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2015-09-18(Fri)
突然ですが、記事を休みます。

その間、過去記事の整理、
御書や経典の勉強をさせていただきます。

またお会いしましょう。 (^^
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* by 夕焼け.
No.415さん、おはようございます。

はい、いちおう来年ですが、
どうしても記事にしておきたい、と思ったときには、
投稿いたします。

* by せんしゅ
母の介護の手伝いが始まり心身ともに余裕なく
久しぶりにゆっくりしようとパソコン開いたら……
確信溢れる静かな語りをまた伺える日を楽しみにしています

承認待ちコメント * by -

2015-09-12(Sat)
温泉で休養している間に、栃木・茨城・宮城の水害、今朝の直下型地震など、大変なことがおきていました。
今後、温暖化による台風・豪雨・竜巻の多発や規模の増大、地殻の変動やマグマの活発化が、間違いなく起こってくるでしょう。
今、目にしていることは、未来に起こるサインだと思って、備えを怠らないようにしましょう。

スマトラ沖地震の津波を、東日本大震災の備えとして生かすことができなかった過ちを、再びおかしてはなりません。 

おりしも、東京では「 東京防災 」という小冊子とハザードマップが送られてきていました。 送られてきて、後で読もうと本棚に入れてしまいましたが、今回のようなことがあると、さっそく出してきて読み始めました。
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2015-09-04(Fri)
やっと、プロジェクトが一段落つきました。 

忙しい日々でしたが、これで夜の街灯の中、人気のない道を歩くことも、しばらくはありません。
人気のない道を歩くというのは、気持ちがいいときもあれば、反省に終始するときも、沈思黙考のときもあり、さまざまに自分を見つめる道であったように思います。 そういえば、ノスタリジーに浸って、浜田省吾さんのこの曲を口ずさんだこともありました。

よい週末を。 (^^

・ 君が人生の時
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2015-08-21(Fri)
まだまだ暑いですね。

残暑の時期に体調を崩すことが多いですから、気を付けてお過ごしください。

ところで、仕事と活動と唱題と勉強とブログが重なるとほんとうに時間が足りません。 しかも、老齢の身では、疲れはて、夜になると眠くてたまらなくなってしまいます。 そこで、どうしても、ブログにしわ寄せが及んで、定期的に記事を更新できないことを、お許しください。
眠いときは、なつかしい音楽を聴いてカンフルにしようと思うのですが、いつのまにか、その時代にタイムスリップして、目を閉じ、気付くと朝になっています。 (^^;

前置きが長くなりましたが、今日は、わたしが20代後半のときに聞いていた、浜田省吾さんの曲を紹介いたします。

よい週末を。 (^^

・ 君に会うまでは
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* by ちよ
私は 「片思い」が好きでした
お互い マイペースで いきましょうね

* by 夕焼け.
ちよさん、こんばんわ。

はい、マイペースでいきます。 (^^

「 片思い 」わたしも好きですが、
切ないときに聞くと、その切なさが、さらに深くなって、
悲しさが、こみあげてきます。
泣きたいときに聞く曲なのかもしれませんね。

2015-08-15(Sat)
今日は70年前に、日本が降伏した日であります。

この戦争で、多くの犠牲者が出ました。 それは、日本人だけではなく、アジアの諸国をはじめとして、欧米の軍人・民間人・大人も子供も悲惨な思いを味わい犠牲となりました。 この犠牲は無くてもよかったはずのものではなかったか、今もって残念でなりません。
よく” この人たちの尊い犠牲があったからこそ、今の平和がある  ”という声を聞きますが、確かに日本人以外の人達が言うのはもっともなことでしょうが、日本人が言うのは、どこか、わたしは違和感を覚えます。 日本人の犠牲を無にしたくない気持ちは、とてもよく分かるのですが、この言葉は、日本の起こした戦争を美化してしまうもので” それは違うだろう ”と言いたくなります。 戦争中に大本営がガダルカナルの玉砕を「 転進 」と言って国民をごまかしていましたが、それと同じようなものです。

