当に、一つ一つ重みが有りますよね。
丁寧に、解りやすく答えて下さいます。
師弟は、大事ですよね。
池田門下で良かったと、つくづく思います。

No title * by 夕焼け
河越武蔵守頼重さん こんにちわ。

> 池田門下で良かったと、つくづく思います。

わたしも、そう思います。

いくら立派な自動車でも、運転する人が飲酒していれば、どこに行くか判らないし、いつか事故を起こします。 同乗してる人も被害に遭います。
同じ御本尊でも、とても師が大事です。

2011-12-21(Wed)
今日は、わたしの趣味である、渓流釣りから始まった、沢登りの醍醐味を紹介いたします。 もうこの歳ですから無理ですが、この黒部川源流は、一度は行ってみたい憧れの地でありました。



沢登りでは、流れに逆らって泳ぐのはとても無理ですから、岩場をへつったり、巻き込んで移動していきますので、プチクライミングが楽しめます。
Category : 趣 味 Comment : (2) |

No title * by 河越武蔵守頼重
なるほど、渓流釣りですか。

私の母も好きでした、釣りが。
何処か、男っぽい性格でしたから。

No title * by 夕焼け
河越武蔵守頼重さん おはようございます。

アウトドアライフ いいですよ。
人間は動物ですから、動かないといけません。
動くことが、生のエネルギーとなるように出来ています。
そう、実感する、今日この頃です。

2011-12-20(Tue)
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わたしは、前に、 ” 社会変革と絶対的幸福を追求し、現実的幸福を掴みながら前進する創価の姿 ” と言いましたが、その点についてさらに ” 生も歓喜、死も歓喜。 生死を貫く境涯の確立こそが、創価の信心の目的なのであります ” とも言いました。 そこで今日は、さらにもう少し、信心されていない方が理解を進め、創価の真の精神というものを、知っていただくことが出来るように、池田SGI会長の言葉を紹介したいと思います。


* 『 信心の功徳を実感するうえでも、信仰の一つの実証としても、 「 蔵の財 」 「 身の財 」 は大事である。 しかし、財産は使えばなくなるし、 ” 災害 ” などで一夜にして失ってしまう場合もある。 また、優れた体力も、高齢になれば衰えていかざるを得ない。 本当の幸福は、時代の激変にも、時の流れにも左右されることのない、 「 心の財 」 を積んでいくなかにこそあるのだ。 』

* 『 日蓮大聖人は、 「 此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候 」 と明言なさっている。 真の所願満足は、金銭や財産などを追い求めるなかにあるのではない。 欲望に振り回されることのない、少欲知足の心豊かな境涯が確立されてこそ、至る境地といえる。 つまり、 「 心の財 」 のなかにこそあるのだ。 イタリア・ルネサンスの知性アルベルティは、 「 どれをとっても魂の財産よりも好ましいものはない 」 との警句を残している。 』

* 『 人生の総仕上げとは、それぞれが、幸福の実証を示していく時であるということです。 ” 私は最高に幸せだ。 こんなに楽しい、すばらしい人生はない ” と、胸を張って言える日々を送っていただきたいんです。 しかし、それは、大豪邸に住み、高級料理を食べ、贅沢な暮らしをするということではありません。 欲望を満たすことによって得られる 「 欲楽 」 の幸福というのは、束の間にすぎない。 相対的幸福だからです。 』

* 『 「 蔵の財 」 「 身の財 」 は、所詮は、この世限りです。「 心の財 」は、未来世にまでもわたる財であり、しかも無限です。 「 心の財 」 は、「 欲楽 」 に対して 「 法楽 」 と言い、仏の悟りの法を求めることによって得られる楽です。 つまり、信心によってのみ得られる幸せなんです。 「 法楽 」 は、生命のなかから、泉のごとく湧きいずる幸福であり、環境の変化などによって崩れることのない幸福です。 戸田先生は、それを「 絶対的幸福 」と言われたんです。 戸田城聖は、一九五六年(昭和三十一年)五月三日の春季総会で次のように述べている。
「 絶対的幸福というのは、どこにいても、 ” 生きがい ” を感ずる境涯、どこにいても、生きている自体が楽しい、そういう境涯があるんです。 腹のたつことがあっても、愉快に腹がたつ 」 』

* 『 日蓮大聖人は、極寒に身を責められ、食べる物も、着る物も乏しく、命をも狙われていた流罪の地・佐渡にあって、門下に宛てた御手紙に、こう記されている。 「 流人なれども喜悦はかりなし 」 それが、仏の大境涯であり、 「 絶対的幸福 」 の発露であろう。
初代会長・牧口常三郎もまた、軍部政府の弾圧によって獄に繋がれながら、看守を折伏し、取り調べの場で価値論を説き、家族らに励ましと指導の葉書を送り続けている。 その葉書には、 「 何の不安もない 」 とある。 また、検閲によって削除されているが、 「 心一つで地獄にも楽しみがあります 」 とも記されている。 幸福は、最終的には、環境条件によって決定づけられるのではない。 幸福は、どこにあるのか。 自身の胸中にあるのだ。 心の宮殿のなかにあるのだ。 その宮殿の扉を開けるカギこそが、信心なのである。

