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2015-03-16(Mon)
3.16というと、思い出すのが「 豚汁 」であります。

昔、登山会でお山に行くと、安くて美味しい「 豚汁 」を出すお店が並んでいました。 飲食店でもないのに「 豚汁 」を出すお店もあり、「 豚汁 」を食べることが登山会の楽しみの一つでありました。 
「 豚汁 」が、お山の名物のようになっていたのですが、それは、昭和33年3月16日に行われた「 広宣流布の模擬試験 」のとき、夜行列車に乗って明け方に集まる全国の男女青年部のために、「 本山の明け方は非常に寒い、冷たい弁当を震えながら食べては、青年は元気が出ない。 腹一杯あたたかい豚汁を食べさせてやろう 」との戸田先生の発案で、大釜で作られた「 豚汁 」がふるまわれ、青年たちの心と体を温めたことから、お山で、登山会に参加してきた人たちを、「 豚汁 」で暖かく迎える、という習慣ができたようであります。

寒さにかじかんだ手で、七味をかけてフーフーしながら食べる「 豚汁 」は、創価の意気と情熱を思い出させてくれる、熱い食べ物であります。 (^^

関 連 → 広宣流布記念の日
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2015-02-15(Sun)
明日は、1222年(貞応1年)2月16日に日蓮大聖人がお生まれになった記念の日であります。 その日は、新暦(グレゴリオ暦)でいうと4月6日にあたり、ちょうど春の桜が咲いていたのではないでしょうか。
日蓮大聖人の誕生は人類の幸福の曙であり、長い長い冬の時代に、春の桜花爛漫のふくよかな風が吹き始めた瞬間であります。

わたしは、いずれこの日は新暦で祝うことになると思っています。 様々な生命の息吹が満ち溢れる春こそ、祝うのにとてもふさわしいと思うからです。
いまはまだ、創価ではそれを祝う行事などは、記念の勤行会がせいぜいですが、いずれ、世界中で庶民が祝うようになると、どんなふうになるでしょうか?
楽しみであります。 (^^

わたしは、これから、勤行・唱題をしたあと、御書の生死一大事血脈抄を拝し、正月から御宝前にあげてあった奉献酒を戴き、床に入ろうと思います。
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2015-02-11(Wed)
今日は、創価の第二代会長戸田先生の誕生日であります。

わたしは、戸田先生の「 生命論 」を読んで感動し、
信心するようになりました。
わたしの信心の親ともいうべき、大恩の方であります。

戸田先生は昭和26年5月3日に創価の第二代会長に就任され、折伏の総大将として広宣流布の指揮を執られますが、それを知ってか知らずか、わたしは、それからほどなくして、この世に生まれてまいりました。 戸田先生にはお会いしたことはありませんが、深い縁(えにし)を感じます。

高校生の頃、古い大白蓮華の戸田先生の特集記事や小説・人間革命を読んで、戸田先生の御本尊に対する絶対の確信に、心が震えました。 ほんとうに偉大な方であります。 

今日は、戸田先生が好きだったお酒を飲みながら、
先生の誕生日を祝いたいと思います。 (^^
祝うと同時に、戸田先生が作詞された学会歌をかみしめたいと思います。

・ 同志の歌

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2015-01-27(Tue)
初代の牧口先生は、神国日本というナショナリズムと軍部の天皇ファシズムによって、時代が戦争へと流れているときに、「 世界市民主義 」と叫ばれ。 第二代の戸田先生は、原水爆の脅威が増す中、東西冷戦とその代理戦争に心を痛め、「 地球民族主義 」を叫ばれた。
第三代の池田先生は、エゴイズムと分断と暴力が増す世界に、楔を入れるため、両師の意志を受け継いで、会長就任後の1960年、世界へと旅立ち、祈るような気持ちで妙法の種を一つ一つ植えてきました。 そして、その間には、世界の知性ともいえる賢人との対話を重ね、世界の指導者との交流を深め、時代を知り未来を語り、ときには時代の流れを作って、平和への道を模索し行動をおこしてきました。
やがて、世界に蒔いた一粒種はSGI池田会長の励ましにより、一つまた一つと芽を吹きはじめ、庶民の平和への連帯として拡がってゆき、1975年1月26日、世界51か国の参加を得て第1回「 世界平和会議 」が開催されるにいたります。 そしてその40年後、さらにその潮流は世界192か国へと水嵩を増してゆき、世界広宣流布という新時代の幕開けを迎えました。

