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2011-06-30(Thu)
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(写真:Wikipedia PD Fermilab, Reidar Hahn)


素粒子の研究に使われる、加速器です。
最近、新しい素粒子の存在を発見したらしいです。

私たちも含め、この世界は物質と空間で構成されています。 このときの空間とは何か? 何も無い所または物質と物質の間のことを空間と一般的には理解していますが、実は今の物理学の理論からするとそうでは無いようなのです。

このことの話を進める前に、物質とは何かについて先に触れておきます。 物質の元素は古来からの発見と研究で、いま地球上で118種類が知られています。 隕石の研究や惑星探査でもまだ新しい発見がないので、少なくとも太陽系はこの118の元素で成り立っていると考えられています。 しかし、この元素は物質の最小単位ではありません。 元素は物質の特性の違いによって分類されたものであって、その特性の違いは分子の組み合わせにあります。 そして分子は原子の組み合わせから成り、その原子は陽子と中性子から成る核と核の廻りを飛ぶ電子から成り立っています。 ここまで来ると、目に見える一般的な物質の中にも極小の電子が飛び交う空間が潜んでいるようです。
さらに最近の物理学では、その原子も素粒子によって構成されているとみなされています。 ところが最小単位は内部構造を持たず空間的な大きさを持たないものなので、つきつめればつきつめるほどそこに矛盾が生じてきます。そのように素粒子の存在そのものも、最小単位の物質と捉えることが難しくなっています。 事実、発見される素粒子の様子は奇妙としかいえない性質を持っているのです。 この素粒子の研究では、量子理論が最も活躍しており、素粒子は球でもあり波でもあり場でもあると推定されており、さらにそれだけでは捉えられない現象も素粒子にはあり、研究が進められている最中です。 要するに、物質の最小単位を科学の目でみていくと、そこには物質では無い振動とかエネルギーとかによって説明しないといけなくなっている実態があるということです。

話を最初にもどしますと、空間は物質の最小単位で満たされており、物質は最小単位に空間を内包していて、物質と空間といっても物質の最小単位の濃淡や集合の仕方の違いからくるものです。 もっと言えば、素粒子を振動とかエネルギーと捉えれば、空間も物質も見た目の違いだけで、本質は一緒であるとも言えるでしょう。

日蓮大聖人の仏法では、宇宙は生命であると捉えています。 空間も物質も、非情も有情も、生命のうねりから生じているものだと捉えています。 わたしたちの生命も、うねりのなかにあり、死してどのようになるかは判りませんが、生も死も宇宙と供にあり宇宙を離れて存在しないのです。 一念三千の法理に従えば、人も、動物も、昆虫も、植物も、石も、水も、風も、光も生命のうねりの表れと考えられます。
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No title * by かどやよしたか
このきじは、すばらしいないようです。わかりやすいのに、ほんとうにふかいいみがこめられています。うちゅうは、せいめいそのもの、と、りかいすると、しぜんに、いんが、がみえてくるからほんとうにふしぎですね。 ありがとうございます。このきじはちゅうごくからよませてもらっています。こちらでは、ぱそこんのちょうしがときどきわるくなり、かんじでにゅうりょくできなくできなくてすみません。

No title * by 夕焼け
かどや さん こんばんは。

中国ですか。 ご苦労されているでしょうね。
海外では、思う以上に体に負担が掛かります。
どうかお体を大切にしてください。

ご活躍を!

2011-06-29(Wed)
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昨日から、ある方のために御本尊の事について載せる準備をしてまいりましたが、長文になり、うまくまとめられずに断念しました。 応答形式で行うほうが良いと思い、その方の質問を待つことにいたします。
急がなくてもよろしいですから、よろしくお願いいたします。 (^ ^

と、これだけでは申し訳ないので、私が御本尊のことを理解するきっかけとなった事柄についてお話します。 御本尊の中央には、ご承知のように妙法蓮華経が主題となり、南無が帰命を表わし、日蓮唱うるところの七字となっています。 その左右には釈迦如来と多宝如来が並座しておりますが、実はこの釈迦如来が信心する我々で、多宝如来が御本尊であることに気づいたのです。 この1点から様々なことが理解できるようになりました。 詳しくは煩雑になりますので、またの機会にしますが、御本尊に唱題し、日蓮大聖人と同じように広宣流布に生きることが成仏の姿なのだということが判ります。 生命の実相と成仏の要諦を示されているのが御本尊なのです。

御本尊が日蓮大聖人の御生命なのだと、論理的に理解するのはなかなか難しいことです。 仮に論理的に理解できたとしても、それは実感ではないでしょう。 声聞・縁覚には難信難解の法門です。 仏と仏が頷きあって了解している事ですから、信心によって感得する以外ないと思います。 それでも、日蓮大聖人は御書の中で種々述べられていますので、信心を深めていく為にも勉強していきたいと思っています。
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2011-06-27(Mon)
今日はひさしぶり(5年ぶり)に劇場で映画を観てきました。 最近は、吹替え版も同時上映するようですが、やはり字幕版を観ました。