* 『 人生の総仕上げにあたっては、生老病死など、無常の現象をありのままに見つめ、その奥底を貫く常住不変の妙法に則り、一途に絶対的幸福境涯の確立をめざしてください。 豊かな 「 心の財 」 を得た幸福境涯というのは、内面的なものですが、それは、表情にも、言動にも、人格にも表れます。 その言動には、感謝と歓喜と確信があふれるものです。 そして、思いやりに富み、自分の我を貫くのではなく、皆のために尽くそうという慈愛と気遣いがあります。 さらに、人びとの心を包み込むような、柔和で、朗らかな笑顔があるものです。 』

<新・人間革命(共戦30~32)> より


このように、創価は現世の利益を絶対としているのではありません。 必然として の ” 現実的幸福 ” の享受であり、生命変革の実践によって様々な試練を乗越えて、なにものに崩れない、 ” 絶対的幸福 ” という境涯の確立を目指しているのであります。 それは、まさに仏の境涯と言えるものなのです。
Category : 創 価 Comment : (2) |

No title * by かどやよしたか
いつも元気の出る記事をよませていただきありがとうございます。

No title * by 夕焼け
かどやよしたか さん 新年おめでとうございます。

本年も ご活躍をお祈りいたします。

2011-12-19(Mon)
わたしがお墓を買ったのは、平成2年に母が亡くなってからでした。
四十九日も過ぎてから、やっとお墓をどうするかとゆうことに気がつき、慌てて探しました。
墓所、墓石、永代使用料、管理料など調べてみると。 一般の墓苑で総額およそ150~200万円位で、さらに管理料が年間5、000~10、000円位でした。 ” こんなにかかるのか ” と思ったのを覚えています。 当時は、創価の墓苑は少なくて、近いところでは富士桜墓苑、あるいは、はるな平和墓苑しかありませんでした。 しかし、富士桜墓苑・はるな平和墓苑ともに募集は完了していたのです。 ところが、しばらく一般墓苑を探している内に、はるな平和墓苑で追加の区画の整備が完了し、募集を始めるという情報がまいこんできました。 さっそく問い合わせ、その完成を待って、1年後に購入することができました。 価格は墓石、永代使用・管理料込みで95万円でした。 一般の墓苑に比べるとちょっと遠くなりますが、日帰りで行けますし、静かで、緑に囲まれ、眺望は他と比べものになりませんので、もう迷うことなく創価の墓苑にしたのでした。 父と兄は、車で1時間半ぐらいで行けるので、3年くらいは、ほとんど毎週、伊香保の温泉施設で過ごし、リフレッシュしながら墓参りをしていました。 父は7年前に91歳で亡くなり、いまでは、わたしと兄が年に3回行きますが、きれいに整備され、墓所全体に音楽が静かに流れていて、とても気持ちよく墓参できる、すばらしいところです。

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(はるな平和墓苑 来苑記念はがき)

アンチなどは、創価が墓苑で暴利を貪っていると言いますが、わたしにすれば ” どこが? ” という感じです。 それなら、毎年、管理料までとる一般の墓苑はもっと暴利を貪っているということになります。 どうでしょう? 一般の墓苑を経営する公益法人に失礼な話ですよね。 
根拠もなく言うのは、悪意に凝り固まった戯言です。 土地代金・登記費用・仲介料・宅地開発費・施設整備費・設計料・諸手続き申請費用・借入れ金利・墓石費用などや、将来永遠につづく事務人件費・運営費・施設と墓所の維持管理費・施設の修繕費・施設の更新費用などの基金をきちっと調査し、明らかにして言うべきであります。 要するに調査もせず、悪意のある憶測で決めつけているにすぎないのです。 それは、非難されるべき行為であり、それをそのまま信じるなど愚かなことです。 それこそ、それは盲信と言ってよいでしょう。
あれから20年間、わたしは一銭も費用は払っていませんが、建物・道路・公園・広場等の諸施設もあり、管理費・営繕費・建替費用はほんとうに大丈夫なのか、と、逆に心配しているくらいです。 最近は、基金の運用金利も下がっているでしょうから、基金を取崩しているのかもしれません。 わたしたちの墓苑ですから。 必要なら払いますよ。 (^^
あのまま、一般の墓苑にしていたら、もっと支払っていなければならなかったでしょう。
Category : 反 証 Comment : (4) |

No title * by 菊川広幸
三流週刊誌や他宗の攻撃サイト情報はムチャクチャですね。現状認識のできる素晴らしい記事です。
ありがとうございます。^^

No title * by 夕焼け
菊川さん おはようございます。

これから、ゆっくりと、いろいろと記事にしていきます。 (^^

No title * by 河越武蔵守頼重
素晴らしいですね。
金額的にも、普通の墓苑等より御得ですね。
管理費も、毎月払うのが通例でしょうが・・・

やはり、学会は素晴らしい。
私の母の遺骨は富士桜永久納骨堂に考えてます。
私の代で、終わりなんで墓碑は不要と考えてます。

No title * by 夕焼け
河越武蔵守頼重さん おはようございます。

今は、同じような価格の一般の墓苑もあるようですが、創価の墓苑のほうがずっといいでしょう。 創価の墓苑は、明るく、ほんとうに気持ちのいい、安らかな墓所です。

2011-12-16(Fri)
今週は映画 「 Streets of Fire 」 の挿入歌 「 Tonight Is What It Means to Be Young 」 を紹介いたします。
1984年日本公開の映画で、若き日のウィリアム・デフォーがカタキ役となって出ています。 当時、日本はバブル真っ只中にあって、ディスコが盛んで、街なかでもディスコティック音楽が流れていました。 あの頃はわたしも若かった。 今日は、懐かしいので、ドナ・サマーの曲で、「 Macarthur Park  」 も紹介したいと思います。 (^^