日本人の犠牲者は、誤った国の指導者に犠牲を強いられたといえます。 
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2015-08-11(Tue)
今回の安保関連法案の中で、唯一の新法が国際平和支援法であります。 他の法案は既にある法を改正したもので、しかも、個別的自衛権を補完し、限定的な集団的自衛権を規定したものでありますから、巷に言う、憲法に違反するようなものではありませんが、この法案は自衛権を越えた活動を許しており、少なからず問題のある法案です。 憲法9条に違反する可能性を秘めており、運用を間違うと、戦争行為を仕掛ける側の当事者となってしまう危険があります。 

この法案の名目が国際平和支援となっておりますが、PKOが戦後処理の活動であるのに対して、この法案が許している活動は実力行使あるいは武力を行使しているときの支援であります。 一応は国連の決議による強制行動なのですが、憲法の精神に反するために参加できないとして、消極的な形をとって支援をしていこうというものであります。 かつて、日本は湾岸戦争(第一次イラク戦争)に2兆円を超える資金を提供しましたが、しないほうが良かったと思うほどに国際社会の評価は惨めなものでした。 それがトラウマとなって作られたのが、この法案ではないでしょうか。 その危険性を思うと、空理空論のような議論ではなく、この法案の中身をもっと審議していくべきであります。 

公明党が、この法案の活動には国会の承認が必要だとしたことは、一応の評価はできますが、条文の一々についてもっと言葉を添える必要があったように思えます。 この法律の第2条3項には「 現に戦闘行為が行われている現場では実施しない 」とありますが、わたしは、それに紛争地域・国を加え、「 現に戦闘行為が行われている現場、あるいは紛争地域・国では実施しない 」とすべきであったと思います。 PKOは戦後処理、治安維持、復興が目的でありますから、いたしかたないとしても、強制行動の支援では、もっと離れたところで行うべきであります。
また、武力行使と一体とみなされる行為の定義がされていないところも心配で、自衛権の範囲から離れた活動でありますから、もっと厳格に扱うべきであり、細則で具体的に定義しておく必要があると思います。 少なくとも、この法律において、弾薬の提供は含まないとするべきであり、安保関連法案の中で問題を残している部分だと思います。
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* by 夕焼け.
No.411さん、こんばんわ。

そうですか、責任重大ですね。 (^^
しっかり探求して、これからも書いていきます。

2015-08-10(Mon)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 三三蔵祈雨事(1468P) 
『 道理証文よりも現証にはすぎず 』

【 通解 】 
『 道理や証文よりも現証が第一である 』

【 指導 】
* 仏法では道理(理証)と証文(文証)が大切である。 そのうえで、仏法も人生も、大切なのは「 事実 」である。 現実の「 証拠 」である。

どんなに立派なことを言っても。 またすばらしい話を聞いたとしても、自分自身が現実に「 満足 」と「 勝利 」の実証を示さねば、意味がない。 観念論、抽象論になってしまう。 それでは、仏法ではない。 実像の人生でもない。
ご家庭でも、ご主人が「 明日は一緒に勤行するよ 」と口先ばかりで約束しても、空手形では、文証があって現証がないようなものである。 だから奥さんに叱られる。 やはり、「 結果 」が大事である。 所詮、人生も、生活も、どういう結果であったかが、現実の幸・不幸を決めていくからだ。 身近な日々の暮らしから、一生、また三世の幸福にいたるまで、すばらしい「 結果 」を残せる自分自身でありたい。 そのための根本の「 原因 」を作るのが信心であり、仏道修行なのである。
ゆえに、だれ人が、どんなに「 自分は偉い 」と威張ってみても、現実に一人の人に信心を教え、面倒をみ、幸福にしていった「 実証 」にはかなわない。 ” 高位の人 ”よりも” 弘教の人 ”が偉いのである。 仏法の眼から見れば、実社会のなかに、わが地域のなかに、正法流布を進めている皆さま方ほど尊い存在はない。 高貴なる” 仏の使い ”であり、何より御本仏のご賞賛は絶対と確信する。 また必ずや、三世十方の諸仏の讃嘆にもつつまれていくにちがいない。

