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2011-07-31(Sun)
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(写真:SGIグラフ 撮影:池田大作)


人間はつい愚痴を言う癖があります。 自分のことならまだ良いのですが、たいていは自分と関係する人や組織のことが多いでしょう。
信心の世界では、この愚痴は大敵となります。 水魚の思いを成す創価の組織を壊すからです。 また福運を消してしまう原因となるからです。 愚痴はやがて怨嫉となり、罰を受け、信心をも破壊していきます。 世間一般のことでも、愚痴を言うときの人の表情は見苦しく卑しい。 当然、そのときの心も見苦しく、卑しい。 三悪趣(貪・瞋・痴)の命と言えます。
愚痴と批判は違うのですが、愚痴は批判となって現れることが多いのです。 一見もっともらしい意見として出てきますが、心が愚痴の場合には、やがて非難・中傷へと変貌していきます。 建設的な批判は、必ず客観的な把握と、問題解決のため心を尽くす、対話や行動を伴います。 対立のための批判ではないのです。 そうでなければ建設的とは言いません。 愚痴は破壊的な批判と言えるでしょう。
 
池田先生は入信当初、一部の威張った先輩の権威的な姿に、どうしても馴染めないでいたとき、戸田先生に打明けたところ、 「 ならば君自身が、本当に好きになれる、理想的な人間組織をつくればよいではないか 」 と言われたそうです。 池田先生は、この指導を受けてから、組織の最前線に飛び込み、矛盾と葛藤が交錯する現実という海原で、悩みながら、苦闘しながら、忍耐の心を持って、人間共和の組織を築き上げてきました。 たとえ正しいと思える批判でも、人を傷つけ、組織を破壊するような言動に終始するのは、総て愚痴であり、魔の働きであると断じても言い過ぎではありません。 公然と批判することより、そこにある矛盾や不条理と向い合って変革していくのが、正義であり、創価の精神なのです。 それが池田先生の弟子の姿なのです。 特に創価の青年の皆さんには、この精神を忘れず、創価の ” 人間のための組織 ”を 守りながら、主体的に、さらなる理想の組織を築きあげていただきたい、と念願するものであります。
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No title * by うつ病患者
『愚痴は福運を消す』と言われますが、私逹は人間(凡夫)です。辛いとき、苦しいとき愚痴を言いたくなるものです。『愚痴を言って心をスッキリさせて、題目をあげて頑張って行けば良いんだよ』と先輩から指導を受けました。人間(凡夫)は、心があります。心にストレスを溜め続けると、自殺をしたり、うつ病になったりします。現在は、ストレス社会です。ストレスのない人間はいません。愚痴の二つや三つ言いたくなるものですよ。愚痴を言って消えた福運はまた、積めば良いと思います。私は青年時代真剣に信心に励みました。そして、壮年部になった自分はうつ病になりました。私は言いたい事が有っても言えない性格です。そしてストレスや辛い事、苦しい事を溜めてしまうのです。そして、何回も自殺を繰り返しました。人間(凡夫)ですから愚痴を言うなと言う方が無理だと思います。

No title * by 夕焼け
うつ病患者 さん はじめまして。

愚痴を言うとは”言ってもどうにもならないことを言って嘆く”あるいは”愚かで道理のわからないことを言う”という意味ですよね。
わたしも、愚痴を言うことがあります。 しかし、スッキリしたことは一度もありません。 自分のことを愚痴るのも、わたしは勧めません。 生命力が弱るからです。

よく、人の欠点や悪口を、その人が居ないところで、心なく言う人があります。
これは愚痴になります。
直接本人と対話して、誠実にしっかりと話すべきであります。
これは愚痴ではありません。
さらに自分の苦しい気持ちや、感じてる不安、相手に対する気持ち、不条理な行為への不服などを、身近な信頼できる人に話して相談するのは、愚痴とは言いません。 解決する為に心に溜めず、話すべきです。

今回この記事は、信心の愚痴に焦点をあてて書いています。
”こんなに、頑張っているのに、功徳がない。””信心してるくせに、病気になるなんて。””信心しても、大変なことばかりで、イヤだ。””御本尊に唱題しても、生活がよくならない。”・・・・・・と廻りや関係のない人に言う。
これは、愚痴です。
”功徳がなかなか出ないが、どうしてだろう。””病気になってしまった。どうしたらいいだろう。””信心して、辛いことが多い。””なかなか唱題する気持ちになれない。”・・・・・・と信心の先輩や信頼できる人に相談する。 あるいは、御本尊に祈る。 
これは、愚痴ではありません。

愚痴の心でいくら唱題しても功徳はないでしょう。 迷いや辛さや苦しみを、素直に御本尊にぶつけて、唱題することが大切だと思います。

それと、人が聞いてて、人畜無害というか、なんというか、おもわず、同情したくなるというか、たあいのない愚痴はいいと思いますよ。
わたしはそんな愚痴は言います。 (^^

2011-07-29(Fri)
いよいよ夏ですね~。 夏といえば、白い砂浜に青い海。 
若いころ、といっても30歳過ぎていましたが、サンダルに短パン、Tシャツに麦藁帽子、ウォークマン片手にサザンの歌を聴きながら、伊豆下田の色々な海岸を歩いたことを思い出します。 

よい週末をお過ごしください。(^^

・ 真夏の果実

・ シャ・ラ・ラ
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2011-07-28(Thu)
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(SGIグラフ インド創価菩提樹苑)


晴れて大学生活が始まるのですが、思っていたよりは大変な生活でした。 何故かというと、そのときには、両親は家を買って東京を離れていて、一人で生活しなければならなかったし、学費は稼がないといけなかったし、単位の取得を気にしながら、学生部の活動にもどっぷりと浸かっていたからです。 しかし、大変ではありましたが、いい思い出となっています。 なによりも福運を積むことができました。 

仏法対話は学生時代がいちばん出来た時期だと思います。 唱題と仏法対話と御書研鑽の3本柱揃い踏みの日々は、本当に福運が付くものだと実感することができました。 学校には大勢の学生がいますから、対告衆には事欠きません。 (^^  恒例で、新入生が入学すると、ガイダンスの合間を縫っては ” 創価学会 ” って知ってる?  ” 生命哲学 ” って知ってる? と、片っ端から話をしていきます。 新入生ですからけっこう素直に話を聞いてくれるのです。 かなりの人数に話ができました。 また学園祭でも、友人が来たときは友人と、そうでないときは、同志の友人を囲んで信心の話をしていきます。 あと、生命哲学研究会として頻繁に対話集会を企画し、仏法対話をしていました。 仏法対話は相手が信心してもしなくても、その功徳は同じだといわれますが、まったくその通りです。 また、対話を多くの人に重ねれば、必ず信心する人が現れることも知りました。 当時は学内と地元の両方の活動がありましたので、朝から深夜にいたるまで頑張っていました。 学生部での思い出は話せば尽きないので、またの機会にしたいと思いますが。 「 普通の信心 」 の凄さは、戸田先生の仰る通りだと思います。 日蓮大聖人の仏法には本当に力があり、人間の人生をどれだけ輝かしいものにしていくか、まざまざと知ることができました。