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ Tonight Is What It Means to Be Young

・ Macarthur Park
Category : 音 楽 Comment : (4) |

No title * by 速水長三郎
ええ、突然再開も有り得ます。
其の時は、((( ^^)爻(^^ ))) ヨロシク♪

ま、今のブログより機能が良いブログに変えようと考えてます。

ニックネームも変更したいと考えてます。
ライブドアのブログ、使いやすいですか?

No title * by 夕焼け
速水長三郎さん おはようございます。

ご苦労様でした。

そうですね、使いやすいですけど。
コメントに非公開選択機能が無いのが難ですかね。
なかなかいい機能なのに、なぜ無いのでしょうかね。

No title * by No.1
非公開コメント

No title * by 夕焼け
非公開コメント No.1 さん 了解しました。

2011-12-15(Thu)
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SGI池田会長は折々の会合で御書をひもとき、次のように語られております。


【 本文 】 祈祷抄 (P1351) 
『 大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず 』

【 通解 】 
『 たとえ、大地を的にして外れることがあっても、大空をつないで結ぶ者があっても、また潮の満ちたり干いたりすることがなくなっても、太陽が西から出るようなことがあったとしても、法華経の行者の祈りがかなわないことは絶対にない。 』

【 指導 】
* つまり、妙法の 「 祈り 」 は絶対にかなう、とのご断言である。
妙法の功徳には、祈りがただちに利益となってあらわれる 「 顕益 」 と、最初ははっきりと目には見えないがしだいに福運を積み、大利益となってあらわれる 「 冥益 」 がある。たとえ祈りがただちにかなわないように思える場合があっても、必ず、 「 冥益 」 によって、願いはかなっていくのである。

< 御書とその心 >より


 この御文は、とても有名な御文です。 信心してる人で、知らない人はいないと思います。 しかし、その中で、真に知る人は少ないのではないでしょうか。 薄氷を踏むような、岩盤に爪を立てて昇るような思いをしながら、広宣流布の艱難辛苦を乗越えてきた勇者のみが、知ることの出来る、醍醐味ではないでしょうか。 祈りの原点は、あくまでも自分にあり、身読する覚悟の祈りと行動が、宿命転換には必ず必要となってきます。
Category : 御 書 Comment : (10) |

No title * by 末代の凡夫
こんにちは。はじめまして。コメントありがとうございます。
夕焼けさんのブログを見る限り、創価学会の綺麗な面、上っ面ばかりを記事にしているばかりで、悪い面を認識できていないように思えます。夕焼けさんの方こそ創価学会の一辺しか認識できていないように見えます。

私も日蓮を信奉する一個人として、学会員の題目を唱え、御書を読んで、日蓮の判を用いて諸宗を非難する行為は共感できますが、創価はそれ以上に悪事が多すぎます。

集団ストーカー・批判者に対する嫌がらせ・新聞内での日蓮正宗に対する口汚い罵倒・迷惑な選挙活動・財務とか言って金を巻き上げる行為・高額な仏壇を買わせられる・脱会者の多いこと・その脱会者に対する侮辱・勲章の買収とその誇示・家庭崩壊・身近に無残な死に方をした学会員がいたこと等‥。

創価に関する悪事は数えればキリがありません。このように内情はドロドロとした事実を、夕焼けさんは認識できているのでしょうか?
以上のような、善い面よりも悪い面が圧倒している事実を認識した上で、この私は、一般の批判者が指摘するような、悪事の暴露だけでなく、その教義に法華・御書に反している根本的な誤りがある点を指摘し、それを間違っていると、責めているだけです。

創価に入信しようとする気は微塵もありません。たとえそのすばらしく、偉大な業績に引かれて入信しても、何に使われるか分からない金を徴収され、批判者を口汚く罵倒する集団の中に入っても、すぐに悪事に気づいて、嫌気が差してすぐやめることでしょう。

夕焼けさんのブログのように、創価学会の善い面ばかり宣伝して、悪い面を隠すということは創価学会の正しい認識と言えるでしょうか?
飾られた偽善行為ばかりを宣伝するよりも、その内部に秘められた醜い悪事を非難していくことが、創価学会のためになると思いますよ。