< 御書とその心 >より


いくら、現証を実証を、といっても、力の無い誤った宗教・信仰では、それは叶わない。 また、あるのは不幸という現実であります。 過去の人類の歴史の悲惨さは、目を覆うばかりであり、不条理と憤りと悲嘆さに満ちています。 真実の宗教に向き合うとき、人の努力と思いは、幸福へ幸福へと実を結んでいくことはまちがいありません。 
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2015-08-04(Tue)
集団的自衛権を誤解している人や、自分勝手に解釈しているひとがとても多いように思います。 とくに、集団的自衛権と集団的攻撃権(強制行動)をないまぜにして、集団的自衛権は反対だと言っている場合がほとんどのような気がします。

集団的自衛権を行使するためには、いくつかの大事な条件があります。 まず、相手国の攻撃が差し迫ったものであり他に選択の余地や時間がないという、いわゆる「 必要性 」と、そして、選択された措置が自衛措置としての限度内のものでなければならないという「 均衡性 」 があります。 この二つは、個別的自衛権を行使する場合にも必要であり、集団的自衛権では、さらに、攻撃された旨の表明があり、援助の要請がなければなりません。 この四つが揃わなければ、集団的自衛権は正当性を失います。 所謂、誤想防衛や過剰防衛となったり、頼まれもしていないのに集団的自衛権を使えば、国際司法裁判所で犯罪として扱われることになるでしょう。 ただ、四つが揃っていても、必ずしも集団的自衛権を行使しなければならいというわけではなく、第三国の裁量となります。 

ここで、国際情勢において、日本の状況について触れておかなければなりません。 いまや、地球はグローバル化して、世界中で日本人が生活しております。 また、日本の資源はほとんどが輸入に頼っています。 そのような中、紛争地域は拡大してきており、遠い国で起こっていること、と看過出来ないことも現実には起こっております。 11年前にも、ペルシャ湾で日本のタンカーが自爆テロに遭遇し、寸でのところでそれを防いだのが多国籍軍であり、そのために3人の兵士が犠牲となっています。 日本は他の国の若者の命の犠牲によって守られている、という事実をあまり知りません。 日本がやらなければいけないことを、日本だけがソッポを向き続ければ、やがて、手痛いしっぺ返しを被ることになるでしょう。 少なくとも、個別的自衛権の範囲と行動を今回の法案で、他国に犠牲を強いるようにならないよう、考えていかなければならないと思います。

集団的自衛権の行使で、アフガン戦争や第一次イラク戦争に自衛隊が行くことはできません。 そもそも、国連の強制行動による戦争ですから、集団的自衛権を行使するには遅すぎます。 また、強制行動を行ってる軍隊を守ることは集団的自衛権とは違います。 ましてや、第二次イラク戦争は強制行動にも当らないため、まさに、憲法9条にある「 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 」という条項に当てはまります。 しかし今、安保関連法案に反対して憲法違反だと叫んでいる人たちは、これらの戦争に自衛隊が行けるようになると言っているように聞こえます。 はなはだ、いい加減というしかありません。 それは、戦中戦前のプロパガンダと同じ根を持っています。
今回の安保関連法案は集団的自衛権の行使と騒いでいますが、法案の内容は、ごく限定的な限られた範囲であり、他国に行って武力行使するようなことは許されていません。 前にも言いましたが、正しく認識して評価を加えることが大切であり、集団的自衛権が憲法に違反すると決めつけて、肝心の安保関連法案や集団的自衛権の議論を深めないでいることにわたしは不安を感じます。 

わたしの個人的な見解は、集団的自衛権は憲法に違反しないと思っています。 集団的自衛権はあくまで緊急避難の行為であり、個別的自衛権と同じ自然権です。 平和に過ごしている他の国の艦船や航空機や国民を助けることは、傍にいて、他に方法が無い場合には人道上も許されることであり、要請が必要とはなりますが、それが軍隊であろうと差別はありません。 もともと戦争反対の側が、集団的自衛権を拡大解釈しているなど、おかしな話であります。 そのことをみても、今の大多数の反対論には賛成できません。
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* by ちよ
分かりやすくて 助かります

2015-07-31(Fri)
加山雄三さんの曲を聴いていると、なぜか、心が暖かく、安らいできます。 夏に似合う曲が多く、波の音を聞いているような効果があるのでしょうか。