アルバイトをしながらなので苦しいこともありましたが、そのたびに諸天に守られ、大学も、A+の成績を残し、4年間で無事卒業することができました。 さらに大学会のメンバーにも入れていただき、池田先生の配慮で、インドの創価菩提樹園に、父母ともども記念の名簿を永久保管していただくことが出来ました。 今生人界の思い出は、苦労の思い出がいちばん心に残り、輝いています。
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2011-07-27(Wed)
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(写真:聖教グラフ)


わたしは、20歳のとき高校を卒業し働いていましたが、会社を通じて、ある分野の人達と一緒に仕事をするようになり、その人達の影響で職業を変える決心をしました。 その為に、大学に進学することにしたのですが、母がとても反対しました。 当時勤めていた会社は、大きな会社でしたし、大卒は国立大学の修士か博士課程の卒業者だけしか採用しませんでしたから、優秀な会社だったのです。 母が気に入ってたのは、なによりも給料が良くて将来が安定している会社だったからですが、説得するのがとても大変でした。 それでも最後には入学金は出すが、学費は自分で払うことを条件に許してもらいました。 会社の先輩や上司も、辞めないで働きながら行ったらどうかと言ってくれましたが、分野が違うのと、工業高校で習う一般課程では受験にはかなりハンデがあるので、会社を辞めて勉強しなければ無理だと思ったのです。 その先輩は、今はその会社の会長をやっていますが、大学時代や卒業するときには、いろいろとお世話していただいた恩人であります。 わたしが信心していることは知っていますが、まだ信心の話はしていません。 いつか話すことが出来ると思っています。

辞めた年の4月から、予備校に通っての浪人生活が始まります。 予備校はとても無味乾燥でつまらなく、レベルが高くてついていけませんでした。 やがて惰性に流され勉強に身が入らなくなり、予備校にも通わなくなりました。 そんな中で、池田先生との記念撮影会が行われることになり、わたしは整理役員の一人として参加。 学会本部で直接先生にお会いすることができ、それを契機に、勉強にうち込むことが出来るようになりました。 会場で先生と対面したとき、こんな姿をお見せして申し訳ないという気持ちが湧き上がり ” よし! ” と負けじ魂に火がついたのです。 先生にお会いしたのは、高校生のとき、大石寺での夏期講習会が初めてでしたから、そのときの鮮烈な記憶とともに、今のだらしない自分がとても恥ずかしく思えたのです。 それからは、題目と勉強と飯、みたいな感じの毎日で、志望の大学に無事合格することが出来ました。
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2011-07-26(Tue)
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(写真:Potopedia CC banyanman Arctic 06


日本ではいまだ大半は化石燃料に頼らなければ、エネルギーの確保は困難なのが現実です。 しかし、地球温暖化は待ってくれません。 ますます異常気象が進み、台風、地震、火山活動が活発になると予測されています。 温暖化で地震? 火山活動? とおおもいでしょうが、実は関係があるのです。
温暖化は、まず大気や海水の温度上昇によるものが現れてきます。 それが、台風・雷・竜巻・洪水の巨大化、氷の氷解による海面上昇や氷解した地表の隆起、植物や生物分布の変動による環境変化、食糧分布の不均衡などです。 あまり知られていませんが、深海に閉じ込められているハイドロメタンの気化も心配されています。 さらに進んでくると地殻やマントルの温度上昇が起こり、地殻の膨張や地球内部の圧力上昇と流動変化の引き金となります。 それらが、地殻にストレスをかけることになり、地震の活動や火山噴火、あるいは目に見える地殻変動を招くことになるのです。 最悪の場合、地軸の移動や逆転が起こると予測する研究者もおります。

こう考えていくと、日本の未来は暗いと思われますが、なでしこジャパンのように最後まで諦めず、問題に立ち向かっていかなければなりません。 原子力・自然エネルギー・化石燃料以外のエネルギーにも目を向ける必要があります。 そして、エネルギー確保だけに目を向けるのではなく、産業構造や生活環境などを見直し、エネルギーを使わない社会を考えていかなければならないのだと思います。 今回の震災は、わたしたちに、そのことを気づかせてくれたのではないでしょうか。 日本はそういう意味で、世界の先駆けとなって、新たな文明社会を築いていかなければなりません。

この現実を踏まえながら、具体的な目標を定めて、社会構造や産業をうまく調整しコーディネイトしていくのが、政治の果たすべき役割であり、その知識と技術を持った人材が必要となってくるです。
エンジントラブルが起こった墜落寸前の飛行機で、パイロットがその技術と経験を駆使して軟着陸させる役割とよく似ています。 トラブルのエンジンを止め、残りのエンジンをコントロールしながら、あるいは、ラダー操作だけでやれる知識と技術があると判断できれば、すべての燃料を廃棄して、懸命の操作で操縦かんを握るパイロットが今は求められているのです。
残念ながら今の政権には、その能力も知識も技術も不足しております。 肝心の首相は、自分の身を案じていろいろ考えることはできても、今そこにある国民の苦しみと不安に、全身全霊をかけて立ち向かっているとは思えません。 パニック映画で、危機のときにわめきちらして、周囲の不安を駆り立て、自分勝手な行動で他人を犠牲にするような人が必ず出てきますが、その人と変わりありません。 これ以上の混乱はもうたくさんです。
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2011-07-25(Mon)
あらためて、今回の東北の震災で亡くなられた方々の、ご冥福をお祈り申し上げます。 また、震災で避難されている方々、放射能汚染で苦しんで方々が、一刻も早く普通の生活に戻れるよう、行政や政治の対応が迅速かつ的確に遂行されるよう強く要望いたします。
今回の震災は、原子力発電所が被災して、炉心溶融・燃料崩壊・水素爆発・水蒸気爆発と、原子力事故の中でも最悪の事態となりました。 事態は安定化の方向に向かっていると見られていますが、専門の技術者や研究者の中には、危険は去っていないことを訴えている方々もがおります。 さらに、放射能汚染の実態被害が明らかになり始め、国民の不安と政府に対する不信感は増してきています。 耳障りのいいスローガンばかりで、あまりにも稚拙な政府の対応には怒りさえ覚えます。 的確で迅速な対策が実行できず、被害を拡大させ、後手後手の対応に追われており、今の政府には統治能力が無いと言われてもしかたがありません。

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ドイツ気象局の放射能拡散予報(事故当初から発表されています)