No title * by 夕焼け
末代の凡夫さん こんばんわ。

わたしは、創価を51年間見てきました。 内情をこの目で見て知る者として、貴方さまがいかに誤った認識に捕らわれているか、よく判るのです。 このブログに書かれていることは、普通の創価学会員の思いと、創価の心なのです。 外から見ている末代の凡夫さんに認識できて、中から見ているわたしに認識できないことはありません。 だから言っているのです。 貴方さまが仰ってることは、耳にタコが出来るほど聞いております。 (^^
もう少し、週刊誌や批判本ばかりでなく、創価の書物も御読みください。 それでないと均衡がとれませんでしょ。 また、創価の会合をいろいろと、直にその目でみてください。 そうすれば判ります。 
わたしのブログでもいいですが、創価系リンクにある「創価の森の小さな家」などにも、気が向いたときに、お立ち寄りください。
また、ブログ記事でご批判があれば、遠慮なくお願いいたします。

こちらこそ、コメントありがとうございました。

No title * by 大海
学会員の三十歳の男子部です。
初めまして、今年から題目根本に仕事で実証を!と日々闘っておりますが、
失敗につぐ失敗の連続!
何くそ!と立ち上がりまた、失敗!
11月に失敗し、一週間へこんで、ようやく立ち上がり出して、昨日、またもや大敗!
さすがに精神的にやられちゃいました。(笑)

とても苦しい…。

9月に百万遍の題目をあげ、二百万に挑戦中ですが、今年中には無理そうです。

このブログに励まされております。
ありがとうございます。

No title * by 夕焼け
大海さん こんばんわ。

苦しそうですね。 大丈夫でしょうか。
何が失敗なのでしょうか。 
恐縮ですが、差し支えない範囲で教えてくださいませんか。
非公開にしてもいいですから。
なんか、信心の問題ではないような気がします。 

百万遍の題目。 立派ですね。 まちがいなく福運はついていますよ。

二百万遍、無理しなくてもいいのですよ。 
題目は無理にあげるものではありません。
そうゆう題目、いくらあげてもダメです。 決意の題目に力があるんです。 ” 何万遍 ” じゃなくて、気づいたら100万遍になっていたという感じです。 意思を持って祈り、自分を見つめ、智慧を絞り、行動をしていくことが大事です。 鍋に米を入れ祈っても、ご飯は炊けません。

弱気になるときもありますが、そんな祈り方をしてはいけませんよ。
” もうだめかもしれません ” と御本尊に祈ったら、そうなります。 大海さんのコメントからはそんな気持ちが、私には伝わってきます。 御本尊にもそう伝わっているのではないでしょうか。

苦闘は宝です。 ましてや、信心のための苦闘はすべて功徳となります。
それは、間違いありません。

No title * by No.1
非公開コメント

No title * by 夕焼け
非公開コメント NO.1さん おはようございます。

そうですか。
負けじ魂を燃やし続け、研究し、練習するしかないですね。
ふっ、と、わかるときがくるもんです。
諦めなければ、大丈夫です。

不器用な技術屋のわたしは、そうしてきました。(^^
苦しいんです。 命を削るような苦労があるんです。
でもそうしないと、いいものはできないんです。

がんばってください。

No title * by No.1
はい(^-^)/

ありがとうございます。
夕やけさんも、身体に気をつけて
良い年末が迎えれますように。
m(_ _)m

No title * by 大海
はい。
ありがとうございます。

本日は、起きて何故か
ハツラツとしております。
苦悩は、なかなか手に入るものではありません。
真剣に挑戦し続けて、手に入る苦悩。
僕、前にのたうち回る程の苦悩が襲う努力しないと成長出来ないと考えつつ、こうやって、紛らわしく訪れると余裕がなくなってしまうものですね。
(笑)

この苦悩を財に
元気に今年を締めくくります(^-^)/

ありがとうございました。

No title * by SHIn
本日様々壁はありましたが無事父親の御守り御本尊授与式を執り行う事ができました(^O^)様々激励ありがとうございました。創価広布の土台一家和楽が築けるよう題目根本で前進して参ります!

No title * by 夕焼け
SHInさん おはようございます。

よかったですね。 (^^
最高の親孝行でしたね。

これから、またいろいろあるでしょうから、負けずに頑張ってください。

2011-12-14(Wed)
 
散歩の足を伸ばして、昨日、久しぶりに神楽坂に行ってみました。
表通りにはビルが多くなり、チェーン店も進出していて、もう昔の面影はありません。

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この道を行ったところには、昔からのギンレイホールという映画館があり、今は海外の小作品を上映しています。 昔は、知る人ぞ知る、の映画館でした。(^^
神楽坂を上がって右側には狭~い路地があり、古くから花街として栄え、かつては芸者の置屋を始めとして料亭がたくさんあった所です。 今でも、ところどころに、その面影を見ることが出来、ちょっとした小観光を味わえます。

最近はおしゃれなお店が増えてきて、これはこれで、新しい神楽坂の雰囲気を盛り立てています。

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神楽坂を上がって左側に入ると、こんどは住宅街になり、昔ながらのお店は僅かです。 この近くには、理科大学、東京日仏学院などがあり、学生も多く居るため、安い食堂が何件かあったはずですが、見つけられませんでした。
元花街を抜けたところの 「 てけてけ 」 というお店でランチを食べ、帰りに不二家のぺこちゃん焼きを買って、道々、食べながら帰りました。

