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2011-10-31(Mon)
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アンチがカルト指定で騒いでいたフランスで、フランスの神学者ドゥニ・ジラ博士の協力を得て、フランス語版の日蓮大聖人の御書が発刊されたそうです。 一般にも広く読んでもらうために、創価学会版とヘルダー出版社版の2種類となっています。 このニュースを知り、ほかの言語の御書を調べてみたところ、次のような御書が出版されていました。

中国語版 日蓮大聖人御書全集
韓国語版 日蓮大聖人御書全集
英訳御書
ポルトガル語版 御書
イタリア語版 御書
スペイン語版 御書全集
ドイツ語版 日蓮大聖人御書選集

今回のフランス語版が揃うと、世界の大部分の国で日蓮大聖人の御書を学ぶことが可能になったようです。 最近のSGI(創価学会インターナショナル)の発展ぶりが、このような地道な翻訳出版によってもたらされていることを、あらためて知る思いがいたします。 ニュースの記事では 『 全世界の同志が、 「 南無妙法蓮華経 」 の題目を唱え、 「 御書 」 をひもときながら、求道の炎を燃やしています。 仏法史上このようなことがあったでしょうか。 私たちは世界広布の時を今、師匠と共に迎えているのです。』 と感動的に伝えております。

現代の鳩摩羅什に乾杯!

ところで、御書を読解するのが苦手なわたしには、各国語版より現代語版が必要なようです。 (^^;
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2011-10-28(Fri)
懐かしいですね、この曲もCMソングなんです。 
久保田早紀さんが歌っています。

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ 異邦人
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2011-10-27(Thu)
今日は、支部総会でやる合唱の音源を捜していたら、懐かしい歌に行き当たりました。

当時、わたしは大学受験で苦学(?)していたとき、この歌を聴きました。 今改めて聴いたら、当時の感動を思い出して涙が零れてきました。 (涙)
先生 ありがとうございました。

この歌は、池田会長が家庭訪問のおりに、家計を助けるために郷里を離れて働く、10代半ばの少年の手紙を見て、即座にペンをとって贈った詩が基になっております。 あるとき、この詩を目にした学生部員が感動を覚え、曲をつけて二部学生に教えたことから、しだいに人から人へと広がってゆき、その後に、定時制高等部員の愛唱歌となりました。 全国の苦学生の支えとなった歌ですが、陰で努力し、苦闘する総ての人の歌でもあります。

詩はもちろんいいのですが、曲もいいですよ。



・ 友よ強く
                     作詞 山本 伸一
                     作曲 今城 陽一
        
友よ強く雄々しく立てよ
僕が信ずる君が心を
苦しき仕事 深夜の勉強
これも修行ぞ 苦は楽し
君が信念 情熱を
仏は じっとみているぞ

友よ負けるな希望を高く
僕が信ずる君が心を
努力 努力 また努力
あの日の誓い忘れるな
君の意気と若さとで
断じて進め あくまでも

友よ忘るな微笑を
僕が信ずる君が心を
清らかに 夢みつつ 進みゆく
君が心の美しさ
ああ わが友よ強く
君が友よ
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2011-10-26(Wed)
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仏教以外の多くの宗教は ” 神 ”の摂理に拠るため、代行者を置きたがります。 このことが、現代に至るまで、キリストやイスラーム世界の凄惨な血で血を洗う争乱や人間の抑圧を起こしてきた要因となってきました。 神に代わって悪魔のような行為を平然と行います。 これは、神が悪いのでは決してありません。 人の心が神を利用しているために起こった悲劇なのです。 このような惨劇は共産主義社会でも容易に目にすることが出来ます。 いつの間にか、別の神とその代行者を作り出していたのです。 釈迦に 「 心の師となるとも、心を師とせざれ 」 あるいは 「 心の師と作ることを願い、心を師とせざれ 」 と言わしめたのは、心が簡単に魔に食い破られる傾向にあったからです。 本来、神の代行などナンセンスです。 神に任せればいいのです。 この神の代行者症候群は伝染し、民衆にも広がることがあります。 こうなると厄介です。 
仏教では ” 法 ” の摂理に拠るため、代行者を置くことはまずありません。(あるとしたらそれは似非仏教だと思ったほうがいいでしょう) 古代インドから東アジア、中国での仏教の繁栄した時期に、国の平和と繁栄が築かれたのも、このことが大きく影響しています。 ヨーロッパ近代の民主的発展も ” 神 ” の代行者から ” 民衆 ” による統治を進めることによって可能となりました。 いまだ代行者が多数闊歩する中東のイスラームも、今のままでは、凄惨な状況をいずれ作りだす可能性があります。 今起きている「 中東の春 」 と呼ばれる民衆の運動が、良い方向に向かうことを願うばかりですが、連日の報道を見る限り、暗澹たる気持ちを禁じ得ません。