わたしは核分裂による原子力の利用には懐疑的でした。 特に日本のような狭い国では問題が多いと考えています。 放射能の汚染や放射性廃棄物の処理の問題は深刻な問題です。 放射能を中和する技術が生まれない限り、いずれ破綻するのは目に見えているからです。 仮に原子力発電所の安全が確保されたとしても、廃棄物の処理は、問題を未来に先送りするだけで、いずれ処理できなくなるでしょう。 25~30年すれば基本的に廃炉にするのですから、そのときにも大量の廃棄物が発生します。 日本では化石燃料と同じように早晩使えなくなるエネルギーなのです。 核融合による原子力の利用が研究されていますが、いまだ実用化のメドはたっていません。 フランスで実験炉の建設が決まったのはつい最近のことです。 現在の原子炉のような核分裂反応の暴走はないにしても、1億度にもなる高温の空間を遮蔽する材料が無いために、プラズマで覆うのですが、未知の危険が潜んでいるように思えます。 また、現在の量よりは少ないのですが、放射能廃棄物の問題も抱えたままとなるでしょう。 原子力の発電利用は、新たな原理と技術が生まれ開発されなければ、先に進むことは不可能といえます。 
しかし、単純に今すぐ総ての原発を止めていいのでしょうか。 原子力を止めてもすぐ安全だと考えるのは早計です、原子炉から燃料を取出しても、燃料棒はそこで5~10年は冷やし続けないといけないのです。 電力が止まれば、福島第一原発の4号機と同じ運命が待ち構えているのです。 大規模な停電で電力が止まれば、広い範囲で原発事故の危機が起こる可能性もあるのです。 多くの原発を利用している現実があるのですから、現実を踏まえた計画と実行で脱原発を進めることが必要だと、わたしは思います。

地球温暖化の問題が現実に迫っている中、自然エネルギーの利用が叫ばれて久しいのですが。 世界的に見ても本格的な利用までには到っていません。 自然エネルギーには、水力・地熱・バイオ・太陽・風力が期待されていますが、普及にはまだまだ時間が懸かるでしょう。 普及したとしてもいまの技術では、全体の20%をカバーするのがやっとです。 今の原子力エネルギーの代替になることはあっても、電力のスパースターとはいえないのです。 コスト・効率・能力の面で、もっともっと工夫と開発が必要とされます。 さらに日本では土地が狭いうえ、四季による天候のムラがあり、どこにでも設置して、思うように安定して供給を行うことが難しいといわれています。 それを補うため、石油・天然ガスといった化石燃料を使うしかないのですが、そうだとすれば、CO2削減は不可能となるでしょう。

つづく
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2011-07-24(Sun)
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(写真:SGIグラフ)


御本尊について何回かブログに書いてきましたが、ここで誤解のないように一言申し添えておきます。 わたしがおこなった二仏並座の解釈は南無妙法蓮華経があくまでも体であり、本であり、実相であることを前提に解釈していることをご理解願いたい。 多宝如来を御本尊と見るのは、われらの修行に約してのことで、多宝如来を信仰の対象とすると主張するものではありません。 誤解なきよう重々お願いいたします。
御本尊そのままが、久遠元初の無作三身如来の御生命であり、生死不二の理に従うならば、間違いなく日蓮大聖人の御生命なのであります。 私たちはこの御本尊を信仰の対象とし、南無妙法蓮華経と唱える以外に成仏の道は無いのです。 はからずも、そのことが生命の実相として、御本尊の中に示されていると指摘したかったのです。 日蓮大聖人が御本尊に唱題したのも、その意味を示さんが為なのです。
Category : 御本尊 Comment : (0) |
2011-07-22(Fri)
今日は、映画音楽を一つ紹介いたします。 
サックスの音色が、なんともいえない雰囲気を醸し出しています。

よい週末をお過ごしください。(^^

・ ブレードランナー
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No title * by ブレード
私の名前はマットだと私はデルのために働く。それは良い映画です。私はそれが好きです。

No title * by 夕焼け
おはようございます。 マットさん
わたしも大好きです。
この映画は、音がストーリーを際立たせています。


2011-07-20(Wed)
なでしこジャパンのフィーバーがまだ続いてますが、なぜかわたしは、なでしこジャパンの優勝を手放しで喜べないでいます。
へそ曲がりなんでしょうねぇ~。

最後まであきらめずにゴールを目指す、彼女らの敢闘精神は、素晴らしいと思います。 PKで世界一の栄冠に輝いた瞬間は、とても興奮し、周りも気にせず ” ヤッター ” と声をあげたほどです。 嬉しくてしかたがありませんでした。 たぶん、わたしのこの喜びと感動は、すべての日本国民が感じたものと、少しも変わらないと思います。 ところが、試合が終わり、ナインが歓喜し、監督やベンチの選手もピッチになだれ込むようにして、延々と喜んでいる様子を見ていて、ちょっと気持ちに変化が起きてきたのです。

おいおい、アメリカの選手のとこに行かないのか?
アメリカの選手の健闘を称えないと。
アメリカの選手に敬意を表さないと。
なんか、児童参観日にきた親のような気持ちになってきてしまったのです。
(^^;

中継しか見てないので、たぶん、表彰のあとでそんな交換もあったのでしょうけど。 あの場でしてほしかった。 うれしいのは痛いほど分かるのだけれど、お互いにベストを尽くして戦ったのですから、相手に敬意を払う気持ちがほしかった。 それがフェアプレーの精神なのに、と、思ったのです。

でも、
なでしこジャパンの皆さん感動をありがとう!
東北の被災者の方々に勇気を送ってくれてありがとう!(^^)/


※ 後日談で宮間あやさんのことを知りました。 
  あなたは偉い! スポーツウーマンの鑑だ。

・ ソロと宮間あやのちょっといい話
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2011-07-19(Tue)
広布の記念式典
(写真:SGIグラフ 昭和33年3月大石寺)


仏と人の捉え方に、日蓮大聖人の仏法と世間の宗教観とでは大きく違うところがあります。 一般的には仏と人を差別して、仏は我々人間とは別物で、神のように力を持った、他力本願の根源的な存在として観ています。 ところが仏教のもともとの考えは違っております。 釈迦は法華経で「如我等無異」と説いて、総ての衆生を自分と等しい仏にするとして、十界の衆生ことごとくの成仏を約束したのです。 これはどうゆうことかといいますと、仏と人は、師と弟子の関係にあるということを意味しております。 仏があまりにも立派で、人は苦しみに沈んでいる為に、しだいに神のような絶対的能力者と見るようになってしまったのでしょうが、それは本来の仏法から見れば根本的に誤った捉えかたなのであります。
 
創価に対する世間の見方もこの延長線上にあり、SGI池田会長と会員が、主従的関係あるいは専制的関係にあると決め付けております。 しかしそれは誤解であり、意図的な悪意で見ている人々の宣伝によるものなのです。 仏法の本質は師弟関係にあり、創価も創立以来、広宣流布のために実践する師弟不二の組織として発展してきました。 信心の上では、日蓮大聖人が本源の師でありますが、広宣流布遂行のための実践の師が代々の会長ということになります。

師弟についてSGI池田会長は次のように指導しております。


* 「 仏法の師弟不二とは、師匠と弟子が、同じ仕事を、同じ境涯で、同じようにしていくことである。 」

* 「 仏法でいう師弟の意味は、けっして前近代的ななものではない。 師弟不二といって、師と弟子という立場はあるが、その根本は人間として平等である。 師は弟子を自分以上にしなくては、師ではない。 弟子も師と断絶があってはならない。 」

* 「 仏法の究極は師弟不二であるといっても過言ではない。 師は原理を示し、弟子は師匠の教えを、微塵も誤りなく実践し、応用化して、師匠の理想を身をもって実現していくのである。 」

<指導メモ>より


弟子は師の所有物ではありません。 皆、平等な仏の生命を持った尊極な当体であり、人間なのです。 その根本にたった、師と弟子の峻厳な契りに供に生きるのが師弟不二であり、如我等無異の本当の意味ではないでしょうか。
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No title * by しもべ
はじめまして。
ワタシのブログでコメントありがとうございます。

関西で今月まで男子部の者です。この度壮年部になりました。(笑)
素晴らしい記事ですね。

『師弟』を持つ人は尊い。

ですね。
自身に深くまた『師弟』を胸に刻めました!
ありがとうございます!