作品はJJエイブラムス監督の 「 SUPER 8 」。

スティーブン・スピルバーグが製作を担当。 監督のJJエイブラムスは映画やTVドラマの脚本家として出発し、トム・クルーズ主演のMission: Impossible III で監督デビューをした人です。 若き日のカーク船長やスポックを描いた 「 スタートレック 」 に続き3作目の監督作品となります。 TVドラマ 「 LOST 」 でエミー賞を受賞したことでも知られる人です。

映画は、自主映画を撮影する少年達(4人)と少女が、列車の脱線転覆事故に遭遇する(正確には巻き込まれる)ところから事件が始まります。 そのとき少年達と少女は、不思議な立法体と  ” 何か ” を目撃し、事故を起こしたトラックの運転手を見つけ、その瀕死の運転手に事故で見たことを口外したら殺されると警告されます。 そして事故の後、町では奇妙な事件が次々と起こり行方不明も出はじめます。 映画全体は、軍が事故現場の町にやってきて隠蔽工作をするなか、偶然目撃していた少年達が秘密を知り、少女を助けるために奮闘する。 という流れで、 「 未知との遭遇 」 や 「 E.T 」 を一緒にしたような展開ですが、片親の少年と少女の親たちの確執、愛しているのに素直になれない親子関係、少年と少女の淡い恋、などが事件と絡み合って進行していきます。 少年達の描写と冒険的日常を描いた 「 スタンド・バイ・ミー 」 をちょっと加味したような作品になっています。
時代設定は1970年代。 ちなみに、題名は当時盛んに動画用として使われたコダック社の8mmフイルム ” SUPER 8 ” からきています。

感想としては、まあまあかなというところでした。
色々なものが描かれていて、それぞれをもう少し丁寧に時間を掛けて描いていれば、いい作品になったと思います。(まあ4時間は必要ですが。) スティーブン・スピルバーグの少年時代をノスタルジックに表現したメモリアル映画かなとも感じます。 いずれにせよ、ひさびさに劇場の迫力を味わいました。 脱線転覆事故の特撮はすごいですよぉ。 興味のある方はどうぞ映画館で観てください。
ポップコーンの皮が歯ぐきに挟まってとれません。 歳ですねぇ。 (^ ^

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・ SUPER 8 予告編
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2011-06-26(Sun)
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(photo by どんすけ008)


わたしは、勤行・唱題のときに個人として祈る内容を正月の初めに決めていました。 その内容を書いたものを経台に置いて、勤行の後、唱題を終えてからご観念文と一緒に祈っております。 友人のこと、同志のこと、家族のこと、仕事のことなど比較的目前の課題については唱題しているときに祈りますので、個人のものであっても比較的大きな目標となる内容のものです。 以前はいろいろとあって毎年変わっていましたが、ここ5年はほとんど変わっていません。 参考のためにその内容を公表いたします。


1、大法弘通慈折広宣流布大願成就

ー 創価の魂である創価学会常住御本尊の脇書きにあるもので、これ以外に創価の使命は無いと思っております。 この世から悲惨を無くし、人類の平和と幸福を祈願します。

2、池田先生と奥様そして全同志が健康で長寿でありますように

ー 人生にはいろいろありますから、魔の出来や宿命転換の時を乗り越え最後の勝利を願って。

3、兄弟・友人とその家族が健康で長寿でありますように

ー 親がいたときは頭に父母の文が入りました。

4、友人が日蓮大聖人の仏法に帰依し、広宣流布のために共に戦えますように

ー 誤った認識を捨てて、正義に目覚め幸せになってほしいと願って。

5、広宣流布に生ききる勇気と慈悲と智慧を授けてください

ー そういう人間に成りたいと願って。

6、お金に困らない生涯を過ごせますように

ー 人生でお金の苦労はしたくないとの願いです。

7、88歳まで健康に生き、ある日静かに、題目をあげながら満足して臨終を迎えますように

ー 8歳は池田先生の寿命として差し上げましたので、実質は80歳です。何歳であろうと題目を唱えながら、いい人生だったと微笑みながら旅立ちたいものです。


最後の二つはやはり、歳のせいですかね。 (^ ^;
このご祈念と一緒に次の池田先生の指導も一緒に書き込んでいます。


* 題目。題目、題目です。
  誰も見ていなくとも、日々、懸命に祈りぬいていく、
  それが一切の原動力です。

* 唱題根本に、広宣流布に生き抜いていくならば、
  来世も、願ってもない最高の境涯で、
  御本尊のもとに生まれ合わせることができる。


明確な祈りは行動のエネルギーとなります。
いままで叶った祈りもありますが、叶わなかった祈りもあります。
今思えば、真剣に祈り行動したのに叶わなかったものは、塞翁が馬の譬えではないですが、御本尊に守られたと感じるものばかりです。
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2011-06-24(Fri)
今日は週末。 明日はゆっくりとお過ごしください。
私の好きな歌手に井上陽水さんがおります。 どうぞお聞きください。