今の文明の行き詰りと危機は、欲望を拡大し続け、心のコントロールに手を焼いていることが原因とも言えます。 今こそ宗教の役割を高めていかなければなりませんが、わたしは仏教こそ、その役割を担う旗手となるべきであると思っています。  日蓮大聖人の仏法が、創価によって、世界に広まりを拡大させている事実は、時代の必然なのかもしれません。 日蓮大聖人は、あらゆる宗教の教え、哲学、思想は仏法を内包し、仏法に摂せられると仰っています。 それほどに、人間の心の奥底にある闇を照らし、善なる生命を解き放ち、人間変革をもたらす教えを、わたしは多くの人に語っていきたい。 そして人々の心に潜む魔を打ち破り、宿業の連鎖を断ち切りたい。
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2011-10-25(Tue)
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宗教には、個人と社会の両面に対し、規律を則す役割があります。 多くの苦しみや悲しみは、他との関係性の中から生まれており、それを防ぐために自己規律や鍛錬、他への寛容と慈しみといった具体的な修練や導きが行われてきました。 大なり小なり、宗教にはかならず戒律があります。 それらが、個人と社会の破滅を抑制する効果をもたらして来たのです。
そしてもう一つの役割は、 ” 死 ” にたいする態度を用意することにあります。 だいたいの宗教は死後を認めていて、いろいろな考えが見られます。 ザックリと分ければ、死んでからあの世で暮らし続ける。 というのと、死んでからまた生まれ変わり、それが繰り返される。 というものです。 いずれの場合も、この世での人の行為は死んだときに裁かれるとしています。 これは、行為の善悪を担保にした脅しと見れなくもないですが、社会の無秩序な争いや混乱を防ぐために必要不可欠なものだったのです。 その絶対的な施行者として ” 神 ” があり、仏教では ” 法 ” だったのです。 このようなことから、信仰を持たない人は、勝手で、欲望に支配された、弱肉強食の動物のような生き方になる。 と、社会では見ていたのでしょう。 

ではなぜ、 ” 宗教はアヘンである ” とまで言われるようになったのでしょうか。 この言葉は、マルクスが 「 ヘーゲル法哲学批判序論 」 で使ったもので、今はこの言葉だけが独り歩きして、宗教は人間にとって害こそあれ利するものは一つも無いという意味で使われるようになりました。 しかし、マルクスやエンゲルスは宗教を否定したことはありません。 また、当時の支配的宗教であるキリスト教について述べたものなのです。 要するに現実の不幸や、社会の不条理といった病理に対し、幻想的幸福としての宗教を破棄して、現実的幸福を要求することが必要だとしたのです。 そして、宗教は痛み止めという意味でアヘンと表現し、根本の治療とはならないので、社会には現実的不幸が蔓延していくだけだとしたのです。 マルクスの指摘は的確であり、その通りだとわたしも思います。 マルクスが、今、社会変革と絶対的幸福を追求し、現実的幸福を掴みながら前進する創価の姿を見たら、はたしてこのように言ったでしょうか。 きっと驚き、光が差しこんできた思いで刮目したに違いありません。
 