No title * by 夕焼け
しもべさん。 おはようございます。
思春期の頃に、写真をやっていました。
いろいろと選択肢もあって、今は趣味の範囲で楽しんでいます。

これからも、よろしくお願いいたします。 (^^

2011-07-18(Mon)
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(Wikipedia CC Gleam Chikyu 1


きのう、NHKスペシャルで 「 深海大探査 」 をテーマにした番組を見ました。 日本が誇る深海探査船を使って、沖縄トラフ(水深約1000mほど)の熱水床(熱水300度以上)をボーリングして周囲の地層を採取するプロジェクトの紹介番組です。

何のためにやっているかといえば、この深海の熱水床の周りに展開する環境と原始地球の深海の環境とがよく似てるため、地球の多様な生命の起源となる誕生が、ここで始まったのではないかと推察されはじめたからです。 その根拠は、かつて深海にあった熱水床が今は地上に隆起している場所があり、その岩石を調べてみると、小さな穴が無数にあり、メタンガスが閉じ込められていて、さらに調べると、そのメタンガスと一緒に細菌レベルの生物の化石が発見されたからです。 また、熱水床に触れていた地層の岩石と水素などの気体を混ぜた容器を高圧高温下に置くと、有機物の生成が認められることが最近判ってきたのです。
この熱水床から湧き出す熱水の噴出し口には、熱水の中でも生きられるバクテリアが住みついており、硫化水素を食べて生きています。 さらにそのバクテリアを食べて、小さなカニやエビの一種が繁殖しているのが以前から確認されていて、けっして生物が生活できない環境ではないことは立証されているのです。
この熱水床では、さらに金、銀、レアメタルなど様々な鉱物が生成されることも知られており、研究が期待されている分野でもあります。 今回は残念ながら、生きた生物の採取は出来ませんでしたが、その痕跡であるDNAが見つかりました。無機質の岩石や気体を混ぜて、ある条件化に曝すと、分子レベルで段階的に変化がおき、有機物が生まれるという結果は、条件さえ整えば無機質を媒介に生命が生まれるのだということを示唆しており、とても興味深いものがあります。

御書の 「 草木成仏口決 」 に次の一節があります。

『 法界は釈迦如来の御身に非ずと云う事なし、理の顕本は死を表す妙法と顕る・事の顕本は生を表す蓮華と顕る、理の顕本は死にて有情をつかさどる・事の顕本は生にして非情をつかさどる、我等衆生のために依怙・依託なるは非情の蓮華がなりたるなり・我等衆生の言語・音声・生の位には妙法が有情となりぬるなり、我等一身の上には有情非情具足せり、爪と髪とは非情なり・きるにもいたまず・其の外は有情なれば・切るにもいたみ・くるしむなり、一身所具の有情非情なり・此の有情・非情・十如是の因果の二法を具足せり、衆生世間・五陰世間・国土世間・此の三世間・有情非情なり。 』

示唆に満ちた研究であり、今後の研究に期待をしたいと思っています。
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2011-07-17(Sun)
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15日、父母の追善法要のため、伊香保にある 「 はるな平和墓苑 」 に行ってきました。 いつも、音楽が静かに流れる墓所はとても清々しく、ゆったりとした時間が流れているように感じます。 礼拝堂で法要を済ませた後に、墓所で墓石の清掃と水やりをして、題目を三唱しながら近況を報告してまいりました。

日蓮大聖人なかんずく創価の追善供養の考え方は、世間一般のものとはすこし違います。 というより、釈迦が法華経で説いた本義に沿ったものなのですが、世間では忘れられてしまったようです。 その本義とは自身が成仏することで、父母、子息、諸精霊を救い成仏させることができるというものです。 日々、自身が信行学の実践によって受ける功徳と福運を故人に回向することが本来の追善供養だとする考え方です。

盂蘭盆の始まりとなった説話に目連尊者の母の話があります。
目連尊者が餓鬼道に落ちた亡き母を見かねて、大神通力をもってご飯を与えると、母が口に入れようとしたご飯が燃え上がり、母の身をゴゴーと焼き、それを見て慌てた目連はさらに大神通力で母に水をかけると、水が薪となりさらに母の身を焼いてしまい悲嘆にくれたといいます。

「 盂蘭盆御書 」 には次のように書かれています。


『 しかるに目連尊者と申す人は法華経と申す経にて正直捨方便とて、小乗の二百五十戒立ちどころになげすてて南無妙法蓮華経と申せしかば、やがて仏になりて名号をば多摩羅跋栴檀香仏と申す、此の時こそ父母も仏になり給へ、故に法華経に云く我が願既に満ち衆の望も亦足る云云、目連が色身は父母の遺体なり目連が色身仏になりしかば父母の身も又仏になりぬ。 』


自身すら救えないような宗教で供養しても、かえって故人を苦しめる結果となるというのは、なんとも哀れでしかたがありません。 南無妙法蓮華経で追善供養することが最も正しいことであり、正しい信仰に目覚めて、自身が今生で成仏するために、日々の唱題と仏法対話に励むことが最も大事だといえます。
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No title * by せんしゅ
古い友人を20日前に亡くして以来気持ちの整理がつかず毎日毎日途方に暮れていました。

何十年も会うことはなかったのですが4-5年前から良く思い出すようになり最近では毎日のように思い出していました。思い出すというより自分の心が折れかけた時、楽しかったその人の思い出を心の拠り所にしていたのかもしれません。いつか会えたら以前の誤解をといて謝りたい、大切に思っていた事を伝えたい…でもそんな日は来ませんでした。来たのはがん発病がわかって3カ月もたたずに亡くなったという突然の訃報でした。驚愕でした。
私も子供のころから信心していましたが、大切な人の死の前には全くの無力でした。今も早朝に目が覚めてしまい教学ではどうとらえるんだろう…と検索してここにたどりつきました。

ガン末期で傷みとの戦いなのに弱音を一切吐かず痛いのを我慢して苦しんだ末、少しでいいから眠りたいと薬で眠ったまま亡くなったと聞いてかわいそうで頭から離れませんでした。