・ いっそ セレナーデ
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2011-06-23(Thu)
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(聖教新聞2011年6月23日付)


創価には聖教新聞という機関紙があります。
その聖教新聞の5面にメンバーの信仰体験がほとんど毎日紹介されています。 創刊して60年。 すごい数の体験談です。 すごい数の実証がそこにあります。 今日の体験談は46歳の壮年の話でした。 その要旨を紹介いたします。

彼は、料理人を目指しイタリアンレストランに19歳で入社。
厳しい修行の中で、必死に頑張って店長に。
責任の重圧とスタッフとの人間関係の軋轢に、いつも、そこから逃げたいと思い悩むようになります。 そんな自分に嫌気を感じていたころ、妻が創価学会に入信すると言い出し、それを機に ” 自分を変えたい ” との思いから一緒に入信するのでした。 勤行・唱題を始めたころのある日、池田名誉会長の指導を目にします。
「 どうか自分自身の職場と地域を ” 本有常住 ” の道場と定め、耐え抜く強さと、そして人格と責任と覇気を持って、社会の依怙依託となってください。 」と。
彼は祈りの中、今までを猛省し、仕事に挑む姿勢を一変させました。 信心を始めてからは、愚痴や不満ばかりの生き方から、逃げずに積極的に課題と取り組む姿勢へと変わっていきました。 ” 自分が変われば、総てが変わる ” との確信を掴んだ彼は、その後、38歳で16店舗を擁するこの会社の社長にまでなるのでした。 社長になって、業界の構造的な不況の中、会社の業績も低迷するようになります。 そんな大変な中、彼は仕事と創価の活動を終えると、必ず御本尊の前に座り、御書と池田名誉会長のスピーチを学びました。 「 唱題第一でまっすぐ進む人には、だれ人もかなわない 」 との池田名誉会長の言葉に心を震わせながら、真剣な祈りを深夜まで重ねていくのでした。 そこから、一人一人の従業員への感謝の心が生まれ、丁寧な対話を重ね、創意工夫の手を打つようになりました。 その結果、経営は徐々に安定し軌道に乗っていきます。 今年、国際的な料理人の大会で好成績を残す社員も何人か現れ、優秀な料理人も育ってきました。 家庭でも、長男が創価高校を卒業し東京大学へ。
彼は、 ” すべての苦労は、飛躍のチャンスになるんだ ” と、信心で得た力と智慧で苦難を乗り越え、今、新たな挑戦の境界へと足を進めています。

わたしたち創価は、いかにこの世から悲惨をなくし、いかに人々の幸福を築いていくか、ということに心を傾け、行動をしています。 そのために、いかに社会に貢献する人間を育てるか、あるいは有為な人材を生み出していくか、というところにも焦点をあてています。 それは、一人の人間が、この信心によって、人間革命し、宿命転換することが、家庭を変え、地域を変え、社会を変え、国を変えていくと信じているからです。 その祈りと行動は、一宗派、一教団の為なんかではけっしてありません。 そんな浅薄な志なんかではありません。 どうかそのことを皆さんに知っていただきたい。
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2011-06-23(Thu)
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2011-06-22(Wed)
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家に生えてる雑草の小さな小さな花です。
きれいでしょう。

もともと機械いじりは好きではありませんでしたから、カメラには興味が無かったんですが、中学生のときに部員が足りないからと友人に懇願されて、しぶしぶ写真を始めました。

当時は、今のような自動のカメラはありませんので、撮る内容・場所・時間・天候・効果を考えながら、絞りとシャッタースピードとフイルム感度の数値を決めて撮らなければなりません。 同じ条件・被写体でも数値の組み合わせで色々に撮ることができます。 意図する写真を撮るためには、まず、この技を養わなければいけません。 失敗もあれば、発見もありで、これが意外と面白いのです。 オレンジ色の光に包まれた暗室の中で、現像液に沈んでいる感光紙からホワーと浮かんでくる画像にワクワクしていました。
不思議なことですけれども、写真は同じカメラで同じ被写体を撮っても人により雰囲気が違います。 撮る人の想いや人間性がそこに出てくるのです。 それとカメラを覗いていて発見したのは、この現実世界の美しさです。 階段の朽ちかけた床のタイル、雨上がりの雑草、ゴミの中のしわくちゃになった新聞、たばこの吸殻、老木の苔むしる肌、黒板の文字、古ぼけた小さな人形 ・・・・・・・etc。 身近な場所に、身近な物に、とても美しい世界があるのには驚きました。 それまでは、見ようともしなかった、気がつかなかった世界です。
 
