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2013-10-07(Mon)
最近、ジブリアニメの「 風立ちぬ 」が公開されて、話題になっていましたが、ジブリアニメといえば、わたしは、やはり「 魔女の宅急便 」が好きです。

その「 魔女の宅急便 」は、童話作家の角野栄子さんのライフワークとなった同名作品を映画化したものですが、主人公のキキが、悩みながら一生懸命に生きて、大人に成長していく姿がとても爽やかで、印象的でした。 この作品には、 ” キキのように、誰だってひとつくらい「 魔法 」を持っているのだから、それを信じて、自分が人の為に何ができるのか、したいのか、一生懸命探してみなさい。” というメッセージが込められているような気がいたします。
人は結局は、だれかの為に生きることで、自分を見つけ、才能を開花させながら成長し、生きがいを感じていくものなのだと思います。

ところで、「 風立ちぬ 」は観たかって?
はい、観ましたよ。 (^^

風立ちぬ
(flickr cc 2013 ccsx kaze-tachinu

主人公とその妻の別れが、とても悲しかったですね。

才気あふれる、心優しい青年が、時代に呑まれ、戦闘機作りに夢を託し、最後は何もかも失って、山のように積まれた戦闘機の残骸の中に佇んでいるシーンがありますが、そのときの気持ちはどんなものだったでしょう。 それでも、生きていかなければならない、どうしょうもない悲哀を、夢に、希望に変えて生きていこうとする彼の姿は、やはり東日本大震災のことを思い描いて、宮崎監督が伝えたかったメッセージなのかもしれません。

幸福への努力と苦難との格闘が、六道輪廻となるのではあまりにも悲しい。 しかし、人類の歴史にはそのような悲しみが溢れています。 その悲しみを打ち砕いて、宿業を転換し、絶対的幸福境涯を確立するためには、人が妙法の尊極なる当体であるとする日蓮大聖人の信心が必要であります。 御本尊に唱題し、人々に成仏の種を植えていく以外に成仏の道はないのであります。
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2013-08-22(Thu)
体あるいは心の病を抱え、とっさに死を選ぶ人もいれば、必死に生きていこうとする人がいます。 今日の出来事を知り、考えさせられました。 

それは、歌手だった藤圭子さんの訃報です。 警察では自殺したとの見方をしているそうですが、真相はまだハッキリとしていません。 報道によると、長年、原因不明の病を抱えていたということで、それが原因かもしれません。 藤桂子さんの死の真相はわかりませんが、病を抱えて、死を選ぶ人は世の中にたくさんいます。 しかし、その反対に、病を抱え必死に生きていく人もいます。
昨日のTVでは、オートバイ事故で頸椎を損傷し、下半身不随となった青年が、懸命の努力を重ね、口を使ってコンピューターを操り、イラストレーターとしての才能を開花させていることが紹介されていました。 この違いはどこからくるのでしょう。 

人生においては、絶望の淵に立つような思いになることは、誰にでもあります。 これは、絶対的な状況によってというよりも、個人の相対的な感受性によってもたらされるものです。 感受性というのは、その人の生命の感受性です。 他から見れば ” ? ” と思うようなことでも、人によっては追い込まれていくことがあります。 仏法から捉えれば、 ” 縁 ” は同じでも、 ” 因 ” である生命の状態により、 ” 果 ” が違うということでしょうか。

今日の聖教新聞には、進行性筋ジストロフィーと闘い、その内面の響きを、五行詩にして綴った「 点滴ポール 生き抜くという旗印 」(ナナクロ社刊)を、ベットに横たわるなかから出版した青年の記事がありました。 彼も地の底を這いずりまわるように苦悶し、命を絶つ葛藤に苛まれていました。 しかし、創価の信仰で、逃げても逃げても追いかけてくる宿命と闘うことを選び、ついには生命の輝きを放つまでになっていったのです。