こちらの生命のカテゴリ、特に宇宙の銀河2を読み仏法の死生観に触れて少し癒されました。残された者として大好きだった故人の死をどうをどう昇華していけるのか未熟なので、まだ伝えられる物は無いのですが何度も何度も読んでみます。少し息がつけたような気がします。ありがとうを伝えたくて長くなってしまいました。

素敵なブログですね。緑いっぱいのレイアウトも生命力に満ちていて心がなごみます。ありがとうございました。

No title * by 夕焼け
せんしゅ さん ようこそ。

ご友人の逝去、まことに胸痛む思いが伝わってまいります。 わたしも、ご友人にご冥福の題目を送らせていただきます。 ブログの記事で、すこしでも心の痛みが薄れたのであれば、とても幸いです。
わたしも、20歳のときに親友を病で失いました。 今も心にその親友のことを思い出します。 しばらくは、後悔と寂しさがないまぜになったような気持ちでいっぱいになるときがありました。 信心の話は出来たのですが、御本尊にめぐり会わせることができないまま、旅立ってしまったのです。 わたしが無力といえば無力だったのでしょうが、仏法の目で見れば、いつか、また会えると思っています。 妙法の種を満開に咲かせた親友を、喜びの中、見つめる日がきっとくると信じています。

No title * by せんしゅ
丁寧なお返事心からありがとうございます
私は当時高校生でしたが信心の話を何一つしてあげられませんでした。大学受験の湯島のお守りを自分も受験生なのに届けに来てくれた時も学会員なのでもらえないとは言えず迷惑そうにもらうことでしか伝える事はできない意気地なしでした。

思い返してもすれ違いばかりで相手を傷つけてばかりでした。でももう二度と謝る事も信心に触れさせる事もできません。後悔ばかりが募り40代で亡くなった友人が可哀そうで本当に苦しかったです

夕焼けさんも親友を亡くされていたのえすね。お若い時でしたしさぞ辛かったと思います。夕焼けさんの妙法の種を満開に咲かせた親友を、喜びの中、見つめる日がきっと来ると信じています。という確信がすばらしいです。何一つ縁させてあげられなかった私ですが生きている限り友人の為に出来ること…回向…それ以外すら具体的によくわからない信心のない状態です。混乱していてすみません。

断線してしまたのでもう一度贈ります、2度送信してしまったらごめんなさい。

No title * by 夕焼け
せんしゅさん おはようございます。

>でももう二度と謝る事も信心に触れさせる事もできません。

たしかにそうですが、せんしゅ さんが信心で得た功徳をご友人に回向することは、まちがいなく出来ますよ。 盂蘭盆御書で日蓮大聖人はそのことを教えてくださっています。 御本尊に唱題し、一人でも多くの友人にこの仏法のすばらしさを語ってまいりましょう。

戸田先生は、信心していないときに、3歳のお子さんを病気で亡くされています。  とても悲しくて、泣きながら一晩抱いて過ごされたそうです。  その後、信心されてから、そのお子さんには会われた、とおっしゃっております。  また、このようにも言われております。 「今世で会うというのも、来世で会うというのも、それは信心の問題です」

三世の生命と生命に刻まれた縁を考えれば、ご友人とは、良いも悪いも、いつかどこかで、あいまみえることになると、わたしは考えます。 そのときに、せんしゅ さんの境涯と信心がとても大切になってくるのではないでしょうか。 
わたしは、信心により宿命転換し福運をつけた姿で、亡き親友とはあいまみえたいものだと思っています。

No title * by せんしゅ
何回もありがとうございます。夕焼け様の深く確信に触れることが出来て感謝しています。

寝ても覚めても何をしていても隙間隙間に思いだされて日常生活との兼ね合いがうまく取れない情けない状態でした。何度ももう大丈夫、頑張る事が一番の供養だと言い聞かせているのですが、また落ち込みの波が来たり。思い切り泣いてすっきり切り替えればもっと楽だと思いますが…感情は思うようにならないみたいです。我ながら愚痴や愚かさで嫌になります

でも生死という根源的な問題を前にして今の状態を建て直すのは信心しかないと思っています、それなのに御本尊の前に座れない自分がいます。夕焼け様のメールを何度も何度も読みます。少しでも実践できる自分に早くなれるよう努めます。それにはもっと座らないと…結局はいざとういう時は自分の信心ですね。すみませんでした。
本当にありがとうございました。

No title * by せんしゅ
また来ました
また少し癒されました
ばかなか切り替えられない自分が情けなくもあります
今日の追善法要前にも盂蘭盆を読んで行って来ます

No title * by 夕焼け
せんしゅ さん おはようございます。
随分と前のことですが、
母が死んでから、毎日のように、母を想い90分の題目を送っていました。 あるとき、休みを利用して、家で遺品を整理していたときのことです。 母が趣味で作っていた、桜の造花を見つけ、つい涙していたら、ふいに不思議な感覚に包まれて、とても安らかな気持ちになっていったのです。 その感覚とは、わたしを抱擁するような、母のとても暖かで優しいぬくもりの感覚でした。 母がそこにいるようでした。うれしかった。 そして、母は幸せな境涯でいるんだと心に感じました。

2011-07-15(Fri)
このブログを立ち上げるとき、その名前を決めるのに、けっこう悩みました。

真の創価の姿と、普通の学会員の日常を知ってもらいたかったので、堅い印象の名前は避けたいと思っていて、あーでもない、こーでもない、と、やっているうちに、” 創価に乾杯 ”という名前が頭に浮かんできたのです。 これはいい名前だと思い、最終決定としました。

ブログを開始して少したってから、はて、どこかで聞いたような名前だなぁと思ったとき、はたと気がついたのでした。 もう後の祭りですが、そう、いつも視聴している 「 鶴瓶の家族に乾杯 」 です。 けっこう悩んだ末なのに ” まいったなぁ ” という感じでした。

みなさん、今日はそんなことから さだまさしさん の歌を紹介いたします。

よい週末を。 (^^

・ Birthday
Category : 音 楽 Comment : (2) |

No title * by 菊川広幸
私も名前を付けるのは悩みました。^^
創価に乾杯、いいですよ!^^
「創価」の冠がある名称で、柔らかい名前は少ないですし。
「乾杯」はピッタリでしょう。
創価に‥は浮かびませんでした。
私の場合は、創価の‥だったのです。
創価のほにゃらら。
ころころ変えられないですからね。
最初はなじみませんでした。
「創価の森の小さな家」‥なんだかな~という感じでした。(笑)

No title * by 夕焼け
菊川さん、おはようございます。
ありがとうございます。(^^

”創価の森の小さな家”いいですよ。ほんとに。

2011-07-13(Wed)
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今日、昼食の帰り道、御茶ノ水駅から外堀を左手に見ながら水道橋駅まで、木々の陰に隠れるようにしてゆっくりと坂を下ってきました。 照りつける日差しが強かったのですが、それにもまして爽やかな風に吹かれとても気持ちのよい坂道でした。