実は坂道に、おいしそうなドーナツ屋があり、メープル1つと、裏道にあったケーキ屋で、四角いフルーツマシュマロを2つ食べてしまいました。
どうも、歩いた消費カロリー以上に、余分に食べてしまったようです。 (^^;
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2011-12-13(Tue)
創価には、機関紙である聖教新聞のほかに、大白蓮華という日蓮大聖人の御書を学ぶ教学誌(月刊)があります。 内容は、池田SGI会長の巻頭言から始まり、特集記事があり、日蓮大聖人の御書の解説・講義が数編組まれており、会員の体験談や社会の一級といわれる人に焦点をあてた、インタビュー記事などもあります。 聖教新聞と一緒に購読できますし、東京・信濃町駅前の博文堂書店で、定価200円で購入できますので、創価の研究の資料として購読されてみてはいかがでしょう。
わたしが今、特に注目しているのは日蓮大聖人御書の現代語訳が、11月からスタートしたことです。

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上の写真は、昭和35年(1960年)と平成23年(2011年)の大白蓮華です。

ちなみに今月12月号の目次を紹介しておきます。

* [ グラビア ] 巻頭言 「 題目は生命の凱歌なり 」 
* [ グラビア ] 未来を創る 「 池田名誉会長と未来部 」
* ヨーロッパ広布新時代へ
* [ 企画 ] 創立80周年から100周年へ 
   「 世雄たれ大学会 ③ 」― 会員に尽くし抜け!―
* 池田名誉会長講義
  勝利の経典「御書」に学ぶ 「 日女御前御返事 」
* 被災地の友へ ― 希望への一歩  ―
    ルポ 「 仙台空港 空友会の奮闘 」
* [ 体験談 ] あしおと 
   「 希望はここにある 」
   「 白樺の心 」
* 12月度 拝読御書の解説 「 可廷定業書 」
* 婦人部グループ学習の参考に 「 四条金吾殿御返事 」
* 社会で光る 「 諸法実相抄 」
* [ シリーズ ] 青年は変革力
「 心を伝える!心が伝わる! 」
   ( 語る )  いつまでも心に残る感動を届けたい
   ( 挑む )  挑む ― 私のチャレンジ・ノート
   ( 学ぷ )  池田名誉会長の言葉から
* 池田大作監修 現代語訳  「 観心本尊抄 ㊦ 」
* 読者の広場
* 世界桂冠詩人は謳う  「 わが道をゆけ 」
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2011-12-12(Mon)
弘安二年(1279年)日蓮大聖人58歳のときに、現在の千葉県市川市近辺に住んでいた、富木常忍の妻である富木尼御前に宛てて書かれたお手紙です。


【要 文】

『 夫れ病に二あり一には軽病二には重病・重病すら善医に値うて急に対治すれば命猶存す何に況や軽病をや、業に二あり一には定業二には不定業、定業すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す何に況や不定業をや 』

『 されば日蓮悲母をいのりて候しかば現身に病をいやすのみならず四箇年の寿命をのべたり、今女人の御身として病を身にうけさせ給う・心みに法華経の信心を立てて御らむあるべし、しかも善医あり中務三郎左衛門尉殿は法華経の行者なり、命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり、法華経の一代の聖教に超過していみじきと申すは寿量品のゆへぞかし、閻浮第一の太子なれども短命なれば草よりもかろし、日輪のごとくなる智者なれども夭死あれば生犬に劣る、早く心ざしの財をかさねていそぎいそぎ御対治あるべし 』

『 かへすがへす身の財をだに・をしませ給わば此の病治がたかるべし、一日の命は三千界の財にもすぎて候なり先ず御志をみみへさせ給うべし、法華経の第七の巻に三千大千世界の財を供養するよりも手の一指を焼きて仏・法華経に供養せよと・とかれて候はこれなり、命は三千にもすぎて候・而も齢もいまだ・たけさせ給はず、而して法華経にあわせ給いぬ一日もいきてをはせば功徳つもるべし、あらをしの命や・をしの命や 』
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No title * by トッシー
夕焼けさんこんばんは!
今日、座談会で初めて御書講義をさせて頂きました(汗)
難しいですね^^;でも楽しめました。

長い病気生活でもうそろそろ死ぬのではないかと悩んでる富木尼御前を大聖人は、最大に励ましますね。大聖人の教えをしっかりと受け止め、勇敢に信心を貫き20数年も寿命を延ばした富木尼御前。
良かったですね。

御書講義で勉強した結果

1日1日を今までよりももっともっと大切に使い、悔いのないように大きく成長していきたいです。

っていう気持ちになりました。

明日20数年ぶりに会う友人がいます。
学会の暖かさ知ってもらえたらいいなと思ってます^^

No title * by 夕焼け
トッシーさん こんばんわ。

> 今日、座談会で初めて御書講義をさせて頂きました(汗)

ごくろうさまでした。
すばらしいですね、一つ一つの挑戦が大事です。
わたしは、高等部のときに初めて座談会でやらせていただきましたが、いまだに、そのとき何を話したのか覚えていません。 一生懸命だったことは確かですが、今思えば、冷汗ものだったでしょう。(^^;