彼の詩には次のようにあります。

・ 嗚呼 僕も
  生きているんだ
  青空の
  真っただ中に
  溶け込んでいる

・ 自分の力で
  見いだした
  ことのみが
  本当の暗闇の
  灯火となる

・ 生きようと
  向かえる気持ちは
  芽吹きのように
  炎に焼かれた
  幹の心は生きている

死は、その有無も重大ですが、どのように死んでいくのか、死ぬ生き様とでもいいましょうか、そのことのほうが、とても重大なことのように思えます。 わたしは、それが次の生をかたちづけるものだと信じています。

夕焼けのように沈み、旭日のごとく出でたいものです。
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2013-07-14(Sun)
昨日、いつものように新聞(一般紙)に目を通していると、ある投稿された詩に目が止まりました。 読んでみると。
” ん? 創価の人生に対する態度と似ている、” とすぐさま思いました。

↓ いい詩ですよ。 (^^


* そのままに
              作者:東京都板橋区
                 T.U(51)

    悲しいことは 悲しいままに
    苦しいことは 苦しいままに

    いつかそれらが 心のなかで
    星々のように 輝くことを信じて

    いつかそれらが 人生のなかで
    星座のように 意味あるものに
    なることを願って


一般的にいえば、なかなかそうゆうふうに思えないし、うまくいかないのが人生であります。
しかし、御本尊に唱題し、この仏法を語り抜いてゆくならば、この詩の願いのように、どのようなことあったとしても、すべて意味のあるものになることを、わたしは知っています。

創価の信心をすれば、何もかもバラ色になるとうゆうわけではありません。 その人が成長し、境涯を高め、福運をつけながら、成仏に向かって歩んでゆく道には、意味のある試練が必ず待っています。 それを、信心によって乗越えてゆけば、それまでのすべての出来事が、太陽のように輝いて、心も身も温かく照らしてくれるはずです。
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2012-11-20(Tue)
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(写真: PD NASA 石垣島 )

昨日、NHKの家族のルーツをたどる 「 ファミリーヒストリー 」 という番組を観ました。 今回のゲストは具志堅用高さんです。 沖縄の苦難と貧困の歴史の中で、懸命に生きてきた祖父と両親を紹介しながら、具志堅さんのボクシングへの道と両親との葛藤を描きながら、現在の具志堅さんの思いを綴っていました。

具志堅さんは、石垣島から那覇の高校に進学し、生活に苦労している両親を幸せにしたい、との思いのなかで、何をすればいいのか、なにがしたいのか分らず、気の優しい性格から、隅っこに小さく縮こまるようにして生活をしていました。 そんなとき、ふとした友人のアルバイトの誘いから、ボクシングと出会います。 そして、水を得た魚のように、龍の如く、ボクシングの頂点に登りつめてゆきます。 その後の活躍は皆さんも御存じだと思いますので省きますが、日本のボクシング史上未だに破られていない、13度の世界王者防衛の記録を持つ不屈のチャンピオンが、初の世界王者になったときの気持ちをつぎのように語っていました。 

「 チャンピオンになったとき、うれしかったですね。 ボクシングを辞めようと悩んだことや、辛かったこと、苦しかったことが、全部、幸せなことに変りました。 」(要旨)と。

” 幸せなことに変る ” というのは、実感でしょうね。 わたしにもよ~く解ります。 人は苦難に会わないことが幸せだと思いがちですが、そうではありません。 苦難に負けず勝利していくことが、人生ではとても重要なことなのであります。 また、苦労しなければ、大きな幸せを実感することはできません。 信心していても苦難と葛藤と苦労が付いてきますが、それは最高の幸せを得るための、大切な糧なのです。 辛かったこと、苦しかったことが、全部、最後には幸せなことに変わるような生き方をしたいものです。
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No title * by カイ
>辛かったこと、苦しかったことが、全部、最後には幸せなことに変わるような生き方をしたいものです。

同感です。

「何故こんなに辛いことばかり」と思うことも一時的にはありますが、

私が負けずに乗り越えた時には、
今まで経験してきたことがどう活きてくるのか、楽しみなだな、
と感じながらお題目をあげています。

No title * by 夕焼け
カイさん、おはようございます。

信心があるから、希望が持てます。
希望があるから、勇気が湧きます。
勇気があるから、前に進むことができます。
創価の信心に巡り会え、
御本尊に唱題できることの幸せを、
今、わたしは、感謝しています。