当時のヨーロッパでは宗教は為政者の道具に成り下がり、聖職者は権威と富にしがみついていました。 王と聖職者という神の恩恵者と代行者が、共に、きらびやかな衣装の下に、醜い欲望をおおい隠しながら、実は神に怯えている。 というような絵を見る思いがいたします。 マルクス、エンゲルスに始まる共産主義革命は、民衆の力により成し遂げられました。 しかし、現実的幸福を獲得することは遂に出来ませんでした。 やはり、人間の心の奥深くに潜む闇が、抑圧と悲惨を生みだしたのです。 ベルリンの壁と後の崩壊はそれを見事に象徴しております。 社会は歴史の中で唯心・唯物と大きく振れ動きましたが、まだまだ混沌としております。
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2011-10-24(Mon)
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宗教を心の修養、精神の鍛錬として捉える人は多いと思います。 たしかに、心の安らぎや安心の糧としての役割はとても重要で、古くから社会的規範や道徳・良心の礎ともなっています。 しかしその一方で、従属的で他人まかせの無気力な行為と捉える人もいて、日本では無宗教であることが、まともな人間の証のように思われる傾向にあります。 しかし、世界を見てみると、だいたいがその反対です。 まともな社会では信仰心の無い人間は信頼されないか、異端視されます。 信仰は人間が人間らしく生きるために必要なもので、それが無ければ動物のように生きるしかないと捉えているからです。
そもそも、わたしは無宗教などというものは無いと思っています。 それは無宗教という宗教なのです。 ここでは詳しく触れませんが、願う対象や信じる内容が違うだけなのです。 共産主義は宗教を疎外しますが、これも制度や指導者を崇拝し、イデオロギーを戒律とした宗教といえます。

宗教は、人間の祈りから生まれています。 「 災害や危険な動物に遭いませんように 」 「 病気になりませんように 」 「 食べるものを確保できますように 」 生存の欲求から始まり、様々な欲望の充足や悲しみ・苦しみから逃れる思いまで、だれもが抱く願い、心理です。 最初から宗教があったわけではなく、この 「 願う心 」 がそのまま 「 祈り 」 となり、祈りの対象を求めて宗教が生まれてきたといえるでしょう。 原始の時代には、人間の力が及ばない、過酷な状況が今よりも切実にあったに違いありません。
最初に人類が求めた祈りの対象は、自然界や祖先あるいは匿名的な何かでしたが、社会性が生まれ、定住文化が発展するにともない ” 神 ” を見いだすようになりました。 また、事象の探求と死に対する準備をするために教義・儀礼が生まれてきました。

バラモン、ヒンズー、は自然または神性の摂理に、ゾロアスター、ユダヤ、キリスト、イスラームは創造神の摂理に対象を求めており、ほとんどが人間の外に視点を置いている宗教です。 それに対し、人間とその生命の内に視点を置いているのが仏教であります。 人間の心の探求から、もっと奥深いところにある生命の階層とその本質を明らかにして、事象のすべてに意味を見出しているところに特徴があります。 特に成仏という概念は他の宗教にはあまりみることが出来ません。 キリスト教のグノーシス派やバラモン教に、似たような概念はありますが、人間から離れた存在を想定していますので、仏教とは異質なものです。
Category : 仏 教 Comment : (0) |
2011-10-21(Fri)
今週もCMの曲を紹介します。 またしてもお酒のCMです。 (^^;
CMに出てくる小雪さんに、飲む前に酔ってしまいそうですが、石川さゆり さんの歌も素敵です。

ちなみに、わたしはバーボンが好きで、最初にストレートでグイッとやり、クーッとくる感じを楽しんだ後は、オンザロックです。 

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ ウイスキーが、お好きでしょ

・ 角瓶 CM 「わたしは氷」編
Category : 音 楽 Comment : (2) |

No title * by 菊川広幸
何だか、一杯やったような気分になりましたよ。
飲まないのに、気持ちよくなって、癒されました。(笑)