60歳を過ぎて、今度は、いままで見過ごしてきたかもしれない、すばらしい人生を発見していこうと思っています。
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2011-06-21(Tue)
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(写真:聖教グラフ)


創価学会というと、新興宗教と思う人が大勢います。 が、それは事実ではありません。 新興の組織・団体ではあっても、新興の宗教ではないのです。 現代の日本はレッテル社会と言われています。 人々は深く考えずに受けうりで簡単に決めつけます。 それが、自らの思考を停止させているのと同じだということに気づいていません。 非常に恐いことです。

たとえば、マスコミが、 「 東北大震災の被災者のことを思えば政治空白などとんでもない 」 「 政治はなにやってるのか 」 「 管降しをやってる場合か 」 と、たいていのマスコミは判で押したような報道ばかりします。 すると、おもしろいことに、街のインタビューの声もマスコミの受け売りの言葉で溢れます。 世論調査でもだいたい報道に沿った数字になっていきます。 
本当にそうなんですか? 気がつきませんか? こう問いかけてもピンとこない人は、よーく目を凝らし、ひっくり返し、考えてみてください。 ちょっとした言葉の転倒・トリックで、本質を隠し、誤った認識・判断を与えることがあります。

創価学会は日蓮大聖人に教えていただいた信心修行を実践する信徒の集まりです。 毎日、朝と晩に、日蓮大聖人が顕された御本尊を対象として、釈迦が説いた法華経の一部を読み、南無妙法蓮華経の唱題をします。 勤行・唱題です。 これは祈りの実践で、世界の平和と人々の幸福を毎日祈っています。
また、日蓮大聖人が遺言した広宣流布の為、日蓮大聖人と同じように、この妙法を人々に語っていきます。 仏法対話です。 これは行動の実践で、日蓮大聖人と同じ振る舞いに起ち自他ともの幸福を築いていきます。
さらに、日蓮大聖人が遺された法門(論文・講義)、信徒に宛てた手紙等を勉強します。 教学といいます。 これは学びの実践で、研鑽して信心を深めています。 わたしたちはこの3つを 「 信・行・学 」 と呼び、信仰の重要な柱としています。
 
宗教は観念ではありません。 そのためには、実践の達人・指導者つまり師匠が必要となります。 日蓮大聖人の精神と行動を受け継ぐ、時代時代の現実の師です。 手本、指導、訓練、相談、激励、希望、見守りの師です。 今においては、初代創価学会インターナショナル池田会長が、日蓮大聖人の仏法を実践する為のわたしたちの師匠なのです。
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2011-06-20(Mon)
わたしの趣味は、映画とカメラと渓流釣りです。

映画はユル・ブリンナー主演の 「 王様と私 」 が最初に見た映画です。
見る傾向としては洋画で、ハリウッド作品が多いと思います。 楽しんだり、感動したり、学んだりの作品が好きで、自然と日本映画は観なくなりました。 間違いなく観るのはSFアクション冒険ものです。 手放しで楽しめるのが気に入ってます。
シニア料金で観れるようになり、ビデオでなく劇場に足を運んでみようと思っています。 (^ ^

カメラは、中学のときに写真部に入って始めました。
当時、手動の35mmカメラの中古品を手に入れ、学校のオンボロ校舎(木造)の暗室で現像・引き伸ばしまでしていました。 学校の文化祭で展示会を開いたり、有名メーカーの撮影会で賞を取ったりしたこともあり、ちょっとはまりました。
このころは、信心し始めたときで、勉強・生徒会・陸上でも活躍するようになり、 勤行・唱題の力で生命力がついて、パニック症候群なんか吹っ飛んでいました。 高校に行くと写真部が無いため映画部に入り、16mmを背負ってドキュメンタリーを撮ったりもしましたが、趣味としてはできないのでやめました。

渓流釣りは、社会人になり、上司とのつきあいやお客さんの接待で始めました。
たいがいは水上や那須方面ですが、知り合いの別荘で1泊して帰るというパターンでした。 イワナ専門でしたから、沢を登りながらのクライミング釣りです。 50歳くらいになったら体力が落ちてきて、危険になったのでヤマメに切り替え、比較的広い川で釣るようになりましたが、最近はやっていません。 しかし、ことしの夏にはまた始めようと思っています。 (^ ^
ああ~、沢の風に吹かれながらビールが飲みたい!
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2011-06-19(Sun)
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(写真:聖教グラフ)


このブログの最初の挨拶で、 「 普通の信心 」 について触れていますが、普通ってなんでしょう?
普通のサラリーマン、普通の家庭、普通の人生、・・・といろいろに使われますが、特別でない一般的な、または平均的なという意味でよく使われます。 一般的な平均的なというと、これは相対的な捉え方になりますので、わたしの 「 普通の 」 の意図する意味とは少し違うかもしれません。