昨日の「 SGIの日 」には、SGI池田会長が、世界に向けて40回目の記念提言を行いました。

いつも、このときに想いを馳せるのは、日蓮大聖人の「 立正安国論 」であり、冒頭の『 旅客来りて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地夭・飢饉疫癘・遍く天下に満ち広く地上に迸る牛馬巷に斃れ骸骨路に充てり死を招くの輩既に大半に超え悲まざるの族敢て一人も無し、 』であります。  世界ではテロの脅威が前にも増して広がっており、紛争の陰で子供や女性を中心とした市民の悲惨な状況が生まれています。 この40回という膨大な提言は、「 立正安国論 」を書かれた日蓮大聖人の、深い慈悲と厳愛の心を心としながら、” この地球上から悲惨の二字をなくしたい ”という恩師のあふれ出る思いに突き動かされ、語られてきたものにちがいありません。
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* by lionking takahiro
 時宜を得たブログ 肩肘つかず読めました。
「142ヶ国 ?192ヶ国…」

どうゆう訳か( 夕焼け )さんの 感性を自分は好きなのです。
  乞う! 益々の 御健筆=ブログを! 休まれながらで 結構ですので どうか お願い致します。
                  草々

* by 夕焼け.
lionking takahiroさん おはようございます。

訂正しておきました。
ありがとうございます。 m(_ _)m 

そぉ言っていただくとありがたいです。
肩肘張らず書いていきます。 (^^)       

2013-11-18(Mon)
今日は創価学会創立の日。

この日は、時が経てば経つほどに、人類史上に燦然と輝きを増していく日であります。 
釈迦も予言し、日蓮大聖人も断言されている、一閻浮提広宣流布。 名もない庶民の手によって、師弟不二の誓願によって、その歴史が始まったのであります。 

いま、権威の呪縛を取り払い、民族、言語、地域、制度、文化を超え、それらを内包しながら、日蓮大聖人の慈悲が世界に染み渡るように広がっています。 大河は葉から零れ落ちる一滴のしずくから始まるように、明日からは、この日が、世界広宣流布の日となって始まります。

久しぶりに 「 I Have Dream 」 をお聞きください。



そして、「 世界広布の歌 」も



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* by 河越武蔵守頼重
遅くなりましたが、創立記念日
真に、おめでとうございます。

Re: タイトルなし * by 夕焼け.
頼重さま、こんばんわ。

おめでとうございます。 (^^

2013-07-01(Mon)
昨日の6月30日は学生部結成56周年でした。

わたしにとって、学生部は思い出深いところです。

高等部の時に、縦線の先輩(学生部)に連れられて、学生部総会に参加したのが第11回学生部総会でしたし、新学同の結成大会にはタオルの上にヘルメットをかぶって参加しました。 なぜ高等部が?とお思いでしょうが、その当時には活動する学生も少なく、学生部に来てほしいとの期待も込めて、準学生部員として連れていってくれたのかもしれません。 高等部も学生部も男子部の所属部隊がメインの組織でしたから、同じ部隊で一緒に活動しているため、まったく違和感なくついてゆきました。 じきに縦線組織は無くなり、わたしは高校卒業して就職してしまいましたから、申し訳ないことをしました。

しかし、縁とでもいうのでしょうか、やがて大学に進み、わたしが学生部を卒業する頃、この先輩とまた出会うことになります。 そして、あっという間に面接に呼ばれ就職が決まってしまいます。 オイルショックのときで、就職先が全くないときでした。 

そんなことを思い出しながら、「 原野に挑む 」 を久々に聞きました。 男子部の愛唱歌なのですが、学生部の頃によくこの歌を歌いました。 


・ 原野に挑む
                  作詞:外松 登
                  作曲:杉野泰彦

汗にまみれて進む身の
無名無冠に誇りあり
願い求めし
願い求めし栄光の
人の正義の求道みちなれば
あふる歓喜をだれが知る

今日もいばらの道拓く
明日も苦難の風ぞ吹け
心定めし
心定めし師子の子は
ひとり原野に挑み立つ
熱き生命をだれが知る

時代ときの流れに世は移り
友も半ばに倒るとも
誓い忘るか
誓い忘るか革命の
理想ゆめに生きるぞ我はゆく
民衆たみの涙をだれが知る

誓い忘るか
誓い忘るか革命の
理想ゆめに生きるぞ我はゆく
民衆たみの涙をだれが~だれが知る
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No title * by 前川ネギ之介
「新学同」で検索していたら、このブログにたどり着きました。
1969年(昭和44年)10月に、新学同の結成大会があったんですね・・・。
参加者7万5千人、すごい集いだったんですね。
その時僕は確か中学生で、何だかこのことで大人の仲間入りができたような感じがしたものでした。
そうそう、口元はタオルで覆い、ヘルメットを頭からかぶった姿でしたね・・・。
大きな歴史の一コマに参加できたこと・・・、誘ってくれた学生部の先輩に感謝です・・・。