No title * by 夕焼け
菊川 さん こんばんは

そうですか(笑)
楽しんでください。

2011-10-20(Thu)
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(聖教新聞2011年10月20日付 新・人間革命 福光 41 )


今日の新・人間革命  ― 福光 41 ―  に昭和32年頃の文京支部の、壮年の弘教の姿が描かれています。 彼は一ヶ月前に会社が倒産し、2人の子供が病弱で生活が逼迫している中、20キロ離れた友人のために仏法の話をしに訪れます。 その帰り道での様子です。


* 『 彼は、この日、仏法対話の最後に、友人が放った言葉が、胸に突き刺さっていた。
「 人の家に、宗教の話なんかしに来る前に、自分の仕事を見つけてこいよ。 それに、そんなに、すごい信心なら、なぜ、子供が病気ばかりしているんだ! 」
壮年は言い返した。
「 もちろん、仕事は必ず見つけてみせる、子どもも健康になるよ 」
「 それなら、そうなってから来るんだな。 そうしたら話を聞いてやるよ 」
友人は、終始、薄笑いを浮かべ、蔑むような言い方であった。
夜道を歩き始めると、無性に悔しさが込み上げ、涙があふれて仕方がなかった。
(中略)
やり場のない怒りを口に出し、泣きながら雨の道を歩いた。
2時間ほど歩いたころ、文京支部の会合で山本伸一に激励されたことを、ふと思い起こした。
「 折伏に行って、悪口を言われ、時には罵詈罵倒されることもあるでしょう。 また、悔しい思いをすることもあるでしょう。 それは、すべて経文通り、御書に仰せの通りのことなのです。 その時に、負けるものかと、歯を食いしばって頑張り続けることによって、過去世からの罪障が消滅できるんです。 仏道修行は、罪障消滅、宿命転換のためでもあるんです。 そう確信できれば、 「 苦 」 もまた、楽しいではありませんか! 」 』


当時の創価は、多くの会員が、貧乏と病と不遇に苦しんでいました。 ” 信心したら幸せになれる ” と、その確信ある一言に入信したばかりの人達が多かったからです。 貧乏な姿で、裕福な親戚を訪ね。 病の身で、健康な友人を訪ね。 それを笑われ、悪口され、悔しい思いをしながら、塩を撒かれ、水を浴びせかけられる事もありましたが、仏法対話を止めようとはしませんでした。 このような方々が、今の創価を築いてきたのです。
今では当時のことを、笑いながら、あのような戦いがなければ、今の自分、今の幸せ、今の境涯は無かったと、しみじみと語っております。

病気を治してから、生活革命してから話そうと思うのがあたりまえです。 逆境にある姿で仏法対話するのは、勝負が見えていると思ってしまうからです。 また、こんな姿ではかえって法を下げてしまうと心配して、臆病になってしまいます。 たしかに、実証を示してからのほうが説得力があります。 またそのような姿に信心する人も多いでしょう。 しかし、それは、ニワトリと卵のような話で、罪障消滅、宿命転換をするためには、逆境にある姿をさらしながら、それを蔑まされても、 「 いかなる乞食にはなるとも法華経にきずをつけ給うべからず 」 「 力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし 」 の姿が必要となる場面が、必ずあるのです。
Category : 信 心 Comment : (2) |

No title * by ブー
このブログはすばらしいね!最高だよ

No title * by 夕焼け
ブーさん はじめまして。

閲覧ありがとうございます。
これからも、応援よろしくお願いいたします。

2011-10-19(Wed)
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街を歩いていて、ちょっと変な雰囲気を持った犬に出くわしました。
もう、お年のようですが、なんか人間臭さを感じます。

「おう、元気か。 かぁちゃんどうしてる?」って言われそうです。(笑)
Category : 趣 味 Comment : (0) |
2011-10-18(Tue)
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(写真:SGIグラフ)