第2代戸田会長は 「 信心は1人前で、仕事は2人前しなさい 」 と指導されたことがありますが、このときの指導で言及した信心とは、信心の基本である朝晩の勤行・唱題、座談会、仏法対話のことであり、この基本の練習・訓練をきちんと行うことを 「 1人前 」 と言い表しました。 わたしが言う 「 普通の 」 はこの 「 1人前の 」 ということであり、3度の食事を取ることと同じようにという意味で 「 普通の 」 と表現しました。

わたしは、この 「 普通の信心 」 がなかなか持続できませんでした。
入信してから51年。 食事にたとえてみると、1日1食や2食のときもありましたし、絶食状態が続き、いつ餓死してもおかしくない時期もありました。 なんとか、餓死しないで済んだのは創価という組織と同志のおかげです。 その意味で組織はとても大事だと思います。 ましてや創価家族なのですから大切な絆です。
「 きちんと勤行・唱題し、月に1人の仏法対話をしていて幸福にならないわけが無い、ならないときはわたしを殺しにきなさい 」 との大確信の指導を第2代戸田会長はされましたが、ちゃんと功徳を出し、宿命転換して福運を積んでいくには、基本、特に唱題と仏法対話がかならず必要になってきます。 今、苦難に直面している人がおられるならば、このことをどうか知っていただきたい。

わたしが高校生であった昭和40年代。 高校生でも仏法対話が活動の中心だったころです。 学校が終わると常在寺に集まり、勤行・唱題しては友人を訪ねるのですが、これがわたしにはとても大変なことでした。
信心を始めた中学のころにはパニック症候群は克服していましたが、乗り物酔いがひどかったのです。 中学・高校と修学旅行はいけませんでした。 一駅でもひどく酔うので、電車には乗らずに2時間3時間と歩いて訪ねました。 それでも遠いところは電車に乗らなければならず、意を決して乗るのですが、途中で気分が悪くなり何回もホームに降り、苦しみながら活動を続けたのでした。 しかし、この信心のため苦労したことは全部、宿命転換に繋がりました。 大学を卒業する頃には、バスを除いて乗れるようになり、今では何にでも乗れます。 乗れるだけでなく、今まで日本中や海外を旅行する機会に恵まれ旅行できたのは、そのことがあったからだと確信しています。
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2011-06-17(Fri)
今日はアンドレ・リュウと彼が率いるヨハン・シュトラウス・オーケストラの曲を紹介いたします。

2000年にNHKで放送されたベルリンの野外コンサートを観て魅了され、日本公演のとき観にいきました。


(Andre RieuTV 公式チャンネル)


・ セカンドワルツ

・ アメジンググレイス

・ ボレロ

・ ビクトリー

・ 荒城の月
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2011-06-16(Thu)
 
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(写真:SGIグラフ)


創価の伝統に座談会というものがあります。

会員やその友人が参加して行われるもので、信仰活動の基本ともいえる集まりです。 多くが会員の自宅で行われていますが、創価の会館の整備が進んだため、そこで行われることも増えてきています。 座談会では、日常の信仰体験や悩み事や出来事などが話され、日蓮大聖人の教義や池田先生の指導を通して信心を学んでいます。 参加した友人の質問や疑問に答えたり、語り合いながらその場で入信を促すようなこともありますが、最近は何段階か手順を経ないと入信(入会)できない為、友人の紹介や感想を聞くぐらいで終わっています。 昔なら、座談会で中心者や紹介者が 「 やりましょう 」 と言って、友人が 「 はい 」 、皆が 「 ワー 」 と拍手して入信が決まっていたんですけれど、今は変わりました。 
友人の皆さん、誘われたら安心して(?)座談会に参加してください。 週刊誌のデマや誇張とはほど遠い創価の姿をぜひ見てください。

わたしが初めて座談会に参加したのは、14歳の中学のころでした。
誘われては断り、約束してはすっぽかし、出かけては途中で引き返し、参加するまではさんざん手を焼かせていました。 Sさんごめんなさい、そしてありがとうございました。 m(_ _)m
この  ” いやだ ” は創価が ” いやだ ” だったのではありません。 人前というか人目が ” いやだ ” だったのです。 今で言うパニック症候群だったと思います。 当時は見知らぬ人の中に居ると、心が押さえつけられるような感覚に襲われ、筋肉が硬直して、冷汗が出てきて、その場にうずくまらないと苦しくてしかたがない状態になっていました。 小学校のときに転校してきてからですが、トラウマやコンプレックスなどいろいろな要因でそうなったのだと思います。