ところで、この「原野に挑む」の作詞者・外松(とまつ)登さんは、練馬区にいた頃同じ組織で、お会いしたことがあったと思います。
いろいろ懐かしいことに、出会えるブログでした・・・。

No title * by yuyakeci
前川さん、返事が遅れごめんなさい。
あの場に一緒にいたんですね。
会っていたかもしれませんね。
外松さんは、学生部人材グループ ”飛翔会 ”の初代委員長で、その愛唱歌 「 先駆の誓い 」 の作詞もされています。 聖教新聞に入社されて記者となり、その人知れぬ功績を、池田先生は ” 広宣流布のために働いた執筆は、見事であった。 ” と讃えておられます。

2012-08-04(Sat)
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わたしは東京で生まれました。 埼玉の県境に近い板橋の小豆沢というところです。 それから生まれてすぐに、前野町に移り小学校5年生まで暮らしていました。 入信した頃はまだ小学3年生とゆうことになります。

その日はいつものように、近所の子供達と一緒に遊んでいましたが、兄が中学の同級生と出かけることになり、両親は働いて留守でしたから、兄はわたしを連れて池袋の常在寺に向かうことになりました。 当時はお金もないので、歩いていったと思います。 池袋の陸橋の上で熱くて喉が渇き、お腹もすいてきたのを覚えています。 そのころの常在寺は木造のお寺で、畳敷きの広い本堂の後ろのほうに座り、わたしは誰かが用意した麦茶を飲みながら儀式の様子を見ていました。 読経が終わり、僧侶が何か手に持ってこちらを向いたとき、本堂にいた大半の人が、その元に集まってゆきます。 僧侶は何やら唱えながら、布で覆われた板のようなものをさしだし、一人一人の頭にかざしてゆきます。 それを一人一人が受けているとき、その集まった入の中から手招きする人がいて、独りでぽつんと座っていたわたしは、何も考えずにそのなかに入ってゆきました。 当時は、暗い雰囲気の神社やお寺が嫌いだったはずなのに、そのときは不思議とそんな気持ちがありませんでした。 人が押し合うように接近し、僧侶のもとに進んでゆきますが、頭にかざされるのを見て、わたしもそこに頭を差し出すように伸ばしたのを覚えています。 記憶はそこまでで、その後どう帰ったか、さっぱり覚えていません。 翌日にはそんな出来事はとうに忘れて、遊びに夢中になっていました。

当時のお寺は、創価の折伏で大勢の人が来て入信していたようです。 そのときも、本堂のすべての人が僧侶のもとに集まってゆくような感じで、わたしもその人たちに揉まれるように御受戒を受けたのでした。 今では考えられないような光景です。 実は、母はその2年前に近所の人から熱心に勧められ、入信していました。 しかし、入信はしていましたが、勤行もせず、活動もしていませんでした。 兄もわたしも同様で、同じ家族で、お互いに入信しているのを知らない状況が続いていました。 そんななかで母が先に信心をし始めます。 貧乏と、病弱なわたしと、気分しだいで仕事を休む父に悩んでいたのでしょうか。 信心をし始めると母はやがて家族の太陽となってゆきました。 そして、家族に転機が訪れ、それまで、6畳ひと間の引揚者住宅に家族4人が暮らしていましたが、2DKの文化アパートで暮らすようになります。

どこの家庭でも母は家族の幸せを願い続ける存在です。 ほんとうにありがたいものです。 この母を含め、わたしの幸せを願う人がいたから、わたしは信心を始めることができるようになったのだと思います。 ” 広宣流布とは、互いの幸せを願う民衆の連帯の広がりである ” と池田先生は仰いましたが、そのとうりの創価です。 辛抱づよく、わたしを見守ってくれた創価の人々に感謝しています。 『 人のために火をともせば・我がまへあき(明)らかなるがごとし 』 と御書にあるように、わたしの福運はすべてその人たちにも注がれるでしょう。 注がれるような信心をしなければいけない。 そう入信記念日には思うのです。
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2012-08-02(Thu)
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(写真:SGIグラフ)