坂道を歩きながら、御本尊に唱題するとなぜ功徳があるのか、無明の雲を法性の光で払うことができるのか、そのことを大聖人の教えや仏法哲理の言葉から、現代の言葉や知識で理解できるように、どう説明すればいいか、思索をめぐらしていました。 そのときに、風が爽やかに吹きそそぎ、周りの木々の葉も左右にさざめきはじめ、木々の向うに青い空と白い雲が拡がっているのが目に映りました。 すると、ふと不思議な感覚に包まれて、吹く風、揺れる木々、葉の音、太陽の光など、心地よい肌感覚のなかで、 ” この世界はとてもすばらしい世界なんだよね ” と、心のなかで吹く風や揺れる木々達と話を交わしていました。 (^^

さあ、今日も唱題しよう。 今生仏界の証を残すために!
Category : 日 記 Comment : (0) |
2011-07-12(Tue)
今日は秋葉原にノートPCを探しに行ったのですが、ほんとうに暑かったですね。
熱中症になるかと思いました。 (- - ;
 
いままで、デスクトップPCしか無く、前から携帯用のPCがほしかったのです。
条件は、10~12インチ液晶、1~1.3Kgの重さ、6~10hの連続使用時間、堅牢な本体、防滴、の5か条です。 なかなか良いのが無く、最終的に候補として残ったPCは、 「 Let'sNote S10シリーズ 」 と 「 VAIO Yシリーズ 」 の2つでした。 それぞれの弱点は Let’sNote は液晶の映りが悪いのと、本体の厚みが大きいこと。 VAIO のほうは、1.45Kgとちょっと重く、4~6hの使用時間と条件から外れることでした。 Let'sNote は秋葉原価格で14万円前後、VAIO はオーダ直販価格で同スペックで10万円ぐらいです。 ん~ん、踏ん切りがつかない。 何回も実物を手に持って眺めるのですが、いまいちの感じが拭いきれません。 帯に短し襷に長しというところでしょうか。
 
考えあぐんで、秋葉原を徘徊しながら、ふらっと中古ショップに入ったのですが、
” お~、なんだこれは! ”
ありました、ありました、なんと買入条件5か条を総てクリアーするノートPCの中古が。 
店員さんに 「 これいくらですか 」 と声をかけ、さっそく値段交渉。 
すると、店員さんが 「 メモリが2GでOffice無しでよければ、新品でこれより安いのがありますよ 」 というではありませんか。 
え~ほんとに? 中古ショップなのに新品? 
詳しく聞くと、市販されて無いビジネスモデルを、新品のまま買い取った商品とのこと。 いいですよ、いいですよ、かまいません。
(^ ^

ということで、買ってしまいました。 (^ ^;
ちょっと型は古いですが、指紋認証装置付のVAIO です。 値段は8万円でお釣りがきました。 ちょっと、不安もありましたが、セットアップしてみると液晶もドット抜けなく、完動新品でした。
明日から、ノートPCで喫茶店デビューしてきます。(^ ^

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VAIO VGN-G3ABGS
Category : 日 記 Comment : (0) |
2011-07-11(Mon)
隕石の落下を捉えた映像です。
こんなに、明るく光るとは知りませんでした。

日蓮大聖人が平左衛門尉頼綱らの陰謀で、竜の口で斬首されようとしたとき、光物が現れ、ついに切ることが出来なかった、というのは現実だったということが解ります。


↑ 警察車両のカメラから

・ 防犯カメラから (注意: 眩しいです。)
  http://www.youtube.com/watch?v=hJFejgd9bSE&feature=related
Category : 歴 史 Comment : (2) |

No title * by 菊川広幸
おお!
スゴイ映像ですネ!(^^)
まさに、竜の口の瞬間は、このようなことだったのでしょう。
ご紹介、ありがとうございました。^^
★菊川広幸

No title * by 夕焼け 
菊川さん、おはようございます。
日本ではほとんど見れません、ふつうの流星とは迫力がダントツで違いますね。


2011-07-10(Sun)
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(写真:SGIグラフ 撮影:池田大作)


日本といえば、富士山。
富士山は多宝富士大日蓮華山ともいいます。
仏教といえば、釈迦。
釈迦は釈迦牟尼仏ともいいます。
釈迦が説いた教えは、弟子が記憶していたものを釈迦の死後まとめられ、それが中国に伝わって、八万宝蔵ともいわれる膨大な経典として遺されております。

この仏教はインドで生まれ、中国で発展し、韓国そして中国を経由して、日本に伝わってきます。 日本には華厳宗・律宗・法相宗・三論宗・倶舎宗・成実宗・天台宗・真言宗・浄土宗・禅宗(一般名称を使ってます)が伝わり、国家と繋がりを深めつつ民衆に定着していき、日本は名実ともに仏教国となってゆきました。
このなかで鎌倉時代に入ると、日蓮大聖人が宗教革命(宗教ルネッサンス)を起こします。 釈迦の説いた教えの中で法華経が最高峰の教えであり、法華経で釈迦が上行菩薩に譲り渡した仏教の真髄は、南無妙法蓮華経と、その当体である日蓮大聖人が顕した御本尊にあると説いたのです。 それは釈迦が仏になることが出来た根本の法であり、根源の仏の教えであるというのです。 これは日本で初めて説かれた教えです。 そう、日蓮大聖人の教えは、日本で生まれた唯一の仏教なのです。

日蓮大聖人は、特に釈迦の教えに反し、敵対する 「 浄土宗・禅宗・真言宗・律宗 」 を徹底して責めました。 一つは、末法に入って釈迦の教えは教行証ともに有名無実であり、人々を救うことが出来ないこと。 一つは、釈迦が無量義経に 「 四十余年・未顕真実 」 と、法華経に 「 不受余経一偈 」 と説いた経々を依経としていること。 一つは、釈迦の経典に根拠も無く、人師が巧みに教えを盗み取って混ぜ、勝手に作った教えであること。 この三つの理由から、釈迦の経典を根拠にして 「 念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊 」 と断定し、不幸の根本原因はこの邪宗・邪義にあると訴えたのです。 日蓮大聖人はけっしてむやみに非難したのではありません。 教判をたて、釈迦の経典に基づいて誤りを糾していったのです。 宗教はどれも似たりよったりと思う人、無頓着な人は、それを ” 独善的だ ” とか ” 不寛容 ” としか見ないのでしょうが、そうではないのです。

わたしは、いわゆる技術者ですから、その分野の理論や技は峻厳なまでに見分ける目を大切にしています。 何故なら、いい加減なものでは失敗して、いいものは出来ないからです。 誤っていれば、さらに致命的で、人に害を及ぼすからです。 みなさん、宗教も同じですよ。 正しい宗教を選び、持つべきです。
少なくとも仏教の肝心は法華経にあり、法華経の肝心は寿量品にあり、寿量品の肝心は妙法蓮華経にあるのです。 さらに言えば、その文の底に秘し沈められている宝珠を、日蓮大聖人が取りいだして顕された南無妙法蓮華経の御本尊にあるのです。
Category : 仏 教 Comment : (0) |
2011-07-08(Fri)
この歌が盛んに歌われたのは昭和38年頃からで、創価の草創期であります。 まだ、日本の広宣流布の端緒についたばかりの頃でした。 世界の広宣流布など夢のような事だと思っていました。 それから48年。 いまや世界192カ国の地で、毎日同志の唱題の声が響きわたっています。