やっとのことで、参加した座談会。 8帖と6帖の続き間のふすまを取った部屋に、顔を紅潮させた人たちがびっしりと集まってきていました。 わたしはやや後ろの端っこで、柱と人の背に隠れるようにして、心を縮めながら座っていました。 内容はよく覚えていませんが、中心者の元気な口調と、はつらつとした表情。 話す人に頷きながら涙する人。 波のような笑いと拍手。 中心者の一言に爆笑に包まれる会場。 いつの間にかわたしの心まで温かくなり、楽しい思いに包まれていきました。 人の中にいてあんなに楽しい気持ちになったのは初めてでした。 元気でなごやかな、明るい雰囲気や、人々の前向きで確信溢れる姿にはとても勇気をもらいました。 ちょっと驚いたのは、みんなで歌を手拍子で歌うのと、それを指揮する人の舞う姿でした。 ほんと、見たことありませんでしたから。 (^ ^;

このころの座談会と、今の新時代の座談会は様子がちょっと違ってきていますが、いまや世界のあちこちの街でこの座談会は開かれています。 東北でもこの座談会に被災された友が集いあい、希望を掴んで力強く復興に立ち上がっています。
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2011-06-15(Wed)
60歳を数字で遊んでみました。

日本の男性の平均寿命は79.59歳(平成21年度)≒80歳です。
1日のうち朝6時を誕生とし、夜10時に死を迎えるとすると、
60歳は1日のうち夜6時ということになります。
ん?なんと、1日のうち仕事を終え帰宅するころの時間です。 試しに全部調べてみると。

(歳)         (時間)
  0 --- AM  6:00
  5 --- AM  7:00
  7 ---          小学校入学
 10 --- AM  8:00
 13 ---          中学校入学
 15 --- AM  9:00
 16    ---          高校入学
 20 --- AM10:00   大学入学(社会人)
 24 ---          社会人
 25 --- AM11:00
 30 --- AM12:00  平均結婚年齢
 35 --- PM  1:00
 40 --- PM  2:00
 45 --- PM  3:00
 50 --- PM  4:00
 55 --- PM  5:00
 60 --- PM  6:00  定年退職
 65 --- PM  7:00
 70 --- PM  8:00
 75 --- PM  9:00
 80 --- PM10:00  平均寿命

今は、さあこれから飲みに行くぞ。 という時間帯のようです。 (^ ^
しばらくは仲間とワイワイやっていけそうです。
友好活動ということで。 (^ ^;
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No title * by 菊川広幸
面白い記事ですね。私は51歳ですから、PM4時ですね。まだありそうな、なさそうな。(笑)仕事の仕上げをキチンとやって、友好活動ができるようにしたいです。^^

No title * by 夕焼け
菊川さん、おはようございます。
いえいえ、いまから仕事も友好活動もめいっぱいお願いします。 (^^
調べてみて、一日のリズムが一生のリズムと似通っているのにはちょっと驚きました。 3食の食事時のエネルギー補給のタイミングなど、ほほ~と思わせられます。

2011-06-14(Tue)
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(写真:HUBBLESITE PD N90)


宇宙にある塵とガスの雲です。 この雲の中で星が生まれようとしています。 少しぼやっとした光の点はすべて銀河です。 この雲の大きさがどれほどのものか想像してみてください。
宇宙は虚無な空間だという印象を持っていましたが、実際は違いました。 濃密でダイナミックで躍動感に溢れた空間のようです。 この写真の中だけでも星々の誕生と成長、衰退と死、消滅と分散のドラマを見ることができます。

人の体には生と死が常に存在しています。 
10年前の体と今の体はほとんどの細胞が入れ替わってしまうと言われてます。 それなのに誰も10年前の自分と今の自分が別人とは思っていません。 体は細胞の死と再生を繰り返すことで生きており、再生が不可能になったときに死を迎えます。 体は生(成長)の遺伝子を持っているとともに、死(老化)の遺伝子も持っているからです。 死は形体の終焉ではあっても、体を構成する物質が無になる訳ではけっしてありません。 形と質を変えて総てこの地球・宇宙に還っていきます。 そしてそれは、巡りめぐってやがて誕生の要素となり構成の核となって人(生物)の生を彩ります。
人は体に、五つの感覚のほかに意識-自我(心)-業識-生命と深層的に内包されていて、この四つには記憶と働きと特質があり、生命を淵源として相互に影響しあいながら、五感側に向かって体との拘束性を強めていると仏法では達観しています。 いわゆる九識論と言われるものです。 この達観をもとに、人はいったい死んだらどうなるのだろうかということをすこし考えてみました。