今月は池田先生の入信記念日です。 まことにおめでとうございます。

この、 ” おめでとうございます ” は、池田先生にとってという意味と、偉大な師匠を戴けた、わたしたちにとっての ” おめでとうございます ” という二つの意味があります。 常与師倶生の誉れに感謝が尽きません。 ” おめでとうございます ” というより ” ありがとうございます ” というべきかもしれません。

わたしは、昭和35年8月3日が入信の日で、明日がその記念日となります。 この月と日にちは、実は正確ではありません。 入信当時、わたしが幼かったのと、居合わせた流れのなかで、ついでのように御受戒を受けたために、だれも気にも留めず、時間の経過のなかで記憶が薄れ、記録も無くなってしまったためです。 昭和35年の夏であることは確かなのですが、兄が8月だったというので、自分でこの日にきめました。 入信の動機もなく、必要も不必要も思うことのない入信でした。 池田先生のような出会いと、物語があればうれしかったのですが、気がついたら ” 入信していたんだ ” と後から判るような状態でした。 しかし、このような出来事が、不思議なことといえば、いえるのかもしれません。

今のわたしは、仕事にも生活にも恵まれています。 若き日のわたしとは、まるで違います。 悲しく、辛く、苦しかった日々を振り返ると、以前と今では雲泥の差があります。 それほどに、創価の信心には力があるのです。 それを実感します。 人生でなにが価値あることなのかも解りました。 僅かではありますが仏の智慧も戴きました。 残る望みは、広宣流布に生ききる自分でありたい。 生ききる智慧と勇気と慈悲を身につけたい。 それだけであります。

明日は、静かに御本尊の前に端坐して、感謝の唱題をいたしたいと思います。
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No title * by Tassy
なぜかとても心が温かくなりました。ありがとうございました。 

No title * by yuyakeci
Tassy さん コメントありがとうございます。

2012-05-07(Mon)
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(写真:SGIグラフ 1973年ロンドン)


SGI池田会長は、その後、トインビー博士の期待に応えるように、あらゆる分野の世界的有識者・宗教家・政治家・物理学者・医学者等との対話を精力的に行い、世界各地の大学で講演をして、人類の諸問題の解決への努力を続けてきました。 そして、そこから学び得た智慧を、こんどは未来を担う子供達に語り始めています。 「 君が世界を変えていく 」 とゆうエッセイ集の中で、トインビー博士との出会いを振り返り、トインビー博士のトルコでの出来事を紹介しながら、人間として生きてゆくことの大切さを語り、国や民族の差異を超えて平和を築いていって欲しいと訴えかけています。 


* だれもが 「 地球の民 」

わたしは思う。 
人は、生まれたとき、トルコ人として生まれたのではない。 アメリカ人としで生まれたのではない。 パレスチナ人として生まれたのでも、ユダヤ人として生まれたのでもない。 それらの名は 「 符丁 」 にすぎない。 
生まれたときは、だれもが、ひとつの <いのち> として生まれた。 ひとりの <人間> として生まれた。
お母さんは、 「 日本人を産もう 」 とか 「 アラブ人を産もう 」 と思って、産んだのではなかった。 ただ 「 すごやかな、いのちたれ 」 と願っただけのはずだ。
ちがう国で、ちがう名前で呼ばれようとも、薔薇は薔薇、菫は菫、人は人。
青きボスボラス海峡の上を、高く遠く飛んでいく曇は、風は、地上の人類を見おろしながら、こんな、ささやきをかわしているかもしれない。

――― 
気づいてください。 この高い空から見れば、世界はひとつ。 だれもが 「 地球の民 」。 「 アメリカ人 」 なんていないことを。 「 イラク人 」 なんていないことを。
いるのは、たまたまアメリカに住んでいるボブという少年の <いのち>。 たまたまイラクに住んでいるムハンマドという少年の <いのち>。
同じ <地球の子>。
それが、国の名前で分けられて、憎み合えと教えられる!
気づいてください。 その愚かさを。 その傲慢を。 この憎しみを次の世代に引き継ぐことの 「 むごさ 」 を 
―――

と。
今、必要な 「 地球人意識 」。 それは、遠いどこかにあるのではない。 コンピューターの画面の中にあるのでもない。
人間として人間のために " 胸を痛める心 " の中にあるのだ。
「 あなたが苦しんでいるかぎり、私も苦しむ。あなたがだれであろうと! あなたの悩みが何であろうと! 」 と。