いま、春に花が一斉に咲くように、世界中で創価の種が開花しています。
信心されてない方は、どうせ日本人の在住者が中心で、わずかに現地の人が居るだけだ。 とか、異国の宗教をよく理解もせず、興味本位でファションとして楽しんでいるだけだろう。 と、捉える人もいるでしょうが、それがそうではないのです。 ほとんどが現地の人であり、創価の精神と日蓮大聖人の哲理に共感と希望を抱いて、目を輝かせながら活動している姿がみられるのです。 
各国のSGIの様子は、グラフSGIという写真中心の冊子に紹介されているのですが、知合いの創価学会員に言えば聖教新聞と同じように購読することができます。 また、東京のJR信濃町駅前にある博文堂書店には、その他の創価の書籍や冊子と一緒に置いてあります。

聖教新聞には、 「 世界に広がる 太陽の仏法 」 と題して、週に1回記事が載ります。 今週は、イギリスSGI婦人部のスザンヌ・プリチヤードさんがイギリスSGIの近況や池田先生との出会いを語っています。 今日はその中から、一部を切抜きしてそのまま紹介したいと思います。


* ―自分自身のなかに無限の可能性―
 
多民族国家として発展してきたイギリスでは、今日、さまざまな宗教を信仰する人々が暮らしています。 最も広まっている宗教はキリスト教です。 しかし、必ずしも "  日常的に信仰活動に励んでいる  " 人が多いとはいえません。 そうした中にあって、日々、信仰を根本に皆で励まし合いながら前進しているSGI(創価学会インタナショナル)は、大きな注目を集めています。
この日蓮仏法には、色法(肉体・物質)と心法(精神・性分)が根底的には一体であるとする 「 色心不二 」 や、生命活動を営む主体である正報と、その身がよりどころとする環境・国土である依報が不可分であるとする 「 依正不二 」 などの法理が説かれています。 イギリスの人々は、これらの法理を学んでいく中で、この信心が "  おすがり  " ではなく、自身の意志と行動によって一切を変革していく力強い信仰であることを理解し、実践するようになります。 中でもイギリス人の間で最も共感を呼んでいるのが 「全ての生命に仏性が具わっている」 という教えです。 現代社会に生きる多くの人々は、無力感にさいなまれ、物事に対して無感動になっていく傾向にあります。 しかし、日蓮仏法に出あった人たちは、自らの信仰の力で困難に打ち勝ち、社会を変革していくのだと自覚するようになります。 この 「 エンパワーメントの哲学 」 が皆の心に響くのです。 日蓮大聖人は 「 一生成仏抄 」 において、 「 今この人生で間違いなく最高の悟りを得ようと思うならば、必ず衆生に本来具わる妙理を自身の生命の中に見ていくべきである。 衆生に本来具わる妙理とは妙法蓮華経のことである。 ゆえに、妙法蓮華経と唱えれば衆生に本来具わる妙理を自身の生命の中に見ていることになるのである 」 と仰せです。 私自身、入会したばかりのころに、この法理に出あい 「 自分自身の中に無限の可能性がもともと存在しているのだ! 」 「 南無妙法蓮華経と唱えれば、その可能性を思う存分発揮できるのだ! 」 と知った時の感動を、今もはっきりと覚えています。
Category : SGI Comment : (0) |
2011-10-17(Mon)
 
(写真:聖教グラフ)

現代における、法華経の行者とは誰だろうか。 

日蓮大聖人の姿に照らしあわせてみれば、三代にわたる創価以外には見当たりません。 不思議にも、ほかに誰もいません。 三代にわたる創価のみ、一閻浮提広宣流布の日蓮大聖人の未来記を実語としています。 三代にわたる創価のみ、三類の強敵、数数見擯出の難を受け法華経を身読しております。