ともに、乗越えていきましょう。 (^^

2012-11-15(Thu)
38b2433b.jpg


人生は不思議です。
知りえない因果がそれぞれの人にはあるようです。
創価の体験談の中から、死とゆう問題を考えてみましょう。

生まれたばかりの子供が先天性疾患と判り、医師からはいつ死んでもおかしくないと告げられ、治療を始めますが、芳しくありませんでした。 そんなとき夫婦は近所の知合いから、創価の話を聞き、必死の思いで信心を始めます。 母親は生命維持装置に繋がれた小さな我が子の体を見ながら、心の中で必死に題目をあげ、家では父親が懸命の題目をあげていました。 創価の同志も題目を送り続けました。 するとどうでしょう、徐々に治療の効果があらわれ始め、2週間後には赤ん坊の赤黒い体がピンク色に変わりはじめ、一端の危機を脱していったのです。 両親は安堵の開放感に包まれながら信心の功徳を実感しました。 それでも、成長を待って、手術が出来るようになるまで病院での治療が続きます。 夫婦は一途に信心に励み、多くの人に信心の話をし、題目をあげ続けていきました。 その間、子供も一進一退を繰り返していましたが、2年後にやっと手術を受けることができて、夫婦に笑顔を見せるまでに回復します。 しかし、完全に治ったわけではなく、さらなる手術の必要がありました。 夫婦は苦難の中で絆を強め、夫は子供の治療のために会社を辞め夫婦で商売を始めます。 それは、いつでも子供の傍にいてあげられるように考えたすえでした。 そして、自宅を地域の座談会場として提供し、こんどは同志を励ましながら信心を続けていったのです。 そんななか、3回目の手術を受けることになります。 そして、手術の最中に子供は亡くなってしまいました。 手術に耐えられなかったようです。 そのときも夫婦は懸命に題目をあげていたのですが、祈りも叶わずわが子は霊山へと旅立っていきました。 夫婦は悲しみにくれ涙があとからあとから零れ落ち、ひどく悲しみました。 それでも、同志の暖かい励ましによって立ち上がることができ、悲しみを決意に変えて、その後も信心をまじめに続けていきます。 そして、やがて地域の同志の要となり、商売も発展し、3人の子供も授かり、いまではたくさんの孫に囲まれて信心の喜びを実感できるようになりました。 「 苦しい思いをしたけれども、死んだ子供のお陰で信心をすることができたのです。 そして今の商売もするようになった。 あの子が私たちを救ってくれたようなものです。 」 と語っています。

戸田先生は 「 子供が親に信心をさせるために生まれてくることがある。 子供の病が契機となって信心して、折伏をし、題目を懸命にあげていけば、かならず子供の病気は治ります。 信心の功徳で、親に子供の病で苦しむ業が無くなるから、子供は病気である必要が無い、だから治るのです。 親が信心するようになり、信心がゆるぎないものとなれば、もしも、治らないような病気なら、いつまでも親を苦しめないで子供は安らかに死んでいきます。 そのどちらかです 」 と語られたことがあります。 死は悲しい出来事ですが、死そのものは必然であり、死を前に、どのような生き方をしたのかという視点から、幸・不幸の本質を見ていく必要があります。 熱原の三烈士は拷問を受けながら死んでいます。 初代牧口会長も過酷な環境に置かれ獄死しています。 線路に落ちた人を助けようとして死ぬ人もいます。 創価の人が子供を病で亡くすのはおかしいではないか、と批判する人がいますが、表層的で浅薄な見方ではその本質を知ることはできません。
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2012-10-25(Thu)
今日は、ちょっと長くなりますが、副題に 「 後継の希望・未来部 」 とついた池田SGI会長の随筆の中にある、一文を紹介させていただきます。