> 明日20数年ぶりに会う友人がいます。

「善からんは不思議悪からんは一定と思え」との御文を胸に収め、真心込めて誠実に対話してください。 トッシーさんの姿が一番の雄弁となるでしょう。 妙法の種は確実に植えられていきます。 すばらしいことです。

2011-12-09(Fri)
今週は映画 「 The Killing Fields 」 から、エンディングの曲に使われた 「 Imajine 」 を紹介いたします。
この映画は1985年に日本で公開され、カンボジア内戦を取材し、ピューリッツァー賞を受賞したシドニー・シャンバーグと通訳兼助手との実話を元に描かれており、アカデミー賞で助演男優賞・編集賞・撮影賞の3部門を受賞した作品です。 曲は、皆さんもよくご存知のジョン・レノンの代表的な作品です。 彼は31年前の1980年12月8日、ニューヨークの自宅アパート前で一人の男に射殺され、亡くなられました。 日付ではきのうが命日ですが、日本時間では今日になります。

・ Imajine
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No title * by 速水長三郎
埼玉スーパーアリーナで
以前ジョン・レノンミュージアムが有りました。
よく、見に行きました。

確か、去年の九月に閉鎖したと聞きました。

No title * by 夕焼け
速水長三郎さん こんばんわ (^^

そのようですね。 
日本でも多くのファンがいますから、
惜しむ声も多かったのですが旅立っていきました。
どこかに新しく出来るそうですよ。
それはそれで楽しみです。

2011-12-08(Thu)
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SGI池田会長は折々の会合で御書をひもとき、次のように語られています。


【 本文 】 法華初心成仏抄 (P557) 
『 一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔・法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり 』

【 通解 】 
『 一度、妙法蓮華経と唱えれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵天・帝釈・閻魔王・日月・衆星・天神・地神および地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天界の一切衆生の心中の仏性を。 ただ一声に呼び顕したてまつるのであって、その功徳は無量無辺である 』

【 指導 】
* 「 一度 」 「 ただ一度 」 と仰せである。 ただ一度でも 「 南無妙法蓮華経 」 と題目を唱えるならば、その功徳の大きさは 「 無量無辺 」 である、と。 また日蓮大聖人は、仏が唱える題目と、私ども凡夫が唱える題目の間に、何の差別も設けておられない。 どこまでも 「 平等 」 である。 差があるとすれば、立場の差ではなく、 「 信心 」 の差なのである。 大事なのは、どこまでも 「 信心 」 であり 「 実践 」 である。

< 御書とその心 >より


この御文は、御本尊そのものであり、御本尊を説かれているのだと思います。 この御文の前後には唱題の根本義が明かされていますので、一読をお勧めいたします。
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2011-12-07(Wed)
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この間の雨の日、近くの公園で撮った落葉です。
溜まった水溜りに木々の葉が落ち、その葉に雨の雫が浮いていました。
こんな小さな空間にも、一つの世界がありました。
宝石のような雨粒でした。

冬の寒さが身に染みましたが、透きとおるような空気感と静けさに、かえって意識が冴えて、爽やかな感覚に浸り、とても気持ちが良かったです。

これから益々、寒くなります。 
風邪などひかぬよう、体をいたわってお過ごしください。
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No title * by 菊川広幸
美しい写真ですネ。
この世の深みを感じます。
宝石の100倍美しいですね。

No title * by 夕焼け
菊川さん おはようございます。

そうなんです。^^
ブログですから、いたしかたありませんが、
原画を皆さんにお見せできないのが残念です。

2011-12-06(Tue)
今日の聖教新聞 ” 名字の言 ” の中で、現役の農業技術指導者として活躍し、地域でも「100歳の青年」と称えられる、長崎県に住む100歳の壮年(多宝会)のことが次のように紹介されていました。


* 入会53年。 経済苦、家族との死別など、全て信心で乗り越えてきた確信を、こう語っていた。 「 学会と共に進めばね、貧乏が ” 愉快な貧乏 ” に変わる。 試練が ” 宝の試練 ” になるとよ 」。 ” 愉快な ” 、 ” 宝の ” と言えるまでには、大変な苦労と祈りがあったと思う。 だが今も日々、感謝と喜びに満ちて仏法対話に歩く姿は、人生勝利の証そのものだ。


この100歳の壮年の方の言葉は、信心の本質を端的に語っているように思います。 それは、やせ我慢でそう言ってるわけではなくて、宿業と向き合ったときに、苦難に押し潰されるのではなく、それを薪として燃やし、人生を明るく照らし、自身の境涯を高めながら ” 人間、人生にとって何が大事で、何がかけがいのないものか、それを実感出来るようになる ” ということを意味しているのです。 だから ” 愉快な ” 、 ” 宝の ” なのです。 信心を根幹とすれば、全てに意味があり、全てが成仏の種となり、苦難という薪を燃やしながら即身成仏できるということであります。 新・人間革命(共戦 20・21)に池田SGI会長が昭和32年(1957年)に山口開拓指導で行った座談会の様子が次のように描かれています。 すこし長いですが紹介いたします。

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(聖教新聞201年12月6日付 新・人間革命 共戦 20)