< こんな見方があったのか! >より


トインビー博士はこんど生まれ変わるとしたら鳥になりたいと言っていたそうです。 エッセイにあるように、大空で、雲や風と一緒に大地を見おろして、同じようにささやいているかもしれません。 宗教や民族や言葉や国や性の違いで人を分断しようとするエゴイズムが、平気で闊歩する時代を終わらせなければいけません。 わたしは、そのような分断の光景を見るたびに、腹立たしくなります。 情けなさなくなります。 われら 「 地球の民 」 という精神が時代の精神となるよう。 SGIの連帯を築きあげていかなければと思います。
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2012-05-06(Sun)
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(SGIグラフ 1972年ロンドン)


昨日の5月5日は、こどもの日でしたが、ちょうど40年前、昭和47年(1972年)5月5日にイギリスの歴史家A.J.トインビー博士とSGI池田会長との対談が、ロンドンのトインビー博士の自宅で行われた日であります。 この対談は、翌年の昭和48年(1973年)5月にも行われ、延べ10日間40時間にわたって対話が繰り広げられました。 そして数回の往復書簡を交わしながら、その内容が昭和50年(1975年)に 「 21世紀への対話 」 と題して出版されました。 対談当時SGI池田会長は44歳。 トインビー博士は83歳でした。 

事の発端は、昭和44年(1969年)に届けられたトインビー博士の手紙からでした。 そこには、 「 私個人としてあなたをロンドンにご招待し、我々2人で、現在、人類が直面する基本的な諸問題について、対談をしたいと希望します 」 と書かれてありました。 この対談は、その後の人類の知性と言われる人達と、SGI池田会長の対話の出発点ともいえる、記念碑的な出来事でありました。 「 歴史の研究 」 でトインビー博士は人類史を見つめ。 SGI池田会長との対談で人類の歩むべき道を模索していたようであります。 対談で結論は出たのでしょうか。 博士が 「 驚くほどの合致点がみられる 」 また 「 私の学問の整理が可能となった 」 と言われたように、両者の合致点が自身のライフワークとしての結論となったようであります。

その中で特に注目したいのは、両者が、宗教が人類史に幾多の忌まわしい汚点を残したことを指摘しながらも 「 宗教こそが人間生活の源泉である 」 としていることであります。 そして、 「 自我を ” 究極的実在 ” に合一させるべきである 」 としながら 「 究極的実在が人間の姿をした人格神ではない 」 ということで一致し、きたるべき未来の宗教の要件を見出していることであります。 西洋の知性が、東洋の叡智に合致した瞬間であります。 そして博士は、自己変革こそ 「 社会を向上させる唯一の効果的手段であり、諸制度の改革も、個々の変革の兆候として、かつ結果として現れてきたときに、初めて有効たりうる 」 と結論づけています。 言い方は違いますが、まさに、小説・人間革命のテーマである 「 一人の人間における偉大なる人間革命はやがて一国の宿命転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする 」 と同じであります。
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No title * by ソドムとゴモラ
『歴史の研究』シリーズに関心が湧いてAmazonとか調べたんですが、ダイジェスト版(全3巻)しか現在は入手出来ないようなんですよね。残念。

『二十一世紀への対話』は最近再読しまして、2巻ラストの安楽死のくだりでしたっけ、ここら辺の対話は迫力がありましたね。

No title * by 夕焼け
ソドムとゴモラさん 始めまして。

” 安楽死 ” と ” 自殺 ” がテーマーとなったところですね。

トインビー博士は尊厳的自殺は人間の権利だと主張していました。 池田先生は、いかなる理由があろうと自殺は、生命の尊厳に反するものだと主張し、両者の違いを見せたテーマです。

このときに、池田先生は知性や感情は生命の一部であり、生命全体ではないとして、生命全体としての ” 自殺 ” は容認する発言をしています。 つまり、意識からくる ” 自殺 ” でなく、全体としての生命の働きとして死んでゆく ” 自殺 ” というべきものです。 「 全体的生命のみが、その生の終焉を決定する権利を持つ 」 と、説明していました。 これは、自他あるいは依正ともに、どのように力を尽くしても、体が死に向かっていくことを指しているのだと思います。 意識の上では、死にたいということもないのに、体はどんどんエネルギーが遮断されたように死に向かっていく。 あるいは、生きたいという気持ちの中で、抗し切れないほどに、体が衰退していく状況のことではないかと思います。 両者の違いは、意識からの死の容認と否定といえます。 