ほんとに、いい歌です。


作詞 男子部有志
作曲 有島重武

見よ雄渾の 気は満ちて
白雪輝く ヒマラヤの嶺
歴史を刻む 黄河の流れ
理想に燃えて 我等征く
ああ 世界広布の意気高し

若き理性の 団結は
人類救う 勝利の命綱(きずな)
正義の旗幟(はた)に力あり
第三文明 打ち建てん
ああ 世界広布の時来る

学会健児の 謳声(うたごえ)は
七つの海に 轟き渡り
若き地涌の 天(あま)翔ける
ともに讃(たた)えん 平和境
ああ 世界広布の鐘は鳴る
ああ 世界広布の鐘は鳴る
Category : 創 価 Comment : (0) |
2011-07-08(Fri)
第2代会長の戸田先生は、獄中で唱題するなか法華経を身読し、仏とは ” 生命 ” のことなのだと悟達されますが、そのとき、自身が虚空会の儀式にまちがいなく居た、ということを感得されています。 出獄をして自宅に戻り、御本尊をまじまじと見すえ ” このとうりだ、このとうりだ ” と言って涙したと聞きます。 また、日蓮大聖人は霊山一会儼然未散の真実を示すため、虚空会の儀式を末法に移して御本尊を顕されたとされています。 その御本尊を観ると釈迦・多宝は、南無妙法蓮華経を中央に左右に配されています。

この虚空会の儀式とは、法華経の中で、宝塔品から神力品までに説かれた二処三会の中間にあたる会座のことです。 釈迦の説く法華経が真実であることを証明する為に、東方宝浄世界からきた多宝如来が七宝の宝塔と供に大地から湧現して、多宝が半座をわかち、釈迦が塔中に入って、霊山の大衆を虚空に置くところから儀式が始まります。
この部分をわたしたちに約していえば、 「 半座をわかつ 」 とは、わたしたちに受戒を促すということです。 「 釈迦が塔中に入る 」 とは、わたしたちが信を以って宝塔に入るということです。 「 うなづき合う 」 とは、わたしたちが御本尊に唱題し境智冥合するということです。 わたしたちが唱題するとき、我等の五体が霊山となり、胸中の宝塔が開き、その総在が南無妙法蓮華経の当体となっていくということです。 日々信心するということは、日々虚空会の儀式に居るということと同じだといえます。 多宝が境で釈迦が智ですから、二仏並座はわたしたちが南無妙法蓮華経を抱きて成仏する姿を象徴しております。 わたしたちが 「 本来仏である 」 ということは、 “ 境 ” であり、そのことを覚知するのが ” 智 ” であり、仏としての振る舞に起つことが境智冥合の姿であり、御本尊に唱題し、人に仏法を語り続ける姿ということになります。
Category : 御本尊 Comment : (2) |

No title * by うなぎ犬
非常に分かりやすい解説ありがとうございました。<BR>私は音楽隊に入隊し15歳の夏に、五時間唱題しているときに虚空会の儀式を体験しました。<BR>太陽の光と月の光を融合したような光に包まれ確かに日蓮大聖人と池田先生が中央にいらっしゃいました。<BR>この話をすると皆嘘だと言うのですが本当のことなんです。<BR>信じてもらえるかどうかはわかりませんが、虚空会の儀式は架空のおとぎ話でもなんでもなく、真剣に信じ祈りきっていく中で確実に体験できるものなのです。

No title * by yuyakeci
うなぎ犬さん こんばんわ。<BR><BR>虚空会の儀式の体験ですか、わたしには経験がありません。<BR>地涌の菩薩の自覚を持って、広宣流布に邁進してまいりましょう。 法華経の意味は、”今”が常に虚空会の儀式だということだと思います。

2011-07-06(Wed)
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(写真:SGIグラフ)


わたしの好きな学生歌の一つが創価大学の学生歌です。

実は、わたしは今から40年前、1971年の一期生の募集に経済学部で受験をしています。 詳しいことは忘れましたが、学科と面接の同日試験だったと思います。 実に無謀な挑戦でした。 当時、工業高校を卒業し大手の設計コンサルタント事務所に就職していて、高速道路や橋の設計をしていましたから、まったくの畑違いです。 それでも、池田先生の作られた大学に行きたいとの思いから会社にも家族にも内緒で受験したのです。 やはり合格は叶わなかったのですが、歴史の中に居たんだという興奮というか懐かしさが今は残っています。 その後この学生歌を聞いたとき、当時のことを思いだし、武蔵野の森の風景と理想に燃える青春の息吹を感じて、すっかり気に入ってしまいました。


・ 創価大学学生歌
作詞 沖 洋
作曲 川上 慎一

紅群れ咲く つつじの丘を
白蝶あそこに 喜び舞いて
葉桜薫れる キャンパス広く
集える若人 緑のしげり
青嵐はげしく 天空吹いて
凛々しくそびゆる 白亜の学舎
筆とる心に 秘めたる思い
誰がために 人間の道学ぶかな

桑の実みのれる 城跡ゆけば
栄枯の夢に たそがれこめぬ
父母想いて はるかを見れば
点々ともれる 灯淡き
あおげば金星 妙なる光
燃えなんわが胸 正義の心
降りゆくとばりは 土塁をつつむ
誰がために 平和の要塞築きたる

むらさきただよう 武蔵の空に
沈黙を破りて 朝日は昇りゆく
学徒の姿に 自覚て立てば
青山洋々 かなたに富士が
雄々しき理想 馳せたる君に
不二の峯真白く 染まりて嵩し
栄えある路征く 己に問うは
誰がために 生命の真求むかな
Category : 創 価 Comment : (0) |
2011-07-05(Tue)
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(写真:SGIグラフ 東京創価学園)


池田SGI会長は、今月の大白蓮華の御書講義の中で次のように訴えています。


※ 今、目の前にいる 「 一人 」 の人を、どう励ましていくか。 その人の心に、どう希望を贈り、勇気を湧きたたせるか。 どこまでも 「 一人を大切に 」 することが、仏法者の行動です。 釈尊は眼前の一人を励まし抜きました。 日蓮大聖人の御生涯は、門下への励ましに次ぐ励ましの連続であられました。 牧口先生、戸田先生も、常に一人一人へ全魂の激励を重ねられました。 徹して一人を大切にする―――この根本精神を見失えば、仏法の価値は無に等しい。

※ 最も不幸な人を、最も幸福にしてゆく行動のなかに、 「 人間のための宗教 」 の真価が現れます。 そして現代にあって、人間主義の仏法を持ち、人間の善性を開花させ、民衆の境涯を高めて、万人に幸福をもたらすために前進しているのが、わが創価学会にほかなりません。 