* 伸一が宿泊する旅館の二階で行われた、その夜の座談会は、活況を呈した。 参加者の半数ほどが、学会員の友人たちであった。 経済苦や病苦が転換できるかなど、さまざまな質問が伸一にぶつけられた。 宿命にあえぐ庶民の苦悶がひしめき合うようななかで始まった座談会であったが、伸一が語るにつれて、参加者の疑問は氷解し、会場は、希望と蘇生の光に包まれていった。 質問が一段落したころ、口ヒゲをはやした一人の壮年が発言した。友人として参加していた地域の有力者であった。

「 わしは、ここにおる者のように、金には困っとらん。 今、思案しとるのは、これから、どんな事業をしようかということじゃ。 ひとつ、考えてくれんか! 」
 
 参加者を見下したような、傲岸不遜な態度である。 伸一の表情が、一瞬、険しくなった。 皆が、息をのんだ。 伸一の鋭い声が響いた。

「 学会は、不幸な人びとの味方です。 あなたのように、人間を表面的な姿や立場、肩書で見て、蔑んでいるような人には、いつまでも、学会のことも、仏法もわかりません! 」

 地域の有力者は、山本伸一の厳しい言葉にたじろぎ、あっけに取られたように、目をぱちくりさせていた。 伸一は、諄々と語り始めた。

「 ここにおられる、同志の多くは、経済的に窮地に立ったり、病で苦しまれています。 しかし、その苦悩をいかに乗り越えていこうかと、真剣に悩み、考えておられる。 しかも、自ら、そうした悩みを抱えながら、みんなを幸せにしようと、冷笑されたり、悪口を言われながらも、日々、奔走されている。 わずかな財産を鼻にかけ、威張りくさっているような生き方とは対極にある、最も清らかで尊い生き方ではありませんか! 仏法というのは、何が本当の幸福なのか、何が人間にとって最高の善なのか、何が真実の人間の道かを、説いているんです。 社会では、ともすれば、金銭や地位、名誉にばかり目を奪われ、 ” 心の財 ” が見失われてしまっている。 しかし、本当に人間が幸福になるには ” 心の財 ” を積むしかない。 心を磨き、輝かせて、何ものにも負けない自分自身をつくっていくのが仏法なんです。 その仏法を弘め、この世から、不幸をなくしていこうというのが、学会なんです 」

伸一は、民衆の蘇生と幸福を実現する創価学会の使命と、真実の人間の生き方を訴えていった。

<新・人間革命 共戦 20・21>より


創価の信心は、現実的幸福を獲得しながら、絶対的幸福を掴むことのできる信仰なのです。 日蓮大聖人の仏法を実践する創価のことを ” 現世利益を追求し目的とするのはおかしい ” といって、いかにもまやかしの低俗な宗教の如く言う人もいます。 しかし、人を幸せにし、社会を平和にせずして、なんで仏と言えるでしょうか。 地獄にいてもそこを常寂光土に変えるのが仏であります。 いつまでも、仏が病気で、貧乏で、不和で苦しみ続け、三毒(貪・瞋・癡)にまみれているはずがありません。 創価の信心は自らの仏の生命を汲み上げ、仏と同じ利他の行為をするから、自然と、自身も廻りも変わっていくのです。 そして心を輝かせながら常楽我浄の境涯で人生を飾ることが出来るのです。 これは仏になるからこそ出来るのです。 一生成仏とはこのことを言うのであります。

生も感謝、死も感謝。 生も歓喜、死も歓喜。 生死を貫く境涯の確立こそが創価の信心の目的なのであります。
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2011-12-05(Mon)
禅宗は、不祖といいながら、祖師を立て、不立文字といいながら祖師の教えを誦しています。 自語相違といえば、そうなのですが、もっと重要な過誤がそこには見えてくるのです。 つまり、成仏するのに禅の祖師の教えや著作(文字)は仰ぎ、それに随うが、釈迦の教説や法華経には随わないということです。 不立文字といいながら、まさに師敵対の天魔の所為であります。 今の禅宗は時代の推移の中で法華経や、経々の言葉(文字)で繕い、飾るようになりますが、本質は変わっていません。 釈迦の言葉で飾り、感心させておいて、あたかも禅はすばらしいと思わせるなど言語道断の行為であります。 その本質は、釈迦が悟ったところを見て、 「 ああ、あのようにやればいいのだ 」 と考えて、釈迦が仏に成る教えを人々に話しているのを、横で 「 そんなことを聞く必要はない、釈迦のように禅定に入れば悟りを得て仏になれる、わたしの言うようにしなさい。 」 と吹聴している姿がそこには見えるのです。 まさに仏種を断ずる天魔のささやきといえましょう。 日蓮大聖人は 『 当世の禅者皆是れ大邪見の輩なり。就中、三惑未断の凡夫の語録を用て、四智円明の如来の言教を軽んずる、返す返す過てる者か。 』 と厳しく指弾しております。