* 福岡県のある支部には、未来部育成の輝く伝統が脈打っている。 その陰には、一人の母による懸命な祈りと奮闘があった。

2人の子どもを抱える彼女は、若くして、がんとの闘病生活を強いられた。 医師からは、非情な余命の宣告を受けた。 しかし、決して下を向かなかった。 むしろ、未来を見つめ、今まで以上に信心の炎を燃え上がらせて、 「 わが地域から後継の人材を 」 と、限りある命を未来部のために注いでくださった。 毎月の少年少女部員会の前には、手作りのチラシを携え、宝の人材たちのもとへ足を運んだ。 どんな些細な悩みにも耳を傾け、若き生命に希望の火を灯していった。 抗がん剤の副作用の、悶えるような苦しみにも負けなかった。 抜けた毛髪の代わりに、素敵な帽子や鬘をつけ、優しい笑顔で未来の宝を包んでいった。 彼女は、毅然と語った。 「 この信心と、この信心を教えてくださる師弟の道を、未来の宝の子どもたちに、そして私の大事な友人に語り伝えていくことをわが使命として、生きて生きて生き抜いてまいります 」。 この誓いのままに、彼女は最後の最後まで、わが使命を果たし抜き、霊山へと旅立たれた。

何と偉大な母であろうか。 何と気高き信心の英雄であろうか。 彼女の信念と真心に触れ、どれほど多くの人が立ち上がっていったことか。 この一人の母から始まった人材育成のうねりは、堂々たる 「 人材の大河 」 となっている。 まさに、日蓮大聖人が 『 一は万が母 』 (御書498ページ) と言われている通りの姿であった。 心の絆は切れない。 母を失い、涙に暮れていた小学生の息子さんも、地域の同志の励ましで気丈に立ち上がった。 母亡き翌年に挑戦した作文コンクールで力強く綴っていた。 「 母は人をはげます名人だったと思う。 これから、ぼくも、いろいろな人と出会うだろう。 その一人一人を大切にして、人のためにつくす生き方をしていきたい 」。 母の祈りは必ず通じる。 広布に生き抜く母の祈りは、絶対に通じる。 息子さんの中に、母は今でも生きている。 

<随筆 我らの勝利の大道 79>より


はたから見れば、 ” 信心しているのに、なんと不幸なのだろう ” と思うかもしれません。 あるいは、 ” そんな宗教に走るからだ ” と、陰口をする人がいるかもしれません。 しかし、この福岡の母の生き方は、とてもすばらしいものとなったのです。
以前にガンジーの言葉の意味について記事にしましたが。 福岡の母は、病に負けることなく人間としての価値ある生き方を、信心によってすることができたのです。 創価の信心で、病気を治した人は大勢います。 しかし、治らずに死んでいかれる人もいました。 それは、その人の病の重さ、宿業の浅深、信行の強弱もあるため、簡単に読み解くことは難しいでしょうが、福岡の母と同じように生き抜いてゆかれています。 苦難において価値ある生き方とは、どのような状況においても、それに負けることなく、社会や、人や、家族のために希望と勇気を贈り続け、生き抜いてゆこうとすることではないでしょうか。 死を感じながら、最後まで諦めないで、前をみつめ生きてゆくことは、とても勇気のいることです。 その生きる希望と勇気が、創価の信心によって生まれてゆきます。 試練によって、どのような生き方をするかで、その人の業のバランスシートが、どう書き換えられてゆくのかが決まります。
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No title * by 気分屋
いつも勉強になります。 有り難うございます。

No title * by 夕焼け
気分屋さん、こんばんわ。

見るのが遅くなりごめんなさいね。

今は、仕事も、生活も、活動も、めいっぱいの状況ですが、
ブログも忘れずに更新していきます。
これからも、気軽にお立ち寄りください。 (^^

2012-07-28(Sat)
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(写真:by mackentosh 翼を広げて)

人はなかなか、生命の永遠と因果倶時を信じることが出来ないようです。

このことを深く考え信じることができれば、人生において何が尊く、価値のあることなのか、自然と明らかになります。 人生における苦悩や、苦難は幸福の種だと解るようになります。