よい週末を。 (^^

・ ある日渚で
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2015-07-30(Thu)
憲法9条にはたしかに、自衛権について規定がありません。 しかし、規定がされていないから自衛権を憲法が認めていないとなると、憲法を基にしている刑法や民法の正当防衛も正当性を失うばかりか、憲法違反となってしまいます。 ではなぜ、自衛権に言及しなかったのか。 それは、前文にあるように、憲法が侵略あるいは武力攻撃してくる国は国際社会に無いという前提に立っているからであります。
軍隊を持たないということ、持たなくてよい国際社会を築くことは理想であり、目指すべき目標ではありますが、今の現実の世界秩序において、国の自衛権は相対的に存在しており、そのための模索が、日米安全保障政策であり、自衛隊であり、安保法制であったりしてきたのです。 日本が無防備の時代に韓国による竹島の占拠や漁師の拿捕慮因から始まり、朝鮮戦争、東西冷戦、北朝鮮の核兵器開発、中国の海軍増強と領海侵犯などが誘因となって、憲法の精神からは遠ざかってしまうことになりましたが、まだまだ現実は厳しいといえるのかもしれません。 

自衛権というのは、本来、個別的自衛権のことをいっていたのですが、国連憲章によって、集団的自衛権の概念が示され、加盟国には加盟国の自衛権を担保する権利が付与されるようになりました。  日本も国連に加盟しているため、国際社会の認識としては、集団的自衛権の要件に沿って行使することが認められています。 しかし、日本は、憲法の精神と9条があり、他国のために武力を行使する集団的自衛権は、必要最小限度の自衛の範囲を超えるとされて、その権利はあっても行使することはできないとの政府見解が出されてきました。 集団的自衛権の行使は、憲法をなし崩し的に意味のないものにしかねない、との危惧があったからです。 たしかに、戦争放棄を誓う憲法にあって、能動的な武力行使はそぐわないと感じるのが普通であります。
一般的な生活においても、自己の防御は論ずるまでもなく本能的なものですが、他の人が危険に遭遇していたり、危害が加えられたりして居る場合には、どうすればよいか迷い、躊躇するはずです。 それは、助けるためには、自己犠牲や場合によっては実力行使が必要となってくるからであります。 このようなときには、状況が許されるならば、消防や警察に通報すれば対処できますが、緊急性があるときには、自分が対処することを迫られてきます。 
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2015-07-28(Tue)
安保関連法案について語るまえに、その批判の主たるものが「 憲法違反 」であるということについて考えてみたいと思います。

日本国憲法の前文には「 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。 」と書かれ、第二章戦争の放棄のところでは、第9条1項に「 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 」また2項では「 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 」とあります。

いつもこの条文で争われるのは、自衛のための戦争あるいは武力行使が許されるのか、ということであります。 現在では、侵略による自国防衛のためならば認められるという解釈で自衛隊の合憲性を担保していますが、かつては、自衛の為でも許されないと解釈し、米軍の駐留や自衛隊の存在自体を違憲だとする勢力が、政府の安全保障政策を激しく攻撃し争っていました。
特に9条2項は” 交戦権の放棄 ”を掲げており、そのまま読み取れば、他国と戦争をすることの放棄であり、戦うための軍隊を持たないということになります。 つまり、自衛であろうと攻撃のためであろうと、戦争をしないために軍隊を持たないと解釈することもできます。 この憲法の原案を作ったアメリカは、なにしろ日本の再軍備は許さない、という思想でありましたから、このような条文になったのだと思います。 
わたしは、前文の「 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。 」ということから、諸国家の性善説を信じ軍隊を持たない、というのが当時の日本に求められた態度であり、その理想を達成することが憲法の精神であり、日本国民の希求するところであると思っています。

それならば、安保関連法案など論ずるまでもなく「 憲法違反 」ではないか、と思われるでしようが、それが、そうでもないのです。 2項は1項の目的を達成させるための手段として規定されているもので、1項以外の目的に軍隊を持つことを禁じてはいないのです。 しかし、やはり解釈に争いがあったのが、「 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する 」とい条文の” 国際紛争 ”の部分であり、今では、自国の自決権や生存権を否定するような侵略行為を受けた場合は、争うことのない違法な事態であることから、この国際紛争にはあたらないとして、領土・領海に不法に侵入し武力攻撃を仕掛けられた場合には、国民の生命や財産を守るために必要最小限度の軍を持って抵抗することは、憲法9条に違反しないとみなすようになりました。