※ 妙法の励ましは、その人自身が本来具えている妙法の力、すなわち人間の根源的な力を呼び覚ますことです。 誰人にも具わる 「 生きる力 」 を湧現させ、 「 勇気 」 と 「 希望 」 と 「 確信 」 を贈ることです。 その人の幸福を願って徹して祈る。 その心自体が自身の 「 仏性 」 を強く深く湧現させます。 仏法の励ましは、その仏の智慧から生ずる励ましであり、根底は慈悲です。 そして勇気です。 共に 「 勝利を創る 」 ―――その日まで、励ましぬくしかありません。 私たちは、この大聖人の励ましの人間主義を広げ、人間宗の暖流で、社会を世界を包んでいきたい。 これが、私の願いです。

< 勝利の経典御書に学ぶ > より


創価の草創期の空気を吸っているわたしには、このことがよくわかります。 創価の伝統である家庭指導や座談会はこの精神に貫かれたものです。 池田先生の総ての触覚はこの一点に集中しており、創価の麗しい人間の絆となって今日を築いてきました。 わたしはこの創価の中で蘇生し、力をもらい、人間性を養ってくることができました。 広宣流布といっても、立正安国というも、しょせんはこの精神の具現に他ならないのです。

わたしには、若いとき仕事が忙しくて、思うように学会活動できなかった時期があります。 そのときに、多くの同志が気にかけて会いに来てくれました。 一緒に勤行してくれたり、池田先生の指導を語ってくれたり、会合のスケジュールを届けてくれたり、励ましの伝言を置いていってくれたりと。 疲れていて玄関先で対応するときもありましたが、笑顔を絶やさず黙々と訪ねて来てくれました。 顔を合わせるだけで、他愛もない言葉のやり取りだけでも、 ” 頑張って ” ” いつでも傍にいるよ ” ” なんでも聞いてあげるよ ” そう語りかけてくれているようでした。 当時は朝10時から翌日の夜半の2時ごろまで仕事をし、会社の宿泊室で寝るという生活でしたから、家には休みの日に帰るのがやっとでした。 同志の励ましがなかったら生活も信心もおかしくなっていたでしょう。
Category : 創 価 Comment : (0) |
2011-07-04(Mon)
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家の近くで通りすがりに見かけた野良猫(?)なんですが、ん~ 人形のように身じろぎもせず、こちらがカメラを向けてもご覧のよう。 猫を飼ったことが無いので、その気持ちを察することは困難ですが、この表情、癒されるなぁ。
Category : 趣 味 Comment : (2) |

No title * by 菊川広幸
ふっ、ふっ、ふっ。
面白い写真が撮れましたね。
もう、にゃん生を極めた!って表情に見えます。^^

No title * by 夕焼け
菊川さん おはようございます。

そうでしょう? にゃん界の縁覚界ぐらいでしょうかね。(^^


2011-07-03(Sun)
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(小説 人間革命 第一巻)


昭和20年7月3日、66年前の今日は、第二代戸田会長が、出獄した日です。 戦時中に創価学会(当時は創価教育学会)は政府の弾圧を受け、初代牧口会長は獄死し、戸田会長も過酷な取調べと劣悪な獄中生活で極度に衰弱した体での出獄でした。 戸田会長は妻に支えられながら自宅に戻る途中、焼け野原に立ちその惨状を目の当たりにして、獄中での広宣流布の決意を改めて誓うのでした。 この日から創価学会の再建が始まります。 (この辺の詳しい内容は小説 「 人間革命 」 1巻の冒頭に描かれています。)

わたしはこの日が来るたびに、一人焼け跡に立たれる戸田会長の姿を思い浮かべて涙を禁じえません。 わたしは、戸田先生が亡くなられて第三代池田会長の元で信心を始めたのですが、当時、戸田先生の話をよく耳にしていましたし、信心を始めるきっかけが戸田先生の 「 生命論 」 でしたから、とても身近に感じています。 戸田先生のすごいと思うところは、御本尊への絶対なる確信でした。 なにを読んでも、聞いても、この御本尊に祈り・仏法対話をしていけば幸せにならないはずがないとの確信。 この戸田について来るなら絶対に幸せにして見せるとの厳愛が、胸にガンガン響いてくるのです。 わたしはその度に気弱な信心を恥じつつ熱き思いを頂いていました。

「 出獄と入獄に師弟あり 」 と詠まれているように、この日は、池田先生が国家権力によって逮捕された日でもあります。 昭和32年に大阪の参議院補欠選挙での応援活動で、タバコの供与や戸別訪問で学会員が多数逮捕されたのですが、その選挙違反を池田先生が指示したとの容疑での逮捕でした。 選挙違反を起こさないように指導していた池田先生を、あえて首謀者と断定しての逮捕だったのです。 検察は当時衰弱していた戸田先生までも逮捕しょうとする姿勢をみせて、容疑を認めるように池田先生に迫りました。 池田先生は無罪を訴えましたが、もし今戸田先生が逮捕されたら死んでしまうとの思いから、弁護士の勧めもあり苦渋の判断で罪を認めることになります。 しかし釈放後の裁判で、池田先生は学会員が選挙違反したことを謝罪、そのうえで自身が首謀者であるとするウソに反論、証拠を示し、証言も得て、検察の調書の欺瞞を裁判官に認めてもらい無罪となります。

一つの事件や出来事をきっかけに、意図的な作為や、巧妙に言葉のすり替えをして創価を貶めようとするこの構図は、今も変わらず在ります。 権力やアンチや破壊的カルトの常套手段であります。 池田先生や牧口先生・戸田先生の指導をないがしろにし、自分に都合のいいような、また感情や熱情に任せた行動や言動が、いかに創価を苦しめるかを、肝に銘じて厳に慎まなければいけないと思います。 かといって萎縮するのではなく、誠意と真心と思いやりを持って、正々堂々と創価の真実を友に語り、同志を励ましながら、社会の模範となり依怙依託となるような人間に成長していきたいと思います。
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2011-07-02(Sat)
明日7月3日はわたしの母の命日です。
 
死んだ母の傍で。 一晩中唱題して過ごした朝、
庭に季節はずれの水仙が咲いてとても綺麗でした。
頬を薄っすらと紅く染め、生きて眠っているかのような顔が忘れられません。

ほんとうに、信心健気な母でした。
家族のために尽くした母でした。
そんな母に捧げます。

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(photo by miya)

・ 母よ
                    作詞:岩谷時子
                    作曲:弾  厚作

幸せは ここにあるが
あなたは ここにはいない

心のどこかで いつも
ぼくを支えた あなたよ

この世にある日は いつも
ほほえみと 愛を与え

涙にぬれた 月日を
置いて行った 母よ

あなたの愛 今花咲く
枝から 枝へと

母よ 長い闇の道
黙って歩いた 妻と

幼児(おさなご)に かこまれた
ぼくが 見えますか

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2011-07-01(Fri)
今日は、井上陽水さん繋がりで、小椋 佳さんの歌を紹介します。

みなさん良い週末をお過ごしください。 (^ ^

・ 白い一日
Category : 音 楽 Comment : (0) |
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