人は死ぬと外界への反応と働きかけが、まず最初に無くなります。 次に終局の死に至るまでに五感と意識が徐々に段階的に喪失していくと考えられます。 死んでも細胞・神経の総てがすぐ死滅するわけではないからです。 終局の死に至っても自我と業識と生命は存在し、終局の死からさらに進むと自我が薄れ、薄れた自我と業識と生命が宇宙の生命の海原とより強く結びつくようになります。 体もそのときには形と質を変えて、総てこの地球・宇宙に還ってしまいます。 その後、自我の一部と業識と生命の在り様はどうなるのでしょうか。 生命の大海に溶け込んでいるようですが、その在り様は一様ではなく、そのエンタルピーに従い様々に宇宙とともに存在することになると思われます。 
次の生は瞬時である場合もあり、長い間かかる場合もあるようです。 
生の迎え方も様々で、必ず人として生まれるわけではなく、また地球とは限ず、その自我と業識と命にふさわしい生の採り方となるようです。 昆虫に生まれ、他の昆虫に卵を産み付けられ、生きたまま餌となり苦しみながら死んでゆく実体もあるでしょう。 あるいは人に生まれ、聡明にして慈愛に満ち、困難を乗り越える力と智慧を持ち、人々の中にあって楽しみ、満足のうちに死んでゆく実体もあるでしょう。 自我と業識と生命の在り様によって様々な生死を迎える。 生死の在り様(人か動物か植物か微生物か・・・・・・)で実体における五感-意識-自我(心)-業識-生命の発現と状態のレベルも異なってきます。 生と死はこの宇宙とともにあり、あの世や天国も地獄もこの現実の世界を離れては存在しない。 と教えるのが日蓮仏法です。

死を考えるということは、生の中でどういう生き方をしていくのかを問うもので、過去の業のバランスシートをどう清算し、未来に生命のレベルをどう高めていくかを、今世で見つめ行動することが大事だと教えてくれるでしょう。
13歳の時にそう教えてくれたのが、戸田先生の 「 生命論 」 でした。
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2011-06-13(Mon)
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(写真:Wikipedia PD ソンブレロ銀河)


宇宙にはこんな銀河が無数にあるという。
すごいなあ。

わたしは13の歳に、

宇宙の星々に誕生と消滅の理(ことわり)があるように、人は誕生とともにいずれ死を迎える。  しかし、この世限りではなく宇宙のどこかにまた生まれ,生まれては死に、死んではまた生まれる。 そのとき、姿かたちは変わっても自身の本質である生命は永遠であり、その人の人生での行動と生き方の清算を、いずれ自身がしなければならない。

という理念に出会い、限りある人生の不条理さに対する明快な答えと、生きる規範となる哲学に接して感銘を覚えたのでした。

生き方がガラッと変わりました。

誰が見ていようといまいと、自身が自身の心と行動の証言者であり、すべて己の生命に刻みつけており、かかわりを持つ他者との関係でも、両者がともに生命に刻みつけているのだと知ったのです。 すべての過去が今の自身の様相と、人生という舞台装置の様相と無関係ではないというのです。 人はこの世限りで、善いことをすれば死んで魂は天国や極楽に行き、悪いことをすれば地獄に行く。 神や仏を信じる者は救われ、すべての罪が許され、天国や極楽で永遠に暮らすことができる。 という宗教の教えがまことしやかに信じられていましたが、私は信じていませんでした。 というより、そんな不条理な話はないと思っていました。人は善いことも悪いこともしますし、悪いことをして謝り懺悔しても相手まで救われるとは思いません。 最後の最後に信じるだけですべてがチャラになるというのは、不条理そのものです。

宗教もいろいろなんだなあ、本物は違うなあと当時思ったことが忘れられません。
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2011-06-12(Sun)
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(Fhoto by どんすけ008)


60歳になったばかりの普通の創価学会員が日ごろの想いを綴ります。

わたしの入信は昭和35年の夏、まだ9歳の小学生のときです。 中学の兄が友人に誘われて、常在寺で御受戒を受けることになったのですが、その日たまたま兄と一緒に遊んでいたことから、おまけで、わたしも御受戒を受けたのです。 当時は何のことか理解できませんでしたが、後にそれは入信の儀式だったと知りました。

それから4年後、将来への不安とダメな自分に思い悩んでいたとき、創価学会の第2代会長である戸田城聖先生の 「 生命論 」 に出会います。 時間も忘れ一気に読み終えて、その内容の凄さにとても衝撃を受けました。 それまで実態の無い信心というか入信してることさえ意識にない状態だったのですが、読んだ日を境にして、朝晩の勤行、唱題、座談会、折伏、と普通の信心をするようになってゆきました。

入信して51年。
普通の信心はその内18年くらいだと思います。
ですから、信心のうえではまだ成人していません。 (^ ^;
それでも、信心してきて本当に良かったと思っています。 
池田先生・創価の同志のみなさんありがとうございます。
m(_ _)m

これから気の向くままここで書いてゆきますが、
よろしくお願いいたします。
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No title * by 菊川広幸
ブログスタート、おめでとうございます。私は昭和35年に生まれました。私がオギャ~と生まれた年に、入信されたのですね。私の普通の信心は、12年ぐらいです。私はまだ、成人は程遠いですね。^^

No title * by 夕焼け
ようこそ。 (^^
ありがとうございます。
信心も山あり谷ありでしたが、やっと、落ち着いてきました。
何が人生で大切なのか、身にあてて判るような歳になったということでしょうか。

No title * by トッシー
こんばんは、はじめまして^^

私は昭和52年生まれで、3世の男子部になりますが、普通の信心はまだ1年もないです。逃げてばかりの人生でした^^;

最近このブログと菊川さんの創価の森に出会い感動し、題目や活動にいきいきとできるようになりました!