社会党が自民党と組んで村山内閣を発足させたときに、自衛隊は違憲ではないとしたことから、長きにわたった政治的な自衛隊の違憲争いは終焉しました。 あれだけ争った挙句、自分たちが憲法だと言わんばかりに、解釈変更した人間が、こんどは安保関連法案を違憲だと騒いでいるのですから、推して知るべしではないでしょうか。
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2015-07-27(Mon)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 兄弟抄(1088P) 
『 設ひこれより後に信ずる男女ありとも各各にはかへ思ふべからず 』

【 通解 】 
『 たとえ、これより後に信心をする男女があっても、あなた方に替えて思うことはできません 』

【 指導 】
* 「 先駆者 」の存在はかけがえのないものである、との御本仏のお言葉である。 先駆者には先駆者ゆえの苦労があることも当然である。 しかし” 開拓した ”という事実と、その戦いをとおして開かれた境涯は厳然としている。

時とともに、また生まれてくるたびに、無量無辺の福徳が、皆さまの生命に満ち、あふれてくることは間違いない。 物心ともに豊かな、すばらしい境涯となって、ある人は大指導者に、またある人は大学者、大芸術家となって、正法広宣流布をいちだんと進めていく。 これを末法万年にわたり、自在に繰り返していくのである。 この福徳を確信していただきたい。 その確信がさらに境涯を開いていくのである。

< 御書とその心 >より


世界広宣流布新時代とはいっても、まだまだこれからであり、今はまだ草創のときであります。 今こそ、歴史を刻む信心の実証を打ち立て、時代を切り開いて未来の礎となってまいりましょう。 その福徳で、必ず自在無碍の境涯を得、生まれてくるたびに世界広宣流布の舞台で、様々に衆生所遊楽の人生を味わっていくことができます。 日蓮大聖人の信心というものは” 自受用身 ”つまり、自らが受け用いる身となって、ほしいままに、真の自立した自由な人生を、三世に亘り楽しんでいくことができるのであります。   
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2015-07-24(Fri)
夕立。 夏ですね。

高校生の夏、麦わら帽子を被り、只見の川沿いに山道を歩いていると、日が照っているというのに、山間(やまあい)の向こうから雨のシャワーが近づいてくるのが見え、きれいだなぁ、と思ってるうちにどしゃぶりの真っただ中。 森に降りかかる雨音が、ステレオを聞いているように近づいては遠ざかってゆき、あとには静寂だけが残りました。

しばらくすると、蝉しぐれが鳴きはじめ、ふぅ、と息をついで、わたしも歩き始めました。

今日は、そのとき、大自然のなか、頭のなかで静かに流れていた曲を紹介いたします。

よい週末を。 (^^

・ Air on a G string
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2015-07-21(Tue)
安保法制が衆議院を通過し、参議院で審議されることになりました。 いままでは、法案の中身がなかなか見えてきていませんでしたが、やっと新聞でその中身が報道されましたが、遅きに失したという感があります。

法文なので、見慣れない人には読みにくいかもしれませんが、ぜひ読んでみてください。

・ 内閣官房 平和安全法制等の整備について

この法案は、十の法律の改正案と一つの新しい法律案を、まとめて安全保障関連法案と総括的に言っているもので、一つの法律ではありません。 それは閣議決定で限定した集団的自衛権の発動を容認したことから、それにともなう関連法の改正と国際貢献に資する法律の新設が目的です。

< 改正案 >

・ 自衛隊法
・ 国連平和維持活動(PKO)協力法
・ 重要影響事態法(周辺事態法改正)
・ 船舶検査活動法
・ 武力攻撃事態法
・ 米軍行動円滑化法
・ 特定公共施設利用法
・ 外国軍海上輸送規制法
・ 捕虜取扱法
・ 国家安全保障会議設置法

< 新設法案 >

・ 国際平和支援法

わたしは、これらを一読して、一部分の問題点はあるものの、公明党のはたした役割がとても重要であったことが分かり、公明党を評価しています。 今後、改正の部分は改正前と比較して、新規法案は、その一々について、わたしなりの考えを示しておきたいと思います。 しかし、その前に、総括的にこの法案を巡る報道といわゆる知識人と言われる方たちの発言について述べておかなけらばならないと感じました。