このような法華経の行者を誹謗し、日蓮大聖人の仏法を信じない人が受ける業がどんなものなのか、法華経譬喩品を見てみましょう。

若人不信 毀謗此経  若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば
則断一切 世間仏種  則ち一切世間の 仏種を断ぜん
   (略)
若仏在世 若滅度後  若しは仏の在世 若しは滅度の後に
其有誹謗 如斯経典  其れ 斯の如き経典を誹謗することあらん
見有読誦 書持経者  経を読誦し書持すること あらん者を見て
軽賎憎嫉 而懐結恨  軽賎憎嫉して 結恨を懐かん
此人罪報 汝今復聴  此の人の罪報を 汝今復聴け
其人命終 入阿鼻獄  其の人命終して 阿鼻獄に入らん
具足一劫 劫尽更生  一劫を具足して 劫尽きなば更生れん
如是展転 至無数劫  是の如く展転して 無数劫に至らん

ここでは、法華経を信じず、法華経を誹謗することの他に、受持する人を見くだし、馬鹿にし、憎み、妬み、恨みを懐く罪報が、無数劫に至ることが述べられていますが、ここで注目したいのは、 「 其人命終 入阿鼻獄 」 の文です。
創価を誹謗し、日蓮大聖人の仏法を信じようとしない人は、今の世の中でも居ります。 特に日本では大勢います。 すぐに現証(罪報)が出る人もいますが、しばらくして晩年に出てくる人もいます。 また何事も無いかのように過ごす人もいます。 日蓮大聖人は、罪が重く無間地獄(阿鼻獄)が定まった人は今世には現証は起きない、死ぬとき、あるいは死んでから、かならず無間地獄の苦しみを生じると語っていますが、それがこの文のことなのです。 
さらに譬喩品では、無間地獄に生じては死に、死んでは無間地獄に展転していくと説かれています。 無間地獄の様相については、この後に続く文に出てきますので、興味があれば法華経譬喩品の後1/3を読んでみてください。 多宝仏と十方の諸仏が法華経は真実であると証明し、釈迦仏が教説の中で法華経は最第一の教えであると宣言しているのですから、そのことをわたしは信じます。

ところで無間地獄はどこにあるでしょうか。 生死不二、依正不二、色心不二、三身即一身の法理を、素直に受け止めて考えれば、自身と自身の廻りにあることは明白であり、生死にわたりこの現実の世界に在ると、仏法の慧眼は捉えているのです。 地獄は 「 獄 」 とあるように束縛され自由の失われた生命ですから、どうすることも出来ずに心身ともにもがき苦しむ境涯です。 よく診てみると、この現実の世界にいくらでも見ることが出来ます。 たとえば、脱皮したばかりのある種類の蟹は、体が柔らかく思うように動けないため、ヒトデに襲われ体液を徐々に吸われ、生きて吸い尽くされて死んでいきます。 また昆虫の世界でも、同じような、とても残酷な様相が見受けられます。 人であってもそれは同じで、生まれたときから、どうすることもできずに、心身ともに苦しみながら死んでいく人が現実には居ます。 戦争などで起こる惨劇も現実です。 釈迦は無間地獄の生命の様相を語れば、語り尽きないと言い、日蓮大聖人は無間地獄の生命の様相を詳しく語れば、それを聞いた者は血を吐いて死んでしまうと語っています。

ちょっと恐い話になってしまいましたが、日蓮大聖人はこの仏法を信授し、御本尊に南無妙法蓮華経と唱え、人にも語り勧める功徳は、釈迦の仏道修行の功徳にも優れ、罪業は太陽に照らされた朝露のように消え去っていくと断じております。 その証拠に、創価の信仰体験には罰と功徳の体験が山ほどあります。 正しい宗教は、信じないで謗れば罪報(罰)がありますが、信じて賛嘆すればそれ以上に確かな功徳があるのです。
念仏・禅・真言・律の4宗は、すべて法華経を否定し、誹謗しています。
したがって、その結果は明らかで、4宗は地獄の門を開き、人の不幸の根本原因を作り出す元凶となっているのです。 日蓮大聖人は、命を失うような迫害を受けながらも、大慈悲をもって邪宗撲滅の言論を展開していった、真実の法華経の行者なのです。
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No title * by かどやよしたか
とてもかんどうしました。そのとうりとおもいます。まいにちたのしみにしています。げんきがでますね。