池田SGI会長は 「 苦難に遭うことが不幸なのではない、苦難に負けることが不幸なのだ 」 と仰っていますが、わたしも、そう思います。 また、幸・不幸は人間の境涯により決まるもので、現象だけで決まるものではないと、わたしは思っています。 いつまでも、毀誉褒貶にとらわれていれば迷いが深まるだけです。

前に進めば空気を感じます。 風は体を押し戻そうとします。 その逆らいが大空を飛ぶ秘訣であることを、人は知ります。 そして人は大空を飛ぶことができるようになりました。

仏は今世の迷いは ” 夢 ” であり、悟りは ” うつつ ” だと言っています。 迷いから覚めてみれば仏だとゆうのです。

人は大空を自由自在に飛ぶことができるのです。
大きく大きく、翼を広げて、風を抱えて、高く高く上がりましょう。
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2011-10-13(Thu)
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(写真:SGIグラフ)


この記事をお読みになるとき、わたしは富士山麓で温泉に浸っています。 そして明日は、真鶴で新鮮な魚介類に舌鼓を打っていることでしょう。 (^^ 
苦しいことがあるから、楽しさが身に染みる。 苦楽が人生の妙味となって味わい深いものにしてくれます。

ところが人の人生は、このように単純にはいかないことも多いのです。 苦しみに沈み溺れる人、苦しみにまみれ苦悶する人、苦しみを見据え模索する人、苦しみを糧に前に進む人、苦しみを歓喜へと転換する人、と様々です。 日蓮大聖人は、南無妙法蓮華経の唱題こそが、諸行無常の生死の苦海を泳ぎ、常楽我浄の生死の彼岸へと辿り着く唯一の力なのだと仰っています。 創価の歴史は、苦しみを歓喜に変えていった人々の歴史とも言えます。

仏の境涯とは、苦から離れることではなく、苦海の大海原でその波と風を力に変えて、自在に悠々と進み、そのことで様々に楽しんでいくことができる境涯ともいえます。
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No title * by 真理子
しょうだいのてつじん:よみました。まさにそうおもいしりました。そして、銭をまえにたいせつなものにきずいていくところわ、すごい。

No title * by 夕焼け
真理子さん コメントありがとうございます。

これからも、ご来訪、お待ちしています。

2011-06-15(Wed)
60歳を数字で遊んでみました。

日本の男性の平均寿命は79.59歳(平成21年度)≒80歳です。
1日のうち朝6時を誕生とし、夜10時に死を迎えるとすると、
60歳は1日のうち夜6時ということになります。
ん?なんと、1日のうち仕事を終え帰宅するころの時間です。 試しに全部調べてみると。

(歳)         (時間)
  0 --- AM  6:00
  5 --- AM  7:00
  7 ---          小学校入学
 10 --- AM  8:00
 13 ---          中学校入学
 15 --- AM  9:00
 16    ---          高校入学
 20 --- AM10:00   大学入学(社会人)
 24 ---          社会人
 25 --- AM11:00
 30 --- AM12:00  平均結婚年齢
 35 --- PM  1:00
 40 --- PM  2:00
 45 --- PM  3:00
 50 --- PM  4:00
 55 --- PM  5:00
 60 --- PM  6:00  定年退職
 65 --- PM  7:00
 70 --- PM  8:00
 75 --- PM  9:00
 80 --- PM10:00  平均寿命

今は、さあこれから飲みに行くぞ。 という時間帯のようです。 (^ ^
しばらくは仲間とワイワイやっていけそうです。
友好活動ということで。 (^ ^;
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No title * by 菊川広幸
面白い記事ですね。私は51歳ですから、PM4時ですね。まだありそうな、なさそうな。(笑)仕事の仕上げをキチンとやって、友好活動ができるようにしたいです。^^

No title * by 夕焼け
菊川さん、おはようございます。
いえいえ、いまから仕事も友好活動もめいっぱいお願いします。 (^^
調べてみて、一日のリズムが一生のリズムと似通っているのにはちょっと驚きました。 3食の食事時のエネルギー補給のタイミングなど、ほほ~と思わせられます。

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