なぜ、そう感じたのかというと、この問題において、あまりにも情緒的な発言と、法案そのものの吟味が為されていないことに、危険性を覚えたからで、立場は反対のようでも、戦中戦前に事実を隠しながら盲目的なナショナリズムに走った報道と知識人の時代に迎合した従順さと同じ根を持っていると思ったからです。 報道は意見を出してもかまわないのですが、事実を覆って恣意的な情報操作をしてはならいのが鉄則です。 ところが、今の報道機関はそうではないようです。 法案の中身を国民に知らせる義務があるはずなのに、一紙も一局もいままで報道していません。 マニフェストの検証もせず、民主党政権の誕生を仕組んだときの報道と全く同じであります。 自分たちの考えが優先して、知る権利を阻害しているのが今の報道機関であり、民衆を扇動する魔力に魅入られているとしかおもえないような姿勢です。 これはとても危惧すべきことです。 

民衆は賢くなければいけない、そうでなければ、一部の権力者に利用されるだけであり、一握りの報道機関の人間の思うつぼであります。 ” 認識せずして、評価することなかれ ” という先哲の言葉があるように、誤認識で評価することはとても危険であります。
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2015-07-20(Mon)
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SGI池田会長は折々の会合で御書を繙き、次のように語られています。


【 本文 】 日興遺誡置文(1618P) 
『 未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事。 』

【 通解 】 
『 いまだ広宣流布しない間は、身命を捨て自身の力の限り妙法を弘めるべきである。 』

【 指導 】
* 日亨上人は、この御文を「 重要永遠的の第一法則 」の一つであり、「 万代法則ともいうべき 」であるとされている。 つまり、このご遺誡は、二十六箇条のうちで最重要であり、中心となる鉄則である。 大聖人門下にとって永遠に貫きとおすべき根本の指針と仰せなのである。
「 広宣流布 」の実現こそ、根本の大事である。 ゆえに「 随力弘通の人 」こそ、もっとも御本仏が喜ばれ、たたえられる人である。 この根本をないがしろにするものは、日興上人の門下とはいえないとの戒めと拝される。 わが学会の歴史は、まさしく、この遺誡どおりの軌跡であった。 これが、私どもの最大の誇りである。

日興上人は、二十六箇条の「 遺誡 」について「 此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有る可からず 」と厳格に断言されている。

< 御書とその心 >より


日亨上人は、若きころに九州で折伏を一生懸命されていた。 そのときの経験から” きっと折伏の役に立つ ”と思われて、生涯をかけた富士宗学全集に取組まれたそうであります。 当時の宗門にあって、僧侶は折伏などしなくてもよい、という風潮の中「 大事なのは、人々を折伏して、信者に育てることである。 失敗してもいいから、どうしたら新しい信者ができるか、折伏の辛さ、厳しさを自分で学んでおくことだ。 折伏しない僧侶には、御書の解釈は出来ても、大聖人の本当の心は分からないよ。 」と語っておられたそうであります。 その上人にして、この一箇条の重みを痛感せられていたのでしょう。

折伏をするうえで「 随力弘通 」していくことが重要であります。 折伏には定型がなく、こうしなければ折伏とはいえないということはないということです。 心から染みでる信心の確信、喜びを携えて、相手を思って語っていくことが、相手の心に響いていくことは、昔も今も変わりがありません。 その信心の確信、喜びというのは、日々の唱題、折伏をする中から生まれてくるものです。 つまり因果俱時で、悩みながら、嫌な思いをしながらでも、ちょっとの勇気と一歩を踏み出す思い切りが、折伏には必要となってまいります。 こちらの力不足や宿業で、そのときには、相手の心に響びかなくても、生命の奥底では仏の種が芽吹いていることだけはたしかであります。

『 末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり 』 とあるように、この一箇条のために、地涌の菩薩は生れてくるわけであります。 広宣流布のために生き抜いていくことは、本来の自分を見いだすことであり、何のために生まれてきたのか、その目的を自覚し、御本仏との約束を果たしてまいりましょう。
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