つづく

No title * by 夕焼け
つづき

ただ、 ” 安楽死 ” については、捉え方の違いはあっても、限定して認めていましたね。 でも、どう限定するか、とても難しいことだと思います。

” 安楽死 ” と ” 自殺 ” の問題を考えるときのキーワードとなるのが、わたしは ” 苦 ” だと思っています。 それに関して、池田先生が、ベートーベンの生き方を示して語っていましたが、わたしには、とても説得のある内容で、トインビー博士の主張を心情的には理解できても、価値ある選択ではないことがわかります。 仏法の生命観からすれば、意識の上で死をもって ” 苦 ” から逃れても、本質的な開放にはならないのです。 業は自らが書き換えなければなりません。 とてもむずかしい内容になるので省きますが、生も死も連続した生命の一断面に過ぎないのです。 依正不二、色心不二、諸法実相ですから、生命全体からくる苦のエネルギーは死のあとも続いていきます。 死をもってするのではなく、生をもって ” 苦 ” を克服し、”楽 ”を獲得すべきものだとわたしは考えています。

2012-05-02(Wed)
5月3日。 明日は創価の元旦ともいえる、 「 創価学会の日 」 であります。

終戦後、創価教育学会を創価学会と改め、実質的な広宣流布のスタートとなった、戸田第二代会長就任式の日です。 会長就任のとき、戸田先生は 「 私が生きている間に、75万世帯の折伏は、私の手でいたします。 もし、私の願いが、生きている間に達成できなかったならば、私の葬式は出してくださるな。 遺骸は、品川の沖に投げ捨てていただきたい。 」 とまで仰って、覚悟と確信の広宣流布の陣頭指揮を執られたのでした。 今から61年前の昭和26年5月3日のことです。
75万世帯は、池田先生の一騎当千の戦いにより、全学会員の情熱と確信によって、昭和32年暮れに成し遂げられました。 それを見届けるように、就任から7年後の昭和33年4月2日、桜が咲くなか、戸田先生は霊山へと旅立たれます。

それから2年後の昭和35年5月3日。 喜びに包まれて第三代会長就任式が執り行われました。 「 広宣流布を目指し、一歩前進の指揮を執らせていただきます 」 との池田先生の獅子吼とともに、全学会員は再び奮い立ち、怒涛の折伏が始まっていったのであります。 七つの鐘が鳴り終わる昭和54年(1979年)には75万世帯から750万を上回る世帯数となりました。 5月3日は ” 折伏闘争の日 ” と言ってもいいくらいです。 今では海外192カ国地域を合わせ1000万世帯となっています。 まさに世界広布の時代に入ったと言えるでしょう。 近い将来には、日本より海外の世帯数が上回る時代が必ず訪れると確信いたします。

どのような時代であろうとも、創価の魂は折伏(仏法対話)にあります。

世界の宗教事情からみれば、創価はまだ米粒みたいなものです。 日蓮大聖人の仏法が、一つの文明を形成するぐらいの広がりと展開を見るのはこれからです。 まだまだ今は草創期です。 かつて、末法を前にして、早く生まれてきた身の不運を嘆いた秀逸な仏教徒達がおりました。 また、法華経では、多くの菩薩が、末法での布教を願いましたが、釈迦に制止されました。 過去だけでなく、100年後いや500年・1000年後の人が羨むような時代に、わたし達は生きているのです。 この時代に生まれ合わせた福運を確信し、歴史を作ってゆける誉れを胸に、どのような立場、境遇、姿であろうとも、本来の、元初の自分を輝かせながら、生き抜いてゆきたいと思います。

これで三度目ですが、I Have Dream を。

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2012-03-16(Fri)
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(写真:SGIグラフ 昭和33年3月大石寺)


今日は 「 広宣流布記念の日 」 です。 今から54年前の昭和33年(1958年)3月16日に、男女青年部の精鋭6000人が集って 「 広宣流布の模擬試験 」 と呼ばれる式典が大石寺で行われました。 第二代戸田会長はこの年の4月2日にご逝去されています。 このときには身体も弱っており、式典は広宣流布の実質的な後継を青年に託す広布継承の式典となったのでした。 「 広宣流布記念の日 」 は 「 師弟後継の日 」 でもあるのです。 戸田先生はこのときに 「 われわれには広宣流布を断じてなさねばならぬ使命がある。 それを今日、私は君たち青年に託しておきたい。 未来は君たちに任せる。 頼むぞ広宣流布を! 」 と呼びかけられました。 ” 地球の広宣流布は創価学会が断じてやり遂げる ” ” 日蓮大聖人のご遺命を断じて虚妄にはしない ” との青年の決意と行動が、創価の命であることは今も変わりありません。