いつも楽しみにしてます☆
とくにカテゴリ(生命)は、細かく分析されていて大好きです。

No title * by 夕焼け
トッシーさん ようこそ
そうですか、うれしいですね。 (^^

信心のうえでの苦闘は宝です。
全部、福運となります。
境涯がガラッと変わります。

悩んでは題目をあげ、題目あげては動き、
一緒に頑張りましょう。

No title * by dragon-c.b
夕焼けさん…初めまして。
 
千葉でB長してるdragon-c.bと申します。
明日ブロック座で御書講義する上で何か…良い話はないものかと想い悩んでる所

夕焼けさんに出逢いました。
以後、宜しくお願い致します。

自分の信心は6歳かな(><;)新一年生位です。笑

入信は30年前に学校の友人に誘われて御受戒を受けました。家族は親兄弟は…未入信です。

将来的には、母と兄弟たちを折伏します。V

No title * by 夕焼け
dragon-c.bさん こんばんわ。

6歳ですか。 信心の節目となる時期だと思います。
良いことも悪いこともあると思いますが、唱題したぶん、自身の成長と福徳となっていくことは間違いありません。 その姿を家族はちゃんと見ています。 自身の信心を映す鏡だと思って、総てを受け止め、家族を心から大事にしていけば、必ず信心するようになるでしょう。

がんばってください。 (^^

* by ちよ
はじめまして
創価の森ブログから、お邪魔しました
ちよと申します
コメント欄には、お名前を存じ上げている方たちが、いらっしゃいますね
宜しくお願いします

* by 夕焼け.
ちよ さん、ようこそ。

ここのブログは、創価の森ブログに触発されて作ったものです。
しかし、こちらは創価の森ブログと違いリアルではありません。
まあ、ちょいリアルという程度で、 (^^;
あとは信心されていない方に向けて、創価の精神というものがどのようなものなのか、普通の一会員がどのようなこと思い・考えているのかを知ってもらおうという気持ちで書いています。

たいした内容ではありませんが、またお立ち寄りください。

* by みかん。
こんばんは。

こちらの記事、ゆっくり拝見しました☆
コメ欄に、ちよさんや菊川さんがいて、わお(゜∀゜)と思いました♪

夕焼けさんは今63歳でいらっしゃいますか。
私の両親がS25年生まれなので、両親と1つ違いの同世代でいらっしゃるんすね(・∀・)

ちなみに私は三世で、2001年にデキ婚して、2009年2月に大きなきっかけがあり発心しました。(信心歴もうすぐ丸6年?)

実家も色々ありますが、色々あって初めて両親と信心の事を沢山話すようになりましたかね~。
うちの両親、生まれてすぐに3人の子供を入会させたのに、信心の事はなんにも教えてくれなかったし、私が疑問をぶつけても「そんな事に疑問抱くお前おかしい」みたいに取り合ってくれなかった(笑)し、信仰体験も聞かせてくれる事なく…
で、3年位前、某新聞の信仰体験のページに掲載された時に、新聞で初めて両親の信仰体験を知ったという(゜Д゜;)

なので、自分は自分の子供とは出来るだけ信心の事を話すようにしています。
本当は、生まれてすぐに入会させても責任を持てないなぁと…ミジンコも自信がなかったので、娘が自分の意思で入会する形にしたかったくらいなんすよね(笑)
まぁ結局生後2ヶ月位で入会させたんすけど。

ちよさんのブログではコメ欄で大変お世話になっていますが、
何度と書いてき自分でもウザイんすけど、御書の全編拝読初挑戦は発心と同時にスタートして、
今は三回目の全編拝読中です。
多分生涯、毎日音読し続けていくような気がします(笑)
地元に御書のマイ講師さんもいて、教学の研さんにも求道中?です。

自己紹介はキリがない位なので、この辺でm(_ _)m

これからも、大好きな音楽(こちらのブログではビートルズっすかね♪)の記事も合わせて楽しみに拝見させて頂きます☆

* by 夕焼け.
みかんさん こんばんわ。

ご両親は、信心を押し付けても逆効果になると考えていたのかもしれませんね。

ま、その子の性格にもよりますけど。 (^^

それに、みかんさん自身が、自分で悩み、考え、色々な人たちと出会いながら、体験を積んで、その中から信心の確信を掴んでいってほしかったのではないでしょうか。 教えるというよりも、見守っていたんだと思います。 いざというときに崩れない、揺るぎない信心というのは、口で教えても身につくものではないですからね。

三回目の御書拝読。 すばらしいですね!
生涯、毎日、音読ですか。 勤行みたいなものですね。
頑張ってください。 (^^

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