No title * by 夕焼け
かどや さん はじめまして。

そう言っていただくと、とてもうれしいです。
励みになります。
これからも、よろしくお願い致します。

2011-10-14(Fri)
先週に引き続きCMの曲の中から、ビリーバンバンの歌を紹介します。

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ また君に恋してる
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2011-10-13(Thu)
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(写真:SGIグラフ)


この記事をお読みになるとき、わたしは富士山麓で温泉に浸っています。 そして明日は、真鶴で新鮮な魚介類に舌鼓を打っていることでしょう。 (^^ 
苦しいことがあるから、楽しさが身に染みる。 苦楽が人生の妙味となって味わい深いものにしてくれます。

ところが人の人生は、このように単純にはいかないことも多いのです。 苦しみに沈み溺れる人、苦しみにまみれ苦悶する人、苦しみを見据え模索する人、苦しみを糧に前に進む人、苦しみを歓喜へと転換する人、と様々です。 日蓮大聖人は、南無妙法蓮華経の唱題こそが、諸行無常の生死の苦海を泳ぎ、常楽我浄の生死の彼岸へと辿り着く唯一の力なのだと仰っています。 創価の歴史は、苦しみを歓喜に変えていった人々の歴史とも言えます。

仏の境涯とは、苦から離れることではなく、苦海の大海原でその波と風を力に変えて、自在に悠々と進み、そのことで様々に楽しんでいくことができる境涯ともいえます。
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No title * by 真理子
しょうだいのてつじん:よみました。まさにそうおもいしりました。そして、銭をまえにたいせつなものにきずいていくところわ、すごい。

No title * by 夕焼け
真理子さん コメントありがとうございます。

これからも、ご来訪、お待ちしています。

2011-10-12(Wed)
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(写真:SGIグラフ)


1961年10月8日 池田SGI会長がベルリンの壁の前に立ち、平和を祈った日であります。 その日からちょうど50年たった今月の10月8日に、欧州8カ国のSGI代表メンバーがベルリンに集い、誓いの勤行会が行われました。

わたしは緑豊かなベルリンを散策しながら、ブランデンブルグ門を訪れたことがあります。 そのとき、ベルリンの壁はもう有りませんでした。 池田先生が歩かれた道を辿りながら、壁を作ったのも人間の心ならば、壊したのも人間の心なんだ、と深く想ったことを思い出します。 新たな50年には、欧州のメンバーの心が、きっと人々の心の壁を取り払い、歓喜に満ちた欧州広布の姿を見せてくれるにちがいありません。

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(写真:聖教新聞2011年10月14日付)


翌9日、ベルリンの各所で行われた、地元メンバーとの交流の ” ZADANKAI ” です。 国境を越えた創価家族の心が通う集いです。
創価はこの小さな座談会を永遠に大切にしていかなければなりません。
そこには広宣流布の縮図があるからです。 
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2011-10-11(Tue)
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ご無沙汰しました。
やっと、試験が終了いたしました。 (^^

6時間半に及ぶ実技試験は、所定の要求を満たす的確な判断と構成力、そしてなによりもスピードが求められ、論述と合わせ老眼鏡を掛けながら奮闘してまいりました。 ” 終了! ” の声と同時にどっと疲労感に襲われ、60才のわたしには心身ともに大変疲れる試験でした。 1ヶ月に及ぶ準備期間でしたが全力を出し切ったと思います。 合格できたかどうかは結果発表を待たなければいけませんが、厳しいかもしれません。 (^^;

いずれにせよ、今は開放感に包まれ爽快な気分です。
また、ブログを再開させていただきます。
Category : 日 記 Comment : (0) |
2011-10-07(Fri)
今日は、CMの曲の中から、松田聖子さんの歌を紹介します。

よい週末をお過ごしください。 (^^

・ Sweet Memories
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