再掲ですが、SGI―USAの愛唱歌 I Have A Dream をお聞きください。
そう、わたしたちには、地上から悲惨という文字をなくし、絶対的幸福へと転換しゆく ” 広宣流布 ” という偉大な夢があります。

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2012-02-16(Thu)
今日は日蓮大聖人が、安房の国長狭郡東条郷(現・千葉県鴨川市小湊)にお生まれになった日であります。 1222年ですから、今年が生誕790年目にあたります。 人類の宿命転換への曙となった日であります。 今日は一日、感謝と決意を込めて唱題いたしました。

日蓮大聖人を賛美する歌がないので、変わりに、昔の創価の会合で、よく歌われた歌を紹介いたします。

・ 嗚呼黎明は近づけり(大阪高等学校全寮歌)


                 作詞  沼間 昌教
                 作曲  吉田 丈二

      嗚呼黎明は  近づけり
      嗚呼黎明は  近づけり
      起てよ我が友  自由の子
      帝陵山下の  熱血児
      侃諤の弁  地をはらい
      哲人の声  消えんとす
   
      ああ暁鐘は  鳴り響く
      ああ暁鐘は  鳴り響く
      三州の野に  殷々と
      強き響きを  伝えつつ
      旧殿堂の  奥深く
      眠れる魂を  醒ますべく

      それ青春の三春秋
      交に友と  呼びかわし
      君が愁いに  我は泣き
      我が喜びに  君は舞う
      若き我等が  頬に湧く
      その紅に  血の響き
      その紅に  血の響き
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2012-02-01(Wed)
今月の2月11日は、創価学会第2代会長戸田城聖先生の生誕の日であります。 戸田先生2歳のとき、一家は石川県から北海道厚田村に移り住んできます。 そして戸田先生は幼少・少年時代を厚田村で過ごされて、両親が暮す故郷となります。 この詩は、池田SGI会長が、恩師戸田先生とこの地を訪れたおりに作られたもので、後に曲がつけられ、学会歌として広く親しまれるようになりました。

わたしは、26歳(昭和53年5月)のとき、開設まもない厚田墓園(戸田記念墓地公園)を訪れる機会があり、翌日、戸田先生の故郷である厚田村にも行きました。 今はインフラも整って開けておりますが、当時は、開拓地を思わせるような、小さな海辺の寒村でありました。 その日はあいにくの天候で、海は荒れて、銀色の海に白波が起ち、風が強く吹いておりました。 わたしは、海に突き出た小さな突堤の先までゆき、静止しているかのように、風に逆らいながら飛んでいる海鳥を見つめ、風と波と雲と廻りにある総てを感じ取ろうとして、しばらく、じっとそこに身を置いていました。

この歌を聴くと、その時のことを思い出します。

・ 厚田村 - 恩師の故郷に憶う -


                  作詞:山本 伸一
                  作曲:杉野 泰彦北
       
       海凍る厚田村
       吹雪果て無く貧しくも
       海邊に銀の家在りき
       是ぞ榮有る我が古城

       春夏詩情の厚田川
       鰊の波は日本海
       松前藩主の拓きしか
       斷崖屏風と漁村庭       

       少年動かず月明かり
       傳記と歴史の書を讀みて
       紅顏可憐に涙有り
       正義の心の鼓動樂       

       痛まし針の白髮に
       不正に勝てと厚司織る
       母の祈りに鳳雛も
       虹を求めて天子舞      

       暖爐に語りし父も又
       網を繕ひ笑顏皺
       權威の風に丈夫は
       征けと一言父子の譜       

       厚田の故郷忘れじと
       北風包みて美少年
       無名の地より世の爲に
       長途の旅や馬上行
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2011-11-18(Fri)
今から81年前の昭和5年11月18日、牧口常三郎の著書 「 創価教育学体系 」 が発刊されました。 牧口先生と戸田先生の師弟の思いが結実した日です。 そして、この日をもって創価学会の創立の日としました。 13年後の昭和18年7月6日、日蓮大聖人の血脈を守らんとして、国家の弾圧により師弟は逮捕されます。 過酷な取調べと、劣悪な環境の中で昭和19年11月18日に師は獄死し、翌20年7月3日に弟子は衰弱しながらも生きて出獄しました。 創価学会の原点は、この師弟の契りと仏意仏勅を果たさんとする生死の姿にあります。
 