では、瞑想の釈迦の悟りとは何だったのでしょうか? それは、釈迦が三世を通達し、過去世の菩薩の修行を経て仏になった自分を観たのです。 菩提樹の下に居るときは、すでに仏であった釈迦です。 瞑想を契機に果末の境涯を顕したに過ぎないのです。 過去世の仏道修行がどんなもので、どのように修して仏になれたのか、その根本の法は何か、そして仏の威徳・智慧・慈悲を説いたのが、八万法蔵ともいわれる教えで、その中で唯一、随自意で説かれた法華経に、その根本、骨髄があり、成仏の秘密と神通之力を説いているのであります。 しかし、法華経は理の法門であり、過去世からの有縁の人を薫発し悟りに導くものでしたが、本未有善の宿業に苦しむ衆生には、何の効力も無い為、本仏である日蓮大聖人はその成仏の秘密と神通之力を南無妙法蓮華経の御本尊と顕され、事実の上で衆生が成仏できる事の法門を示して下さったのです。 生命の明鏡となる御本尊を、自身の仏の生命を顕す所縁の対境として、一心を定めて南無妙法蓮華経と唱える自力の唱題行と、十如実相の化他の菩薩行こそが、自身に仏を顕す真の止観の姿、三昧なのであります。 そして、その ” 一心 ” である ” 信 ” をもって成仏することが肝要であり、虚空会の儀式で釈迦が宝塔に入る姿はそのことを表しているのであります。 日蓮大聖人は 『 されば境と云うは万法の体を云い智と云うは自体顕照の姿を云うなり、而るに境の淵ほとりなく・ふかき時は智慧の水ながるる事つつがなし、此の境智合しぬれば即身成仏するなり、 』 と仰っており、己が信力行力によって、我が身に仏力法力と現るとの意であります。 

人には人の振舞いがあるように、仏には仏の振舞いがあります。 仏の境涯そのものは見えずとも、十如是あるいは三如是(三徳・三身)の振舞いがその身に必ず見えてくるものなのです。 その偉大な姿が釈迦の振舞い・生涯であり、その本因の教主である日蓮大聖人の御振舞い・御生涯なのです。 よく、禅定で仏の悟りを得て、歓喜に打ち震えたという話がありますが、それは、まったくの勘違いか嘘です。 ただ禅とするような禅宗の修行では、とても無理なのです。 自分の心を所縁の対境として、自分の心で観るだけの禅宗では、闇の中でいくら観ても闇しか見えないのと同じで、心の無明の闇に迷い込み、心が朦朧として幻覚を観るか、天魔の声に心奪われるようになります。 日蓮大聖人は、禅宗は酒を入れてあった瓶(かめ)を蒙って壁に向かう様なものだと仰っていますが、本質を鋭く見抜いたお言葉です。 栄西・道元の教えを速やかに打ち捨て、本因の教主日蓮大聖人の仏法に、なかんずく、創価の信心に帰依することを強く勧めます。
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2011-12-03(Sat)
※ このブログでは、毎週末音楽を紹介していますが、あくまでも、わたくしの思い出の内にあった曲の紹介ということで、基本的に3週を過ぎたものはブログでの視聴ができないようになっています。 また、将来は一部を除き記事ごと削除することがあります。 よろしくご承知おきください。
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No title * by SHIn
過日地元中心会館に原田会長が来てくださり32年振りに会長を迎える事ができました。私自身先生の和歌の入った富士の写真を頂く事ができ大きな意義を感じております。18日に父親の御守り御本尊授与式がありますので法戦の準備等と重なりますが題目をあげしっかりとこなしていきたいと思います。

No title * by 夕焼け
SHInさん おはようございます。

写真、よかったですね。(^^
無事、御本尊送りが出来るよう頑張りましょう。

2011-12-02(Fri)
今週も、落ち着いた曲をお聴きください。
横になりながら聞くと良いかもしれません。

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ BWV1068 Air
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2011-12-01(Thu)
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SGI池田会長は折々の会合で御書をひもとき、次のように語られています。


【 本文 】 本因妙抄 (P872) 
『 観行理観の一念三千を開して名字事行の一念三千を顕す、大師の深意釈尊の慈悲上行所伝の秘曲是なり 』

【 通解 】 
『 観行理観の一念三千を開いて、名字事行の一念三千を顕す。 天台大師の深意、釈尊の慈悲、上行菩薩が伝えた秘曲とはこれである。 』

【 指導 】
* たいへんな修行と能力を必要とする天台大師の仏法を開いて、大聖人は、 「 信心 」 の二字におさまる 「 事の一念三千 」 の御本尊を顕された。 このことこそ、天台大師が知っていて、しかも説かなかった 「 深意 」 であり、末法の衆生への釈尊の 「 慈悲 」 である。 そして、上行菩薩が伝える大切な 「 秘伝 」 である。 ―― こう、教えられているのである。 「観心の本尊」の深義もここにある。
戸田先生は、御本尊を 「 幸福製造機 」 に譬えられたが、強盛な 「 信心 」 によってのみ、御本尊の広大無辺の大功力も現れるのである。この一点に日蓮大聖人の仏法の真髄がある。

< 御書とその心 >より


日寛上人は 『 「 我が己心を観ず 」 とは、即ち本尊を信ずる義なり  』と言われております。 つまり、 「 観心の本尊 」 の観心とは無二の信心のことであり、 本尊とは 『 「 信心 」 の二字におさまる 「 事の一念三千 」 の御本尊 』 ということであります。 このことは、法華経の虚空会の儀式でもきちんと説かれております。
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