この歌の詩は、戸田先生が獄中で詠まれたものです。 昭和20年11月18日の師の1周忌で 「 広宣流布は、誰がやらなくとも、この戸田が必ずいたします 」 と挨拶で誓い、その帰り道、三高寮歌の曲にのせ一人歌われたといいます。 今日は、創価学会創立の晴れやかな日でありますが、師弟の誓い、後継の誓いの日でもあります。

・ 同志の歌


                   作詞 戸田 城聖
                   原曲 三高寮歌

         我いま仏の 旨をうけ
         妙法流布の 大願を
         高くかかげて 独り立つ
         味方は少なし 敵多し

         誰をか頼りに 闘わん
         丈夫の心 猛けれど
         広き戦野は 風叫ぶ
         捨つるは己が 命のみ

         捨つる命は 惜しまねど
         旗持つ若人 何処にか
         富士の高嶺を 知らざるか
         競うて来たれ 速やかに
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2011-07-03(Sun)
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(小説 人間革命 第一巻)


昭和20年7月3日、66年前の今日は、第二代戸田会長が、出獄した日です。 戦時中に創価学会(当時は創価教育学会)は政府の弾圧を受け、初代牧口会長は獄死し、戸田会長も過酷な取調べと劣悪な獄中生活で極度に衰弱した体での出獄でした。 戸田会長は妻に支えられながら自宅に戻る途中、焼け野原に立ちその惨状を目の当たりにして、獄中での広宣流布の決意を改めて誓うのでした。 この日から創価学会の再建が始まります。 (この辺の詳しい内容は小説 「 人間革命 」 1巻の冒頭に描かれています。)

わたしはこの日が来るたびに、一人焼け跡に立たれる戸田会長の姿を思い浮かべて涙を禁じえません。 わたしは、戸田先生が亡くなられて第三代池田会長の元で信心を始めたのですが、当時、戸田先生の話をよく耳にしていましたし、信心を始めるきっかけが戸田先生の 「 生命論 」 でしたから、とても身近に感じています。 戸田先生のすごいと思うところは、御本尊への絶対なる確信でした。 なにを読んでも、聞いても、この御本尊に祈り・仏法対話をしていけば幸せにならないはずがないとの確信。 この戸田について来るなら絶対に幸せにして見せるとの厳愛が、胸にガンガン響いてくるのです。 わたしはその度に気弱な信心を恥じつつ熱き思いを頂いていました。

「 出獄と入獄に師弟あり 」 と詠まれているように、この日は、池田先生が国家権力によって逮捕された日でもあります。 昭和32年に大阪の参議院補欠選挙での応援活動で、タバコの供与や戸別訪問で学会員が多数逮捕されたのですが、その選挙違反を池田先生が指示したとの容疑での逮捕でした。 選挙違反を起こさないように指導していた池田先生を、あえて首謀者と断定しての逮捕だったのです。 検察は当時衰弱していた戸田先生までも逮捕しょうとする姿勢をみせて、容疑を認めるように池田先生に迫りました。 池田先生は無罪を訴えましたが、もし今戸田先生が逮捕されたら死んでしまうとの思いから、弁護士の勧めもあり苦渋の判断で罪を認めることになります。 しかし釈放後の裁判で、池田先生は学会員が選挙違反したことを謝罪、そのうえで自身が首謀者であるとするウソに反論、証拠を示し、証言も得て、検察の調書の欺瞞を裁判官に認めてもらい無罪となります。

一つの事件や出来事をきっかけに、意図的な作為や、巧妙に言葉のすり替えをして創価を貶めようとするこの構図は、今も変わらず在ります。 権力やアンチや破壊的カルトの常套手段であります。 池田先生や牧口先生・戸田先生の指導をないがしろにし、自分に都合のいいような、また感情や熱情に任せた行動や言動が、いかに創価を苦しめるかを、肝に銘じて厳に慎まなければいけないと思います。 かといって萎縮するのではなく、誠意と真心と思いやりを持って、正々堂々と創価の真実を友に語り、同志を励ましながら、社会の模範となり依怙依託となるような人間に成長していきたいと思います。
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